白流怪奇譚4
そろそろ4章もシリアスいれっかな・・・
「ん~・・・!!疲れた」
クーラーのきいた図書室の中で、僕は大きく伸びをした。
「お疲れ様・・・なんか、夜にパトロールする時よりも疲れてない?」
「そりゃあね。身体が頑丈になったからただ戦うだけならなんでもないけど、普段やらないことをやると身体を使わなくても疲れるよ」
「夏休みの課題だっけ。えっと、数年以内の昆虫に関する研究論文のレジュメ提出で、論文は海外の掲載雑誌限定で3つは選択すること・・・面倒くさそう」
「うん。でも、これで2本目が終わったよ。来年研究室に入ったらこういうことを何度もやんなきゃいけないっていうのはちょっと憂鬱だなぁ」
僕らがいるのは僕が通う大学の図書館だ。
今の時代、論文の検索などインターネットでいくらでもできるのだが、家にいると色々と誘惑があるので、散歩がてら大学まで来たのである。
周りを見れば、同じようなことを考えてきたのであろう学生の姿があちらこちらにいた。
「ふむふむ、『ハダニの食害と、それに誘発される揮発性物質による天敵の誘因』ね・・・うん、結構わかりやすくまとめられてると思うよ。専門用語の解説もしっかりしてるし」
「こういう時、雫がいると助かるよ。僕、こういう課題を見せ合うみたいなことする間柄の人いないし」
「ふふん!!これでもしっかり高校のテストとかセンター試験もこの大学のボーダーは越してたもんね!!そういえば、センター試験ってもうなくなるんだったっけ」
僕が作成したレジュメを雫に渡すと、雫は少しの間それに目を通し、読みやすさや分かりやすさを評価してくれる。
さっきまで僕は印刷した論文を読んでいて、その間雫は暇そうにしていたのだが、暇つぶしということで僕が分からなかった英単語を代わりに調べてくれたりもしていた。
数百年前から生きる妖怪であるにも関わらず、雫は英語が得意なのだ。代わりに文系科目は苦手なのだが。
ともかく、同じ学部にそこまで仲の良い知り合いのいない僕にとって、雫の存在は恋人だということを除いても非常にありがたい存在であった。
「さてと、それじゃあキリのいいところまで終わったし、そろそろ出ようか」
「うん。あ~、でも、また熱いところまで出るのは嫌だなぁ・・・ねぇ久路人、この辺、少し冷やしてもいい?」
「う~ん・・・自衛とかそういうの以外で力を使うのは止めといたほうがいいと僕は思うなぁ。ただでさえ、今はまだ結界が不安定みたいだし」
「それもそっか。それにしても、まだ霊脈が安定しないなんて、おかしいよね?」
「おじさんも、そこは変だなって言ってたよ」
図書館を出て、日の当たる構内を歩く。
話題に上がったのは、この街を覆う結界と、その動力源である霊脈のことだった。
「結界の崩壊や霊脈の暴走のきっかけは確かに僕らだったんだろうけど、それが2週間以上も続くなんて、おかしいってさ」
「どこか他の土地で、なんか事件が起きてるとか?」
「『何かほかに原因があるんじゃないのか?』とは言ってたけど、今のところ現世の忘却界がないところでおかしいことは起きてないらしいんだけどね。おじさんが前に日本中を周った時も異常はなかったみたいだし。今回は幻術対策も完璧だから、見落としはありえないって」
僕が人間を止めた際の霊力の暴走で、この街にあった結界は崩壊し、周辺の霊脈も不安定になった。
しかし、霊脈というのは大きな河の流れのようなもので、一時波が起ころうと、しばらくすれば勝手に収まるはずなのだ。
それがここまで長期間にわたって継続するなど、早々あることではない。
きっかけは僕たちだったのだろうが、どこかに僕たち以外で霊脈を乱し続けるナニカがある可能性が高いというのがおじさんの言だ。
これまでも存在していたものが表に出たのか、僕らが起こした異常に呼応して新しく現れたものなのかはわからないが。
「でもこれでちょっとは肩の荷が下りたんじゃないの?久路人、ずっと気にしてたでしょ?」
「まあ、少しはね。でも、原因が僕たち以外だからって、まだまだ穴がそこら中に開いたりしてるんだし、放ってはおけないよ」
雫の言う通り、僕はここ最近の穴の頻発や、それに伴う妖怪の跋扈に罪悪感を覚えていた。
おじさんから、原因のすべてが僕たちではないと聞かされた時は少しだけ気が楽になったが、それでもこの街の人々が妖怪に襲われる可能性が高いのは変わらない。
ならば、僕がやるべきこともまた変わらない。
「そういうところ、久路人って本当に真面目だよね・・・ま、久路人がその気なら当然私も手伝うよ。私も少しは責任感じるしね」
「うん。ありがとう・・・でも、今日は夜までまだまだ時間があるけどね」
「そうだねぇ・・・あ、久路人、食堂寄ってかない?暑いし、小腹が空いた感じもするし」
「いいよ。確かに、少しお腹も空いたし、何か適当に軽いの頼もうかな」
改めてやるべきことを確認しつつ雫と歩いていると、ちょうど食堂の近くを通り過ぎるところだった。
しばらく飲食禁止の図書館で課題をこなしていたので、喉も乾いているし、休憩がてらにちょうどいいということで、僕らは食堂で休んでいくことにした。
「そこそこ人がいるな・・・」
「お昼を自分で作るのが面倒っていうタイプかもね」
夏休み中ではあるが、僕のように課題をやりにきたのか、サークル活動のためか、食堂の席は半分ほど埋まっている。
それを尻目に、食堂の食券で雫の分も一緒に軽食を頼んでから、よく座る席に向かって歩く。
雫は昼の間は他の人間には見えないので、会話をしながら食べるには少し目立たない席を選ぶ必要があるのだ。
食堂の隅にある、普段人気のないテーブル席が僕らの定位置であり、普段の半分程度しか人のいない今ならば当然空いていると思ったのだが・・・
「あれ?」
「あ、人がいる」
珍しいことに、僕らの定位置には先客が座っていたのだった。
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その姉妹にとって、今のこの街は地獄だった。
「はぁ・・・」
「ちょっと比呂実、さっきから辛気臭いため息ばかっりしないでよ。こっちまで気分悪くなるじゃない」
「ご、ごめんなさい・・・で、でも、本当にどうしようって思ったら、つい・・・姉さんは」
「あたしに分かるわけないでしょ・・・何か考えがあったら、とっくにやってるわ」
「そ、そうだね。ごめんなさい・・・」
大学の食堂にあるテーブルで、姉妹は昼食を食べていたのだが、テーブルの上にある皿はすでに空になっている。
しかし、二人とも席を立つ様子はない。
かといって、席に残って何かをするでもない。
ただ、建物の外に出たくないと思っているかのようだった。
確かに今は夏で、空調の整った食堂の外は少し歩いただけで汗ばむような陽気だが、二人の顔の暗さが、そんな軽い理由ではないと物語っていた。
「・・・本当に、なんなのよアレ。この街に来てからおかしなモノを見かけることはあったけど、最近は数が多すぎでしょ」
「う、うん。ここに編入したばっかりの時には、私たちのことなんか気にしてなかったみたいだったのに、最近は追いかけてくるし・・・」
二人の悩みの種。
それは、最近この街にはびこり始めた『化物』のことであった。
二人は白流市の外にある大学に通っていたのだが、2年生になった時にカリキュラムの変更のために分校である今の大学に編入した。
そして、この街にはおかしなモノがそこかしこにいることに気付いたのだ。
だが、周りの同級生などに相談しても、『そんなモノは見えない』と返されるばかり。
ただ、そういった変なモノは大抵ひとりでに動き回る石ころやら、手足の生えた果物のようなナニカといった、気持ち悪いが積極的に危害を加えてくるモノではなく、こちらから構わなければいつもどこかに去っていくのが常だった。
元々怖い話は結構好きな方で、ネットの怖い話を読み漁っていた二人はそういった経緯もあって次第に慣れていき、近ごろにはほぼ気にしないようになっていたのだが、2週間ほど前に状況が変わった。
街の中に出てくるおかしなモノの数が増えただけでなく、明らかにこちらに敵意を持ったようなモノが現れ始めたのだ。
特に夜になると自分たちを殺しかねないような狂暴で強そうなモノが徘徊するようになり、二人はここしばらくはどちらかが見張りのために起きるようになっており、ろくに眠れていなかった。
「で、でも!!ここにいる時は、あんまり変なのが出ないよね。た、多分そういう場所が他にもあるんじゃないかな・・・」
「だとしても、どうやってそんな場所を探すのよ。昼の間にあんまりあいつらがいないところだって、夜になると出てきたりするのよ?いちいち試すようなことをしてたら、命がいくつあっても足りないわよ。この街の神社みたいな場所にもいるし、ここにだって、あたしたちがいつまでもいるわけにはいかないでしょ」
二人がここにいる理由は、そこの席の周りにだけ、なぜか妙なモノが寄ってこないのだ。
食堂の中にナニカが入り込んでくることはそこそこあるのだが、それでも今二人が座るテーブルの近くには寄り付かない。
安息の地を求めて街の神社やらお寺やらを一通り巡った二人であったが、今のところ最も安全な場所はそこのテーブルなのだった。
ただ、最初にここの存在に気付いても、睡眠不足で余裕がなくなるまでは、二人も近寄ろうとはしなかった。
何故なら・・・
「姉さん。やっぱり、ここに前に座ってた人なら、何か知ってるんじゃ・・・」
「だ、ダメ!!それはダメよ!!あんなヤバそうなの連れてたヤツがまともなわけないでしょ!!」
今よりもおかしなモノの数が増える前、二人は一度食堂で見たのだ。
正真正銘の化物を。
「白い着物に、真っ赤な眼・・・地面から浮いてたし、周りがなんか寒かったけど、そんなのよりも、アレには近づいちゃダメ!!ううん、近づきたくない!!理由はわからないけど、アレに関わっちゃだめ・・・」
ソレは、街で見かけるモノよりも、見た目はずっとまともだった。
抜けるような白い肌に、整った顔立ち。
恰好は古風な着物だったが、少なくとも外見だけなら恐ろしいモノではなかった。
だが、ソレは異様だった。
単純な姿かたちではない。ソレの身に纏う雰囲気は、今までの人生で味わったことがないほどに禍々しいモノだったのだ。
さらに、ソレから放たれるこの世の汚物を集めて煮詰めたような悪臭は、嗅いだだけで明らかに有害であると察せられるほどで、死を連想させるものだった。初めて遭遇した時にはよく気絶しなかったものだと内心自分たちを褒めてやりたいくらいだ。
一言でいうのならば、一度その存在を知ったのならば絶対に二度と関わりたくないと心の底から思うほどの、まさしく『化物』であった。
その化物の傍には人間が一人いたが、正直その化物の印象が強すぎてよく覚えていない。
しかし、あんな化物と一緒にいられるようなヤツが普通の精神をしているとはとても思えなかった。
「け、けど!!ここにいても同じだよ!!ここはあの人たちが座ってた場所なんだから、もしかしたら戻ってくるかもしれないんだよ?どうせ会っちゃ、うん、なら・・・・・」
今後のことについて、喧嘩になりそうな雰囲気で話し合っていた二人だったが、『比呂実』と呼ばれた妹の方が不意に言葉を止めた。
その顔は文字通り顔面蒼白と言えるほどに青白く、脂汗が噴き出ている。
「?いきなり黙って何よ?どうしたのよ?」
「あ、う、う、うし、後ろ・・・」
「後ろ?後ろが何だって言う、の・・・ヒッ!?」
そんな妹の様子を不審に思い、怪訝な顔をする姉は妹に問いかけるが、返事はろくに舌の回っていない言葉と震える指だった。
今が昼間であることと、そこが安全な場所であるという認識があったのもあるだろう。
姉は妹の指差す方向を反射的に見た。
そして、小さく悲鳴を上げた。
「えっと・・・僕に何か用ですか?」
「いきなり人を指差すなんて、礼儀のなってない連中だな」
そこには、今まさに話題に上がっていた、こちらに絶対零度の視線を向ける『化物』と、そんな化物を連れた頭のおかしい男がいたのだから。
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「僕の名前は月宮久路人。ここの農学部の2年生です」
「見えているようだから名乗ってやるが、妾は水無月雫・・・久路人の彼女にして婚約者、今の時点で実質妻のようなものだ」
食堂の4人掛けのテーブルで、僕らは対面に座る女子に自己紹介をした。
僕は至って普通の口調で。
雫はいつも以上に僕との距離を詰めながら、どことなく棘のある口調で。
「・・・ふんっ」
鼻を鳴らしながらも、雫は僕の腕をぐいっと取って肩にもたれてきたが、これは雫なりの牽制なのだろう。
相手は恐らく霊力を持った、可憐という言葉の似合うような女子二人。
普通の人間にとっての非日常で、僕らにとっての日常に踏み込める同性とあらば、雫が警戒しないはずもない。
性別が逆だったら、僕だって同じような行動をとる確信がある。
「あ、あのっ!!、わ、わたっ、わらひはっ!!」
「・・・・・」
僕たちに応えようと思ったのだろう。
二人の内、髪が長い方の子が自分の名前を名乗ろうとして、咬みまくっていた。
もう一人のボブカットくらいの子は顔面蒼白のまま震えており、とても挨拶ができそうな様子ではない。今すぐ病院に行った方がいいのではないだろうか。
「そんなに焦らなくても、ゆっくりで大丈夫ですよ」
「ご、ごめっ、ごめんなさい!!・・・ふぅ~、はぁ~・・・あ、改めまして、わ、私は、物部比呂実っていいます。理学部の2年です」
「物部さんですね、わかりました。えっと、では、隣の方は?なんか顔つきが凄くよく似てますけど、もしかして双子ですか?」
「っ!?」
ロングヘアの大人しそうな女子、物部さんがつっかえながらも自己紹介をするが、隣に座る整った顔立ちをした、髪型以外瓜二つの子は黙ったままだ。
僕がそちらに視線を向けると、ビクッと震え、目を伏せてしまった。
「そ、そうなんです。こちらは私の双子の姉で・・・ね、姉さん、ほら」
「・・・も、物部比呂奈」
姉さんと呼ばれた子が促されて、やはり震えたままだったが、ボソリと呟くように名前を名乗った。
視線は一度もこちらに向けられていない。
「物部比呂奈さんですか。あの、どっちも物部だと、呼ぶ時はどうすれば?」
「な、名前で大丈夫です。私たち、よく一緒にいるので、他の人たちからも区別がつくように名前で呼んでもらってるので・・・」
「・・・・チッ」
「わかりました。なら、比呂実さんと比呂奈さんって呼びますね。それで、僕らのことを知っているみたいでしたけど、何かありましたか?」
僕が他の女子を下の名前で呼ぶことが気に食わなかったのだろう。
雫が不機嫌そうに舌打ちをして、僕の腕を掴む力が強くなったが、それには触れずに問いかける。
自己紹介だけでも大分時間がかかってしまったが、僕らがこうして向かい合って座っているのは、僕らの定位置に座っていた彼女らが、僕らのことを指差して固まっていたからだ。
明らかに僕と、普通の人間には見えない雫に対して反応を示しており、何か用でもあるのかと思ったのだが、二人はただ口をパクパクと開け閉めしながら震えるばかり。
昼にも関わらず雫が見えていることもあったが、その様子を見てただ事ではないと思い、少々強引だが対面に腰掛けたという訳である。
なお、その間雫はずっとしかめっ面をしていた。
「そ、それは・・・」
本題について聞くも、比呂実さんは俯いてしまった。
隣の比呂奈さんに至っては、さっきから下を向いたまま肩を震わせるばかりで会話もできそうに・・・
「・・・よ」
「え?」
「ね、姉さん?」
そこで、震えてばかりだった比呂奈さんが、ボソリと何かを呟いた。
「いい加減にしてよ・・・全部、全部お前らのせいなんでしょっ!?」
「へ!?」
「ね、姉さんっ!?」
かと思いきや、突然ヒステリックに叫び始めた。
「この街におかしなモノがいるのも!!あたしたちが狙われるのも!!全部、全部全部お前ら化物のせいなんでしょっ!?」
「ね、姉さん!!落ち着いて!!」
「うるさいっ!!あんたも何こんなのと普通に話してんのよ!!あたしたち、いつそこの女に殺されるかわかんないのよっ!?そっちの男だってそんなのの彼氏とか言われてて、信用できるわけないでしょ!?」
比呂実さんがなだめようとするも、比呂奈さんは増々ヒートアップするだけだった。
というか、いきなり大声を出すものだから、周りの席に座っていた人たちも怪訝な顔をこちらに向けている。
これはちょっとまずい。
「・・・うるさいぞ」
「「・・・っ!?」」
僕が『さて、どうしたものか』と内心で困っていた時、雫が一言口にした。
その瞬間僕らの座るテーブルだけに霜が降り、比呂奈さんと、巻き添えを喰らったかのように比呂実さんもピタリと動きを止める。
「さっきからキンキンと甲高い声で喚くな。不愉快だ。妾はともかく、久路人に不快な叫び声を聞かせるなよ痴れ者が」
「「・・・・・!!」」
僕の肩にもたれたまま、けれども不機嫌そうに雫は続ける。
そんな雫に、二人はまさしく蛇に睨まれた蛙ように一切の身動きが取れなくなっていた。
そんな様子を少しの間、雫はじっと見ていたが、やがて視線を逸らして『はぁ・・・』とため息を吐いた。
「・・・久路人」
「・・・わかった」
そして、一瞬だけ僕の方に視線を向ける。
『私に任せて』と言うことだろう。単に僕と他の女性が口を利くのが嫌なだけかもしれないが。
僕は小さく頷いて、雫に任せることにする。
「いきなり不躾に指差してきたことといい、ヒステリックに喚きだしたことといい、正直妾としてはお前たちは気に食わん。しかし、そっちのお前の言ったことは間違ってはいない」
「「え!?」」
雫が雰囲気をやわらげたことか、それとも雫の告げたことが衝撃的だったのか、怯えて動けなくなっていた二人は思わずと言うように声を上げた。
「とはいえ、すべてが妾たちのせいという訳ではないぞ。この街に妖怪が一時多く現れたのは妾たちが原因だが、今もそこらをうろついているのは別の何かのせいだ。妾たちが呼び寄せてしまった連中はほとんど倒してしまったし、そもそもお前たちが狙われるのは、お前らに霊力があるからだ」
「れ、霊力?私たちに、その、ま、漫画とかみたいな不思議な力があるってことですか!?」
比呂実さんが、食いつくように聞いてきた。
ガッ!!と身を乗り出して、近づいて来る。
「えっ?それは・・・」
雫ではなく、雫がもたれかかっている僕の方に。
「そ、そっちのヤツが言ったことって、どういう意味?あたしたちが襲われなくなるには、どうしたらいいの?」
比呂奈さんもまた、一瞬雫の方を見てから、すぐに僕と視線を合わせてそう言った。
二人とも、その眼が言っていた。
((そっちとは話したくない!!怖い!!できればどっか行って欲しい!!))
河童の三郎もそうだったが、僕と雫がペアでいると、雰囲気的に大抵僕の方に会話のベクトルが向くのはもう仕方がないのかもしれない。
雫を僕以外にあまり見られたくないと思う僕としては歓迎すべきですらある。
だが、この場においてソレは悪手である。
「・・・貴様ら」
「「ヒィッっ!?」」
ビキビキとテーブルの上に降りた霜を、霜柱に成長させながら、雫が低い声を出す。
「せっかくこの妾が寛大にも話をしてやっているというのに、その態度は何だ?あまつさえ、その眼・・・貴様らにどんな権利があって、妾と久路人を引き離そうとしている?ああ?」
「し、雫・・・」
「「・・・・・っ!!!!!!!」」
目に見えるんじゃないかと思うほどの濃密な怒気をほとばしらせて、雫がひと睨みすると、二人は再び動けなくなっていた。
(なんというか、まあ無理もないというか・・・雫の毒気全開ならこうなるよね)
「「・・・・・!!!!!」」
雫は僕以外のすべてにとって、本人の好感度による程度もあるが存在そのものが毒だ。
ましてや、この二人はまず女性という時点で大幅にマイナス補正がかかり、そこに霊力を持っていることや僕の方に話しかけてくるなどで雫の怒りを買っている。
さすがの雫も命を取る気はないようなのでこれでも加減しているのだが、それでもろくに異能の力に関わってこなかった人間に耐えられるはずもない。
しかし、これでは話が進まない。
「ほら雫、落ち着きなって」
「む!!でも久路人!!こいつらが・・・!!」
「わかるけど落ち着いてってば。ほら」
「わっ!?く、久路人?」
猛る雫をなだめるも、ヒートアップした雫は中々止まらない。
だが、僕がしなだれかかって来る雫を僕の真正面に招き、後ろから包み込むように抱きしめると、驚きながらも怒りを鎮めたようだった。
「ほらほら、リラックス、リラックス」
「あ・・・はふぅ~」
そのまま雫の肩をポンポンと軽く叩いていると、驚いていた雫も段々と和んできて、すぐに蕩けたような表情になって僕に寄りかかって来る。
(ま、これなら大丈夫かな・・・)
「じゃあほら、続き続き」
「ん。わかった・・・ふむ、どこまで話したかな?お前たちが霊力を持っているとかいうところだったか?」
「え?あれ?」
「う、動ける?」
突然その身に襲い掛かっていた重圧が消えたためか、二人は驚いたように自分の身体を見回していた。
(雫が毒だっていうなら、僕は薬だからね)
僕以外の全生物に毒な雫だが、その毒気を中和する方法が一つだけある。
それは、毒の反対である薬としての性質を持つ僕だ。
僕と雫が肉体的、精神的に超至近距離にあり、かつ二人ともにリラックスしている時のみ、雫の毒気は大幅に薄まるのだ。
簡単に言うと、僕と雫がお互いを深く想い合い、くっついて和んでいる状態である。
なお、夜の運動会中はお互いハッスルして、肉体と精神と霊力的な分泌物が色々出るので、むしろ危険だったりする。
(・・・だいぶ思考がそれたけど、これで大丈夫なはず)
「お前たち、聞いておるのか?」
「あっ!!ご、ごめんなさい!!聞いてます!!」
「聞く!!聞くから殺さないでぇっ!!」
「あ~、そんなに怯えずともよい。別に妾にお前たちをどうこうするつもりはないからな・・・久路人に色目を使わん限りは」
「だ、大丈夫です!!絶対にそんな気は起こしませんから!!」
「あ、あたしも!!全然タイプじゃないし!!」
「うむ。それでいい。久路人のことを愛しているのは、この世で妾だけで十分だからな・・・そうそう、それで霊力についてだが・・・」
(・・・まあ、大丈夫そうだしいいか)
別に雫以外の女の子にどう思われても気にしないが、なんとなく釈然としなかった。
そんな僕を尻目に、毒気を中和した雫は二人に最近の状況について説明するのだった。
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「・・・という訳だ。今この街は向こうの世界から妖怪どもが侵入しやすくなっていて、お前たちのように霊力を持っている人間は良質な餌として狙われやすい。霊力が生命力や精神力に由来する故に、妖怪に対して恐怖でも関心でも、なんらかの感情を向けている場合は特にな」
「そんなことになってたの・・・なら、妖怪について考えないようにするとか、無視するのがいいのね」
「私たちが霊力を持っているのは生まれつきなんですね・・・なんか超能力みたいの使えると思ったんですけど、使えないのはちょっとショックかも」
「妖怪への対処はそれで問題ない。霊能力についても、お前たちくらいの霊力量では大した術は使えんな。むしろ、下手に術を使おうとする方が狙われやすくなるぞ。そこも気にしないほうが無難だな。生兵法は大怪我の基だ」
そうして、一通り雫は話を終えた。
物部姉妹も最初はおっかなびっくりだったが、瘴気のない雫は存外に話しやすかったらしく、次第に普通に会話ができるようになっていた。
雫もまた話している内に二人のことが心配になったのか、説明も丁寧で、聞かれたことにはしっかりと答えていた。
雫は、僕が絡まないことでは見ず知らずの人間でもそこそこ寛容な方なのだ。
なお、会話の最中には、僕は一切喋らず、雫の頭を撫でていた。
不用意に僕が女子と喋ると、今のようにくっついていても雫の機嫌が急転直下するのは目に見えている。
「でも、今妖怪がたくさんいる理由はわからないのよね?原因は、最初はアンタたちだったけど今は違うって言うし・・・それは、解決できるの?」
「そこは、今は確かなことは言えんな。ぬか喜びをさせてしまうかもしれんし。だが、この街を管理する術者は優秀だ。そう遠くないうちに結界の安定化まではできるだろうよ。そうなれば、夜でも襲われることはあるまい。原因の根本的な解決については、まだ目途は立っておらんがな」
「そう遠くないうちに、ですか・・・それは、いつくらいになりそうです?今はまだ夏休みだからいいですけど、もしも後期が始まるまで続いたら、その、ちょっと困るというか」
雫の話を聞き終えた物部姉妹だったが、事情は理解できても、解決が早期にはできないと知ったからだろう。
比呂実さんは不安そうな顔をしながら雫に対策を尋ねていた。
日常的に妖怪に襲われる経験は僕にもわかる。
まだ戦えるようになる前には、日々うっとおしい想いをしたものだ。
ましてや彼女たちには僕とは違って頼れる護衛もいない。
その恐怖まで理解してあげられるとは言えないが、さぞかし恐ろしいだろうし、不安だろう。
「すまんが、そこもなんとも言えんな。だがまあ、原因の一端が我らにもある以上、補填はしよう・・・ほれ、妾の使い魔を付けてやる」
そんな彼女たちに感情移入したのか、それとも自責の念からか、雫は最近使えるようになった使い魔作成の術で、水の蛇を作っていた。
「わっ!?水の蛇!?」
「す、すごい!!これが術!!」
「ふふん!!小さいが、そこらの妖怪には簡単に勝てるぞ。万一勝てないようなのがいたとしても、すぐに妾に伝わるからな。その時は我らが飛んでいこう。安心して夜も寝ているがいい」
初めてちゃんとした形で異能の力を見た物部姉妹が、興奮したような声を上げるのを、雫はどこか得意げに見ていた。
なんというか、初めて会ったころの雫もこんな感じだったと、少し懐かしい気分になる。
あの頃の雫は、自分ができることや知ったばかりのことを見せびらかすのが好きで、よくドラマの流れについてネタバレされたものである。
「そいつは水属性だが、火と風も使える。夏は冷房、冬は暖房もこなせるぞ。まあ、持続は精々3日かそこらだろうが、それだけあれば霊力を封じる道具が調達できる。用意ができたらそいつを介して知らせよう。その時は、もう一度ここに来るといい。今日のところでできるのはここまでだな」
「は、はい!!ありがとうございます!!」
「あ、ありがとう・・・最初は、怒鳴っちゃってごめんね」
身の安全を保障し、僕が昔使っていたような護符を渡す約束を交わしてから、今日はお開きということになった。
「気にするな。さっきも言ったが、原因には我らも無関係ではない。まあ、久路人のことを悪く言っていたら許さなかったがな」
「・・・その、さっきから思ってたんですけど、お二人とも本当に仲がいいんですね」
「人間のカップルでもアンタたちくらいイチャついてるのはいないと思うわ・・・」
「うむ!!妾と久路人はもう夫婦のよなものだからな!!というか、久路人からプロポーズされたからな、妾」
「そ、そうなんですか?」
「今は普通に話せるけど、最初に見た時みたいな雫さんに告白できるって、度胸あるのね・・・って、ごめん!!もう月宮君のことは見ないから睨まないで!!」
「・・・・・」
「・・・ふん」
去り際に、相変わらず雫の頭を撫で続ける僕に、感心したかのような、呆れたような視線を向ける。
だが、得意げでニコニコと笑みを浮かべていた雫の目つきが一瞬で鋭くなったのを見て、二人は慌てて僕から視線を逸らす。
そんな二人の様子を、雫はしばらくじっとりした雰囲気で眺めていたが、やがて鼻を鳴らすと警戒を解いた。
「この街で心穏やかに長生きしたければ、あまり久路人に妙な眼をむけないことだな・・・お前たちに付けた使い魔が、妾の作ったモノだというのを忘れるなよ?」
「は、はい!!肝に銘じます!!」
「じゃ、じゃあ、あたしたち、もう帰るから!!」
「ああ。気を付けてな。護衛がいるとはいえ、あまり人気のないところには行かん方がいいぞ」
そうして、今日最初に会ったときのように怯えながら物部姉妹は去っていった。
「ふぅ~・・・久しぶりに久路人以外の人間とこんなに話したかも」
「お疲れ様、雫」
二人を見送った後、僕はしばらく閉じていた口を開く。
確かに雫の言うように、雫が僕以外とここまで長話をしていたのは初めて見るかもしれない。
「ん。私頑張ったよ。ご褒美にもうちょっと撫でて」
「はいはい・・・でも、本当に珍しいよね。雫が僕やおじさんたち以外でこんなに喋ったの」
「まあね~・・・今まで私のことが見える人間とあんまり会わなかったもん。他の霊能者の連中は白流市に入ってこれなかったし」
雫を見ることができて、かつ普通に話し合いができる相手というのは、ほとんどいない。
大抵の妖怪は雫を見ると逃げるか襲い掛かるかの二択であり、人間で雫を認識できる者もいなかった。
僕としても、霊能者の一族以外で霊力を持った人間に会うのは初めてだ。
「ごくまれに、突然変異みたいに霊力を持って生まれてきたり、穴の近くで暮らして後天的に霊能者になる人もいるって聞いたことはあったけど、本当にいるものなんだね」
「忘却界ができる前には結構いたけどね。今の時代は忘却界の中だと霊力に触れる機会もないだろうし、あの二人みたいに実は霊能者だけど気付いていないってパターンもあるかもね。特にあの二人は力も弱かったし・・・そういえば、あの二人ってどうやって白流市に入ってきたんだろ?霊能者って弾かれるんじゃなかったっけ?」
「さあ?おじさんのことだから、物部さんたちみたいに自覚のない人たちのために何か仕込んでたんじゃないかな?それか霊力の量とか?」
「京なら確かにその辺のことも考えてそうだしね・・・どのくらいあの二人みたいな人間がいるのかは知らないけど」
今の現世は人外の力や穴の発生を抑制する忘却界が広く展開されており、ほとんどの人間は異能の力を創作の中だけに存在するものと思い込んでいる。
昔はそこら中に今の白流市のように穴が開きまくっており、世界に満ちる瘴気の量が多かったために霊能者も珍しいものではなかったらしいが、今ではそういった一族でもない限り人外を認識できるほどに霊力を持っている人間は激減したとおじさんは言っていた。
雫の言う通り、霊力があっても自覚のない者だっているのだろうが。
「まあ、忘却界が『異能の力なんて存在しない』って認識を集めて展開してるようなモノだからね。自分が霊能者だって気付かれたらむしろ困っちゃうよ」
今の現世の平和は、忘却界があってこそのものだ。
そうホイホイと霊能者が溢れてしまっては、忘却界ごとその平穏も崩れてしまうだろう。
「というか、術を犯罪に使う人間とか出てきそうだしね」
「あ~・・・いるかもね。学会はそういう人間も取り締まってるらしいけど、忘却界の中だと派手なことはできないだろうしね」
人間と妖怪の融和を目的とする学会は、霊能者の犯罪を裁く機関でもある。
忘却界の外に別の結界を張っている霊能者の一族などには、定期的に監査役を送っているという話だ。
白流市だと、学会幹部のおじさんとその護衛たるメアさんが治めているために免除されているとのことだが。
「そう考えると、今の私たちって学会の仕事に近いことやってるのかな?犯罪者じゃないけど、さっきの二人の相談とか、この前の三郎のこともだけど」
「かもね。まあ、僕としては嫌いじゃないけどさ」
三郎の時も思ったことだが、まっとうな感性をもった妖怪が安心して暮らせるようにすることも、物部姉妹のような人間たちが妖怪に怯えないように過ごしていけるようにすること、どちらもやりがいのある仕事だ。
「って、大分時間が経ってるな。もうすぐ夕方だよ」
「あ、本当だ。どうする?このままパトロール行く?」
「う~ん・・・さすがにこの課題を持ったまま行くのはなぁ・・・いったん戻ってもいい?」
「ん。大丈夫だよ」
そこでふと時計を見ると、もう時計の針は4時を指していた。
最近は少しづつ日も短くなってきたことだし、そろそろ僕らもここを離れた方がいいだろう。
夜になったら、今日も暴れる妖怪を退治することになるのだから。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん!」
そうして、僕らはオレンジ色に染まり始めた空の下を、自転車に二人乗りして家路につくのだった。
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「・・・あ~あ、な~んかつまんないな~」
そこは、薄暗い部屋だった。
ベッドの上で、安っぽいコスプレをした少女が横になり、プラプラと足を動かしながら、手に持ったスマホで動画を眺めている。
その動画には、まさに今の恰好をした少女が、道化のようにおどけながら踊る姿が映っていた。
動画の中の少女は踊りを終え、トークに移る。
その内容は巷にあふれる都市伝説を題材にしたもので、噂に真実味を持たせるような内容だった。
話が進んでいくにつれ、かき込まれるコメントの数が瞬く間に増えていく。
『俺もその話知ってる!!』とか、『それデマだよ』とか、『俺、本当に見たことある・・・』など、少女に肯定的なものも、否定的なものも、果ては嘘かどうかわからないものまで。
「ちぇ~。どれもこれも嘘くさ~い」
しかし、コメントを流し読みする少女の顔は浮かないままだった。
さっきまで見ていた動画を閉じて、これまでに投稿した過去の動画一覧を開く。
「最近は動画の伸びはいいけど~・・・それだけじゃ意味ないし~」
ゴロゴロと寝転がりながら、少女は動画の再生数やコメント、お気に入りをチェックする。
その数字は動画投稿者の中では中々のもので、ここしばらく右肩上がりに増えてはいるが、少女の顔は退屈そうだった。
まるで、自分の用意したクイズで、全員がひっかけに騙されて、正解にたどり着いた者がいなかった時の出題者のように。
自分が本当に気付いてほしいこと、伝えたいことに、気付いてもらえなかったアーティストのように。
「む~・・・やっぱ、つまんな~い」
やがて数字を目で追うのにも飽きたのか、少女はスマホをポイッと放り投げた。
そしてそのスマホは・・・
「う゛う゛・・・」
薄暗い部屋の中で、逆さづりにされた男の身体に当たった。
硬質なモノが突然身体に当たったことで、男からうめき声が漏れる。
男は、その顔に目隠しと猿轡がかまされているが、それでも顔立ちが整っているとわかるほどの端正な顔立ちをしていた。
顔には隠すモノを着けているものの、服は何も身に着けていない。
筋肉質な身体には汗が滲んでおり、床には汗の垂れた跡が水たまりになっていた。
「あ、忘れてた。そういえば君がいたね」
「う゛あ゛・・・」
「あ~ごめんごめん!!今それ外すからね」
全裸の男が部屋の中で逆さづりされているという異様な光景だったが、少女がそれを気にする様子はない。
今も、まるでペットの犬のリードを外すかのような気軽さで、男の顔から目隠しと猿轡を外す。
そして、少女がパチンと指を鳴らすと、男を吊り下げていてた幾本もの細長い糸が一斉に切れて、男の身体が床に鈍い音を立てて落ちた。
「それで、気分はどう?身体は痛くない?」
自分の事をマリと呼んだ少女は、倒れ込む男の傍で座り込んで、その顔を覗き込んだ。
その表情は、ごく普通の少女が体調の悪い人を心配するときのように慈しみに満ちたものだったが・・・
「ヒィッ!?」
すぐ近くに迫ったマリを見て、男は情けのない悲鳴を上げた。
そしてすぐさま床を這って逃げようとする。
少しでもマリから距離を取ろうと言うかのように、己の爪が剥がれるのにも構わず、床を叩いて自分の身体を押す。
そのまま、薄暗い部屋の唯一のドアに向かって、進んで・・・
「あ、ちょっと待ってね」
「あがっ!?」
ドアに手が届く寸前で、男の身体を再び細長い糸が絡めとった。
「別にこの部屋を出ていくのはいいんだけどさ、その前に聞きたいことがあるんだ」
「・・・・・!!」
今度は立ったままの姿勢で吊り上げられた男だったが、その身に起きた理解不能な現象か、目の前の少女か、はたまたその両方が原因なのか、その瞳には恐怖しか映っていなかった。
そんな男の様子を知ってか知らずか、マリは笑顔のまま問いかける。
「ねぇ、マリのこと好き?愛してる?」
「あ、ああ、あ・・・」
だが、男はあまりの恐怖のためか、ろくな返事ができていなかった。
ただただ、舌がもつれるばかりである。
「あはっ!!そんなに怯えなくても大丈夫だよ。ゆっくり、落ち着いて?・・・もう一度聞くよ?マリのことは好き?」
「あ、愛してます!!」
しかし、マリがそんな様子の男をいたわるように少しだけ待ってから問うと、男は追い立てられたように答えた。
「え!?本当!?私のこと好きになってくれたの?」
「は、はい!!お、俺は、貴方のことが好きですぅ!!」
「そうなんだ!!嬉しいな♪ねぇ、それってさ・・・」
男の返事を聞いて、マリの整った顔に花が咲いたような笑顔が浮かぶ。
恐怖に引きつった男の顔とは対照的に、まさしく恋が実った乙女のように、マリは無邪気に喜んだ。
そして、さらに男に顔を近づける。
「あなたの恋人よりも?」
いつの間にか拾い上げたスマホの画面を見せながら、そう聞いた。
そこには、仲睦まじい様子で笑う男と、マリではない少女が映っていた。
しかし、男は顔を青白く染めながら口を開く。
「は、はい!!貴方が!!その女よりも、貴方が好きです!!」
「ふふ!!そうなんだ?へぇ~、そうなんだ?ふふ、ふふふふふ!!」
それは、肯定の言葉だった。
内心はどうあれ、マリという少女を受け入れる言葉だった。
それは、否定の言葉でもあった。
内心はどうあれ、恋人を突き放す言葉だった。
そんな男の言葉に、マリは鈴の鳴るような声で笑い・・・
「ふふふ!!・・・はぁ、もういいや」
「え?」
「期待外れだよ、君」
唐突に、その顔から表情が消え失せた。
同時に、クイッと指を動かすと、糸が意思を持った蛇のように蠢いて、男の耳の穴の奥へと入っていく。
「オ゛っ!?」
己の脳が侵される感触に、男の顔は恐怖から苦痛の表情に変わる。
だが、それも一瞬だった。
「君、つまんなかったけどイケメンだからコレクションには加えてあげるね」
「・・・はい、光栄です。マリ様」
「ん。じゃあ、もう行っていいよ。部屋を出たら、君のお仲間がいるから、適当に大人しくしといてね」
「・・・かしこまりました」
すぐに人形のような無表情に変わると、それまで恐怖に追い立てられていたのが嘘のように落ち着きを取り戻し、マリの前に跪いた。
マリはそんな男をつまらなそうな目で見ていたが、やがて完全に興味を失ったのか、犬でも追い払うように手を振って男を退出させる。
そして、部屋にはマリだけが残った。
「あ~あ。こんなに仲が良さそうなら、ちゃんとヴェル君の言ってた真実の愛ってヤツを貫いてくれると思ったのに・・・ちょっと痛くしたくらいで手の平返すなんて、がっかりだよ、もう」
スマホに映る男とその恋人写真を少しの間眺めてから、ため息を吐いて写真を消去する。
それからもう一度、ベッドに倒れこむように横になった。
「はぁ~、やっぱりつまんない。ヴェル君はしばらく動けないし、狼君はどこにいるかわかんないし、カマキリちゃんは向こう側にいるし、真実の愛ってやつも見つからないし・・・本当にこの世にあるのかな、真実の愛って・・・見てみたいな、感じてみたいな。本当にあるのなら、マリも欲しいな・・・」
そうして、薄暗い天井を見ながら呟く。
知らず知らずのうちに、その顔つきを変えながら。
「どこにいるんだろう。可哀そうなマリを救ってくれる、運命の王子様」
その台詞を口に出した一瞬だけ、つまらなそうだったマリの顔には、ひび割れたような笑みが浮かんでいたのだった。
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