第十六話 吉野の隠れ里、再び
「伝説の修験道・役小角の隠れ里――あそこなら、華の冷気体質を癒す秘法が残されておるかもしれぬ」
梵寸は、長年押し殺してきた希望の芽がいま芽吹いたかのように、声を震わせていた。
小吉の肩を掴み、何度も叩く。
「いっ、痛っ……! 師匠、力強すぎ! 本当に怪我してるのかよ!」
「ははは、すまぬ、すまぬ。だが……ついに見えたのじゃ。華を救う道がな!」
頬をほころばせる梵寸だったが、直後、表情は翳った。
胸の奥底で疼き続ける記憶が、鋭い楔のように意識を刺したからだ。
「ああ……しかし、ひとつ大きな難題がある」
「え? 難題?」
小吉が目を瞬かせる。梵寸は唇を結び、遠い過去を吐き出すように語った。
「役小角の秘伝書を探ろうとした者は、ことごとく無惨に散った。なぜか……隠れ里には、強大な罠と恐るべき番人が控えていたからだ」
◇
脳裏に浮かぶのは、六十余年前の記憶。
織田信長の後ろ盾を得て、畿内を揺るがした戦国の梟雄――松永久秀。
その命を受け、甲賀衆もまた修験の里を狙った。
当時の梵寸は交渉と探索の役を任じられ、最前線に立った。
だが……その役目は、あまりに残酷な結末を招いた。
『秘伝書を差し出せ』
そう迫ったのは他ならぬ自分自身だった。
墓守たちは頑として首を縦に振らず、結果、六十余名の隠れ里は三百の兵に蹂躙された。
家々は炎に呑まれ、老幼男女を問わず血に沈み、屍が幾重にも積み重なった。
燃えさかる炎の赤、すすり泣きの声、倒れ伏した少女の手。
それは死を超えてなお、梵寸の胸を締め付ける。
『わしが招いた業……』
死に戻りを果たした今、再び彼らと対峙することになるのか。
己が罪と向き合う時が迫っている。
◇◇◇
翌日。
梵寸は華を小吉に託し、ひとり吉野の奥山へと分け入った。
傷ついた丹田が歩みを鈍らせ、息も絶え絶えだが、それでも脚を止めはしない。
かつて歩んだ道だからこそ、彼は進まねばならぬと知っていた。
鬱蒼とした森には、数知れぬ罠が仕掛けられていた。
一歩踏み外せば槍が飛び、枝に触れれば毒矢が降り注ぐ。
すべてが一撃必殺。常人ならば三歩と進めぬ死地である。
しかし梵寸の瞳は曇らなかった。
死に戻りの記憶が、己を導く光となっているからだ。
どこに罠があり、何が仕掛けられているか――そのすべてを熟知していた。
『間抜けではない、我らは甲賀衆。罠など恐れるに足らぬ。ましてや一度見ておるこのわしならばなおさらよ』
呼吸を整え、一つ一つを正確に掻い潜る。
若木を避け、土を撫で、わずかな違和感から機巧を見抜いては解除する。
かつて七十九年の生涯を忍びとして生き抜いた経験が、十二歳の肉体に宿る。
やがて森を抜けた梵寸は、谷間を望んだ。
そこに広がるはずの静寂はなかった。
「助けてくれ!」
「皆の者、戦え――!」
悲鳴と怒号。崩れ落ちた家々から炎が噴き、黒煙が空を覆う。
血の匂いが風に乗り、耳を裂く金属音が絶え間なく響いた。
梵寸の心臓が大きく脈打つ。
『……またか。わしの罪は、何度でも彼らを焼き尽くすのか』
震える拳を握りしめる。
この惨劇をただ見過ごすのなら、死に戻った意味はない。
己の業を断ち切るためにも、運命を変えるためにも。
梵寸は迷わず一歩を踏み出した。
火焔の渦巻く里の中央へと躍り出る。
かつて滅ぼした者たちと、再び出会うために。
新たなる血煙の谷で――。




