29 約束
出席の準備をするだけで長い長い時間を掛けた、華やかな夜会は、瞬く間に時間が過ぎていく。
今夜社交界デビューする一人。グレンジャー伯爵令嬢ウェンディとして、私はお父様と一緒に入場し、まずは白いドレスを着たデビュタントとして、王家の男性たちと踊る。
あの件で、第二王子ジルベルト殿下は流石に会場には居なかったけれど、王太子シャルル様と第三王子ニコラ様、それに王弟ジェローム様の三人が出て来て、次々に今夜デビューした貴族令嬢たちと踊った。
私はシャルル殿下と踊ったのだけど、良く似た弟ジルベルト殿下とは全く違い、とても紳士的な方だった。
それに、弟が引き起こしたあの一件に関して、事態を重く見た王家では独自にあの問題を色々と調査していて、私が子竜守を勤めていてアレイスター竜騎士団に居たことも知っていた。
シャルル様から直々に謝罪を受けた事は驚き過ぎて、あまり覚えていないけれど、とにかく初めての夜会は緊張感もあり、父からの紹介で何人かの紳士と踊り、夜会の時間はめまぐるしく過ぎて……それに、私はある人を、目でずっと探していた。
この大広間に……団長は、どこかに来ていないかと。
「……ウェンディ」
「ああ……セオドア」
そこに現れたのは、アレイスター竜騎士団で私のことを揶揄っては楽しんでいたセオドアだった。
少しだけガッカリしてしまったけれど、声を掛けてくれた事自体は嬉しい。
今夜は素敵な夜会服に身を包み、頭の後ろで黒いリボンで金髪を纏めて、そんな彼はどこからどう見ても素敵な貴公子だった。
……なのに、本当にどうしてなのかしら。どことなく、うさんくさく感じてしまうのは。
「ああ。ウェンディがいきなり帰って、寂しかったよ。アレイスター竜騎士団の皆も言っていたよ。空間に華がなくなって、寂しいって。いつも居てくれると思った存在が突然居なくなると、こんなにも心の中が空しくなってしまうものなんだね」
大袈裟に嘆く仕草をしたので、私は苦笑して彼の元へと近付いた。
「……ふふ。そう言っていただけて嬉しいわ。セオドア。あの、団長は来ていないの?」
片腕と言える彼ならば知っているかもしれないと私が聞けば、セオドアは不思議そうな表情で肩を竦めた。
「ユーシス? ユーシスはこんな夜会になんて、来るはずがないよ。生肉に集る獣のように、美しいご令嬢があいつに言い寄って来るだろうからね」
「……セオドアも同じくらい素敵なのに、どうして寄ってこないの?」
私は前々から不思議だと思っていたことを聞くと、彼は楽しそうに笑って頷いた。
「わかっているね。ウェンディ。そう……僕は実はユーシスと同じくらい素敵で、同程度の身分を持っているようでありながら、好みではない女の子には全く優しくないので、あいつほど気軽には寄って来られないんだよ」
「団長は……優しいから、女性に寄って来られるということ?」
私が思っていた反応ではなかったので戸惑いつつもセオドアに聞けば、彼は鷹揚に頷いた。
「そうそう。ユーシスは自分のことを好きな女の子を、無下には出来ないと思っているんだよ。お互いに時間の無駄なのに。それって、はたして優しさなのかな。僕には良くわからないね」
……私が団長のことを好きなら、そんな風に接してくれる優しい人ならば、もっと好きになってしまうわ。
きっと、そういう事なのよね。
団長も出会わなければ、傷つけることもないと思って居るから、ここには来ない。
「……だから、団長はそもそも、こういう場所に出てこないのね」
そういう女性に会わなければ、誰かの誘いを断ることもないし、断って傷つけることもない。
「まあね。それより、ウェンディ。子竜守でなくなったから、僕たち付き合えるね」
またそんなことを言い出したと呆れた私は、いつものように断ろうとすると、誰かが腰に手を回したことに気がついた。
「セオドア。一度、俺と本気で戦いたいと言っていたな。それを、受けよう。覚悟しておけ」
「……え? ユーシス? なんで?」
いきなりの挑発的な言葉に驚いているセオドアを置いて、団長は強引に私を連れて歩き出した。
団長はいつもと違い、凜々しい正装をしていた。アレイスター竜騎士団の団長らしく、騎士服を豪奢にしたもので、いつもは風になびく黒髪も後ろへと撫で付けていた。
っ……嘘でしょう。団長。本当に来てくれたの?
まさかと思った。けれど、彼は私との約束を破るような……そんな人には、とても思えなくて……踊ってくれると約束してくれたから。
「だっ……団長。あのっ……いつから、居たんですか?」
ついさっきまで、こんなに背の高い目立つ人が居たら広い会場だとしても、私には見つけられたはずだ。これまでだって、私はアレイスター竜騎士団で彼が遠くにいても、その姿を見つけられたもの。
「悪い。陛下に呼ばれていた。だが、もう終わったから」
清々しく爽やかな笑顔を見て、私はなんとなく、陛下へジルベルト殿下のことを伝えたのではないかと思った。
……これまでは、団長は自分が我慢すれば良いと思っていたようだけど、私はそれは間違いだと思うので、不当な扱いを伝えられたのなら、それはそれで良かったと思う。
私はダンスホールに出て、踊ってくれるのかと思った。
けれど、団長は私と一緒にバルコニーに出て、私に顔を近づけた。
……はっ……恥ずかしい。私たちは必要あっての契約夫婦だけど、こんなにも近くで、彼の顔を見たことはないし、そういう関係でもないはずで……。
「顔が真っ赤になっている」
揶揄うようにそう言ったので、私は動揺しながら言葉を返した。
「そっ……それは! あの……誰かに見られてしまうと、私たちの関係を誤解されてしまいます」
夜会で『熱くなって来たわ。冷たい風を受けたいから、バルコニーに行きましょう』は……そういう意味なのだ。
恋人たちが抱きしめ合い、熱く語らう……そんなバルコニーで私と団長が居ることを見られてしまえば、恋愛関係にあると思われてしまってもおかしくはない。
「別に良い。俺たちは、夫婦だろう」
団長はなんでもない事のようにそう言ったけれど、私は戸惑ってしまった。だって、これはお互いに利害が一致したから、一時だけの契約結婚だと思っていたからだ。
「けど、それは……必要があって、したことです」
団長の整った顔がほんの少ししか離れていなくて、とても平静でなんて居られない。私がしどろもどろでそう言えば、彼はますます楽しそうな表情になって言った。
「実は、ウェンディの父上にも既に事情を説明して、結婚する許可を貰って来た。そのドレスも、装飾品も、俺が用意していたものなんだ。今夜のことも、協力してもらった」
「……えっ……?」
私は慌てて自分が纏っているドレスを見た。美しくて華やかで繊細で……そうよ。しかも、私の身体に合うように、サイズも完璧ではなかった?
「もしかして……あの、お針子さんの練習のお手伝いって、」
「そうだ。君を騙してしまうのは気が引けたが、ここで結婚を申し込もうと思っていたから、驚かせたかった……いや、喜ばせたかった」
「すっ……すっごく、驚いています」
本当に驚いていて、頭の中は真っ白だし、今にも倒れてしまいそう。
驚いた? 驚いているもちろん。喜んでいるか? この気持ちをなんて伝えれば良いのか、まだわからない。
「それに、夫婦であったなら、アレイスター竜騎士団でも働ける。俺はそうしたい……ウェンディはどうしたい? 俺との契約結婚を、本当の結婚に出来るよ」
団長は私がこれから、一番にしたいと思って居たことを提案してくれた。
だって、団長以外の人と結婚したら『アレイスター竜騎士団で子竜守として働きたい』なんて、許して貰えるはずがないもの。
そうしたい……そうしたいけど、でも。
「けっ……けど、今まで、そんな素振りも、言葉も……一度も」
私は団長に好かれているなんて、思って居なかった。
あくまで彼は私には紳士的に接してくれるだけで、そんな風に私のことを好きだなんて……今まで、一度も思ったことはなかったのに。
「子どもの前では、それは、教育上悪いだろう。だから、二人きりの時に言おうと思っていた。それが今だ」
団長は私の前へと跪き手を取って、手の甲に口づけをした。
……これは、騎士から婦人に愛を乞うという……そういう意味で。団長は竜騎士だから、そういう意味で。
嘘でしょう。
「え! わっ……私は……そのっ」
「さあ、求婚の返事を」
ここまで強引に、事を進める人だなんて思わなくて……嬉しい……嬉しいけど! どうしよう!
Fin




