第三十七話 裁きの刻ー吉岡の剣、真実の影
「……その小僧の言うことは、真実だよ」
しゃがれた女の声が、張り詰めた道場を切り裂いた。
ギギ……と音を立て、戸が開く。現れたのは、京の遊郭を取り仕切る女傑・妙婆。その隣には毅然と立つお梅。そして最後に――縄で後ろ手を縛られた黒縄屋の主が、二人の屈強な男に引き立てられて入ってきた。
「な……っ!」
弟子たちは一斉に息を呑んだ。
黒縄屋の顔を見た瞬間、桐山と山田の顔色はみるみる土のように灰色へ変わる。
直元の拳が音を立てて握り締められた。
――黒縄屋が連行されてきたということは、ただの讒言ではない。
「証拠を携えて現れたか……」
心の奥で低く呟く。胸に重く沈むのは怒りか、恥か、それとも失望か。
妙婆が堂々と前に進み出た。
「この場で嘘をつく理由はないよ。見たままを話すだけだ」
お梅も一歩前へ進む。
顔は蒼白だが、その瞳だけは真っすぐに光を宿している。
「梵寸の言葉は……真実です」
道場の空気が、一気に張り詰めた。
弟子たちは誰一人として動けない。針の落ちる音すら聞こえるような沈黙。
梵寸は静かに腕を組み、三人を迎え入れる。
「――さて。これで証は揃ったな」
天井の梁がきしみ、空気が膨らむような気配を放つ。
直元の胸が重く波打った。
吉岡の名を賭けた裁きの刻が、ついに訪れたのだ。
「妙婆、ありのままを語れ」
梵寸の命に、妙婆は胸を張り、堂々と告げた。
「黒縄屋は吉岡の弟子らを使い、梵寸の妹を攫わせた。さらに裏の口利きをして、京の闇へ売ろうとしたんだよ!」
「なっ……!」
「そんな馬鹿な……!」
弟子たちがざわめく。桐山と山田は脂汗を垂らし、顔を真っ青にして俯いた。
続いて、お梅が前に進み出る。
震える唇を噛み締め、それでも凛とした声で語った。
「……私は梵寸の妹を取り戻そうと、吉岡派に抗議に行きました。その時……桐山と山田に押さえつけられ、宗主のお名を騙り、辱めを受けました。これが事実です」
「う、嘘だ! その女の言うことなど信じるな!」
「宗主! 俺たちをお救いください!」
二人の叫びは、虚しく木の梁に吸い込まれていく。
直元は目を閉じた。
直元は、怒りが腹の底から湧き上がり、喉元まで燃え上がる。
――わしの名を騙り、女を汚すとは。
「吉岡の名に、泥を塗りおったか……!」
歯を噛みしめる音が、己の耳にすら響く。
妙婆がさらに声を張り上げた。
「まだ証人がいる。黒縄屋が破軍衆と繋がっていた証拠だ」
戸が再び開かれ、二人の男が重い足音を響かせて入ってきた。
縄でぐるぐる巻きにされながらも、猛獣のような眼光を放つ巨漢――鬼塚鉄牛。
「……鬼塚鉄牛!」
「破軍衆の剣士が……なぜここに!」
弟子たちがどよめいた。京の裏社会に名を馳せる暴れ者、その名を知らぬ者はいない。
鉄牛は鼻で笑い、低く唸った。
「フン……俺は確かに黒縄屋の口利きで動いた。破軍衆の資金と人脈を、吉岡に通すためにな」
その一言が落ちた瞬間、空気が爆ぜた。
「なっ……!」
「破軍衆と……本当に……!」
弟子たちが一斉に青ざめる。
桐山と山田は膝をつき、震えながら必死に叫んだ。
「ち、違う……我らは騙されただけだ……!」
「黒縄屋が勝手に……!」
だが黒縄屋は、観念したように顔を伏せ、掠れた声で吐き出した。
「……すべて、わしの仕業だ。金に目が眩み、破軍衆と手を組んだ……。桐山も山田も、口を利いたのは事実だ……」
道場に重い沈黙が落ちた。
誰もが信じられぬ思いで二人を見つめる。
妙婆が冷ややかに告げる。
「さて、宗主。桐山と山田――この二人をどうなさる?」
その瞬間、道場全体の視線が直元へ集中した。
直元の指が震える。
宗主として、そして人として――そのニつの想いが胸の奥でせめぎ合う。
桐山は長年の弟子。だが、吉岡の名を穢した罪は、決して許されぬ。
梵寸が静かに直元を見上げた。
その眼には、年齢を超えた覚悟が宿っている。
『……これは見ものだのう。直元は桐山と山田をどう裁くのか。吉岡派は正道七武門として、京での名声を失うのか』
直元は息を吸い込み、拳をゆっくりと解いた。
その瞳には迷いの火がちらついていたが、すぐに消える。
そして、雷鳴のような声が道場を揺らした。
「……桐山、山田――腹を斬れ!」
その声は、刃よりも鋭く、そして悲しかった。
弟子たちは息を呑み、誰も動けない。
畳の上の影すら震え、蝋燭の炎が小さく揺れた。
梵寸は黙して動かず、直元の裁きを見届ける。
妙婆は目を閉じ、お梅は拳を強く握りしめた。
直元の瞳の奥には、痛みと誇りが入り混じっていた。
――これが、吉岡の掟。
だが、その掟を執行するたびに、宗主の魂は削られていく。
張り詰めた沈黙の中、誰もが息を殺す。
裁きの刻は、確かに下されたのだ。
――吉岡の名を守るために。
――そして、失われた信義を取り戻すために。
道場の外で、風が木々を揺らした。
まるで天地が、吉岡の刃に震えているかのようだった。




