第百二話 英雄死す
梵寸の加勢によって、北門、南門はついに守り切られた。
敵の黒装束が退き、静寂が戻る。
「梵寸どの……加勢、感謝する」
吉岡直元の息子・直賢が、吉岡道場の後継者らしく、力強い声で礼を述べた。
梵寸は息も切らさずに頷く。
「うむ。あとは直元どののところを片づければ、外道破軍衆の残党も終わりじゃ。行くぞ」
「おう!」
梵寸と吉岡の弟子たちは破れた寺門を駆け抜け、最後の戦場へ向かった。
◇◇◇
その少し前――。
吉岡直元と外道破軍衆の武人・山本勘助は、夜の闇で対峙していた。
後ろには扇を持つ芦屋道玄が、薄笑いを浮かべて佇んでいる。
「直元よ……いつも邪魔だったぞ。わしらの京への進出を、何度潰したと思っておる」
勘助の声には、長年の怨嗟が混じっていた。
「我ら正道七武門は、京の治安を守る武人。貴様ら外道破軍衆に好き勝手させるわけにはいかん。この剣には、民の平穏がかかっておる」
直元の眼光は鋼の意思そのものだった。
「今日は決着をつける。
――行くぞ、直元!」
勘助が黒刀を抜いた。
「望むところだ。絶対に止めてみせる!」
両者は同時に踏み込んだ。しばらく剣を交え、勘助が神気を丹田に集める。
「喰らえ!山本流剣術ーー第一ノ型・滅影連刃」
闇をそのまま刃に変えたような乱れ斬りが、音すら残さぬ速度で襲いかかる。
斬られた者は死に気づく暇すらないという、外道破軍衆の狂気の技。凄まじい剣戟の衝撃に、飛石が根こそぎ弾け飛び、土煙とともに宙を舞った。
だが――。
「来い、千本でも万本でも──全部、叩き折ってやる!! 吉岡流剣術ーー第二ノ型・鉄壁一刀千打!」
直元の太刀筋が鉄壁となり、勘助の連撃すべてを叩き砕いた。
「さすがにやるのう。直元よ」
火花が夜に散り、勘助の口元に驚愕が走る。
「おぬしもやるな。さすが……熟練の武人よ。では――この吉岡の神技を防げるか!」
直元は勘助の攻撃に関心し、お返しと刀を上段に構える。
「吉岡流剣術ーー第一ノ型・白露一閃
(はくろいっせん)!」
天を裂く構えから、世界を叩き割るような強力な一撃が振り下ろされた。
だが勘助はそれを見切る。
「甘いわ直元!山本流剣術ーー第二ノ型・無間帰し(むけんがえし)!」
相手の攻撃そのものを“来た道”そのまま跳ね返す、殺意の守り。
火力と火力が正面から衝突し、地面が抉れた。
「勘助、おぬし……そこまでの腕とはな」
「そっちこそ……老いてなお、化けがかっておるわ」
両者が再度構え直したその時――。
「直元……邪魔だ。そろそろ死ね。
芦屋流陰陽術ーー第二ノ型・調伏影縛」
芦屋道幻が扇をゆっくり開いた。瞬間、地面が黒く蠢いた。
直元の足元から無数の黒い影が這い出し、
まるで生き物の手のように彼の足首、膝、胴を絡め取る。
影は冷たく、まるで底なし沼の底へ引きずり込もうとする。
「陰陽術・影縛りの牢じゃ」
道幻の低い笑い声。だが直元は動じなかった。
「小細工が過ぎる……!」
一閃。
太刀が円を描き、影の群れを薙ぎ払う。
黒い手は断ち切られるたびに煙となって消え、
次の瞬間にはまた這い出してくる。
しかし直元の刀は止まらない。
十、二十、三十……影を断ち続けるたびに、道幻の顔が青ざめていく。
「……っ!」
道幻の額に汗が伝う。
このままでは術が破られる。そのときだった。
そのときだった。本堂の裏側から、幼い悲鳴が上がった。
「無礼な!何をする!」
芦屋道幻が素早く動いた。
煙のように裏手へ回り、隠れていた吉岡直元の孫の直綱であった。
道幻の部下が、まだ十の童である直綱を、片手で襟首を掴んで引きずり出す。吉岡派の誇り・尊敬し、敬愛する直元の戦いを、自らの目で隠れて見ていたのであった。
「直元」
道幻は直綱の首に短刀を突きつけた。
「剣を捨てろ。さもなくば、この直綱の命がないぞ」
直元の手が、ぴたりと止まった。
直綱は震え、直元の足を引っ張った悔しさに涙をこぼしている。
だが、必死に直元を見上げ、小さな声で呟いた。
「祖父上!直綱をお見捨て下され!」
直元の刀が、かすかに震える。
そして――静かに、刀が地面に落ちた。
金属の澄んだ音が、夜の闇に響く。
「直綱に罪はない。離せ」
直元は両手を上げ、ゆっくりと膝をついた。
「殺すなら……わし一人でいいだろう」
勘助が、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「つまらん。陰陽師ごときが超人の戦いに水を差しおって」
くるりと背を向け、興味を失ったように歩き去ろうとする。道幻の顔が歪んだ。
「……勘助! やるんだ! 今すぐ直元を殺せ!」
怒りと焦りで道幻の声が裏返る。
「興が覚めた。わしは剣で強者と勝負したいだけだ。それだけのために外道破軍衆にいるのだ」
勘助は肩も振らずに答えた。
「なら、お前たち!」
彼の背後に控えていた五人の精兵が、一斉に前に出た。
黒い甲冑が月光を吸い込み、
五本の刀が、闇を裂くように高く掲げられた。子供たちの小さな悲鳴が、夜空に吸い込まれていく。直元は目を閉じた。
「嫌だ!祖父上!生きてくだされ!直綱をお見捨てを!うわああああああ!」
直元の唇が小さく動いた。
――梵寸どの……あとは頼んだぞ。五振りの刀が、振り下ろされようとした――




