第二話 死に戻りの下層民、再び泥にまみれる
「ドガッ!」
突如、脳天を裂くような衝撃が走った。
眼前が暗転し、世界が一瞬ゆがむ。梵寸はたまらず地に倒れ込み、土と埃の冷たさを頬に感じた。
「いった……な、何事だ……!?」
呻きながら見上げたその先には、三つの影が立ち塞がっていた。
いずれも薄汚れた破れ衣をまとい、骨ばった肢体は飢えに痩せ細り、顔は煤にまみれて黒ずんでいる。だが、その瞳だけは異様な光を帯びていた。猛禽のごとく鋭く、獲物を前にした獣のそれである。
「おい、糞の梵寸。今日の稼ぎは、なかなか良かったらしいじゃねぇか」
一人が唇を吊り上げ、手にした木刀をわざと音高く振り回す。
「全部、渡してもらおうか……さもねぇと」
振りかざされた棒は、今にも二撃目を打ち下ろさんと唸りを上げた。
「お、おい待て。落ち着け……わしがお前たちに何をしたというのだ? 話せばわかる……まずは穏やかに——」
必死の声も虚しく、返ってきたのは嘲りだった。
「偉そうにすんな、糞の梵寸がッ!」
怒声とともに、木刀が風を裂き、梵寸の頭を再び打ち据えた。
「ゴッ!」
視界が白く弾け、頭蓋の奥で火花が散る。梵寸は思わず呻いた。
『ば、馬鹿な……。乞食風情の一撃ごときが、なぜこのわしに効くのだ? わしの肉体は甲賀の修行で鍛え抜かれ、鋼鉄のごとき堅牢を誇ったはず……かつては刀すら通らぬと評されたのに』
しかし現実は残酷であった。
木刀は二度、三度と容赦なく振り下ろされ、その度に頭が揺れ、思考が泥濘に沈む。
「ぐっ……ぐおっ……や、やめろ……!」
反撃の意思はあれど、体は鉛のように重く、腕は宙を掴むだけ。横合いから伸びた乞食の手が、するりと懐に潜り込み、巾着を引き抜いた。
「おいおい、こいつ意外と持ってんじゃねぇか。……へっ、俺たちが使ってやるよ、なあ!」
声高に笑いながら、三人は闇の中へ駆け去っていく。その背に響く哄笑は、夜気を裂いてなお耳に刺さった。
残された梵寸は、地に崩れ伏し、痛みと混乱の只中で呻いた。
『いったい何だったのだ、あやつらは……。どこかで……どこかで見たような……』
記憶を手繰ろうとする脳裏に霞がかかる。そのとき、ひとつの影が駆け寄ってきた。
「梵寸! 大丈夫か? ……ひどいな、同じ乞食なのに、あいつら」
その声を耳にした瞬間、梵寸は息を呑み、目を見開いた。
「お、おまえ……まさか……小吉か……なぜ生きている!?」
目の前に立つのは、間違いなくかつての仲間、小吉であった。
だが彼は――永禄十一年、観音寺城の戦で討ち死にしたはずの男だ。
「なに言ってんだよ、梵寸。俺はちゃんと生きてるだろ?」
小吉はあどけなさを残す笑みを浮かべ、両の手足をひょいと動かしてみせる。その身なりは飢えに喘ぐ子供の乞食に他ならなかったが、その存在そのものが梵寸の理屈を粉砕した。
『死んだはずの男が、生きて、しかも若返っている……。ま、まさか……!』
背筋に冷たいものが走る。額から頬を伝い、汗が一筋流れ落ちた。
『そうか……わしは――あの日、雪降る伏見城の前で死んだのだ。
だが今、目の前に広がるのは戦国の京……かつての時代……。これは、まさか、本当に……時を遡ったというのか……!?』
雷鳴のごとき衝撃が全身を貫いた。
血が滾り、心臓が胸を破らんばかりに打つ。
「そうだ、確かめねば……この目で、この足で……!」
梵寸はふらつきながらも立ち上がると、次の瞬間、我を忘れて闇の町へと駆け出した。
灯火揺らめく小路を、風を切り、過去と未来の境を踏み越えるかのように。




