第十二話 小吉の誓い、そして修行の門出
必死に頼み込む小吉を、梵寸は無言で見つめていた。
その視線は氷のように冷たくもあり、同時に獲物を手にした狩人の愉悦を隠しきれぬものでもあった。
「小吉よ。――なぜ、武を習いたいのだ?」
低く響く声。その問いはただの確認ではない。
梵寸にとって、それは魂を試す裁きであった。
小吉の喉が震える。やがて絞り出すように声が迸った。
「俺は……もう、虐げられたくないんだ!」
その叫びは、涙と共に室内に響いた。
小吉は没落した商家の子。1531年の戦乱で、父は斬り伏せられ、母と妹は行方知れず、家も財も一夜にして灰となった。
残されたのは、ただ生き延びるために、他者の情けを請うしかない屈辱の日々。飢え、嘲り、無力。
「俺の力で……平和な世を作りたいんだ!」
幼い拳を固く握りしめ、声を張り上げる。
「でも今の俺は弱すぎる……俺は何も守れない……だから――梵寸みたいに……強くなりたいんだ!」
言葉は嗚咽にかき消され、涙に濡れて震えていた。
だが、そこには確かに揺るぎなき願いがあった。
梵寸は短く息を吐き、鋭い眼差しで小吉を見据えた。
その胸には冷笑が浮かぶ一方で、深い感慨が芽生えていた。
――死に戻る前も、この小僧は決して裏切らなかった。命を懸けた場面でも、彼は背を向けなかった。
だが同時に思う。戦国の世は、忠を尽くそうと裏切ろうと、結末は大差ない。
城は落ち、主君は斬られ、血は大地に吸われる。勝者もまた、刹那のうちに敗者へ転ずる。
人の営みなど、炎に投じた紙のように儚く、虚しい。
「……だが小吉。なぜ、わしが貴重な武術をお前に授けねばならぬ?
お前は我に、何を差し出す?」
梵寸はあえて突き放す。冷酷な問いは、揺さぶりであり、誓いを引き出す仕掛けでもあった。
小吉は涙を拭い、歯を食いしばって叫んだ。
「俺の命をやる! だから……俺を強くしてくれ!」
声が震え、涙が頬を伝う。
だが、その言葉には命を投げ打つ覚悟が宿っていた。
梵寸の眼差しがわずかに細まる。
心の中で確信する――ようやく信じるに足る従者を得たのだと。
「……わしの修行は苛烈じゃ。十に八つは死ぬ。それでもやるか?」
告げられた言葉は刃のように鋭く、容赦がない。
それは試すというより、突き落とすための問いであった。
小吉は涙を拭い、真っすぐに梵寸を見返した。
「やります!梵寸……いや、 師匠――死ぬ気で修行して、必ずお役に立ちます!」
その声に迷いはなく、魂は燃え立つ炎のように激しかった。
梵寸は静かに頷き、内心で微かに笑んだ。
――良い。死を恐れぬ覚悟こそ、乱世において唯一の剣。
たとえその剣が、いずれ虚無に呑まれると知っていようとも。
こうして、一人の少年は甲賀衆に伝わる修行の核心へと足を踏み入れた。
それは血と汗と涙に彩られ、常人ならば一歩で心を折られる死と隣り合わせの道。
だが、その先にこそ真の強さが待ち、戦国という虚しき世にあって、かすかな灯火となるのだろう。




