歌
余談かもしれないが、うちの国では女は式典礼典などの時には頭から薄いヴェールを被るしきたりがある。
子供が生まれた時にその両親の祖母が細かい柄を編み込み、これからの健康や前進を願って贈る。
両方の祖母が亡くなっているときには母親が、母親も事情があって出来ない時には親戚が。
貧しい家庭でも、親族一同なけなしの金を集めて、そこそこの上質なものを送るのが一般的だ。
私たちだと成人の儀、結婚、葬儀関係ぐらいで、当然滅多にないし、汚れたりしても困るから家に保管している状態が普通だ。
なんでこんなこと言ってるかというと、いきなり予定もしていなかったので普段使っているヴェールは家に置いてきているということだ。
寮母から急に明日の朝の登校時には持っていくようにと指示が入るなんて思いもしないじゃないか。
私に限らず下級市民は特に大事なものなので、持ち出すなんて発想はなく、中級の市民もほとんど同じ状況だ。
上級市民はそもそも必要なものを一通り持ってきているようで、そうでもなさそうだが。
「国王陛下のおなりである!」
あー、これが昨日学校内全体で先生やらなんやらが、騒がしいというか余裕のなさそうな様子で駆け足姿を見掛けた原因だったと分かって、横にいたルオンを見るとばっちり眼があった。
学校側も想定内で、大急ぎで白のシンプルな薄い布を用意し、必要な生徒分のヴェールを準備したのだから大したものだ。
広い屋根のある広場の一番高い位置に明らかに位が高いと分かる人たちが布越しに入ってきた。
その真ん中にいるのがおそらく、何度か映像で見たことのある国王だろう。
年頃は五十半ばか。長すぎない髭があるから年が少し上に視ているかもしれないが、目元は温和そうだ。
その数歩後ろに続いた女性は、私たちと同じ制服を着ていた。
私たちが一時しのぎの被っているものとは比べ物にならないほど、質素でありながら光の当たり方でキラキラとまばゆい光を反射させているヴェールをした聖女がゆっくりと並んで歩いてくる。
跪いていたところにさらに深く叩頭させたので見えた姿は一瞬だけ。
楽にしなさい、という声が聞こえても頭を上げられないのが私たち国民である。
当然、誰一人として頭を上げることはない。
学生時代の体育館ぐらいの広さと、生徒がいるのに国王のがしっかりと聞こえるのは両サイドに定間隔に設置されている丸い球体のエーテル機のおかげだろう。
拡張機の代わりとして設置されているだろうそれからしっかりとしたノイズのない声が聞こえてきた。
「この度は国民の元気そうな姿を見たいためにこちらへと参った。私たちにとって幸いとなる聖女様の要望とは別に私自身も国全体の質の向上には前々から考えていたことだったのだ。市民の階級こそあれど、国民は全て私の子だと思っている」
どうか、健やかに過ごしてくれと語り、話は聖女のことに移った。
「聖女様の噂はかねがね皆聞いているかと思うし、それ以上には語らない。なにより聖女様を学友として迎えて、彼女からも明るい環境で迎えてもらえたのだと窺っている。本当ならば初日にくるべきだったのだが、許してもらえると嬉しい」
彼らが動いた時にする布ずれの音しか聞こえない。
しかしたったそれだけのことなのに、すべての人に緊張が走っていてその雰囲気に飲まれていた。
「聖女様からのご厚意でお礼を兼ねて皆に歌を送りたいということで、この場を設けて皆を集めさせてもらった。どうか皆の口からもかつて我々の先代から語り継がれてきた聖女の軌跡を、家族や身内、様々な人に伝えてほしいと思う」
彼女の意思、ねぇと思いながら、瞼を閉じる。
そういえばルオンや両親がこないだ言ってたな、今回の聖女は歌で奇跡を起こすって。
今回、というのはかつての聖女たちはそれぞれやり方が異なっていたらしく、言葉であったり、実際に戦場に参加して戦ったり、食事を作ったりと様々だったらしい。
そしてその多くは短命であったそうだ。
短命な理由は、聖女だからだよと言っていたクリアが教えてくれた。
それを聞いて、流石に他人に興味がないとはいえ胸がざわついたのを思い出す。
『かつて来たと言われている聖女たちは皆この国の人間が召喚したんだけれど、聖女なり得たのは実は少なくてね。だから何年もいなかったんだよ。勝手に都合も聞かずに召喚なんて酷いって?国は隠しているけれど呼ばれたときには皆死んでいるから表にはでないよ。ま、時空の狭間から無理やり連れてくるんだから普通身体は耐えられないよね』
『聖女というのは、ある能力を持った人間のことをいうのですわマスター』
透き通った、声が届いた。
伴奏は一つの楽器だけ、恐らくこの歌はこの国にあったものじゃないから彼女はその伴走者の練習のために何度も歌っただろう。
それともただ歌うだけなら、聖女の軌跡とやらには該当しないのだろうか。
不思議な風が通った。まるで歌声が風に乗っているかのように、ヴェール越しでもわかる白い光がこの広場にまるでシャボン玉のように広がっているのが眩しい。
誰もが無意識の間に、感嘆の溜息をついたのが聞こえる。
懐かしいばかりに胸に響く。これは、かつての世界の卒業の歌だ。
気が付いたら誰もが額を上げていた。
一目、聖女の姿をみたくて、誰もそれを責めることはない。だって誰もがそれに魅了されていた。
歌う彼女の姿はまるで光が集まるかのように煌いて、まさしく神々しい。不思議な力に揺らされて、背中の後ろから床まであるだろうヴェールが波打つように彼女を包んでいた。
かつての世界では、中学校高校までいっているなら一度は聞いたことのある有名な卒業曲だ。
音楽の授業でも歌ったけれど彼女ほどうまく歌った人を私は見たことがない。
この国のエーテルがそうさせているのか、そもそも彼女が歌が上手いのか。
だれもが縋る様に聖女を見ている。
ヴェール越しに視た彼女は見えにくいながらも、笑っているようだった。
『聖女の能力というのは、己の持っているエーテルを他人に分け与えられることをいうのですわ』
それって、命削ってんじゃないの?と思ったが半分正解で半分はずれらしい。
そもそも人間は己の中にあるエーテルを削って生きているので、生きることだけで言えば皆例外なくそうらしい。人に与えられるかどうか、が基点になっていてそれをどのように与えるかによって程度が変わっていたらしい。
だから、戦場に出て民草を癒していたかつての聖女は短命で二十歳もそこそこで衰退して亡くなったらしい。
六十そこそこまで生きた聖女もいるらしいが、こっちは気分のいい話ではなくて国の政府が彼女を捕えて自分たちの為だけにと能力を使わせたらしい。牢屋から一生出れず、そしてそのままという話だ。
一応この世界の一般的な寿命は長くて六十程度だから、まぁ長生きしたといえなくはないが、勝手に召喚されて勝手に捕らえられた生活はあまり想像したくないものだ。実際良いものではなかったらしい。
話は少し変わるが、この聖女を捕えた当時の国トラヴァールを国の圧政に反抗して打ったのが今の国王の何代か前の長だったそうだ。
一般市民だったらしく、税や奴隷、人身売買や薬などを国が率先してやっていた中で戦ったのだから大したものだ。
そのため、国民たちはこの一族に対して敬愛をもって接するように教えられる。
歌い終わった彼女の吐息が、すっと響いた。
楽器なんて本当に要らないほどに、歌声だけで誰もを虜にした。
まさしく聖女、胸を打つ力とはこれほどのものなのかと雑多に感がていたことが一瞬で吹っ飛んで行ってしまった。
制服のスカートの端を両手で少し摘まみながら教えられたのだろう淑女の礼を少し恥ずかしそうにしながらした瞬間、構内にはちきれんばかりの拍手が溢れた。
頭を下げている場合ではないといったほどの、歓声。誰もが酔いしれるほどの興奮。涙する人ばかりで驚いた。
私も拍手したし、彼女の歌には感動したけれどここまでかと少し動揺したけれど、その理由は割とすぐに察した。
今日はこんな状況では講義どころではなく、国王の来るこの集まりがメインとなったから教師たちに部屋に戻る様にと言われて、興奮収まりきらない中、誰もが寮に戻ってルオンが第一声に言った言葉が私にはなかったものだからだ。
「こんなにも身体に元気が溢れているのなんて、生まれて初めてだよ!」
「元気……?」
言われてみれば振り返ってみたルオンの気色が良い。
男子生徒とは場所が分かれていたし、周りの女性と達は全員薄いながらにヴェールをしていたからそこまでのことに気付けなかった。
「歌声が胸の中にずーんと来て、疲れも一気になくなったの。これなら何日寝ないでも勉強できそうなぐらい!
ユラは感じなかったの?」
「え、ええ、凄い感動した」
そうか、他人にエーテルを与えられるというのはこういうことなのか。それを受け渡す方法が様々なだけで、それが出来る人間が「聖女」と呼ばれる。
そしてそれはこの世界の人間ではできず、他の世界でしかその能力を持った人間がいないから呼んできていると……様々な犠牲を払って。
ヴェールもあったので髪でもみあげを作ってやればバレないだろうと、実は耳にクリアを着けたまま参加していたのだけれどクリア曰く『この程度の人数に歌で体力回復のエーテルを与えた程度じゃ、聖女は倒れないから心配しなくていいよ』とこちらが気になっていたことに返事をくれた。
倒れられていたら、流石にこの国にドン引きだ。そんなノリで学生に歌なんか披露させるんじゃない。
部屋にノックが飛び込んできて、よくルオンと話す女友達がやってきたので軽い女子会が発生した。
当然話題はさっきの神秘的な聖女様の話だ。国王が市民の前に生で姿を現したことも結構凄いことらしいのだが、あれなら聖女の話題が勝つに決まっている。
「ユラは休み前のあの、薬草学の授業で聖女様と組ませていただいていたじゃない!!もうあんな凄いこと絶対ないわよ!」
「強制だったけれどね……」
「どんな方だった!?ねぇどんな方だったのよ!」
休み前に一度落ち着いたはずの話題が復活したことにげっそりする。講義で誰よりも早く終わったからほとんど会話なんてすることなかったよ、緊張したもんで誤魔化せていたのに。
「あ!!ユラにお昼ごはん作ってきてくださってたじゃない、私にも分けてくれたやつ!あれ美味しかったなぁ。お料理も上手なのねぇ」
「げ!ルオン余計なことを!!」
「何それ!聞いてない!!」
絶対にバレたらやばいと思っていたことに対して、口留めしていなかったのを後悔する。しまった、忘れてくれていなかった。
私も私で、貰い物を自分が作ったなんて嘘を吐ける性格でなかったのがいけなかった。
「私が作ったお茶を講義でたまたま差し上げたお礼だったのよ。几帳面な律儀で義理固い方だったのね。下級市民の私にも優しくしてくれて」
「まぁ……」
「でもそんな方だから騒がれるのも嫌でしょうし、他の下級市民からまた贈り物が殺到して、お礼をねだるような羽目になってはだめでしょう?だから黙っていたのよ」
こうなったら、流石聖女様下級の人間にもお優しくて素晴らしい理論で丸め込むしかない。
実際そうだったのだし、彼女も私のことを学生の一人としか認識していないだろう。上等な贈り物なんてきっとあふれんばかりに送られているだろうし、強いていうなら懐かしい日本茶みたいなお茶をくれた子程度の印象のはずだ。
それぐらいの印象なら、もっとすごいものを送られているだろうこと思えば些細なことのはず。
とにかくこの場を収めるための言葉を我ながらつらつらと述べると、もう聖女様信者になっている彼女たちからすると納得以上の感動だったらしく頬を赤く染めながらきゃあきゃあと盛り上がっていた。
なんとか納得いただけたようだ。
羨ましい羨ましいと恨み言を言われるだけ言われて、この場は彼女たちのノリに合わせることにした。
空気の読めない人間ではないのだ私も。
ブックマーク、評価ありがとうございます!とても嬉しいです。どうかよしなに。