第十三話 修行の極限と華の希望
梵寸の修練は、単なる技術の習得ではなかった。
小吉は呼吸困難に喘ぎ、全身の疲労に倒れそうになりながらも、手足の痙攣と意識の揺らぎに耐え抜いた。まるで死線の一歩手前から引き戻されるかのような感覚であった。
梵寸は一切の手加減をせず、真価を試した。生き残るか、倒れるか――それだけが、この戦乱の世を渡る者の証である。
小吉の鍛錬方法は梵寸と同じ。朝は走り、昼は剣術、夜は丹田に神気を宿す。それ一択であった。非常に単純であるが、単純であるがゆえに過酷だった。
「師匠! もう俺、死ぬ〜!」
朝の走りだけで悲鳴をあげる小吉。
「その言葉が出るということは、もう少し走れるということじゃのう。うひひっ」
梵寸の口元に浮かぶ笑みは、冷ややかでありながら不思議な温みを帯びていた。
「吐きながら走ってるんです! もう限界です!」
小吉は実際に吐き戻しながら、梵寸の後を追い必死に走る。夜明け前から走り始め、止まることは許されぬ。ただひたすら、地を踏み締めるのみ。
「何を言っておる。明日からはわしのように両手両足に岩をくくりつけて走るのじゃぞ。今日はまだ易しい方だ。慣れたら紀伊国まで往復してみせい」
「ひぃ〜! 紀伊国っていったら百五十キロくらいあります!」
泣き声に似た抗議も、虚空に吸い込まれるだけだった。
梵寸自身も両足に岩をくくり、両手には小吉ほどの大きさの岩を抱えて走る。師は弟子に背を見せることなく、己をもまた縛りつけていた。
昼になれば剣術。岩を削り作った重刀を小吉に握らせ、基礎の構えを叩き込む。
「ひぃ、な、なな!? この刀めちゃくちゃ重い!」
子供の細腕には到底扱えぬ代物であった。
「小吉よ。これから毎日、夜までに一万回振るのじゃ。行くぞ、一、二、三、四」
梵寸の刀は小吉の十倍もある大剣。それを軽々と振るう姿に、小吉は己の無力を痛感した。
「もう、もう持ち上がりません!」
泣き叫ぶ小吉に、梵寸は穏やかな声で告げる。
「一万回やらねば昼めしはない。剣の基礎を怠れば、戦場で死ぬだけだ」
その言葉の奥に、戦国の現実――死が常に隣り合わせである事実が滲んでいた。
夜は丹田に神気を宿す鍛錬。梵寸は岩を前に示す。
「素手では、こうじゃ」
拳を打ち込むが岩は揺らぎもしない。
「小吉もやってみろ」
無謀に拳を打ち込んだ小吉の手は血をにじませた。
「では神気を込めると……」
梵寸の拳が岩を打つと、轟音とともに粉々に砕け散った。
「ひぃ……岩が……消えた……」
小吉は呆けて声を失う。
「驚くには及ばん。そのうちお前にもできる。わしの鍛錬で死なねば、な」
梵寸の笑みは、夜の闇に浮かび上がる鬼火のようであった。
その夜、梵寸は寝床で静かに思索した。
目標は三つ。
ひとつは、死線に臨む前の力を取り戻すこと。神気が尽きれば、戦場ではただ斬られて終わる。
ふたつは、小吉を生き延びる者に育て上げること。
そして最後に、十日後に完成する薬を華に届け、病を癒すこと――。
華は病床で眠りながらも、小吉の修練を見守っていた。乞食でやせ細っていた小吉の体が、日々の鍛錬で少しずつ逞しく変わってゆく。その姿に、彼女の胸にも秘かな決意が芽生える。
「にいに……病が癒えたら、華も戦います」
その囁きに、梵寸の胸は熱くなった。
戦国の世は虚無に満ちている。いくら修練を積もうと、明日を生きられる保証はない。だが、その虚しさを知りつつ、それでも人は強さを求める。小吉の走る姿も、華の燃える眼差しも――絶えぬ命の火を映していた。




