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02 火星の喪(2)

「……お疲れさまです。キリナ様」


 亡霊のような足取りで演壇を降りた彼女――火星連合群代表キリナ・リーズレットに、スーツを隙なく着こんだ背の高いダークヘアの美女が声をかける。

 キリナは、自嘲とともに首を振る。


「政治家失格ね。こんなんじゃ彼に笑われるわ」


「すばらしい演説でした。市民の心情を代弁しておられましたよ」


「自分の気持ちを隠せなかっただけよ。それより、彼は?」


「はい。式典とはべつに、身内での葬儀の手配をしてあります」


「……そう」


 キリナは、秘書官に案内されて、式典会場からほど近い場所にある小さな集会所へと足を運ぶ。


 チャペルを模した集会所には、数人の人影があった。


 その奥には、ひとつの棺だけが置かれている。


 その場にいた者たちが、キリナに気づいて敬礼しようとする。

 キリナは、それを手のひらで押しとどめた。


「彼はそんなことはきらいだわ」


「……ですな」


 キリナにうなずいたのは、あご髭を生やしたいかつい顔の男性だ。

 独特の貫禄の持ち主だが、地球人だったら二十代と言われそうな若々しい外見をしている。


「バーンズ大佐。彼の最期についてもう一度語ってくれませんか?」


「……いいでしょう」


 大佐は語った。

 セイヤ・ハヤタカという稀代のエースが、いかにして土星の衛星エンケラドスの連邦軍基地を破壊したのかを。

 居合わせた者たちの中から、すすり泣く声が聞こえてきた。


「ちくしょう! 最後の最後までかっこつけやがって!」


 二十代前半に見える金髪の男性パイロットが悔しげに腿を叩いた。


「なんでだよ……生まれた時から戦うことを宿命づけられて……それがいやでたまらないって言ってたじゃんか! これから……これからじゃないか! やっと平和になって、これから戦いのない人生が始まるっていうのに……どうして死んじゃったんだよぉ!」


 十代にしか見えないアジア系の女性が、泣きながらセイヤの棺を叩く。


「馬鹿野郎……帰ったら代表にプロポーズするんだって言ってたじゃねえか。これなら死亡フラグが一周回って逆に死なねえって言ってただろうが!」


 メガネをかけた知的な風貌の黒人男性が、こらえきれずに涙を流す。


 セイヤの元同僚たちが嘆く中、キリナはゆっくりと棺に近づいた。

 棺に泣きついていた女性が身を離す。


 キリナは、釘打ちされた棺の蓋を、力任せに引き剥がした。

 爪が剥がれ、血が流れるのにもかまわずに。


「き、キリナ様!」


 キリナは、止めようとする秘書官を振りほどく。


 棺は、開いた。


 他の多くの戦没者と同じように、棺の中は空だった。


「私は……信じられないのです。あのセイヤが死んだなんて。だって、セイヤはいつでも絶体絶命の状況から生還しました。私と一緒に連邦の捕虜になった時だって、敵の戦闘機を奪って脱出して――」


 キリナは、確かめるように空の棺の底を撫でる。


「死んで、ませんよね。セイヤはきっと生きてます。なぜか、私にはそうとしか思えない」


「お嬢様。それは――」


「セイヤの精神波を感じるんです。エンケラドスが堕ちた時は混乱した状況でしたから、彼が死んだはずの瞬間のことはわかりません。でも、いまだに彼の精神波を感じます。私以外に、そんなことを言う人はいないのですが」


 密葬の参加者たちは、戸惑ったように顔を見合わせた。


 彼らは、あまりにも身近に死がありすぎた。

 不死身の英雄セイヤ・ハヤタカだって、死の(あぎと)の前には平等だ。

 彼らは自然にそう思う。


 また、そう思わないではいられない。

 亡くしたのは、セイヤばかりではないからだ。

 彼らの死を受け入れないでは、遺された者は前に進むことができなくなる。


 だから、どれほど納得できなかろうと、彼らは「死」という毒杯を飲み干すことに慣れている。慣らされている。慣れるしかなかったのだ。


 だが、歳若い火星代表には、それは酷な要求なのだろうと、彼らは思った。


 セイヤとキリナは、恋や愛なんていう生易しい言葉では語れない強固な絆で結ばれていた。


 人によっては、それを不健全な相互依存と言うかもしれない。


 戦うために改良人間として「培養」された、火星きってのエース、セイヤ・ハヤタカ。


 火星有力者の娘として生まれながら、数奇な運命からバラバラだった火星をまとめあげることになった、稀代の政治家キリナ・リーズレット。


 数えきれないほどの行き違いがあった。

 見解の相違があった。

 行動方針の対立があった。

 互いを、自分を否定する存在だと疎んだこともあった。


 それでもなお、結びつかずにはいられなかった。


 もつれた一組の量子のように、遠く離れていても、二人は互いの存在をありありと感じることができた。


「キリナ・リーズレットは狂った。たとえそう言われたとしても、私は信じます。いえ、知っています(・・・・・・)。セイヤは生きていると。彼とのこの絆を信じることこそが、私に課せられた『喪』なのです」


 キリナの言葉に何かを言える者は、その場にはひとりとしていなかった。

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