第二十九話 乞食の小僧、甲賀の歩法で巨漢を翻弄す
鬼塚鉄牛は、包丁のように分厚い大刀を振り上げた。
鋼の塊をそのまま削り出したような大刀・裂山が唸りを上げる。
梵寸を、ただの小僧と侮った。
神気すら込めず、力だけでねじ伏せるつもりなのだ。
だが――。
その巨躯から振り下ろされる一閃は、確かに破壊力に満ちていた。
しかし、速さが致命的に欠けていた。
「ふむ……遅い」
梵寸の眼が淡く細められ、一歩、半歩――滑るように畳を踏み、難なくかわす。
その声音は十二歳の貌に似合わぬ老成。
「お主、遅すぎるぞ」
嘲りを交えた言葉と共に、懐へと忍び込む。
刹那、肘がみぞおちに叩き込まれた。
「ぐおおおおっ!」
鬼塚鉄牛の巨体がたわみ、畳をきしませて片膝を落とす。
その様を見て、黒縄藤蔵の目がぎょろりと見開かれた。
『外道破軍衆の用心棒が、京の乞食小僧に押されているだと』
乞食の山田は声を押し殺し、震えながら後ずさった。
華は胸の前で手を組み、血の気の引いた顔で兄を見つめていた。
「まさか……俺に傷を負わせるだと。小僧!」
鉄牛の怒声が響く。
「雇い主の前で恥をかかせやがって……ぶっ殺してやる!」
その巨躯全てに神気が漲った。
家具が軋み、障子が裂け、床板が悲鳴を上げる。
しかし梵寸は、歩法ひとつでその全てをするりとかわす。
「遅い、遅い。剣士と呼ばれる者も大したことないのう」
静かに言い放たれるその一言が、鉄牛の怒りに油を注いだ。
「小僧……俺を嘲笑いやがって! 死ね!」
鉄牛は息を吸い、丹田へと神気を収める。
全身の筋肉が膨れあがり、血管が浮かぶ。
「死ね小僧! 鬼塚流包刀術――第一ノ型・断嶺屠!」
轟音と共に、大刀・裂山が振り下ろされた。
空気が裂け、地面に亀裂が走り、畳が砕け飛ぶ。
まるで山を断つかのごとき一撃だった。
「にいに、危ない!」
華の叫びが室内を震わせる。
黒縄藤蔵は口元を歪め、獰猛な笑みを浮かべた。
「ふん、終わりだな……」
乞食の山田は青ざめ、腰を抜かして膝を崩す。
だが――。
梵寸はわずかに口角を上げ、静かにその刀身を見据えていた。
「ふむ……それが、鬼鉄牛の真なる剣か。面白い」
一歩、ただ一歩。
その足が畳を鳴らし、刃の軌道から抜ける。
次の瞬間、「裂山」は床を叩き割り、木片と砂塵が爆ぜて部屋を覆った。
視界が白く曇る。
「どうだ、奴は叩き潰されたか!?」
藤蔵の叫びが響く。
だが、その砂煙の向こうから返ったのは――。
「遅い、と申したであろう」
老成した声。
やがて白煙の向こうに、梵寸の影が立ち現れる。
その貌は十二歳の小僧。
だが背筋には七十九年を生き抜いた甲賀惣領の気配があった。
鬼塚鉄牛の必殺の殺人技を前にしても、一分の揺らぎもなく。
ただ、静かに、そこに立っていた。




