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01 解散宣言

――――ああ。何もかも、失ってしまった。


 壁や床には無数に飾られていた絵や壺などの美術品が何一つなくなってしまい、がらんとしている邸の中を見回して私は思った。


 グレンジャー伯爵家の紋章は、柊の葉を持つ竜。玄関ホールの壁中央に飾られていた大きな金属製の飾りも、グレンジャー家が叙爵されて以来ずっと長い長い時間そこに居たはずなのに、既に取り払われてしまった。


 強いて言えば私たち家族三人に唯一残されているのはグレンジャー伯爵という爵位だけだけれど、領地すらもお金のために手放した名ばかり貴族なんて、世間から見れば何の価値もないだろう。


 まさか……こんな日が、来てしまうなんて。


 つい一週間前まで社交界デビューする日を、指折り数えて待っていた私に未来こうなると伝えたとしても、長い歴史を持ち潤沢な財産を持つグレンジャー伯爵家に、そんな事がある訳がないと笑って信じないはずだわ。


 そんなこと……絶対に、ある訳がないわって。


 ええ。実際にこうして、目の前にある出来事は、現実に起こった訳だけれど。


 まるで、悪夢のような出来事が通り過ぎてしまえば、夢は夢でいつか目が覚めるはずだって、そう思っていた。


 ……けれど、いつまで経っても、私は目覚めないまま。


 だとすると、これはまぎれもなく、逃げようもない現実だった。


 伯爵令嬢として貴族に産まれ、身分に相応しい男性と結婚して、そして、子を産み育て、女主人として邸を取り仕切る。


 ついこの間まで、当たり前のことのように描けていた未来を、私はもう何一つなくしてしまった。


 これからは名ばかり貴族として、生きて行く金銭を稼ぐために何か職を持ち、生きていく道しかない。


 グレンジャー伯爵家で長く働いてくれて慣れ親しんだ使用人たちも、お父様が徹夜して用意した紹介状を手に皆去り、今この邸に残っているのは、グレンジャー伯爵家の三人だけ。


 先祖代々住んでいたこのグレンジャー伯爵邸も、明日には人手に渡ってしまう。それはとても悲しいことだけれど、借金を返すためには仕方のないことだった。


 あまりの衝撃的な悲劇が起きて面変わりしてやつれ、別人ではないかと思うくらいに憔悴してしまった現グレンジャー伯爵。私の父、ジョセフ・グレンジャー。ひょろ長い身体を持ち、いつもは整えた髭がなびいている顔も手入れが行き届かずに、今ではだらしなく無精髭が生えてしまっていた。


 まだ、十四という年齢で、私たちがこれからどうなるのかが想像もつかないだろう弟。リシャール・グレンジャー。貴族学校では模範生だというリシャールは、幼く可愛らしい顔を持ち、さらさらしている髪は肩まで伸びて、後ろで黒いリボンで結わえていた。


 私たちグレンジャー伯爵家は家族全員が、銀色の髪に水色の瞳を持っていた。


 そして、私。ウェンディ・グレンジャー。美しい母に良く似ているとは褒められてはいたけれど、これからはそれは何も意味もないものになってしまうだろう。


 だって、私は名ばかり貴族になって、働き生きて行くしかないのだから。持参金も用意出来ないのに、貴族令嬢が結婚することを望むなんて出来るはずない。


 これまでに社交界デビューを控えて伸ばしていた癖のない長い銀髪も、少しでもお金になるというのならば切る時が迫っているのかも知れない。


 だって、私に美しく長い髪があったとしても、明日食べるご飯がなければ、生きていけないもの。


 もし、ここに亡きお母様が居れば、きっと『さて。これから、どうしようかしらね』なんて言いつつ頬に手を当てて、困り眉になってしまっているはずだ。


 お母様は本当に育ちが良くて、おっとりした性格だった。生きてくれていたなら、信じていた友人に裏切られてしまったお父様も支えてくれたかもしれない。


 私たち三人は、ついこの前まで着用していたはずの貴族服やドレスをすべて売り払ってしまい、今では古着屋で購入した平民服を身につけ、誰も居なくなった玄関ホールに集まっていた。


 父から身の回りの荷物の整理を済ませたならば、ここに集まれと告げられていたからだ。


「先祖伝来の宝物も……我が家の財産は、すべて売り払ってしまった。すまない。この邸も明日には、人手に渡ってしまうだろう……ウェンディも社交界デビュー寸前だったと言うのに、本当に申し訳ない事をした」


 ここ一年ほど悩みに悩んで仕上げたけれど、売ることになってしまった白いドレスを思い出して、私はうっかり涙がこぼれそうになった。


「お父様。私のことは、気になさらないでください」


 けれど、ここで一番辛いのは騙されてしまったお父様自身なのだということは私も理解していたので、笑顔で首を横に振った。


 これまでにも、父は何度も何度も多額のお金を失ってしまったことを謝ってくれた。


 信じていた人に騙されてしまったお父様だって、不本意な出来事だっただろう。


 既に出来上がっていて私の部屋に吊るされていたデビュー用の白いドレスが売られてしまって行く時には、父は悔しそうに涙していた事を知っていた。


「いいえ。お父様。それは、もう仕方ないことでしたわ。私には謝らないで。それに、借金が財産を売っただけで……どうにかグレンジャー伯爵の爵位を売るまでに至らず、良かったではないですか。これからは、家族皆で借金を返す生活になりますが、家族全員の命があっただけでも良かったのです。私は本当に……そう思っております」


 これは、心からの本当の気持ちだ。


 信じていた人にすっかり騙されてしまい、ここ一週間で身体が半分になってしまったのではないかと思うほどにお父様は憔悴していて、元々はふっくらとしていたはずの頬はこけ、人相は様変わりしてしまっていた。


 けれど、捨てる神あれば拾う神ありという言葉は本当のようで、お父様がこれまでに信頼関係を築いていた友人たちから、かなりの金銭的援助は受けることが出来た。


 お父様は人が良く信じやすく悪い人から騙されやすい代わりに、周囲の人から愛されるという才能を持っていた。


 そして、借金はある友人に代表して一括して支払ってもらい、彼の援助を受けて今まで通りの生活で貴族として生きて行くという道もあったと思う。


 けれど、父自身がそれをきっぱりと断り、一旦すべての財産を売り払って、友人にのみお金を借りて、それを返していくことを選んだのだ。


 先方は生活資金を貸してくれると言っていたというのに、ずるいことが出来ないというのも真っ直ぐな性格の私の父らしい。


 どこまでも上手くやれない人だけど、だからこそ崖っぷちの窮地にあっても、たくさんの友人に助けて貰えたのだ。人の長所短所は、一長一短なのかも知れない。


 本来ならば、私だって身売りしなければならなかったところだったのに、その方のおかげで助かった。


 それに、成人ではないリシャールについては、貴族学校の学費や生活費を肩代わりしてくれると約束してくれた。お父様も弟の教育費用に関しては、断り切れなかった。


 家族三人の命も残り、跡継ぎである弟の未来だって、台無しにはならなかった。


 そんな奇跡的な事実に、神に感謝する。もちろん、お金を工面してくれたというお父様のご友人にも。


 けれど、我がグレンジャー伯爵家は全てを売り払い、これからは借金を返すために働いて、名ばかり貴族として生きていくことになった。


「二人ともすまない。本当に悪いことをしてしまった。今は爵位だけはある状態だが、私はこれから借金させてくれた皆に金を返すために、景気が良いと聞く異国に渡り、どうにかしてお金を稼いで来る!」


 ええ。その通りだわ。借りたお金と恩は、いつか返さなくては。


「もちろんよ。お父様。私も協力して……」


 借金を返すために働くわと続けようとした私の言葉を遮り、こうしなければと思い込んでしまえば誰にも止められない性格のお父様は、高らかにそこで宣言をした。


「ウェンディ。リシャール。父とまた会う日まで、どうか生き抜いてくれ。グレンジャー伯爵家……一旦、解散!」

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