聖女
悴んだ指をこすり合わせながら、少しでも動きが良くなるようにと息を吹きかける。
母に頼まれた分の水を汲み終わり、担ぎ歩く途中見掛けた出店の奥に置かれた映像機器に映った二十代手前ほどの年齢の女の子が綺麗なドレスを纏いながら記者に笑顔で答える様子が見えた。
『これまでの聖女様の御成功を願って……‼︎…‼︎』
聖女様。
ある人が言うには彼女が願うと干ばつの続いた土地すらも、雨に恵まれて植物が育つらしい。
ある人が言うには彼女が乞えば、病に倒れた人すらも全快になるらしい。
そんな異世界から呼ばれたという聖女様。
まさしく見た目もすべてが聖女然とした姿の彼女がどのような経緯でこの世界にやってきたのか、そんなことまでは説明されておらず、ただ彼女が来たことでこの世界は救われるような、そんな話ばかり。
誰もが聖女様とたたえながら、これまで苦しんできた色んな事柄をあげながらこれまでになかった明るい笑顔を零して盛り上がっていた。
可哀そうに、と思ってしまった。私ならあんな風に縋られたら混乱するし、身が持たない気がする。
私の名前は、ユラ。
前世の記憶を持ちながら、この世界に生まれた人間だ。
ややヨーロッパ調の、しかしあまり発展してはいない小さな町の食堂を夫婦で営む家族のもとに生まれた私は、前世の記憶があることに気付いたのはある程度の年齢が経ってからだった。
今とは明らかに前世の異なる「日本」という国を中心にした言語、常識や環境、社会の記憶が一気に嵐のように頭の中を駆け巡った時には嘔吐、高熱を発症し一時死ぬか生きるかにまでなったらしい。
とはいえ、人間の順応力というものは凄いもので、ある程度の期間が過ぎるとあっという間に熱は下がり、いつもよりやや大人びた様子はあるものの元気な姿になった娘に両親はただ安心して喜んだ。
成人した記憶があったものの、なにか上手くいかせることもなくそれからも暖かな両親に愛されながら、食堂を手伝う日々のなか育っていった私も早17歳。
精神年齢の計算はしてはいけない。
さて話は戻るが、聖女がもともといた世界は私がかつて生きていた世界なのだろうかと考えたりもしたが、当然国を挙げて保護されている彼女に問う方法はない。
この世界についても、私が知っているのは家族やその周辺の生活の中で得られる知識程度なので、もしかしたら知らないところで異世界からの存在がいるのかもしれない。
「お帰りユラ、寒かったろ」
「ただいま母さん」
戻ると忙しない様子の母が私の持ち帰ってきた水の樽を受け取りながら、鍋へと水を移してコンロで加熱をし始める。飲み水にするためだ。
この世界は、割と家電のようなものは発達しており、この地域にはまだ行き渡っていないが、都中の方では上水も下水も設備がある程度整っているらしい。
私たちの町は下水はあるが飲めるような水までは家庭にまで通っていないため、飲み水にするようなものは町にいくつかある井戸に水を取りに行かなければならない。
「町の皆、聖女の話でもちきりだったよ」
「もう最後にきた聖女から50年経つからね」
「?聖女って今回初めて現れたんじゃないの?」
「世界が混沌に陥った時に異国から呼び出されるって言われていたけれど…私も母さんから聞いただけだったから本当にそうなのか見たことはないけれどね」
いったん昼の一番忙しい時間が過ぎて、かつての世界のようにお店の壁に掛けられた薄型の映像機器……テレビよりずっと薄く、しかし映像度はかつて見ていたものよりずっと良いそれからもどのチャンネルにしても特集の組まれている「聖女」を、母も手を停めて眺めていた。
「なんてことない、可愛い女の子にしか見えないけれどねぇ」
かつての日本でみた、女子高生ぐらいの年頃だろうか。
この世界の基準にしても、かつての世界の基準と比べてみても雑誌モデルで働いていたと言われても全く違和感のない美少女のそれ。
この辺がまた町の人たちが食いついてしまう理由の一つでもあるんだろう。
残念ながら私は平凡も平凡、なにか特殊なものってなにもないのだけれど。
強いて言うなら、この世界の髪色や肌の色、瞳の色はかつての世界より色とりどりで、私の髪こそかつての黒髪よりさらに濃い黒だったけれど瞳はまるで金平糖のような黄金色をしていた。
母は黒髪、青目、父は金髪の緋色目、どちらからも継いでいない瞳の色に幼い頃混乱したが隔世遺伝のようなものだと言われたらいろんな色をもつ人々をみるとそんなこともあるのだろうとこの世界の常識の一つに驚いたのも懐かしい。
なにより、私は瞳の色を気に入っている。だからそれだけでよかった。
何度も繰り返し同じ映像を流しているニュースを見ているわけにもいかず、夜に来るお客さんたちのために食堂の床の掃除や、食器、食事の下準備をしているうちに買い出しに出ていた父も戻ってきた。
いつもより慌てた様子にどうしたのかと聞くと、買ってきた荷物を棚に置いて私の肩を掴んで揺さぶる父は明らかに興奮している。
「町で聞いたんだが聖女様のおかげでこの町の未成年の子供たちは国の補助を受けて学校に行けるらしい!ユラ、お前も学校にいけるぞ!」
この世界は言語の習得などは親から学び、生活に必要な知識も各家庭で教わる。
そのため親が当然言語を習得していない場合、その家庭の子供たちもよほど特殊なことがない限り、言語の読み書きはほとんどできず、親の仕事を手伝ったり、丁稚奉公にでて収入を得ながら生活をしていく。
商売柄なのか、他所の子供の家庭と比べるとうちはマシな方で、自分や家族の名前、その辺の店の名前などの日常生活で使われる言語を学ぶことができたものの、やはりかつての学校教育を受けた経験があるとそれはあまりに拙いものだった。
生活に支障があるかと言われると、確かにないのだけれど学び場があると知った時にはそこに行きたいとねだったもので、その費用を聞き、現実的に不可能だと理解したのも早いものだった。
それが、なんと学校に行ける?!
「ほ、ほんとに!?」
「ああ、町長がさっき町の集会所で話していたから嘘じゃないはずだ!よかったな!」
喜ぶ私の、何倍もうれしそうに笑う父は軽々と私を抱き上げながら回る様子を見て母も嬉しそうに笑ってくれた。
しかし、この世界の学校がどのような仕組みか分からないが店の手伝いの心配をすると二人ともそんなこと気にしなくてよいという。
成人までの数年間、無駄になることはないのだから学んで来いと背中を押してくれた。
他人事だと思っていた聖女様、ごめんねありがとう!
私貴方の幸せを心から願ってる!
やはり生きるなら、かつて成人していたことも考えてある程度自立はしたいと思っていた。なにも独立してなにか起業したいとかいうわけじゃない。
もともとことなかれ主義だから、出来るだけ選択肢が多いように少しでも多くの知識を得て生きていたいというだけだ。自己防衛自己防衛。
かつてできなかった親孝行も、今世の親にしたいと思っているし、今の生活より改善させていきたいとなると家庭環境に頼り切った学習状況や環境を改善したいと思っていたのだ。
あれから数日後回覧で回ってきた内容曰く町の中に学校はなく、都の中にある複数の学校の中で各地域の階級、年齢に振り分けられて通学場所などの通知が来るらしい。
驚いたのは制服やテキストなどの機器など明らかに高級品扱いとなっているものも各学生に支給されると書かれており、家族そろって開いた口が閉じなかった。しかも全寮制。食事つき。
これぞ、聖女革命というやつなのか……そうなのか。