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白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話  作者: 二本角
第五章 エリコの壁
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白流守備隊合格試験

「チッ!!なんなんだ、ここは・・・!!」


 夜の白流の街。

 人気の少ない裏道を、一つの影が走っていた。

 影の大きさは成人男性程度であるが、その速さは並外れており、まるで猿のように前かがみになって、四つ足で駆ける。

 大きさに反して体重が重いのか、影が通ったアスファルトの上には、めり込んだような跡が残っていた。


「オラァ!!」


 途中、影が苛立ったように付近の塀に拳を打ち込んだが、ただの石コンクリートでできているはずの塀はびくともしない。

 

「チッ、結界か?罠のつもりか?」


 影の通る道には結界が張られているようで、無理やり道筋を外れることはできなかった。

 何もないように見える場所にも結界があり、影が進むことができるのは一本の道だけだ。


「ムカつくぜ・・・人間ごときが」


 やがて影は街中にある、木々の生い茂った公園にたどり着いた。

 入口を通過すると、すぐ目の前には川が流れており、橋が架かっている。

 公園は丸ごと結界で覆われているようだが、橋も含めて中にはこれといった細工のようなものはない。

 そうして、影が橋の前にまでやって来た瞬間だった。


『タ、ターゲットが入った!!比呂実!!」

『う、うん!!結界閉じます!!2人とも気を付けて!!』

「ああ?」


 どこからか、女の声が聞こえたかと思えば、通ってきた道路へと繋がる入口に半透明の壁が出現した。


「また結界・・・ここは檻だってか?舐めやがって」


 影の機嫌はますます悪化する。

 確かにこの結界は頑丈だ。

 しかし、それでいつまでも自分を閉じ込めておけると思っているのか。

 こんな結界が長持ちするはずもない。

 結界が消えるまでに自分をどうにかできなければ術者側の負けだ。

 つまり、敵は自分をすぐに倒せると思い込んでいるということ。

 それは・・・


「ふざけんじゃねぇぞ!!人間がぁっ!!」


 影にとって、否、常世に住まう大妖怪にとって侮辱以外の何物でもなかった。

 刹那、影の形が大きく膨れ上がった。

 成人男性並みだった体躯はおよそ2倍の高さまで伸び、横幅も広がった。

 公園の街灯に照らされたその姿は猿によく似ており、全身を剛毛に覆われ、腕は丸太のように太い。


「フゥーッ!!フゥーッ!!」


 大妖怪『狒々』

 それが、影の正体だった。


「どこにいやがる人間どもが・・・ぶん殴ってから食い殺してやるよ」


 そうして、狒々が目の前にある橋を渡りきった瞬間だった。


「影刃」

「ぐおっ!?」


 背後から何かが飛んできて、頬に傷を残した。

 狒々が振り返るも、背後には何もいない。


「人間ごときがっ!!俺様の毛皮に傷をつけやがって!!」


 人間風情に傷をつけられたことがプライドに障ったのか、狒々は毛むくじゃらの顔を歪めて怒りに吠える。

 そのまま攻撃が飛んできた方に駆けだそうとした時だ。

 


--ガキン!!



「ああっ!?」


 狒々の足に、何かが食い込んでいた。

 

「こいつは、人間の使う罠か?こんなもんで・・・」


 狒々に食らいついていたのはトラバサミだ。

 しかし、今いる場所はさっきも通ったはず。

 ならばなぜ、その時は発動しなかったのか。


「影閃!!」

「痛ぇなっ!!」


 頭によぎった疑問について考えていた間に、またしても背後から攻撃。

 今度は背中をザックリと斬られていた。

 トラバサミを怪力で無理やり抜け出して振り返った時には、またしても下手人の姿は消えていた。

 

「さっきからチマチマと・・・うぜぇんだよ!!だが・・・」


 狒々は頭に血が上りやすい性格だが、馬鹿ではない。

 二回とはいえ、攻撃を喰らったことで敵についておおよその特性を掴んだ。


(姿はほぼ見えねぇ上に、速い。霊力はそこそこってところだが、力は大したことがない)


 狒々が顔をなぞった時、そこにあった傷口はすでに癒えていた。

 背中の傷も、すでに血は止まり、ほぼ塞がりかけている。

 狒々の剛毛は硬く、並大抵の刃を通すものではない。

 それを突破できたことは人間にとって快挙と言っていいが、有効打には程遠い。


(数が何人いるか知らねぇが、この程度なら一晩中喰らおうが俺は倒せねぇ。どう考えても、人間どもがへばる方が先だ)


 高位の妖怪は、人間の霊能者を大きく上回る身体能力を持ち、治癒能力やタフネスもすさまじい。

 人間であるならば首の動脈を斬られたり、背中を思いっきり斬られれば致命的だが、大妖怪はその程度では止まらない。

 ひるがえって、狒々に襲い掛かって来ている敵は間違いなく人間であり、身体強化を使おうがいつまでも戦いを続けられるというわけではない。

 傷を負えば即座に癒すことは難しく、霊力も狒々に比べれば少ない。

 ならば、持久戦になれば大妖怪である狒々に大いに分があった。


(せいぜい粋がってろ。ばてたらすぐには殺さねぇ。手足引きちぎってから、一本ずつ食ってやるよ)

 

 しばし、狒々と影たちの戦いは続く。

 狒々の大木のような腕が縦横無尽に振るわれるが、影を捕らえることはできない。

 むしろ、腕の隙間を縫って届いた刃が狒々に次々と傷を増やしていく。

 だが、絶え間なく背後や真横から襲い掛かって来る影の刃を受けながらも、狒々に大して堪えた様子はない。


「はっ!!無駄なんだよ人間が!!いくら俺を切りつけようが・・・」

『・・・野間瑠君、首の背中側を狙ってください!!』

「わかった。影刃!!」

「がっ!?」


 微かに女の声が聞こえたと思った直後、狒々の首に刃が突き刺さった。

 それはこれまで通り、浅い傷しか残せなかったが・・・


『やっぱり!!あの猿、首の近くに霊力が集まってます!!』


 狒々の首の傷は、塞がる気配を見せなかった。

 正確には、少しずつ流れる血の量は減っている。

 しかし、それは他の箇所の傷に比べれば微々たるものだ。

 刃が刺さった個所は、狒々の体内を流れる霊力の主要な通り道。

 人間の血管で言うのなら、頸動脈に当たる、狒々の急所であった。


『毛部君は、足を狙って隙を作ってください!!高い位置にあるから、攻撃は野間瑠君に任せます!!』

「「了解!!」」


 弱点を見破った後の人間たちの行動は素早かった。

 これまでヒットアンドアウェイで斬りつけてきた影が狒々の近くで動き回って貼りつき、それで生じた隙に遠くから矢のように飛んできた刃が首を狙う。

 これには、さすがの狒々も防御を固めざるを得なかった。


「こ、このクソ人間どもっ!!」


 首筋を両手で包みながら蹴りを放って影を攻撃するも、素早く動く影には当たらない。

 

「二連影閃!!」

「チィッ!!」


 それどころか、両手に刃を持った影に軸足を斬りつけられる始末。

 しかし、急所以外の傷はすぐに癒されてしまい、ダメージになっていない。

 こうなってしまえば、千日手であった。

 そして・・・


「オラァッ!!」

「っ!?」


 影が狒々の足を斬りつけた瞬間、肉に食い込んだ刃が抜けなくなった。

 狒々が全身に力を籠め、筋肉を締め上げたのだ。

 影はとっさに刃を全力で抜こうとしたが、疲労が蓄積し始めた状態では時間が足りなかった。

 大妖怪と人間のスタミナの差が表れ始めたのだ。

 そもそも、力の強い妖怪と戦うことそのものが人間の精神に多大な疲労を与える。

 狒々も知らないことだが、2人の影は大物と戦うのはこれが初めてであり、こんな状況で一切ブレずに戦えるのはどこぞの妖怪を恐れないキチガイくらいのものである。

 

「死ねぇっ!!」


 狒々はそのわずかな間のみ、腕を外して足元の影に拳を振り下ろそうとする。

 刃を引き抜くことに意識を裂いていた影に、その一撃は避けられない。


『や、山坊!!アレ使って!!』

「了解ッス!!」

「ぐおっ!?め、目がっ!?」


 しかし、そうはならなかった。

 高く上げられた拳が振り下ろされる直前、狒々の顔の前を素早く何かが通り過ぎた。

 何かが手に持った袋から玉のようなモノが飛び出して狒々の顔に当たり、煙が濛々と立ち込める。

 その煙に怯んだ狒々が攻撃を中断した刹那、足元にいた影は刃を回収して離脱していた。


『毛部君!!だいぶ疲れてるみたいだから回復して!!ミィちゃん!!薬持ってきて!!』

『野間瑠君はその間に首を攻撃して時間を稼いでください!!』

「これでも喰らえッス!!」

「ミスター毛部!!これを!!」

「悪い!!助かる!!」

「これ手元に戻ってくるんだから回収する必要ないだろ!!影刃!!って、ああっ!?」

「うおっ!?オイラに当たるところだったッス!!」

「悪い!!ごめん山坊!!」

「このクソどもがぁぁあああああっ!!」


 指示が重なり、公園の中をいくつもの影が行き交う。

 口に巾着袋を咥えた猫が影の1人に袋の中身を渡し、飲み薬の入った瓶を取り出した影は一気に中身を呷る。

 その間にも空を飛ぶ鳥のような生き物が、狒々の周りを遠巻きにグルグルと回りながら煙玉を投擲して狒々を足止めし、もう1人の影が煙を見透かすように投擲をする。

 

「こ、このっ!!いい加減にしやがれぇぇええええええっ!!」

『っ!?霊力が高まった!?全員下がってくださいっ!!」


 だがここで、これまで散々手玉に取られてきた狒々の怒りが爆発した。

 その怒りが狒々の霊力を昂らせ、術を発現させる。

 辺りに立ち込めていた煙が、一瞬で吹き飛ばされた。


「まさか、人間とカス雑魚妖怪程度に使うことになるとは思わなかったぜぇ・・・」


 狒々は猿に似た妖怪であり、主にその身体能力を生かした物理攻撃を行う。

 しかし、追い詰められた時には、その身に込められた風属性の霊力を解き放ち、大竜巻を起こす。

 今も狒々の周りには風が渦巻き、周囲の木の枝や石が巻き上げられて嵐となっていた。

 弱点である首には特に勢いの強い風が固まっており、投擲で突破することはできそうになかった。


「コイツを使うのは強ぇヤツだけと決めていたが・・・もういい。これでグシャグシャのひき肉にしてやるよ!!」


 狒々が腕を全力で横凪に振るった瞬間、暴風が辺りに吹き荒れた。

 アスファルトがめくり上げられ、人の頭ほどもある瓦礫が四方八方に飛び散る。

 人間と下級の妖怪にとっては致命的な威力であり、攻撃するどころか、回避さえおぼつかなくなるだろう。

 狒々は嗜虐的な笑みを浮かべ、恐怖に染まった連中の様子を楽しもうとしたが・・・


『みんな!!『鱗』を使って!!』


 またも女の声が小さく響くと同時に、吹き荒れていた風に変化が起きた。

 公園の至る所を荒らしまわるような流れが変わり、影たちのいる場所を避けるように曲がり出す。

 影たちは皆、薄い膜のようなモノに包まれており、それが風を遮っているのだ。

 

「なっ!?なんだそりゃ!?」


 狒々は驚きの声を上げた。

 それは、自身の切り札を無効化されたこともそうだが、それ以上に影たちから立ち上る霊力の質に対してだ。


(ありえねぇっ!!本能でわかる!!あの霊力はヤバい!!)


 狒々は常世で生き抜いてきた大妖怪。

 本来、現世には大穴を通る以外にくる方法はない。

 そんな狒々から見て、今の影たちが展開している膜の大本は、自身よりも遥かに高位の化物だ。

 

『・・・よしっ!!皆、三郎の準備が終わったわ!!山坊とミィは下がって!!』

「わかったッス!!」

「了解デス!!」


 鳥のような妖怪と、猫モドキが走り去っていく。

 その直後。


(っ!?今度はなんだっ!?冷てぇ!?)


 狒々の身体を、すさまじい悪寒が襲った。

 まるで空気が凍り付いたような冷たさ。

 思わず腕で体を抱え込んでしまうほどだ。

 気が付けば、身体に纏っていた風も弱まり始めている。

 

『トラップ使うわ!!三郎も合わせて!!』

「へい!!」

「ちっ!!またかよっ!!」


 狒々の足元に、再びトラバサミが食らいつく。

 狒々の力ならば簡単に抜け出せるが、それでも数秒の時間がかかる。

 そして、その数秒ですべてが決した。


「いきますぜ!!『龍泉』発動!!」

「ぐおおおっ!?」


 橋の下から聞こえた声とともに狒々を襲ったのは、これまでとは比べ物にならないほどの悪寒。

 足元から全身にビリビリと雷が落ちたかのような痛みと凍るような寒さが駆け巡る。

 痛みの発生源となった地面を見てみれば、いつの間にかバチバチと火花を立てながら地下水が湧き出しており、狒々を中心とした円が描かれ、その中に不気味な霊力が立ち込めていた。


(これはっ・・・!!毒かっ!?だが、ここまでヤバい毒なんぞ、人間ごときに用意できるはずが)


 狒々は全身を襲う痛みに呻きながらも、その正体を探る。

 毒だということまでは理解できたが、そこから先はまったく分からない。

 大妖怪たる狒々を行動不能に陥らせるほどの猛毒など、人間に作れるものではない。

 だが、現実として今の狒々は毒に侵されている。


(やべぇ・・・逃げねぇと!!くそっ!!最初から逃げておけば・・・)


 毒の散布そのものは数秒の間だけだった。

 それでも、狒々に蓄積したダメージは相当のモノ。

 毒で腐り果てたのか、トラバサミは消えており、今の狒々を縛る枷はなかったが、狒々の動きは遅々としたものだった。

 その頭をよぎるのは、後悔。

 相手が人間レベルの雑魚しかいないと侮り、切り札を伏せていることに気が付かなかった己の判断への呪い。

 しかし、その後悔すら、すぐに消え去ることになる。


「影雨!!」

「影嵐!!」


 動きの鈍った狒々など、影にとっては的でしかなかった。

 土砂降りのように降り注いだ刃の雨と、一拍置いて暴れ狂う斬撃の嵐。

 首の背中側にはハリネズミのように刃が突き刺さり、喉元はスッパリと切り裂かれていた。


「ぐ・・・が、あぁ・・・」


 そうして、小さくうめき声を上げながら、大妖怪狒々は現世の公園で果てたのだった。



-----

 

「ふぅ~・・・」

「勝った、のか・・・?」


 狒々が倒れた後、影たち、毛部と野間瑠は手にしたナイフでツンツンと狒々の死骸を突いていた。

 全身が疲れ切っていたが、普段から厳しく言い聞かされていたのだ。



--いいか。人外ってのは生き汚い。殺したと思っても油断すんな。



「・・・動き、完全に止まってるよな?」

「ああ。首とかズタズタだし・・・」

『えっと・・・私から見ても、もう死んでると思いますよ?』

『あたしもそう思うわ。っていうか、それでまだ生きてるならあたしたちだけじゃどうにもなんないって』


 先ほどまで狒々の情報や味方のコンディションを確認していた物部姉妹も加わり、狒々の状態を入念にチェックし・・・その結果、間違いなく倒したと判断する。

 その直後。


『よくやった、お前ら。テストは合格だ』

『少々危ない場面もありましたが・・・無事、倒せましたね』


 男と女の声が木霊した。


「すごいよ!!みんな!!大妖怪を倒しちゃうなんて!!」

「・・・現世に来る前の妾より、やや劣る程度か。よく怯えずに最後まで指示をだしたな。比呂奈、比呂実」


 そして、それまで誰もいなかったはずの茂みから、2人の人影が現れる。

 新しく現れた者たちは皆、その場にいた毛部たちを褒めた。

 声の主は、京、メア、久路人、雫である。

 京とメアの2人は、物部姉妹がいる月宮家の母屋からの通話であったが。

 

『お前らにも話したが、近々いろいろと物騒な状況になるかもしれねぇからな。最悪、俺たちが白流を出ることもあるかもしれねぇ。そんな時、お前らが戦えるなら心強い』

『忘却界の中に行かなければならないことも考えられます。純粋な人間であるあなた方なら、そんな場合でも対応ができる。大穴クラスの妖怪を倒せるのならば当面の問題はないでしょう』


 先ほどまでの狒々との戦いは、京の言うようにテストだ。

 じきに起きると思われる旅団との戦い。

 激戦となれば、七賢の京どころか、久路人たちまで現場に向かわなくてはならない状況も充分に考えられる。

 そんな時に備え、白流の守備兵力を鍛える意味で毛部と野間瑠をはじめとして、常世から逃げてきた烏天狗の山坊、猫又のミィ、河童の三郎のような弱小妖怪には戦闘訓練を施していた。

 戦闘には向いていなくとも、感知能力に優れた才能のあった物部姉妹には術具の扱いを教え、月宮家から指示を出す司令塔として鍛えた。

 そうして、その集大成のテストとして、常世から大穴を通らなければ出てこれないような大物を例外的に連れてきての討伐を行わせたというわけである。

 その結果は、見事合格。

 突出した個の武力はなくとも、種族を超えた集団での連携によって、1人の犠牲者も出さずに狒々を討伐してみせた。


「いやあ・・・これだけ色んなサポートがあるからっスよ」

「そうそう。特にこのお守りがなかったら、あんなに動けなかったと思います」


 もちろん、京としても実戦形式のテストとはいえ安全面はしっかりと取っている。

 毛部と野間瑠、そして妖怪たちが持っている護符が最たるものだろう。



『身代わりノ符』


 白流の結界の中という条件付きで、致命傷を受けた時に一度だけそのダメージを肩代わりする護符。

 ただし、大妖怪クラスの存在が持っていても効果はない。


「一回ならやられても大丈夫っていうのあったけど、防御とか回復用のアイテムがあるっていうのもデカいよな。飲んだら疲れが吹き飛んだし」

「術技を何回も使ったら、すぐに霊力が空になるもんな。あの薬があればそこも心配いらないし・・・って、何っ!?寒いっ!?」

「・・・チッ!!」

『し、雫さん!?』

『どうしたんですか!?すごい瘴気出てますよ!?』

「あはは・・・僕からするとちょっと複雑かな」


 戦闘の最中、暴風を防いだ膜や毛部が飲んでいた飲み薬。

 あれも、毛部たちが戦う上で頼みの綱にしていたアイテムだ。

 なぜだか、久路人は苦笑いをし、雫の機嫌が一気に不機嫌になったが。



『龍の鱗』


 久路人の龍形態から剥がれた鱗を加工した術具。

 雷、土、風、毒、精神干渉への耐性が大きく上がる他、火、水にも多少強くなる。



『龍の霊薬』


 霊地に生える霊草を原料にした飲み薬に、久路人の血の希釈液を混ぜたモノ。

 久路人の『薬』の効果により、飲んだ者の体力や疲労、霊力を大幅に回復させる。

 ちなみに、味はオレンジジュースと変わらない。


「貴様ら、今回は見逃してやるが、次にあの薬を飲むようなことになってみろ・・・生まれたことを後悔するぐらいの訓練で、二度と負けないくらい鍛え上げてやる。あの薬を飲む必要がなくなるくらいにな」

「「ヒッ!?」」


 久路人や雫は超高位の人外であり、その素材は強力な術具になる。

 特に久路人の『薬』の霊力は人間にも無害で、回復や強化の効果を持った術具を作る際には最適の素材だ。

 それ故、毛部と野間瑠は久路人に由来する術具をいくつか持っている。

 それが雫にとってはいたく気に入らないらしい。

 頭ではそれが有用だとは分かっているが、とにかく気に入らないのである。

 特に、久路人の血が混じった『龍の霊薬』については。

 そして、精神衛生上、毛部と野間瑠は薬の正体について詳しく教えられていない。

 さすがに、薄められているとはいえ友人の血が混じった飲み物だと聞かされれば、多少は飲むのに躊躇したかもしれない。

 

『さすがは雫さんの瘴気・・・普段抑えてたって言うのは本当だったんですね』

『最後に使った罠とかチートじみてたもの。ほとんどアレが決め手になってたし』



『龍泉』

 

 雫の瘴気を久路人の霊力でコーティングした発煙筒型のトラップ。

 その危険性ゆえにマニュアル操作で起動させる必要がある。

 雫の瘴気に由来するため、水に親和性があり、水をかけることで遠隔爆破も可能。

 その効果は強烈で、中級以下なら即死。大物妖怪であってもしばらく行動不能になる。


「あのトラップ、俺たち結構離れてたのに、それでもヤバいって思ったもんな」

「月宮君、本当によく水無月さんと付き合えるというか・・・もう一生水無月さんの傍で抑えててほしいよ」


 雫の説教から解放された2人は、寒気をこらえながら、狒々を弱らせた毒を思い出す。

 久路人が薬ならば、雫は毒。

 敵への攻撃用の術具ならば雫由来の素材の方が向いている。

 ただし、人間が扱うには危険すぎるため、久路人の霊力でコーティングしなければ携帯はできない。

 今回、狒々に大きな隙を作るために使われた『龍泉』は雫の瘴気を詰めた爆弾であり、毛部と野間瑠、白流警備隊にとっての最大火力である。

 また、他にも山坊が投げていた煙玉や、比呂奈が遠隔で捜査していたトラバサミにも雫の毒気がわずかに含まれている。

 あちらは取り回しの良さを重視したために、久路人の霊力の割合の方がかなり多いのだが。


『おいお前ら、喋るのはその辺にして撤収しろ。後片付けは俺らがやっとくから』

『妖怪の解体は、さすがに私たちが担当しますので。皆さまはお戻りを。久路人様、雫様、我々が到着するまでその場で監視をお願いします』

「あっ、はい。わかりました」

「うむ」


 それからしばらくの間、気分の高揚していた面々は会話に興じていたが、京の一声で解散となった。


『とりあえず、今日はご苦労さん。テストとはいえ大物を倒したんだ。お前ら、ボーナスは期待しとけ』

「マジですか!!」

「普通でも20万もらえるんだから・・・みんなで倒したとはいえ、どれくらいもらえるんだろ」

『よっしゃ!!怖いの我慢して付き合った価値があったわ!!』

『ね、姉さん・・・』

「オイラ、新しい錫杖が欲しいッス!!」

「ミーは、服と帽子が欲しいデスね。オシャレに終わりはないのデス」

「あっしは、新しくキュウリ畑を広げる土地とハウスを融通していただければ・・・」


 そうして、久路人と雫をその場に残し、狒々を討った者たちは家路についたのだった。



-----


 

「本当に、強くなったな・・・」


 人気の消えた公園の中。

 狒々の死骸を見ながら、久路人は静かに呟いた。

 それは、久路人の本心だった。

 その言葉には、毛部や野間瑠、物部姉妹に白流警備隊への称賛の念が込められている。

 しかし、雫は気付いた。


「本当に、みんな強くなってるよ・・・」

「久路人・・・そうだね」


 久路人の様子は、一見して普段と変わりない。

 だが、その言葉に混ざるのが、プラスの感情だけでないと。

 それを示すように、久路人の拳はきつく握りしめられていた。


(みんなは、成長してるのに・・・)


 毛部と野間瑠たちは、大物を倒して見せた。

 久路人や雫からすれば一撃で終わるような相手だが、人間が相手取るには大きすぎる敵。

 それを倒せたのは、皆の努力があってこそ。

 彼らの頑張りが嘘偽りでなかったために、しっかりとした成果を見せたのだ。


(それに引き換え、僕は・・・)


 一方で、久路人と雫の訓練は、頭打ちとなっていた。

 一向に神格に至る気配はなく、陣が使えるようになる気配もない。

 京とメアにも勝てず、敗北ばかりが積み重なる。


(情けない・・・本当に、情けないよ)

 

 心の内で、久路人は独り言ちる。

 その胸の内は、焦りと不甲斐なさに満ちていた。


「・・・・・」


 そんな久路人の内面に気付いていながらも、雫は何も言わなかった。


(今の久路人に、下手な慰めは逆効果っぽいね・・・)


 久路人は、とても真面目な性格をしている。

 だからこそ、自分の不甲斐なさが許せず、焦りを覚えているのだ。

 そんな久路人に、現状を許すかのような慰めは受け入れられないだろう。

 一時は持ち直しても、根本的なところが変わらなければ今の久路人はこのままだ。

 それが、雫には手に取るように分かっているのだ。

 だからといって、雫が何もしないということはありえないが。


<・・・メア?>

<・・・なんでしょう?わざわざプライベート回線とは。猥談ですか?>

<お前と一緒にするな!!そんな用事のはずがなかろう!!>


 雫は、こっそりとメアと念話を始めた。

 この方法ならば、短い間とはいえ久路人にバレる恐れはない。

 

<・・・明日なのだが、一日訓練を休む。構わんか?>

<この時期にわざわざそんなことを言い出すということは、それなりの理由があってのことなのですよね?>


 メアは当事者なので当然だが、今の久路人たちの状況を良く知っている。

 今の久路人たちは目標をまるで達成できておらず、無駄に使える時間などない。

 そんなことは雫も充分理解しているはずである。


<当然だ。むしろ、現状をどうにかするために休むと言ってもいい>

(・・・訓練でも久路人様には焦りが見られますが、雫様は違う。どうやら、雫様の方は気付き始めているようですね)


 だが、雫にも何らかの考えがあってのことようだ。

 そしてメアは、おおよそ雫の思惑を察した。

 それは、京とメアの予想通りでもあったからだ。


(気付くのならば、まず雫様の方が先だと思っていましたが、その通りでしたね)

<・・・ならば構いません。京にも伝えておきましょう>


 メアは、雫の申し出を受ける。

 京とメアの思惑通りならば、明日の休みは遠回りに見えて、大きなショートカットになるだろう。


<助かる。ああ、だがついでに揃えて欲しいモノがある>

<なんでしょう?アダルトグッズですか?>

<だからなんでお前はそっちの方向に行くのだ!!・・・・・だが、まあ、その、よさそうなのがあったら頼む。久路人とのプレイに使いたい>

<ええ~・・・>


 メアとしては冗談のつもりだったのだが、マジで食いついてきた雫に若干引いた。


<待て!!お前が言い出したことだろう!!お前が引くな!!ええいっ!!話を戻すぞ!!妾が欲しいモノはな・・・>


 そんなメアに対して気まずそうにしながらも、『コホン』と一つ咳払いをして・・・


<誰の邪魔も入らない、一日だけでも、妾と久路人だけが入れる場所を、見繕ってもらいたい>


 雫は、そう言うのだった。



-----


 時はいささか遡る。


(ナゼダ・・・ドウして)


 暗い、暗い闇の中。

 晴はその暗さが一切気にしていないかのように、己の中に問いかけていた。


「まったく!!苦労かけさせてくれたよねっ!!」


 己の前には、1人の少女がいた。

 少女の手には、髑髏の取り付けられた杖が握られており、そこから伸びた鎖が、己の穢れ切った肉体を縛り上げていた。

 四肢は砕け散り、尻尾も半分以上が千切れ飛び、頭は地に伏している。

 その二つある首の内、晴の頭を少女は踏みつけていた。


「グ・・オォ・・・」


 すぐ隣から、うめき声がした。


(アア、タマ、ノ・・・)


 晴は、ぼやけきった頭で、世界で一番愛している女のことを想う。

 そして、自身に問うのだ。


(ナゼ、ナゼ、タマノが、コレホド、苦シマナケレバ、ナラナイ)


「ガ、アァァアア・・・・!!!」

「うわっ・・・まだ動けるのお前っ!!いい加減、寝てろってのっ!!」

「グォオオ・・・」


 すぐ隣のうめき声に呼応するように、己の中の悔しさと怒りを吐き出すように吠えれば、少女の苛立ちが込められた蹴りが頭を激しく揺さぶった。

 それでも、晴の中にくすぶる想いは一向に消えない。


(タマノは、タシかに、ツミをオカした・・・ダガ、コレホドマデの、シウチを、ウけるホドか)


 晴。

 彼は、かつて久路人と雫に襲い掛かった九尾、珠乃の夫。

 はるか昔、珠乃と結ばれた後に人間たちに殺され、彼の死が珠乃を復讐に駆り立てることになった。

 そして、死した後も晴の魂は珠乃と共に在った。

 珠乃の所業のすべてを、共に見てきた。

 己の妻が壊れていく様を、まざまざと見せつけられてきた。

 それ故に思うのだ。


(オレだけガ、バツをウケるノハ、オレだけデ、イイはずダロウ・・・オレが、オレこそガ・・・)


 珠乃が死後もそのすべてを穢されるほどの罪を犯したというのならば、それを背負うのは己であると。

 確かに、珠乃は多くの人間を殺めてきた。

 だが、その発端となったのは晴が助け、救ってきた人間たちであり、殺された己だ。

 晴は、今でも後悔をし続けている。


(オレと、デアワナけれバ・・・オレと、ムスバレナければ・・・オレが、アンナ、コトバをノコサなけれバ・・・)


 晴は殺された。

 晴を殺したのは、晴が薬師として住んでいた村人だ。

 その村人は、患者を装って晴に近づいてきた。

 人を疑うということをほとんどしない晴は、何も怪しむことはなく、無防備に背中を向け、そこを何の変哲もない包丁で刺された。

 その高すぎる霊力のために体が弱かった晴には、その傷は致命傷となった。

 村人は村にやって来たとある男にそそのかされていたのだ。

 のちに珠乃が調べた結果、その男は晴の一族だったのだが、男はこう言ったらしい。


『あの男は妖怪に誑かされている。おかしいとは思わないか?なぜ君たちはそんなに痩せているのに、あの男と妻は元気なのか』


 当時、妖怪や人間同士の戦で荒んでいた村人は、あっさりとその言葉に釣られた。


『俺たちが飢えているのに、なんであいつらは平気な顔をしてるんだ!!』

『あいつらは、人間じゃない!!』

『俺たちも、いつか食われちまうんだ!!』


 そして、晴は殺されたのである。

 消えゆく意識の中、晴が想ったのは珠乃のことだけだった。

 

(オレのことなんて、忘れて、生きてくれ)


 珠乃は、優しい妖怪だった。

 そんな珠乃のことだ。

 下手をしたら、己の敵討ちなんて考えるかもしれない。

 珠乃には、そんな血生臭いことをして欲しくなかった。

 晴は、自分の着物に己の血で文字を書いて残した。

 しかし、炎に焼かれ、その言葉は一部しか伝わらなかった。



--生きて

 


 その言葉は、珠乃を縛る呪いと化した。

 片割れを失ってもなお生き続けるしかなかった珠乃に、もはやまともな心を保つことなどできなかった。

 晴の危惧したように、珠乃は人間への復讐に取りつかれてしまった。

 そうしなければ、珠乃は夫との約束を破り、自害するしかなかったから。

 つまりは・・・


(オレが・・・オレが、タマノに、コロさせタ・・・ワルいのハ、オレだけダ・・・)


 一番悪いのは、晴なのだ。

 晴はそう思っている。


(オレが、オレが・・・)


 確かに珠乃は罪を犯した。

 しかし、珠乃に罪を犯させたのは晴であり、仮に珠乃に落ち度があったとしても、それはあの神の使いによって殺されたことで清算されてしかるべきだ。

 今のように、死してなお辱めを受けるほどの罰など、背負うのは己だけでいい。

 珠乃はもう、充分すぎるほど苦しんだ。

 己がすべての責を負うから・・・


(タマノは、タマノだけは・・・トきハナッて、クレ・・・)


 もう、珠乃をこれ以上苦しめないでくれ。

 ああ、誰か、誰でもいいと、晴は懇願する。

 同時に・・・


(タマノを、スクッて、クレ・・・ソウ、でナケれば・・・)


 それは、不浄の身に押し込められたが故か。

 あるいは、晴もまた長きにわたる旅路でため込んできたのかもしれない。


(ノロって、ヤる!!)


 呪う。


(ナゼ、ドウして、タマノが、ココまでクルシマなけれバ、ナラナい・・・タマノを、セメる、セカイなど・・・ノロイ、コロしてヤル!!)


 世界を呪う。

 それは、珠乃が至った想いと同じモノ。

 珠乃もまた、晴こそが救われるべきで、地獄に墜ちるのは己のみでいいと思うからこそ願った願い。


「あっ!!ヴェル君っ?うんっ!!ちゃ~んと、九尾は捕まえたよっ!!うんっ!!じゃあ、マリも戻るねっ!!・・・う~んっ!!じゃ、帰ろうかっ!!最後のパーツも手に入ったしねっ!!ふふっ!!もうすぐっ!!もうすぐだっ!!」

「グ、ガァ・・・」


 人間の少女とは思えない力で鎖に引きずられながらも、晴、そして珠乃の中に、黒い炎が燃え盛る。

 その炎には、少女も、かつて晴を捕らえた死霊術師も気付いていない。

 その炎が解き放たれるのは、少女の言う通り、もうすぐそこのことなのであった。

設定


『神格』


 神に迫るほどの高い霊力を持ち、世界に対して強い変革を望む者が至った位階。

 神格に至った存在を神格持ちと言う。

 神に近いということは、世界の管理者に近づいたということ。

 神格に至った者は、己が得意とする領域において絶対に近い支配権を持ち、その力には一部の例外を除いて神格を持つ者でなければ対抗できない。

 神格持ちは、そこに至った瞬間に己の支配領域である『陣』を習得する。

 あるいは、己だけの世界を持つが故に、神格に至ると言える。

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