第二十一話 炎の守護者の啓示
『わしは生きる!』
冷たくなった梵寸の体に、全身を貫く気合と共に、丹田から白光が奔流となって広がった。
轟音が洞窟を満たし、闇は悲鳴を上げるかのように四散していく。
その瞬間、梵寸の意識はぷつりと途絶えた。
──暗闇の中に、炎が立ち昇る。
その炎を背負い、憤怒の相をもって座す巨躯があった。剣を掲げ、縄を握りしめ、無明を切り裂く姿。
不動明王である。
『梵寸よ』
声は雷鳴のように洞窟を震わせ、彼の魂を打った。
『汝、甲賀を興すは容易からず。されど、その道はやがて日ノ本を鎮める大義へと通ず。忘れるな──藩主の座は終わりにあらず、始まりに過ぎぬ。汝が刃は、里のために。やがて国のために。ついには乱世を静めるために振るわれよ』
梵寸は膝を折り、理解しきれぬままにただその言葉を心に刻んだ。
「わしの力で日ノ本を……平和に……?」
『そのために汝に力を与えよう……』
その呟きを最後に、炎は消え、暗闇が戻る。
──次に目を開いた時、梵寸は洞窟の石床に倒れていた。
荒い息をしながらも、なおも二冊目の書を握りしめている。黒い痕跡は消え去り、その目には燃え盛る意思が宿っていた。
「……ふう……流石に役小角。見事な呪詛よ。だが、阿修羅の境地のわしには破れぬものなど無い」
梵寸はゆるりと身を起こし、胸中に残る炎の像を反芻した。
利剣の閃き、羂索の締め、光背の熱――あれは夢想の影ではない。己の白光とは質を異にする、外から差し入れられた光であった。
「わしをこの過去へ呼び戻した御方……不動明王に間違いない」
言い切った声は、洞窟の静けさに吸い込まれていく。梵寸はさらに思いを継いだ。
「甲賀を興すは我が志。されど志のみでは乱は鎮まらぬ。力は器、藩主の座はその器。里を治め得ぬ者が、いかで国を鎮めることができるのか。まず甲賀を興し、秩序を築き、しかる後に国へ広げよ――不動の声は、そう告げたのだ」
己が怒りと執着が、炎の縄で縛られ、裁きの剣で削がれていく感覚がまだ体内に残っている。
乱を断つには、まず己が乱を治めねばならぬ。それが始まりに過ぎぬ、のだろう。
梵寸は立ち上がり、二冊目の書を開く。
古めかしい筆跡が視界を満たす。彼の記憶力は、すでに一冊目で証明されていた。
一字一句、図形の曲線までも余さず吸収していく。
やがて──最後のページに差しかかった時、梵寸の眼が大きく見開かれた。
「つ、ついに……見つけたぞ!」
そこに記されていた章題は──『月呪ノ業』
血にまみれた記憶の中で、最も悔やみ、救うことができなかった存在。
華を救い得る道が、ついに梵寸の目の前に現れたのだ。
「華よ……必ず助ける。これで、お前を地獄から連れ戻せる」
震える声でそう呟くと、梵寸は静かに書を閉じた。
洞窟の外から剛蓮と静雅の声が聞こえてくる。
だが梵寸は振り返らない。胸の奥で、確信が芽吹いていた。
忍びとして、武人として、ひとりの男として──この道を歩み通す覚悟が。




