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乞食からはじめる、死に戻り甲賀録  作者: 怒破筋
第二章 天文法華の乱ーー燃えゆく京
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第百話 正道七武門・吉岡一門 ―本能寺炎上を阻め―

京の空に、湿った夏風が吹いていた。

土埃が舞い、汗ばむ肌にまとわりつく。

円城寺の僧兵三千を見事退けた吉岡直元率いる吉岡派は、意気揚々と北より都へ戻っていた。

八十六歳にしてなお武威は衰えず、歩く姿ひとつにも“京の守護神”の風格が宿っている。


「宗主様、ここを抜ければもうすぐ道場でございますな」


弟子のひとりが息を弾ませる。


「いや、油断は禁物よ。京は不穏が満ちておる」


直元は鋭い目を細めた。

本圀寺の前を通りかかったとき、鋭い叫びが風を切った。


「助けてくれ! 殺される!」


次の瞬間、黒い影が民家を蹴破り、逃げ惑う民を追い立てている姿が見えた。

外道破軍衆――。

天文法華の乱の混乱に乗じて現れた、無法の武人集団である。


「外道破軍衆!? こんな所まで……!」


直元は杖のように持っていた刀の鞘を地に叩きつけた。


「全員、抜刀せよ! 民を守るぞ!」


弟子たちが一斉に走り出す。

直賢もまた、父に続き刀を抜いた。


「貴様ら、京で好き勝手はさせぬ!」

「なにぃ、吉岡……!」


外道破軍衆の武人百が斬りかかる。

瞬間、直元の動きが霞んだ。

一歩。

ただ一歩踏み込んだだけで、目の前の敵が弾け飛んだように倒れ込む。

民衆が叫び、拍手が湧いた。


「さすが吉岡様だ!」

「吉岡様は京の守護神だ!」


だが歓声の中、別の民が震えた声を上げた。


「そ、その……奴ら、本圀寺に火を……火をつけようとしておりました!」

「何っ! 急ぐぞ! 寺を焼かせてはならぬ!」」


直元は表情を変え、即座に号令した。


◇◇◇


本圀寺に入った吉岡派を迎えたのは、静寂だった。

僧兵たちはすでに延暦寺軍との戦に敗れ、撤退したあと。

寺は空で、代わりに外道破軍衆が火縄を握っていた。


「撃退せよ!」

「ハッ!」


直元が駆け抜け、弟子がそれに続く。

刀と刀がかち合い、火花が散る。

土埃が揺れ、夏の陽光が柱の影を濃くする。

その中で――直元は信じられないものを見た。


「……直綱? 何故ここに!」


父・直賢が吉岡道場に預けていたはずの十歳の息子、直綱が戦場にいた。

小柄だが、動きは鋭い。

だが幼い腕では敵の攻撃を受け止めきれず、押されていた。


「父上! お祖父様! 十歳といえど、私は吉岡一門。戦えます!」

「道場にいろと言ったであろう!」

「ここは戦場。己の身は己で守れ」


直元の静かな声が直綱を射抜く。

真境には至らぬ。

だが十歳にして吉岡のすべての型を覚えた天才。

問題はただ一つ――実戦経験の欠如だ。


(ならば、ここで学ばせるしかない)


直元は、孫の直綱の同行を許した。

その判断は、後に大きな悔恨となるとは知らずに。

怒りを押し殺しながら、直賢は息子を守りつつ戦い、

ついに外道破軍衆を押し返した。


◇◇◇


戦いの後、捕らえた外道破軍衆の武人が引きずり出される。


「問う。なぜ法華宗の寺を狙う」


直元の声は、夏の空気よりも重く響いた。


「……へっ、決まってる」

「答えよ」


直元の拳が、老人とは思えぬ音で男の腹を打ち抜いた。


「ぐ、は……! わ……分かった……!」


男は苦しみながら口を開く。


「俺たちは法華宗の寺を焼いて回ってる。

 奴らの心臓をへし折るのが狙いだ」

「心臓?」

「最大の標的は――本能寺だ。

 そこに我らの主力が向かっている」


本能寺。

法華宗の魂ともいえる寺である。

そこが炎に包まれれば、京は争乱の渦と化す。

直元は深く息を吸い込んだ。


「……最悪だ」


その声には、武人としての重みがあった。


「本能寺へ向かう。猶予はない」


直元の言葉に弟子たちが立ち上がる。

だが、直賢が声を張った。


「父上! 直綱を道場に戻さねばなりませぬ!

 これより先は危険が過ぎます!」


当然の意見だ。

本能寺には敵の主力がいる。

直綱を巻き込むにはあまりに危険。

直元は短く答えた。


「戻す時間がない」

「しかし!」

「半刻戻れば、その間に本能寺が燃える」

「……!」


直賢は言葉を失った。

父としての不安、武人としての誇り。

その間で胸が引き裂かれる思いだった。

そんな父に、直綱が進み出た。


「父上。私は行けます。

 吉岡の名を汚すまいと誓いました」


声は震えていた。

だが、その瞳には揺るぎない火が宿っている。

直元は頷いた。


「直賢。あの子は吉岡の未来。

 だが未来は、守られるだけでは育たぬ。

 “武の経験”が必要だ」


直賢は悔しげに唇を噛んだ。


「……承知しました。しかし、片時も離しませぬ」

「それでよい」


直綱の表情が引き締まり、

少年の顔が武人へと変わる。

――だが直元は知らなかった。

その判断こそが、吉岡家にとって最大の誤算となることを。


「全員、支度を整えよ! 本能寺へ急ぐ!」


直元の号令が寺に響く。

夏の空気は重く、焦げた灰が風に乗って舞った。

太陽は西に沈みかけ、京の町を朱色に染めている。

本能寺が燃えれば、京は地獄と化す。

天文法華の乱の夜は、そのまま血の夜となる。


直元は空を仰いだ。

夕雲が赤く染まり、

まるでこれからの炎を予告するかのようだった。


「行くぞ。吉岡の名に懸けて、京を守りきる」


直綱は背中を追いながら、小さく息を呑む。

――あの背中に追いつく。

その想いが、未来の武人としての決意へと変わる。

だが、この道の先で彼らを待つものを、まだ誰も知らない。

京に吹く風は、熱を帯びていた。

それは、炎の前触れであった。

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