24 勘違い
「……私もこの子の境遇を忘れるくらいに、頑張っていたからねえ。これだけって訳でもなくて、ここ三ヶ月くらいの疲れが、一気に出てしまったのかもしれないね」
「そうか……」
「それにしても、ユーシス。こんなに早い時間に、アスカロンに会いに来るなんて、珍しいねえ。風邪をひいたから、心配になって見に来たのかい?」
「まあ……そんなところだ」
「陛下には、なんて?」
「陛下は赤子が体調が悪いならば、安心出来る場所で休むのが適当だと」
「ジルベルト殿下は、なんて?」
「……殿下はいつも通りだ」
「あんたも、苦労性だねえ。ジルベルト殿下なんて、真っ向勝負で負かしてしまえば良いのではないかい。向こうもユーシスに挑まれれば、受けるしかないだろうに」
「別に殿下を……負かしたいという訳ではない。俺のことはもう放っておいてくれないかと、ただそう思って居るだけだ」
「そういうところも、苛々される原因だろうね。まあ、あんたの好きにしたら良いさ……私はそろそろ、寝るとするかね……ユーシス?」
「ああ。俺はウェンディが起きたら、少しだけ話したいことがある」
「はー……そうかい。じゃあ、私は先に帰るよ」
「おやすみ。ジリオラ」
キイっと扉が開く音がして、それでジリオラさんが出て行ったのだとわかった。この部屋には、団長が居るのよね……?
それは、理解しているけれど、瞼が開かないし、身体も動かない。そうしたいと思って居るのに、まるで鎖で巻かれているかのように、身体が自由に動かない。
どうしたんだろう……私は、これから、どうなってしまうの?
衣擦れの音がして、団長が私へと近付いて来ていることがわかった。団長は温かな毛布をはがし、心臓の上、寝巻きの中、紋章のある部分の肌へと冷たい指が触れた。
その瞬間、ふわっと身体が軽くなる感覚がして、私はやっと目を開けることが出来た。
「……だんちょう?」
「大丈夫か。ウェンディ」
団長はすぐに手を戻し、私に毛布を掛けた。
「あの……これは」
「おそらくだが、俺と婚姻の儀を済ませ、力が定着するまでに、ウェンディの身体へ強い負担があったようだ……昨夜、陛下にお会いした時に聞いた。あまりにも竜力に差があると、こういう事が起こるかもしれないと」
私と団長は契約結婚をしているけれど、婚姻の儀は正式なものだ。
それに、私は団長と結婚したことによって強い竜力が得られているのは、アスカロンや他の子竜の言葉が理解出来ることからも、それは確実だった。
「ありがとうございます……」
「いや。俺も許可を得ず、肌に触れてしまってすまない」
団長は紳士的に謝ってくれたけれど、いやらしい触り方でもなかったし、私を助けるための医療行為であったというのなら、彼は何も悪いことはしていない。
「あの、アスカロンは?」
「君のおかげで、すっかり元気だ。今日の昼間は飛行訓練にも参加して、楽しそうにしている」
「……良かったです」
私はほっと胸をなで下ろした。けれど、おそらく私は倒れてしまってから、半日は眠ってしまっていたようだ。
なにげなく窓を見れば、朝だったはずなのにとっぷり日は暮れていた。
「だが、あまり……無茶はしないでくれ。君が倒れた時に、胸が苦しくなった」
「え?」
彼の言葉の意味を理解出来ずに戸惑う私に、団長は説明してくれた。
「眠っていたら、急に胸が苦しくなって、ウェンディがここに居るんだと不思議とわかった。だから、俺がアスカロンの部屋で倒れていた君を見つけたんだ。夫婦は互いの危機がわかるというが、こういう事だったんだな」
「ああ……そうだったんですね」
私も竜力を交わした夫婦は、互いの危機がわかると聞いたことはあるけれど、それで自分が助けられることになるなんて思わなかった。
「ゆっくりと休んでくれ。君は苦労を知らない貴族令嬢だったというのに、働き者で……子竜守になって一番大変な時期も、弱音を吐くことなく、よく頑張ったと思う」
「ありがとうございます……けれど、私はもう……その、貴族令嬢とは言えないので。名ばかりなのに、気を使わせてしまって申し訳ありません。アレイスター竜騎士団で働かせて頂けているだけで、本当に感謝しています」
労ってくれる団長の言葉は、正直ありがたい……けれど、私はもう子竜守を続けさせてもらうという生き方しか残っていない。
出来の良い弟のリシャールが実業家となり、家の借金を返してくれれば、可能性はあるかもしれないけれど、それは何年も……下手すれば、十年も先の話だ。
「……自分から、したい事を諦めてはいけない。社交界デビューだって、君がしたいと思えば出来る。俺が連れて行っても良い。断れない縁談を持ちかけられ困っていた俺と、契約結婚をしてくれたお礼に」
団長は手を握ってそう言ってくれたけれど、それはただの気休めだった。
……私は持参金のない、貴族令嬢。それだけで、まともな嫁入り先は見込めない。
しかも、結婚相手はグレンジャー伯爵家の借金を、肩代わりしなければいけないのだ。まだ、学生のリシャールの教育資金だって。
持参金がないというだけならまだしも、私を娶れば、あまりにもお金が掛かってしまう。
……だから、私は自分の結婚は諦めるしかないと、もう理解しているし、なにもかも諦めているのだ。
「没落したグレンジャー伯爵家の、私なんて、もう誰にも……踊って貰えないかも、しれないです」
視界が潤んでひと粒の涙が、私の手を包んでくれていた団長の手の上に落ちてしまった。
ああ……どうしてだろう。いつになく、弱気になってしまった。
お金を稼げて……それに、ご飯も美味しいし、子竜は可愛いし……こんな働き先に雇って貰えて、本当に幸せなのに……それでも。
一夜にして失ってしまったものを、全部忘れてしまうなんて……すぐには出来ない。
「もし……夜会に行く機会があるなら、俺と踊ろう」
私が彼の顔を見ると、団長は黙ったままで、私の頬の涙を拭ってくれた。
「え……?」
「踊ることは嫌いではない。踊りたい相手が、居なかっただけだ」
団長はそういえば、幼い頃から迫られすぎて、貴族令嬢が嫌いだった。私も貴族令嬢ではあるんだけど……それらしくないから、良いのかしら。
「団長。私……あの」
「体調が優れないと、悲観的になることがある。ウェンディはよくやっているし、俺も君がここに居てくれて助かっている……食事を持って来るよ。少しでも食べた方が良いだろう」
改めてお礼を言おうと思った私の言葉を遮り早口で言った団長はそう言うと、私の部屋を出て行った。
その行動に呆気にとられつつも、ベッドから身を起こして立ち上がった私は、涙を拭うと顔を洗って髪をとかした。
……よし。大丈夫よ。ウェンディ。お母様だって、亡くなる前に良く言ってらっしゃったわ。
鏡の前で、自分の前で、笑顔になれるなら、きっと大丈夫だと。
◇◆◇
「今、忙しい時期ではないから、自分がウェンディの代わりをするって言ってね。勝手に色々とやり出したんだよ……まあ、私は男手があるから、助かってはいるけど」
倒れてしまった私は目を覚ました次の朝、いつものように竜舎へと出勤しようとしたら驚いた。団長が朝のミルクを飲んだ子竜から空の瓶を受け取り、リボンを外しては違う色のリボンへと付け替えていた。
「え……団長が、子竜守を?」
信じがたいけれど、アレイスター竜騎士団団長が、つまり、最高責任者が、私の仕事を替わってくれていた。
「ああ。まあ、今はだいぶ育っているから、ここへ男性が一日居るくらいどうって事はないだろうけどね。ウェンディ、せっかくユーシスが代わりにやってくれるって言っているからね。今日は一日、休んだらどうだい?」
「あの、良いんでしょうか?」
私は思わぬ事態に、戸惑ってしまった。確かに団長は私の部屋を出る時も凄く心配そうにしてくれていたけれど、まさか私の仕事を代わってくれて居るなんて思わなかったのだ。
「最高責任者が良いって言っているんだから、別に良いんだよ。あんたの勤務は、ユーシスが許可するか却下するか決めるんだよ。あの、働き者を見れば、自分が休んで良いかくらい、わかるんじゃないかい?」
「ふふ……そうですね」
「ユーシス! ミルクをあげた子を間違わないように、首にあるリボンの色を変えておくんだよ!」
ここに来た頃の私と同じように、ジリオラさんに叱られた団長は、慌てて瓶を取り上げた子竜のリボンを付け替えていた。
「今日は……部屋で、ゆっくりすることにします」
「ああ。そうした方が良いよ。私も新人の教育に忙しいからね」
ジリオラさんの軽口に微笑みながら、私は部屋へと戻ることにした。
団長……私の不調については、ジリオラさんには説明出来ないから、こうして休ませてくれたんだ。
……優しいなあ。本当に優しくて、勘違いしそうになる。
もしかしたら、私は彼にとっての特別なのかなって、そんな幸せな勘違いを。




