九一話
SIDE イオス その1
時は僅かばかり遡り、スグミとイオスがひと時の別れを告げた頃……
「では、後ほどな」
イオスはスグミとソアラに一旦別れを告げると、二人に見送られながら森の中を走り始めた。
風精霊の力を借り、風に体を乗せると、およそ常人にはありえない速さで街道を走り抜ける。
地面が整備もされてないどころか、所々から木の枝が飛び出しているような道ではあるが、幼少の頃から森の中など走り慣れていたイオスにとって、それは何の障害にもなり得なかった。
むしろ、懐かしさすら感じる程だ。
(この道を走るのも、何年振りだろうか……)
同胞が攫われ、その尊厳を踏みにじられているという現状を知った時、イオスは義憤に駆られて村を出る決意をした。
しかし、当然、周囲からは危険だと止められた。そんなことは、言われずとも百も承知だった。
だから、反対を押し切って、イオスは半ば家出の様に村を出た。
自分の魔力を可視化させる魔眼があれば、きっと何か役に立てるはずだと、そう信じて。
それが、イオスが一五になったばかりの頃の話なので、今からもう七年も前のことである。
今まで手紙は数度送ったことがあったが、それ以来、一度も村へは帰ったことはなかった。
そんなこともあり、イオス自身、久しぶりの帰郷でもあった。
あの時の自分の決断が、間違っていたと思ったことは一度もない。後悔したこともない。
事実、今までこの魔眼の力で、志を同じくする者達と、多くの同胞達を救って来たという自負もある。
(まさかその中に、自分が知る者が出て来るとは思わなかったがな……)
思えば不思議な縁である。
誘拐されたエルフが集められている、という疑惑があるとアグリスタへ赴き、街に潜伏して情報を集めていれば、エルフが持つ魔力光に酷似した人間の女を見つけた。
その隣には、尋常ならざる魔力を秘めた、見慣れない異国風の男が一人。
それがスグミだった。
イオスがスグミに感じた第一印象は、恐怖、だった。
魔力の多さが、絶対的な力の指標とはなり得ない。
とはいえ、常軌を逸したその魔力量が、得体の知れない物に対する潜在的な恐怖を駆り立てた。
イオスは本能的に感じていたのだ。こいつはヤバイ、と。
いざ、戦うことになった時、果たして自分は生き残れるのか……
しかし、そんな不安を他所に、一度言葉を交わしてみれば、意外と話の通じる人間だと分かった。
しかも、エルフの魔力光を持つ人間の女が、実は変装した昔なじみのソアラであったことに驚いた。
(最後に会った時は、まだまだ子どもだったが、随分と女らしく成長したものだな。まぁ、中身はあまり変わっていない様だったが……)
昔から変わっていないことを喜ぶべきか、それとも成長していないと嘆くべきなのか……
兄としては、実に悩ましいところだ。
それからは驚きの連続であった。
ダメ元でエルフの救助をスグミに申し出たところ、これをあっさりと快諾。
あれよあれよという間に、誘拐犯の尻尾を掴んでは、捕らわれていたエルフの少女二名を瞬く間に救出。
証拠を押さえたことで、賊の拠点となっていた貴族の屋敷に強行突入を敢行し、即時制圧。
これが、スグミと出会ってたった二日間での出来事であった。
更にいえば、一日は準備の為の時間だったため、誘拐犯共の制圧に関しては、実質的には一日でのことだ。
自分たちの、三〇日間にも及ぶ潜伏調査とは一体何だったのか……
やるせない気持ちになる。
だが、驚くことはまだまだ続いた。
片道七日は掛かる村までの道のりを、これまたたったの二日で走破してしまったのだ。
その移動速度も然ることながら、それ以上に驚いたのは馬車そのものだ。
スグミの自作だというその馬車は、見た目の何倍も内部が広いという、奇妙奇怪極まりない造りになっていた。
初めて見た時は、自分の頭がおかしくなったのではないかと、疑ってしまったくらいだ。
しかも、走っている間、まったく車内が揺れないのだ。いや、正確には多少の揺れは確かにあったが、普通の馬車とは比較にならない程小さいものであった。
更に、馬車内には食事を作る台所があったり、湯浴みをする場所、果ては用を足す場所すら備え付けられていた。
客室だという、ベッドが据え付けられた個室が二部屋に、スグミの自室が一つ。
下手な民家より、よほど広く快適な馬車。そんな物を自作したと言うのだから……
(スグミとは、一体何者なのだろうか……)
スグミは、自分のことを多くは語ろうとはしなかった。
古代遺跡の罠に掛かり、この地に飛ばされて来たと本人は言うが、それも何処までが本当のことなのか。
(いっそ、古代魔導文明人がこの時代に蘇ったとか、そう言われた方がまだ納得出来るかもな)
などと、愚にも付かないことを考える。
(何にしても、スグミが自分達エルフに敵対心を持っていなかったのが、最大の行幸といえるだろうな)
もしスグミが異種族排斥派の人間だったら……
そんなことを考えて、イオスは背筋を寒くした。
と、そうこうしているうちに、前方に見慣れた木製の門が見えて来た。
ここまで来ると、ああ、帰って来たのだな、という実感が湧いて来る。
イオスは走る速度を緩めると、門番をしている男の前に躍り出る。門番は、村の決まりに従ってちゃんと二人いた。
向こうもこちらの接近には気づいていたようで、二人して手にした槍をこちらに向けると、内一人が「何者だっ!」と誰何する。
聞き覚えのある声に、イオスが誰何した男の顔を見ると、少しばかり印象が変わってしまってはいたが、すぐにそれが良く知っている人物であることが分かり、何処かほっとした。
そして、それと同じように緊張も感じていた。
(昔はまだまだ子どもだと思ってたが、随分と精悍な顔つきになったものだな……)
と、つい時の流れを感慨深く思ってしまう。
「久しぶりだな、イオタ。随分大きくなったな……」
「っ!? イオス兄さんっ!」
向こうもイオスのことを認識したのか、手にした槍はそのままに驚きの表情を浮かべていた。
門番をしていた青年の名はイオタ。イオスの実の弟である。
ちなみに、年齢は一七とソアラと同い年だ。
イオスが村を出た時はまだ一〇歳の、少年……というよりは、男の子といった印象が強かったが、今や立派な青年だ。
「兄弟で積もる話もあるが、今は後回しだ。
用件のみ単刀直入に言う。ソアラを保護した。現在この村に向けて移動中。
至急、ノマド殿に連絡を入れたい。通してもらえないだろうか」
村では、ソアラが行方不明になっていることは既に知られていることだろうと決め、イオスは細かい部分はすべて飛ばして話を進める。
しかし、それだけで十分だった。
「本当か、兄さんっ! そ、それでソアラは無事なのか! 怪我とかはっ!」
「大丈夫だ。何も心配はいらない。詳しい話しは後だ。まずはノマド殿に連絡を入れるのが先だろ」
食い気味に問いただしてくるイオタを押し退け、イオスはもう一人の門番に通行の許可をとる。
(というか槍を下げろっ! 怖いわっ! ……そういえば、こいつは昔からソアラにホの字だったか。
本人からは、まったく相手にされていないのは悲しい限りだが)
まだ、二人が子どもの頃の話しだが、イオタはソアラの気を惹こうと、カエルやヘビを投げつけたり、服の中に虫をいれたりと散々やらかしていた。
そんなことで好感を得られるわけなどないのだが……
悲しいかな、好きな子に何をしたらいいのか分からない男の子の、迷走の果ての暴走であった。
そのおかげか、幼少期からそれらのものと触れ合って来たことでソアラはすっかり両生類、爬虫類、昆虫に対する耐性を付けることが出来たのは、実に喜ばしいことであった。
薬師は薬草だけを扱っているわけではない。
時に生きたカエルを捌いて肝を取り出したり、トカゲを串に刺しては乾燥させたり、虫を薬研で磨り潰したりと色々としなくてはいけなかった。
そういった物を扱う以上、早い内での耐性の獲得は、ソアラの薬師としての成長の一助となったのは間違いない。
ただし、代わりに失ったのはイオタへの好感度であったが。
「分かった。許可しよう。早く知らせてあげるといい。カテラさんなんて、ここ数日寝込んでいると聞くしな」
もう一人の年嵩のある門番が、慌てるイオタとは違い、冷静にイオスの通行許可を出す。
元々村の住人であるイオスが、いちいち通行の許可など求める必要は本来ない。
しかし、一度村を出て行ったイオスとしては、どうしても村の敷居を跨ぐことに後ろ暗い気持ちがあった。
それを察して、年嵩の門番は別に出さなくてもいい許可を出す。
言ってしまえば、これはただの茶番だ。だが、それがイオスにとって必要な茶番であると、年嵩の門番は理解していた。
「俺は一足先に族長の所に行って、話を通してくる。イオスもノマドへの連絡が終わったら来てくれ。
イオタは村の奴らにソアラちゃんが無事なことを知らせに行け。あと、代わりの門番を誰か立たせておくようにも伝えろ」
「おうっ! 了解っ!」
年嵩の門番からの指示に素直に従い、イオタは村へと向かって走って行った。
「それではすまないが通してもらう」
「おう、ってかいちいち気にし過ぎなんだよお前は」
「……そう、かもな」
そうして、イオスも目的の場所へと向かい走り出そうとした時、ふいに背後から声を掛けられた。
「おい、イオス!」
「?」
声に立ち止まり、振り返る。
「よく無事に戻って来てくれたな。おかえり、イオス」
「っ!? ……ああ、ただいま、親父」




