父さん
群青色の、スズランのような小さな花がぎゅっと集まって連なった形で、木陰の下に咲いている。
葉はつるりとして細く、一つ一つが株状になっていた。
『根から取ってくださいませ、蒸かして食べられるようですわ』
「了解」
『花はあまり食用には向きませんが、布などを染めることが出来ますわね』
こうやって教わりながらやってみると、本当にメティの凄さが分かる。
力になれるかもしれない、なんて程度の知識量ではなく、分からないものはありませんと言えるほどすべての質問にすらすらと答えてくれる。
昨晩、気持ちが落ち着くまで黙って二人は待っていてくれて、無理に掘り下げることもなく「明日も早いから寝ましょう」と優しく語り掛けてくれた。
『姉さん、上を見てごらん』
「上?」
『葉に隠れてしまっているけれど、蔓の先に手のひら位の果実があるだろう。幾つか成っているけれど、ほら、橙黄色の実は熟しているから食べられるよ。緑色の方はだめだよ、まだ固いから』
丁度少し背伸びしてみたら届くところに、クリアが教えてくれた実があった。
手を伸ばしてもいでみると、果汁が多いのかずっしりとした重さと目の前に来た瞬間に芳醇な甘い香りが広がった。
大きさはかつてのマンゴー位の大きさで柔らかい、香りはリンゴに似ている。
こんなものが野生であるだなんて。
「野生の動物たちはこれを食べて生きているのかな」
『きっとね。なに、姉さんがちょっと食べる分取ったってこまりゃしないよ』
「生で食べれるの?」
『食べれるけれど洗ってから食べてよ』
皮ごと食べれるのかと聞くと、応と返事が来た。
……ふむ、と一瞬考えて軽く服で拭いてかぷりとかじりつく。甘い、果汁が指先にこぼれるほど垂れてきた。
驚いた、すごく美味しい。喉が渇いていたこともあるからこそ、なお美味しく感じるのかもしれないけれど。
『はしたないなぁもう』
「学校じゃないし、誰も見てないし」
僕らが見てるでしょ、と耳から唸るような声が聞こえたけれど美味しさと比べると些事だ。
ぺろり、と甘みの強い汁をもったないと思いながら舐める。ここまで甘く、果汁が多いなら絞ってジュースにしてやるだけでも飛び切りおいしそうだ。
野菜や果物を甘くするために、わき芽を取ってしまったり摘花をして、残りの実に出来るだけの栄養を集めるように手を掛けてやることはよく知っていた。
しかし、こんな森の入り口付近とはいえ人の手も、なにもメンテナンスもされていないこの場所でこんなに熟れた美味しい実が取れるものかと驚く。
品種改良されてきた野菜や果物を食べていた記憶を考えると、確かにいま食べているものの種らしいものは大きい。実が七割で種が三割ぐらいの割合だろうか。
『エーテルだよ』
「エーテル?」
『いったろ、ここの地域は自然に生まれたエーテルがどんどん生まれるたびに吸収されて行っている。それは死ぬほどのことじゃないけれど、きっと植物たちは子孫を残すために栄養を、エーテルを実に溜め込んで次に続けているんだよ』
休憩しようと二人が言うので、随分昔に折れたのだろう木の株が丁度腰かけられそうだったので、軽く砂埃を払って座る。
ちょっと痛いが、しばらく休む程度には充分だ。
しかし、この辺は来たことがなかったけれど、少し足を延ばすだけでここまで明るい場所に出るのは知らなかった。
いつも両親から教わる野草の回収場所は、家の近くの湿地帯だ。日当たりがあまり良くなくて、まあその環境だからこそ取れるものものもあるんだけれど。
『小休憩したら、夜のお店のために戻らないといけませんわね』
「え?もうそんな時間?楽しかったからあっというまだったなぁ。ありがとうメティ」
『まぁまぁまぁ!礼にはおよびませんわ!』
肩から掛けた麻布の鞄には、メティが教えてくれた沢山の植物が入っていた。
私がお茶が好きなのを知っているからタンポポ茶みたいに作れるものから、肉類の臭み消しに使えるだろうものまで。
何より有難かったのは、作り方を指示してくれることだ。
「なんとなく作り方は知っているんだけれど、いざ作ろうとすると経験がないし、分量の加減も分からないから……料理位なら味の足し引きでどうにかなるけれど、菓子なんかになるとてんでダメね」
『おっしゃる小麦の代わりになりそうなものもあるのですが、質が良くないのでマスターのいうような食べ物にはならなさそうですわね』
菓子は出来ずとも、じゃあ別のをと麺を作ってもぼそぼそした食感になると思うので、新しくて人には受けると思いますがマスターの食べたいそれではないでしょうと申し訳そうな文字が画面に並ぶ。
もちもちとした食感が懐かしい。米も好きだったけれど、パスタとかうどんも大好きだった。
『姉さんが願ったら小麦でも何でも出来そうな気がするけれどね』
「願うって……エーテルに?そんなことできるの?」
『こらクリア。きっとマスターはそれを望みませんわ』
メティがクリアを窘めたところをみるのは初めてで、驚いているとそれもそうかと勝手にクリアも納得している。
「ちょっとちょっと、二人で勝手に私をほったらかしにして話を終わらせないでよ。どういうこと?」
ぶんぶんとプレートを両手に持ちながら振ると、クリアは楽しそうに笑う。
クリアは笑うだけで答えてくれそうにないので、メティを見ると『植物の歴史がひっくり返りますわ』とあっさりとなんてことないように答えてきた。
「どういうこと……?」
『マスターのエーテルは、この世界の誰よりもなによりも強く大きく、濃いのです。勿論マスターが新しいものをエーテルで作ることは可能ですわ、ですがそうするとこの世界の今生きている植物は負けるでしょう』
は、と息をのんですぐに理解した。
そうか、外来種と同じものだと考えたらいいのだ。日本でも良くあったじゃないか。
「それはよくない」
『もしお試しになられるなら、私たちから作っていただけたら嬉しいですわ』
「メティ達をつくる……?もうメティ達はいるじゃない」
文字の並ぶプレートをそっと撫でる。
昨日感じたばかりのエーテルを知ってから、触れると暖かさの違いが分かるようになった。プレート自体にあったエーテルの温かさとメティの温かさだ。
『私たちは確かに今マスターのエーテルを分けていただいて存在していますが、それはマスターから滲んでいる分で形成されたものですわ。まぁそれも凄いことなんですけれど』
『意識の問題と慣れだね。いつか僕たちのことの存在をもっと確固として持ってくれるようになったころに』
貴女が、鳥を作りたいと思ったように。私たちにも形を作ってくれたらうれしいと言う。
そして急かすわけでも、具体的にこうしろというでもなく、二人はただそれ以上のことは言わず、そろそろ帰ろうと促してくれた。
二人がもし、人なら……ううん、人でなくてもいい、例えば動物だったり、会話できる存在だったならどんな見た目をしているんだろうかと考えたことがないわけではない。
いつか、出来るようになれたら、それはそれで素敵なことなように思えた。
家に戻ると、ちょうど食材を買って戻る父と一緒になった。
丁度いい。早速試してみたい草があるのだ。
「父さん、今日買ってきたお肉の端っこでいいの、貰えない?」
「それは構わないが、肉なんてどうするんだ」
「そりゃ、料理するのよ」
店の商品もたまに一緒に手伝う中で、私が作ったものが良かったと言ってくれることもある父だ。今回も何かするのだろうと好奇心旺盛に見てきたので、店仕舞い後にしようとしていたそれをさっそく取り掛かることとした。
「おりゃ、それは雑草じゃねぇか」
「細かく刻んで、肉と一緒に叩いて……しっかり揉み込んで」
さらに塩のような調味料を軽く掛けて混ぜる。
ナイフで叩いただけだからひき肉というわけにはいかないが、粘り気は十分あるので団子状にできた。
鍋で軽く片面を焼き、ひっくり返した後、鍋の縁から少量の水を入れてさらに蒸し焼きにして、出来上がり。
「あらやだ、美味しそうな匂いを二人でさせておいて母さんはのけ者?」
ひょっこり覗き込んできた母さんが、手際よく横に皿を出してくれたので焼き上がったそれを載せてあげる。
その名もなんちゃってハーブもどきハンバーグ。
この世界で私が知る限りではミートボールもハンバーグっぽいのも全部「肉団子」って売り出してるけどね。
熱が入っても香りが飛ぶことはなく、蓋を開ける前から隙間から馨しい香りが広がっていた。
少し大きめに作ったそれを三人で割って、ソースなど一切つけずに食べてみると、出来立ての熱い肉汁が口いっぱいに広がる。
鼻を香りづけの葉の香りが、すっと通っていった。
「うまいなこりゃ……」
「ほんとうに……ソースなんかも何もいらないわね。苦みもないわ」
何を入れたのか、残りの材料を見て母さんも分かっているらしく、森で採取してきたものを見ながらとても関心している。
そうだよね、私もまさか刻んだらこんな良い匂いと味になるだなんて思わなかったもん。
これにチーズとかも真ん中に入れられたらさらにおいしいだろうけれど、それは売り出すにしても原価がなぁと残りの分を食べながら首を傾げる。
しかし調味食材が無料っていうのは良い。ちらりと父さんを見ると、いろいろ考えてる顔をしながら口角があがっているから、私が学校に戻る前に採取できる場所を教えておいた方がいいだろう。
案の定、明日から商品で出したいからと夜の店仕舞いの後に父さんから声掛けがあり、次の日に二人で採取に出かけることになった。
クリアとメティの二人と出る予定だったから、父と二人でいくことになってしまったとお詫びをしたら二人とも数日後にはまた離れてしまうのだからと快く見送ってくれた。
天気にも恵まれて、父と一緒に歩いて散策するのはとても楽しく、沢山教えてもらったものが家族のためになれば嬉しいし、私の復習にもなった。
「もう明後日にはまた学校に戻るんだな……」
「寂しい?」
「そりゃ寂しいさ。でもきっとユラなら元気にやってるって、母さんと一緒に言ってるんだぞ。俺たちよりずっと、たまに驚くほどしっかりしているときもあるから心配もいらないって」
「そうでもないよ、私だってすごく寂しいときがあったもの」
学校に着いた時、兄弟で学校に一緒に来ている子を見掛けた時、ルオンと家族の話をしたときなんて特にそう。学業が忙しくてたまに忘れている時だってあるのに、思い出してしまうととやっぱりとても寂しい。
しっかりしている時があるのは当然だ、精神だけは大人なのだから。
でもこの世界に生まれて、この世界で過ごすためには両親に頼るしかない立場の私なんて、か弱いものだ。
幼いと言われてもいい、それでも頼りになる両親の有難さを寂しさと一緒に気付かされるだなんて。
「学校って、凄いんだって思ったの。勉強だけじゃないのね。いろんな人がいるってことも知れたんだけれど、父さんたちがしてくれていたことを振り返るいい機会だった」
「父さんたちだって、ユラがいてくれないとこんなにも静かで寂しくて、店だっていろんなことを助けてもらっていたんだなって気付いたさ」
少し、段差のあるところに進むと先に歩いた父さんが手を伸ばしてくれる。
力強い手だ。頼りがいのある手。
「私、父さんたちの子でよかったよ」
嬉しいこと言ってくれるね、と笑う父さんに私も一緒になって笑った。
なにも大きいことなんて望まない。こういう、暖かさがずっと続けばいいと心から願った。