一四話
SIDE OTHERS
時は少し遡り、スグミたちが洞窟で野営地を設営していた頃……
油で髪を撫でつけ、鼻の下に髭を蓄えた身奇麗な細身の男が一人。馬車の御者台で腕を組み、苛立たしげに眉根に皺を寄せていた。
この男、名をドグルいう。ソアラを攫った盗賊団の頭だ。
盗賊団と聞くと、ボロ衣服に草臥れた剣や斧を片手に持っている、というイメージが定番だが、ドグルは普段、隊商を装っているため、それなりに身奇麗にはしていた。
たったこれだけのことで、人からの心証が天と地ほども変わってくるのだから実に簡単なことだ。
身奇麗にし、言葉使いを丁寧にさえしていれば、誰も自分が盗賊団の頭だとは疑わない。
盗賊が、私は盗賊です、などという装いをするなど、ただのバカだ。後ろ暗い仕事をしているからこそ、人から怪しまれる様なことは極力避けるべきなのだ。
それがドグルの持論であった。
「アニキ! アニキっ! ドグルのアニキっ! てぇへんですっ!」
一人馬車へと戻り、手下の報告を待っていたドグルの下に、血相を変えた一人の小男が駆け寄って来た。
「どうした、ラッチ? エルフのガキが見つかったのか?」
「あっ、いえ……そういうわけじゃねぇんでやすが……」
「俺は“アレを見つけたら報告に来い”と言ったはずだが? まさか、そんな簡単なことも分からねぇほど、テメェの頭は悪いのか? あぁ?
そんなに悪いってんなら、優しい優しいこの俺様が、患部を除去して治療してやろうか?
ああ、安心しろ。治療費はタダにしておいてやるからよ」
ドグルは脇に置いていた山刀を、すらりと抜いき、それを小男、ラッチに見せびらかすようにして手の中で弄ぶ。
ドグルは表情こそ穏やかなものだが、その額に浮かぶ青筋が冗談などではなく本気であると告げていた。
冷汗三斗。ラッチの背中に、嫌な汗が滝の様に流れ出る。
ドグルがイラついていることくらい、ラッチも十分に理解していた。そして、焦っている、ということも。
当然だ。バカな部下の失敗の所為で、大事な大事な商品を取り逃がしたのだ。しかも、下手に手傷を負わせてしまってもいた。
軽症ではない、そこそこに深い傷だ。このまま放置すれば、最悪、死に至るような、だ。
どうせ殺す命ではあるが、今、死なれるのは拙い。
少なくとも、依頼者に渡すまでは生きていてもらなくては困るのだ。
(ちっ、折角とっ捕まえたブツだってぇーのに、ケチしかつかねぇな!)
余談だが、ミスを犯した部下は、とうの昔にドグルから手厚い治療を受けて、今は安らかな眠りについていた。
彼らがなぜ、エルフの少女一人にここまで固執するのか。
それは単純にカネになるからだ。
嘘か誠か、エルフの処女の生き胆は、ありとあらゆる病を癒す霊薬になると聞く。
また、一部では不老不死の妙薬になるとも、永遠の美貌を保つ秘薬になるとも、そう囁かれていた。
重い病を患った貴族、年老いた老い先短い富豪、永遠に美しくありたいと願う富ある婦人……
そんな者たちが、目も眩むほどの大枚を出してでも、誰もが挙ってエルフの薬を求めた。
エルフ娘一人を攫ってくるだけで、時には何年も遊んで暮らせるだけのカネが手に入るのだ。こんなウマい商売は他にはない。
だが……
最近は、昔ほどエルフ狩りも楽ではなくなってきていた。
唯一、エルフ自治領と隣接している国、ノールデンが本格的にエルフ保護に乗り出した所為だ。
それがおよそ、十年前の話である。
それからというもの、ドグルたちの商売は上がったりだった。
ドグルも、二〇の頃からこの商売を始めて今では二〇年程経つが、ここ十年で捕獲したエルフは一〇匹にも満たない。
今では年に一匹、捕まえられるかどうかといった感じだった。
それが最近、同業者がエルフを捕らえ大金を手にしたという話が流れて来た。
そいつは、ドグルも良く知る男だった。ドグルより十も若く、盗賊団を率いるその男とは、何かと反りが合わずドグルとは常に反発し合う関係だった。
そんな男がドグルに言ったのだ。
“最近、儲けが少ないようですが、先輩はそろそろ引退ですか?”と……
この業界、ナメられたら終わりだ。
すぐにでも捕まえてやるよと、売り言葉に買い言葉。
だからこそ、危険を冒してまでアグリスタに近い集落からかっ攫って来たというのに……
(昔は、手軽に捕まえて売りさばくことが出来たってのによぉ、世知辛い世の中になっちまったもなんだぜ……)
自分達のしていることなど棚に上げ、ドグルは世を嘆く。
切欠は何にしろ、ソアラはドグルにとって久しぶりに手に入れた得物だった。しかも、かなり上物の。
喜び勇むあまり、依頼主には早々に飛蜥蜴を使い連絡を入れてしまっていたほどだった。
飛蜥蜴とは、手の平程度の大きさの、文字通り羽の生えた蜥蜴のことである。
一度住みかを定めると、何処にいても必ず巣に帰るという習性を持っているため、時に連絡手段の一つとして利用されている。
(今更、逃がしました、なんてどの口が言えるってんだ……)
そんなことをすれば、いけ好かないおの男のみならず、同業者全員からいい笑い者にされてしまう。メンツもズタズタだ。
何よりもメンツとプライドを大事にしていたドグルにとって、他人からナメられるなど許しておけることではなかった。
たかだか人もどきを保護するなど、ドグルにはまったく理解出来ない感覚だった。
亜人など、人の言葉を解していても、所詮は人間に似た生き物でしかなく、人ではない。
ドグルにとって、エルフなど野山を駆ける猪や鹿とそう違いはないのだ。
それをわざわざ保護などと……
(テメェでテメェの食い扶持を保護するとか、バカじゃねぇのかあいつら……反吐が出るぜ)
しかも、ノールデン王国が保護の対象としているのはエルフだけではなかった。
ドワーフや獣人、所謂、亜人と称される者達すべてが、保護の対象なのである。
何処かの国では、亜人を奴隷として働かせ、国民は裕福に、そして国は豊かに栄えていると聞く。
獣を捕らえて食う様に、亜人は捕らえて奴隷に、それがエルフなら売ればいい。それがドグルの考え方だった。
「どいつもこいつも使えねぇ……手負いのガキ一匹、捕まえるのにどれだけ時間を掛けてやがる……」
それは別に、ラッチに向けた言葉ではなかった。
焦るあまり、ポロリと口から出たものだ。だが、それにラッチが、ようやく本題に入れると、言葉を返した。
「それが、その……どうにも一匹じゃないようでして……」
「はぁ? どういう意味だ、ラッチ?」
「その……バッツのヤローがヤられやした……」
ドグルは自分の耳を疑った。
「……なんだと? で、バッツの奴はどうしてる?」
「今は……その虫の息でさぁ……」
そして、その一言で、ドグルは大体理解した
バッツは盗賊団の中でも、ドグルに次ぐ実力者だ。頭は確かに悪いが、それでもその腕っぷしの強さは本物だった。
それこそ、下手な騎士程度なら二、三人が束になっても勝てない程に、だ。
実際、バッツはノールデンの騎士を数人殺しており、その首にはそこそこの賞金が掛けられていた。
【狂戦士】の二つ名は、伊達や酔狂で付けられたものではないのである。
いくら油断していたとしても、小娘一匹に後れを取るとは思えない。となれば、考えられるのは協力者の存在だ。
(どこかのバカが、あの小娘の逃亡を助けている?)
ここは既にエルフの集落からは大分離れていた。今更エルフ共が助けに来たとは考え難い。
ならば、たまたま通りかかった旅人にでも助けを求めたか、それとも……
どちらにしろ、バッツを倒すほどの実力をもった何者かが、小娘に協力していると考えた方がいい。
厄介極まりないことだ。
「奴は何か言っていたか?」
「え? あ、へい……“男”がどうの、“黒い鎧”がどうのと、“騎士”がどうのと……譫言のように呟いておりやす」
「そうか……」
“騎士”ということはノールデンの騎士のことだろう、とドグルは踏んだ。
(あいつら、こんな所まで出張ってくるようになりやがったか……クソがっ!)
ただ、黒という色がノールデンでは厭忌される色であるにも関わらず、自らその色を纏う騎士、ということにドグルは今一つ腑に落ちないものを感じたが、今はそれどころではないと頭から振り払った。
勿論、それはドグルの完全な見当違いなのだが……そんなことは知る由もない。
「ラッチ。バッツを見つけた時の状況を詳しく話せ」
「へ、へぇ……で、ですがアニキ。その前にバッツの奴を助けには行かないんでやすか?
アニキが持ってる魔術薬を使えば、まだ助かると思うんでやすが……」
「はぁ!?」
「ひっ!」
ラッチとしては仲間の為に良かれと思い進言したことだったが、ドグルに取ってはそうではなかった。
ドグルは鬼の如き形相でラッチを睨みつけると、御者台の上から胸倉を掴み力任せに引き寄せた。
ドグルは細身ではあるが華奢ではない。その服の下は、鍛えられて引き締まった筋肉で覆われているのだ。
小男のラッチを片手で持ち上げることくらい、造作もない。
「なぁ、ラッチよ? なんで俺様の秘蔵の魔術薬を、バッツ如きに使ってやなにゃならんのだ? あぁ?
あれ一つでいくらすると思ってやがる? テメェらクズの命の十や二十じゃ利かねぇんだぞ? 分かってんのか?」
確かに、バッツは団の貴重な戦力ではあったが、それ以上に貴重な魔術薬を代償に支払ってでも助ける存在かというと、そうでもなかった。
ドグルにとっては、バッツなぞ居なくなったなら、代替品を用意すれば済むだけの消耗品でしかない。
強いて面倒ごとを挙げるなら、新しい兵隊を探すのが手間というだけの話しだ。
「すっ、すいやせんしたっ! よ、余計なことを……ぐ、ぐる゛じい゛っす……」
「バガがバカなりにいくら考えたところで、結局バカな答えしか出ねぇんだよっ!
テメェらは何も考えず、俺の言うことに従って動いていりゃいいんだ。分かったか?」
「ぶぁ、ぶぁい゛、ア゛ニ゛ギ……」
顏が紫色になり始めたラッチの胸倉から、ドグルは放り投げる様に手を放す。
拘束から解放された反面、支えの無くなった体は自由降下を始め、ラッチは強かに大地に尻を打ち付けた。
痛いやら、苦しいやら……散々な目に遭ったが、これもまた今に始まったことではないと諦める。
逆らえば、今以上の酷い目に遭わされるのは目に見えている。いくら理不尽と思おうとも、これがここのやり方なのだ。従う以外のことなど、ラッチは知らなかった。
(黒い騎士、か……見つけたらただじゃおねぇ)
しかし、相手はノールデンの騎士。うまく騎士団を出し抜き、かつ、逃げたエルフ娘も取り戻す。
そんなうまい方法はないかと、それをドグルは必至で考える。
そこで、ふと気づく。
(いや、待てよ……なんで相手が一人ではないと考えた?)
ノールデンの騎士が鎧を着た完全武装で行動するのは、戦闘行為を念頭に置いた、何か明確な目的がある時だけだ。
そして、そういった場合、必ず騎士たちは組織として行動する。
仮に、複数人の騎士が、それこそ騎士団がこの街道を跋扈してるのなら、らしい痕跡の一つや二つはあって然るべきだ、とドグルは考えた。
しかし……
騎士団はおろか、旅人一人が野営した痕跡すらドグルは見ていなかった……
つまり、
(こいつは単独行動か? 何かの任務で一人で行動していた? それがまたまた、あのエルフのガキと出くわして協力している?)
ドグルの中に、一筋の光明が見えた。
「相手が一人なら、まで打つ手はある。はっ! まだ、ツキに見放されたわけじゃないらしいな」
ドグルは一人ニヤリと笑うと、ラッチに探索に出していた部下を集める様に支持を飛ばしたのだった。