一話
「で、一体どこなんだよ……ここは……さっぱどわがんねぇ」
あまりの出来事に、ついお郷の言葉が出てしまった。
周囲は見渡す限り、木、木、木、木、木!
おそらく森の中だろうということは、周囲を散策してなんとなく理解した。が、だからといってここが何処かが分かったわけではない。
「はぁ~、疲れた。少し休もう……」
俺は疲労からくる溜息一つ。たまたま見つけた倒木に腰を下ろした。
森という不整地を、場所の確認のためとはいえ無作為に歩き回った所為で、すっかり足が棒である。
ってか、この“疲れる”ってこと自体があり得ない事なんだけどな……
俺は頭の中で“インベントリ”と、思い浮かべると目の前にAR風のウインドウが表れた。
そこにズラリ並ぶ数あるアイテムの中から、スタミナ回復ポーションを選択。数量は一。
すると、何もなかった空中から、ファイトが一発しそうな、某有名栄養飲料くらいの大きさの瓶が表れ、それを空中でキャッチする。
瓶は透明。中には綺麗な青味掛かった液体がちゃんぷんちゃぷんと揺れていた。
俺はコルク状のキャップを引っこ抜き、それを一気に呷る。
「っかぁ~、五臓六腑に染み渡るぅ~」
味が少し薄めたスポーツドリンクである所為か、常温であるこに今一つ物足りなさを感じてしまう。が、それは贅沢というものだろう。
今は、水分が補給できるだけでも御の字だ。
とはいえ、氷冷系統の魔術の一つでも覚えていたなら、キンキンに冷やして飲めたのに……とは思ってしまう。
まぁ、ない物強請りをしても始まらないのは分かっているけどさ。
「ほんと……どうしちまったんだろうな……俺」
生い茂る梢に遮られた空を眺めながら、俺はぽつりと呟く。
ふと、昔、アーカイブで見た古い特撮番組の迷言が頭の片隅を過ぎって消えた。
何でもかんでも“その時、不思議な事が起こった!”の一言で片づけてんじゃねぇよっ! って、よく笑ってたけど……
「人間。生きていると、本当にそうとしか言いようがないことが起きることってあるんだなぁ……」
と、しみじみと思うのだった。
♢♢♢ ♢♢♢ ♢♢♢ ♢♢♢
事の始まりは今から数時間前に遡る。
俺は休日を利用して完全没入型VRMMORPG『アンリミテッドワールド』(以下、『アンリミ』)を楽しんでいた。
ゲームは俺の数少ない趣味であり、また、人生の清涼剤、精神の安定剤なのである。
別に、仕事が嫌いなわけでも、勤め先がブラックな企業というわけでもない。
むしろ、好きな事を仕事にしているため、文句を言いながら働いている人間よりかは、充実している方だと思っている。
だが、だからといって仕事一筋の人間というわけでもない。
人間、仕事と息抜きの両立こそ大事なのである。
仕事だけ、遊びだけでは、碌な人生になりはしない、と俺は思う。
で、だ。
今日は『アンリミ』の大型アップデート日であり、俺はパッチが配布される更新時間前からハードを立ち上げ、パッチがアップされるのを全裸待機していた。
……いや、まぁ本当に全裸だったわけではないけどさ。
更新時間になり即ダウンロードを開始し、アップデートの終了と共にログイン。
そして、朝からずっと新たに追加されたダンジョンの攻略を行っていた……わけなのだが。
全一〇〇層の半分近くに差し掛かった時、俺はそこで思いがけない物を発見した。
それは、マップには表示されていないが侵入できる、という未知の領域の存在だ。
それを発見した切欠は、俺のちょっとしたミスだった。
たまたま俺が攻撃を外し、ダンジョンの壁に直撃させてしまったのだ。
すると、どうだ。
壁が崩れ落ち、その奥には道が続いているではないか。
これは『アンリミ』の常識から考えたら、絶対にあり得ないことだった。
本来、ダンジョンの壁や床、天井は、如何なる方法を以てしても破壊することは不可能な固定オブジェクトに設定されている。
でなければ、ダンジョンなど壁なり天井なり床なりをぶち抜いて、最短ルートで攻略出来てしまうからな。
アップデートに伴った新しいギミックなのか、それともただのバグなのか。
なんにしても、滅多に見れない現象に俺は年甲斐もなく好奇心を掻き立てれられ、発見した未知の領域へと何の躊躇いもなく侵入して行った。
そして、先へ先へとへ進む。
特に分岐もない一本道。俺はひたすら、ずんどこずんどこ先を目指した。のだが……
かなり進んで、ようやく行き着いたその先は、ただの行き止まりだった。
ただし、目の前には黄色に輝く光の柱がひとつ。
ワープポータルだ。
中に入れば、遠くの場所まで一瞬で移動出来る、言わずと知れた、瞬間移動ツールである。
ただし、俺が知る『アンリミ』のポータルとは、僅かにデザインが違っていた。
まず、『アンリミ』のポータルは黄色ではなく、青い光を発している。
とはいえ、そんなものは些末な問題に過ぎない。
今は、入るのか、入らないのか。そこが問題なのだ。
今が正常な状態なのか、それとバグなのか。こいつは、それすらも分からない、正体不明のポータルだ。何処に繋がっているか知れたものじゃない。
下手をしたら、ポータルに入った瞬間、エラーで即落ちという可能性も十分にあった。
『アンリミ』では、ダンジョン内部でデータを保存することは出来ない。
もしここでエラー落ちすれば、俺はダンジョンから叩き出され、また一階層からやり直しということになる。
最悪、今まで入手したアイテムを全部ロストする可能性だってあった。
要は、今までの苦労がすべて水の泡になる、ということだな。
しかし、俺は折角だから入ることを選ぶぜっ! と、一瞬の逡巡ののちに躊躇いなくポータルへとダイブ。
何故かって? だってそこにポータルがあるからだよ。
それに、全ロスしたところで、良いアイテムも拾ってなかったしな。
そんなこんなで、その先に待っていたのが、この見慣れない森だった、というわけだ。
しかも、マップ表示は『unknown』。つまり、俺が今まで来たことがない場所だということを示していた。
俺はこのゲームを、それなりにやり込んでいて、すべての領域を踏破していた。だから、『アンリミ』で俺が行ったことが無い場所など存在しない。
そう、今回のアップデートで追加された新フィールド以外ではな。
つまり、ここもまた新規開放された場所なんだと、その時はまだそう簡単に考えていた。
しかし、話はそんな単純なものではなかったのだ。
あり得ないこと・その一。ポータルが消えた。
気付くと、俺がこのフィールドにやって来た時のポータルが消えていた。
ポータルから少し離れた場所に出たのかと思い、周囲を隈なく調べてみたが全然見つからなかった。
基本、ポータルはどのポイントでも相互に存在している。
AポイントからBポイントへのポータるがあれば、同様にBポイントからAポイントへのポータルも存在しているのだ。
例外として、トラップで別座標へと飛ばされた場合はその限りではないのだが、そういう場合はそもそもポータルとして表示されない。
この段階で、俺はまずゲームのバグを疑った。
そもそも非侵入エリア内に入れてしまったこと。そして、そこにあった見慣れない色のポータルでの移動。
考えられる要因としては、本来、ゲームでは使う予定がなかった領域、そう例えば開発段階で使っていたテストマップなんかに飛ばされたのではないか、と、そう考えたのだ。
開発側が本来意図していない場所に、プレーヤーが入り込んでしまい出られなくなる。
古来より存在する、ゲームバグの代表のような話しだ。
しかし……
あり得ないこと・その二。ログアウト出来ない。
この段階で俺は、この現象をバグと仮定することにした。
しかし、バグとはいえ、折角本当なら来れない場所へと来たのだからと、その後しばらく周囲を散策したのだが、特に目新しいモンスターや珍しいアイテムなどの発見はなし。
モンスターもいなければダンジョンもない。
折角来たとはいえ、このままでは出来ることも何もないので、仕方なしにログアウトをして入り直すことにした。
『アンリミ』ではセーブ出来るポイントが決まっており、何処からログアウトてしも、次回スタート時は必ずそのセーブポイントからのスタートになる仕様になっているのだ。
だが……
ログアウトコマンドが機能しなかった。
オプション画面にコマンド自体はあるのに、何度決定しても弾かれてしまうのだ。
……なんぞこれ?
一昔前に、ログアウト障害で多くの人たちがネットの世界に閉じ込められた、なんて事件があったが、その再来であろうか?
もしかしたらバグの影響で、ログアウトコマンドが機能しないのかも知れないと思たが、運営だってバカではない。
その後、対策としてすべてのフルダイブ式VRゲームを対象に、“強制ログアウトシステム”が導入された。
これにより、連続ログイン時間がリアル時間の四時間に達すると、強制的にログアウトさせられるようになったのだ。
だから、最悪、四時間放置すれば確実にログアウト出来る。
これで一安心……そのはずだったのだが……
結論かいうと、四時間経ってもログアウトできませんでした。はい。
同じミスするとか、何やってんの運営!? バカなの? バカなのかっ! バカだろっ!
あり得ないこと・その三。俺が俺だった。
何を言ってるのか分からねぇと思うが、言ってる俺が一番わけ分からん。
強制ログアウトまでの時間、ただボォーっとしてても仕方ないので、俺は何かないかと周囲の探索を続行していた。
その時、偶然近くで小川を見つけたのだ。
とても綺麗な川だったので、何とはなしに覗き込んだら……そこに俺が写っていた。
……別に、頭がおかしくなったわけじゃない。
そこに映っていたのは、本物の俺が映っていたのだ。
これはゲームだ。だから当然、そこに映るのはゲーム内で使っているアバターでなければならない。
なのに、水面に映ったのは、金髪で超絶イケメンな若者ではなくて、冴えない二十後半の男のぼけぇーっとした顔だった。
しかし、リアルの自分が灰色のマントを羽織っていたり、革鎧を着ているのを見ると、なんだかコスプレをしている様でこっばずかしい感じが半端ないな……
それにしても、これはどういうことだろうか?
まぁ、最新機には、自分の顔をキャプチャーする機能が搭載されたモデルもあるが、残念ながら俺が使っているVRマシンに、そんな機能はない。
なにせ俺が愛用しているのは、古臭い初期型モデルだからな。
ちなみに、顏だけではなく、ステータス画面に表示される名前もキャラ名のアレクシオン・グランドルから本名の新潟 すぐみに変わっていた。
“にいがた”ではない。新潟と書いて“あらがた”と読む。ここ重要。
よく病院で「新潟さぁ~ん」って呼ばれんだよなぁ……
分かるっちゃ分かるなんだけど、一瞬迷うんだよね、あれ。っと、今はそんなこと関係ないな。
あり得ないこと・その四。疲れた。
歩き回っていたら疲れた。
当然の事だと思うかもしれないが、ここはゲームの中なのである。
疲労システムが存在するので、数値的に【疲労】が表示されることはあっても、プレイヤー自身が疲れを感じるなんてことはあり得ない。
それこそ、スタミナがゼロになったところで行動にペナルティが掛かるだけでプレイヤーは息の一つも上がらないのだ。
なのに、俺は歩き回って疲労を感じている……これは一体どういうことだ?
あり得ないこと・その五。小が出た。
……尿意を感じた。
普段なら、一時ログアウトをして出す物を出した後戻ってくるのだが、現状ではそのログアウトが出来ない。
しかし、我慢にも限界がある。
時間と共に、次第に張りつめていく膀胱。襲い掛かる尿意と攻防。迫りくる脅威に絶望。失いかける尊厳に途方。
ログアウトせずに、ゲームの中で用を足したら現実ではどうなるのだろうか?
部屋が悲惨なことになる風景しか想像出来ない。
てか、そもそもインナーが脱げないのだから、どうしようもないのではないか?
『アンリミ』では、着衣物の着脱は可能だが、下着だけは絶対に脱げない仕様になっていた。
要は、全裸にはなれないということだ。ということは、つまり一物が外に出せないということでもある。
……詰んだんじゃね、これ?
しかし、ゲームだからといって、このまま垂れ流すのはどうなのか……
膀胱が破裂する寸前まで迷いに迷ったが、結局あとは野となれ山となれの精神で、一か八かで一物を放り出して緊急ブロー。
インナーが脱げたことに対する驚きよりも、心を満たす解放感に安堵した。
この時、リアルのことは考えないことにした。
その後、試しにインナーを脱いだら全裸になれましたとさ……マジか。
最後にあり得ないこと・その六。痛みを感じた。
先ほど、歩いていたら倒木に気づかず、脛をもろに打ってのたうちまわった。
『アンリミ』でのダメージはすべて数字上のもので、攻撃を受けたとしても実際に何らかの衝撃を感じることは絶対になかった。
なのに、涙が出る程痛かったのだ。
♢♢♢ ♢♢♢ ♢♢♢ ♢♢♢
そうして現在に至る、というわけだ。
実際、自分に何が起きたのか、まるで分っていない。
これではまるで……
「異世界にでも来たみたいじゃないか……」
なんて、あるわけないだろ、と言った自分に笑う。こちとら中二病なんぞ、何年も前に既に完治済みである。
まぁ、異世界云々言うよりも、何かしらのバグの影響……と、考えた方がまだ納得が出来る。
……出来るか? いや! 無理やりにでもするんだよっ、俺っ!
丁度、今日は新ダンジョンの実装日。思わぬ不具合が出ていても不思議ではない……と、思うことにした。
自分で考えておいてツッコミどころ満載の理論ではあるが、とにかく。
今はここが何処かとか、俺に何が起きたのかの真相究明は後回しだ。
取り敢えず、まずはこれからのことを考えよう。
第一目的、ログアウト、または、元のエリアに戻る方法を探す。
第二目的、俺以外のプレイヤーとの接触、または、プレイヤーがいそうな場所の発見。
一先ずは、この二つの行動指針に沿って活動することにしよう。
元のエリアに戻れば、もしかしたバグから解放されるかもしれないし、同じような境遇のプレイヤーを見つければ、互いに協力し合えることだってあるかもしれない。
そうでなかったとしても、一人でいるよりかはずっと心強い。
三人寄らば姦しいとも言うしな……間違えた。文殊の知恵だ。
騒がしいだけでは、なんの意味もないだろ。
一応、デスペナルティ覚悟で自害すれば、セーブポイントに戻れるのではなかろうか?
とも、考えたのだか、脛を強打してあの痛さなのに、自傷行為なんて俺には怖くて出来ません。
それに、もしかしたら探索中にバグが解消されてログアウト、なんて可能性も十分にあると思いたい。思いたい……
そうと決まれば、早速情報収集のために探索の再開だ。今度は、今まで以上に探索の範囲を広げてみよう……っとその前に。
俺はインベントリから、ホカホカと湯気を立てるハンバーガーと、スポーツドリンク味のスタミナ回復ポーションを一つずつ取り出した。
歩き回って疲れた所為で、腹が減って来た。まずは腹ごなし。探索はその後だ。
ゲームのシステムが、ログアウト以外は問題なく機能しているのがせめてもの救いだな。
オートマッピングも無事だし、これで一度歩いた場所は地図に記載されて行くので、迷子にだけは絶対にならないのは有難い。
それに、森の散策中にスキルもちゃんと使えることは確認しているので、これならいざ戦闘になったとしても安心だ。
それに、今日は長時間のダンジョン攻略を前提にアイテムを整えていたので、食料などは多めに持ち込んでいたのも幸いしている。
『アンリミ』では、【空腹】や【渇水】といった状態異常を長時間放置すると、重度のデバフ効果が発生してしまうのだ。
そうならないためには、適度な飲食が必要なのである。
そのため、ダンジョンに長時間潜る際は、食料アイテムを大量に持ち込むのがセオリーとされている。
しかし、システム的に存在しているだけの【空腹】で、リアルに腹が減るなんて……
あっ、これもそうか。
あり得ないこと・その七。腹が減る、喉が渇く。
【疲労】同様、『アンリミ』で【空腹】や【渇水】は、ダメージ同様あくまで数字上のもので、実際に感じることはない。
なのに、今俺は実際に空腹であり、喉が渇いている……
「……もぐもぐ……もぐもぐ」
俺は手にしたバーガーをモチモチ咀嚼しながら、それ以上は深く考えないことにした。