センス
「おじさん! 馬車の速度を落として!」
セインスが馬車の御者に言うと、
「わ、わかった!」
御者がそう答えた時、セインスの手に握られた弓から、一本の矢が放たれた。
まだゴブリンまで50メートルは距離があったのに、セインスの放った矢は、3匹のゴブリンの真ん中に位置していた個体の腹に、吸い込まれるように当たった。
「ほう!」
御者が感心して声を漏らした時、2本目の矢が放たれる。
2匹のうち、右の個体の頭部に矢が当たると、当たったゴブリンがその場で倒れて、もがき苦しんでいる。
すぐさま3本目が放たれると、残ったゴブリンの腹に勢いよく刺さった。
「おじさん、馬車を止めてここで待ってて。トドメ刺してくるから!」
と、セインスが言い、御者が馬車を止めて、
「お、おう! 気をつけてな」
と、声をかけた。
「うん」
と、一言返して、セインスはゴブリンの方に向かう。
馬車に弓矢のセットを置き、替わりに槍を持って歩き出したセインスは、頭部の目玉に矢があたり、もがき苦しんでいるゴブリンの腹に、槍を突き刺す。
その槍の感触に、吐き気がしたセインス。
魔物を槍で突き刺すのには慣れていたはずなのに、この時は人を刺した感触を思い出したからだ。
低い鳴き声を上げたゴブリンが、痙攣しながら血を吐いた。
ゴブリンが、生命活動を終えた事を確認し、槍を引き抜いたセインスは、腹に矢が刺さった2匹のゴブリンに近づくと、ヒュンヒュンと槍を2度振り、ゴブリンの喉を斬り裂き、確実に息の根を止める。
ゴブリンの骸から矢を引き抜き、首をしっかり斬り落とすセインスを、馬車から見ていた御者は、
「あの坊主なかなかやるな。騎士軍が壊滅したとか言ってたけど、あの坊主は戦力として計算できる。兄貴に口添えしてやろうかな」
と、1人で呟いていた。
御者自身は戦の経験が無いが、兄弟は戦で身を立てていたからだ。
戻ってきたセインスに、
「坊主、すげえな!」
と、御者が言うと、
「あ、名乗ってなかったですね。名前は……センスと言います。褒められて嬉しいんですけど、母さんなら三本全部腹に命中させられたし、父さんならそもそも弓矢無しで、槍1本で倒せたはずなので、まだまだです」
と、セインスが首を振りながら答えた。
実際には、自分の弓では無かったので、慣れていないせいもあるのだが。
名前をセンスと言ったのは、セインスと名乗ると、パイド騎士に発見されてしまうかもしれないと思ったから。
セインスは、身を隠しておこうと思っているからだ。
この時、騎士の子セインス・クロームではなく、平民のセンスとして生きていく事を心に決めた。
「頭に当たったのって、外れたやつなのか?」
と、聞かれたセンスは、
「ええ。目玉にたまたま当たったから良かったですけど、頭だと刺さってませんからね。まだまだ強くならないと」
と、自身の腕の悪さを嘆くセンス。
「なるほどな。でもなかなか凄えと思うぜ?」
と、御者は褒める。
「まあ、腕がある人じゃないと、戦場では生き残れないので」
と、センスが言うと、
「俺にゃあ無理ってことだな」
と、御者が笑う。
「ゴブリンとやり合った事は?」
と、センスが問いかけると、
「逃げ一択だ」
と、戦闘などしたことがない事を、正直に明かす御者。
「まあ、正解ですよ。ゴブリンといえども、魔物ですからね。大人なら倒せるとか言ってる人が多いですけど、実際倒した人なんてごく一部ですしね」
このセンスの言葉は正しい。
ゴブリン1匹ならば、武器を持った大人なら、倒せる事もあるだろう。
だが、ゴブリンは群れで行動する魔物だ。
1匹で居ることなど、まずないのだ。
「俺はこれからも、逃げることにするよ」
と、御者が言うと、
「正解ですね」
と、センスが笑う。
「さ、早く乗れよ。さっさと行こうぜ、センス君」
「はい」
この時からセインスの、センスとしての人生が始まった。