一〇六話
SIDE ソアラ&アイラ&カテラ
ブオオオォォォォ
ソアラは、スグミから借りたヘアードライヤーと、これまたお手製だというヘアブラシを使い、母カテラの髪を乾かしている最中であった。
ちなみに、既に髪を乾かし終わったアイラは、ソアラがチェストボックスから勝手に持ち出したシェイクをちゅーちゅーしつつ、今はソファの上で足を投げ出し寛いでいる。
最早、勝手知ったる他人の我が家状態だ。
「こんなに早く髪が乾くなんて……この“へあどらいやー”っていうのはすごいわね」
カテラは自身の髪の毛先を一撮みすると、既に乾ききっているそれを指先で弄びながらそう言った。
「ねぇ~、私も初めて使った時はビックリしたよ」
概ね同じようなことを思っていたソアラも、母に同意する。
エルフに入浴の文化はなくとも、身綺麗にする習慣はあった。ともなれば当然、体だけでなく髪だって洗う。
髪が短い男衆なら、乾いた布でさっと拭いてしまえばそれで終わりであるため、さして気にするほどのことでもなかったが、髪が長い女性ともなれば、そう簡単な話しではない。
洗うことは勿論、乾かすこともまた一苦労なのだ。
それがどうだ。
頭上から雨の様にお湯が降り注ぐシャワーなる物は洗髪を容易にし、濡れた髪とてドライヤーで簡単に乾かすことが出来る。
この事実は、カテラに既存概念の崩壊を齎すには十分過ぎるほどの衝撃を与えていた。
シャワーは大掛かりな設備であるため望むべくもないが、ドライヤーなら……
カテラは娘に髪を預けながら、そっと周囲に目を配る。
そこに、先ほどまでいたスグミの姿はない。
つい今しがた、水を補給してくると、と馬車の外に出て行ったばかりだ。
余談だが、キャリッジホームで使われている水は、本体屋根部分に設置された貯水タンクによって賄われている。
浴槽で使われている水こそ、浄水され巡回しているが、それ以外の水、つまりシャワーや料理、飲料水として使われている水は、完全に別系統であり、当然使えばその分減る消耗品であった。
一応、シャワーで使った排水を浄水した上で、貯水タンクに戻し循環させること自体は技術的に可能ではある。
だがその場合、浄水した水を飲料水としても利用しなくてはならず、スグミの“気分的に嫌だ”という思いから分離されることになった。
ちなみに、シャワーの排水は浄水された上で、車外に排出されている。
なので、キャリッジホームの周囲が結構な勢いで水浸しになっているのだが、そこは森の中にあるエルフの集落。
水はけの良い土壌をしていることもあり、排出された水はほぼすべてが大地に吸収されて、中規模の水たまりを作る程度に収まっていた。
その水たまりとて、明日の朝にはその姿を消していることだろう。
「ねぇ、ソアラ」
「ん? なに?」
「これ、貰えないかスグミさんに聞いてみなさいよ」
「えぇ~……嫌よ。なんで私が。欲しいなら、お母さんが自分で頼んでよ」
「娘の恩人に、そんな恥知らずなこと言えるわけないでしょ? そんなことしたら、お母さんが厚かましい親だと思われるじゃないの」
「私が厚かましい女だと思われるのはいいのか!」
「あんた、あの方とは随分仲も良さそうだし、あんたが頼めばすんなりくれるかもしれないじゃない。
それに、あんただって、これがあったら楽出来るでしょ?」
「それはそうかもだけど……」
そこまで言って、ソアラは口ごもる。
正直、カテラの言葉はまったくもってその通りで、貰える物なら是非とも欲しい逸品であった。
しかし、ソアラとて人の子。
なんだかんだと不平不満を口にはしても、命の恩人であるスグミにはひとかたならぬ恩義を感じているのだ。
下手に出るとつけあがりそうなので、絶対口には出さないようにしているが……
(スグミさんのことだか、言えばなんだかんだでくれそうだけど……それもなぁ……)
出会ってからこれまで、ソアラはスグミにおんぶにだっこで世話になり続けていた。
ここで更に厚かましいことを頼むには、流石のソアラも気が引けるというものだ。
「そういえば、さっきスグミお兄さんがお父さんと話してた時、それ、お兄さんの国だとみんな持ってるのが普通みたいなこと言ってたよ?
だから、別に高価な物じゃないんだって。それに、それはお兄さんが自分で作った物だって、そう言ってたし」
と、一人悩んでいたソアラを他所に、シェイクをちゅぱちゅぱしていたアイラがそんなことを言い出した。
「あら、そうなの?」
これに気を良くしたのがカテラであった。
別にカテラとて、初めかタダで譲ってもらおうなどと考えているわけではない。
しかし、対価を払おうにも、魔道具についての知識が疎いカテラにとって、このヘアードライヤーが如何程の価値がある物なのかなど、まるで分らない状態であった。
だからこそ、娘を使ってそれとなく探りを入れようと思っていたのたが、高価な品でないというのなら話は簡単だ。
スグミが納得して交換してくれるよう、交渉をするだけである。
幸い、カテラにはスグミが交渉に応じてくれそうな心当たりがあった。
スグミの話しでは、エルフの料理は故郷の料理に似ているのだと言う。ならば、お茶や調味料、お米などを対価に出せは交換してくれのではないか、と考えたのだ。
エルフの女は、強かでなければ生きては行けないのである。
ただし……
高価な物ではない、というのはあくまでこの世界との価値観が乖離しまくっているスグミの感覚での話しである。
仮に、ノールデン王国の市場にヘアードライヤーを流した場合、その価値は大金貨数枚……つまり数十万ディルグ、下手をしたら数百万ディルグの価値が付くのはまず間違いない。
魔道具の価値を知るノマドがこの場に居れば、恥ずかしいことは止めろ、と釘の一つも刺していたかもしれないが、生憎とこの場に彼の姿はなかった。
ノマドは現在、絶賛入浴中である。
そんな時、ガチャリと馬車の扉が開く音が室内に響いた。
水の補充作業を終えたスグミが帰って来たのだ。
途端、二人は今までの会話など無かったかのように口を閉ざし、居住まいを正す。
一方、ソファの上のアイラはというと、一向に気にせずだらけた姿のままだった。この少女、意外と肝が据わっているようだ。
別に意識してではないが、ソアラは帰って来たスグミをなんとなく目で追った。
すると、何を思ったのか、スグミが突然壁の前で足を止めると、その一部を剥がし出したではないか。
「あの……スグミさん、一体何を?」
スグミのあまりの奇行に、ソアラはつい口を挟む。
「ん? ああ、ついでにM……魔力残量のチェックもしておこうかと思ってな」
壁の一部は、初めから取り外しが出来るように作られていたようで、スグミは簡単に壁板を外すと、壁板はするりと横へとスライド移動する。
そして、壁板の後ろに隠されていた物が露わになった。それは、淡い紫色に光る拳大はありそうな宝石だった。
一瞬、これを売ったらいくらくらいの値が付くのだろうか? と、ソアラの脳裏をそんな俗物的な考えが過って消えた。
「うわぁ! 綺麗な宝石っ!」
それを見ていたアイラが、急に立ち上がり黄色い声を上げる。小さくとも女の子。光る物には非常に目敏い。
「まぁ、宝石ではないんだけどね。
これはクリスタルケージっていう……そうだな、簡単にいえば魔力を外部保存出来るようにする魔道具、ってところかな」
スグミ曰く。
この馬車の内部空間は魔術によって拡張されていて、その魔術を維持する為に、絶えず魔力供給をし続ける必要があるのだと、そう語った。
もし仮に、魔力の供給が途絶えでもした場合、拡張されていた空間が一瞬で元に戻り、内部は家具や荷物に押し潰されて自分達諸共ぺしゃんこになるだろう、という話しだ。
勿論、そんなことにはならない様に、安全機構は二重三重に備えているらしいが、そんな話を聞いた後では正直、ソアラの背筋が少し寒くなる。
それにしても……と、スグミの説明を聞いて、ソアラが真っ先に思い浮かべたのは魔石のことだった。
魔石とは、古代遺跡に生息している魔獣の体内、もしくは魔力溜まりと呼ばれる特殊な場所で、稀に採取される魔力の結晶体のことである。
魔力を多く含んでいることから、武器や防具そして魔道具などの素材として、高値で取引されている品だ。
父であるノマドの影響もあり、ソアラも魔石については多少の知識はあった。
とはいえ、知識があるだけで、現物など見たこともなかったが。
しかし……
魔石は基本、小指の先ほどの大きさのものが一般的だ。親指大の大きさの物があれば、一年は遊んで暮らせるほどの価値があると聞いた覚えがある。
それがどうだ。今、ソアラが目にしているの成人男性の拳と同等、ひょっとしたらそれより少し大きいくらいはあるではないか。
これがもし魔石と同じ物だとするなら、その価値はどれくらいになるのか……
ソアラには、きっと凄い価値があるんだろうな、と漠然とした想像をするくらいしか出来なかったが、仮に、もしこの場にノマドが居たら泡を吹いて卒倒していたことだろう。
知らない、というのは時には幸運なことでもあるのだ。
「……よし。問題ないな」
スグミが何かの確認を終えたのか、外した壁板を元の位置に戻すと、定位置となったソファへと腰を下ろす。
「スグミお兄さん、スグミお兄さん!」
と、まるでタイミングを見計らっていたように、アイラがスグミへとすり寄って来て、当然の様にスグミの隣に座った。
「ん? どうした、アイラちゃん」
「あのね、あのね! あの、ぶおおぉぉぉってなるやつ! 髪がぱぱって乾いて、すごかったです!」
「それは良かったね」
「あれ、スグミお兄さんが自分で作ったって言ってましたよね? ああいうのって、作るのって難しかったりするんですかぁ?」
と、若干小首を傾けて、あざとさ全開でそんなことを問い掛ける。
子ども故の無邪気な好奇心、では当然ない。
先ほど三人で話していた、どうすればヘアードライヤーを譲ってもらえるか。これはその布石だ。
アイラとて、濡れた髪を乾かすのには苦労していた一人だ。ともなれば、あのヘアードライヤーには二人同様心惹かれる物があった。
姉や母が二の足を踏むというのなら、ここは自分から動かなくてはと、まず、軽く話題の取っ掛かり作りのために自ら話を振ったのだ。
それに一番年若い自分なら、所詮は子どもの言うこと、と不興を買う恐れも低いという考えもあった。
エルフの女は、強かでなければ生きては行けないのである。
「そうだな……俺が作る分には、そんなに難しいってことはないかな」
「それじゃあ、何か特別な材料とかが必要だったりするんですかぁ?」
「そうでもないな。勿論、良い物を作ろうと思えば、高価な素材がいくらあっても足りないだろうけど、俺が作った程度の物なら少量の銀があれば十分かな」
「あの、もしご迷惑でなければ、作って頂くことは出来ないでしょうか?
娘も甚く気に入っておりますし、勿論、無償でとは申しません。
こちらで出来るお礼ならさせて頂きたく思いますが……」
そこで空かさず話を繋げたのがカテラだった。しかも、然も“娘が我儘を言ってすいません”という体は取りつつ、こちらからの要望は確り伝える。
「あ~、作ること自体は吝かではないですが、生憎と手持ちに都合のいい素材が無くてですね……」
「その……銀が必要とのことでしたが、それはどんなものでもいいのでしょうか?
実は……」
昔、それもカテラが生まれる更に前、ここオファリアでは銀鉱脈があり、当時はかなりの量が採掘されていた。
しかし、今ではその鉱脈も枯れ果て、採掘は行ってはいなかった。
が、当時の名残として採掘された石が、今でも採掘現場跡地に堆く積まれていたのだ。
鉱石について、差した知識は持ち合わせていないカテラだったが、それらが使えないものかとスグミに話す。
「クズ石ですか……まぁ、多分大丈夫だと思いますよ。それなら、作りましょうか」
「やったぁー! ありがとう、スグミお兄さんっ!」
そう言って、アイラは無邪気そうに満面の笑みを浮かべてスグミの胸元へと跳び付いて抱き着いた。
しかし、その顔をカテラの方へと向けると、無邪気そうな笑顔が一変、にやりと人の悪そうな笑みに変わり、グっと親指を立てる。
それに応えるように、カテラもまたアイラに向かい「よくやった」と頷きながら親指を立て返す。
そんな二人のやり取りを見て、ソアラはなんとも言えないため息を吐いた。
(スグミさん、二人にいいように使われてるなぁ……)
そうは思いつつも、別に助け舟を出すつもりも毛頭ない。
だって、ソアラだってドライヤーが欲しいのだから。
エルフの女は、強かでなければ生きては行けないのである。




