前日譚2
ハーメルンにも投稿してますが、そっちの方が一話早いです。
「それじゃあ、お前に今の世界のことを教えてやろう」
とある屋敷の一室で、その男はそう言った。
虫かごの中に閉じ込められた蛇は、かごを抱えた少年の膝の上でその声を聞く。
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『この世界は、一枚の壁で仕切られた水槽に似ています』
とある魔法使いは、世界のことをそう表現した。
人間の住まう『現世』と、妖怪や魔物のような人外の領域たる『常世』。そしてそれらを隔てる『狭間』。
世界はその三つに分けられる。
『ですが、その仕切りも完璧ではない。狭間には『穴』が空いている。そして、その穴を通って行き来ができてしまうのです。大抵の人間にとって不幸なことにね』
妖怪と人間は相容れない。
正確に言うならば、人間が妖怪を受け入れることができないと言うべきか。
妖怪に残虐で好戦的な者が多いのも理由の一つだが、最たるものは妖怪の発するエネルギーである『瘴気』だ。瘴気は人間にとって有害であり、本能的な恐怖や嫌悪をもたらす。
そして、妖怪は常世と現世を繋ぐ穴から侵入することもあれば、常世から漂う瘴気で現世の動物が変質して生まれることもある。
とはいえ、穴にはサイズがあり、どんな妖怪でも移動できるわけではない。
大抵の穴は小規模か、あっても中規模ほどで、大物が通ることはできない。
さらに、弱い妖怪ならば瘴気もほとんど出さないためにそこまで悪感情を持たれなかったりする。
『私の若いころは大変でしたよ。そこら中に『大穴』が空いていましてね。魔物・・・おっと、東洋では妖怪でしたか。まあ、人外が現世に現れ放題で、さらに穴が増える始末。そうしたら、大穴の空きすぎで仕切り板たる狭間がボロボロになってしまったんですよ。世界そのものを仕切る板が壊れでもしたら、一体どれほどの災害が起きるのか予想もできないですからねぇ』
しかし、サイズの大きい大穴と呼ばれる穴であれば、大物も通過可能だ。
そして質の悪いことに、大物妖怪が暴れることで大穴はさらに増えるし、大穴の傍には中小の穴も空きやすい。
大物妖怪の出現と大穴の増加による悪循環で、一時には世界そのものが大きく傷んでしまった。
狭間が壊れて二つの世界を遮るものがなくなった時、世界そのものが消滅する可能性すらあったという。
『力の強い妖怪は我も強いものですから、何を言っても聞きやしない。それでもまあ、協調性もないので単独で暴れるので済めばよかったのですがね。生憎と、彼女が、あの『魔竜』が現れてしまった』
ある時に西の果てに現れた、魔竜と呼ばれた怪物。
かの竜は、それまでまとまりのなかった人外をまとめ上げ、組織的に現世への侵攻を開始した。
『あの時は死ぬかと思いましたねぇ・・・結局はほとんど相打ちのような形で魔竜と引き分けましたが。まあ、個人的な理由を除いて大きな目で見ても、そのおかげで逆侵攻ではなく講和ができたのはかえって良かったでしょう。あの時は我々だけでなく彼女の陣営も疲弊していましたから』
その後、人間も魔竜に対抗して『学会』を組織し、魔竜との決戦に臨んだ。
戦いは七日七晩続いたが、最終的には『魔人』と呼ばれることになる賢者と魔竜のどちらも力を使い果たしてしまい、引き分けとなった。
厭戦的になっていた両陣営は講和を果たし、大穴を塞ぎ、現世と常世の間で不可侵条約が結ばれることになる。
そして、魔人と魔竜は共同でとある術を開発した。
『魔竜は人外のトップでしたが、人外のすべてをまとめきれていたわけではありませんでした。不可侵条約を締結しても数こそ少なくできましたが、破る者をゼロにすることはできなかったのです。そこで、私と彼女は『忘却界』を構築しました』
『忘却界』。
それは『現世と常世の関りはお互いのために最低限であるべき』という考えの元、現世に施された魔法。
その魔法は、人々の霊力と『異能など存在しない』という認識の集合体をエネルギー源にした魔法であった。
大本の意思を反映した結界によって現世全体を覆い、人外の力や穴の発生は抑制されるようになる。
この結界のおかげで、現代の人々は人外におびえることなく生きることができているのだ。
『現世では妖怪たちが暴れまわったこともあって、我々のような霊能者や異能の力もそこまで珍しいものではありませんでした。ですが我々が穴を塞いだこと、並びに科学が発達したことで、人々は妖怪や異能などというものを信じなくなったのです』
霊能者という存在は、瘴気にある程度適応できたことで異能の力に目覚めた人間のことを指す。
かつては大穴が空いていていた影響で瘴気の流入もあり、霊能者はありふれた存在だった。
それが大穴を塞いだことで新たな霊能者が生まれにくくなり、元々いた者たちの中で人に害なす者たちは科学の利器によって排斥され、そうでない者も排斥された者たちを見て、異能をその子孫にも隠すようになった。
そして、霊能者は段々と数を減らしていった。
『おかげで、人々の認識を誘導できるようになりました。まあ、エネルギー源が人間の認識と霊力である以上、霊能者の誕生や人間の持つ異能には効果がないのですけどね』
霊力とは、生命力や精神力がその魂にあてられて変質したエネルギーだ。
瘴気も妖怪から出た霊力を瘴気と呼んでいるのであり、霊力であるのは同じ。
そして霊能者でなくとも、人間はわずかながら霊力を持つ。
忘却界そのものが多くの人間が発するわずかな霊力の蓄積によって構築される異能。
さらには人間の魔法使いが発動したものであるために、人間が持つ異能との親和性が高く、その発現までは防げない。
加えて結界そのものの存続のために人間から霊力が失われることも許さない。
『先祖に霊能者がいた人間は霊力を受け継ぐことがよくありますし、突然変異のように多く霊力を持った人間は今でもごくまれに生まれます。そして霊能力に目覚めることもある。ジレンマですよ』
瘴気の濃度が薄い今の現世では、人外は霊能者以外に認識することができない。
だがごくまれに生まれる霊能者は、人外を見たり、自身の霊能力を見てしまうことで『異能など存在しない』という認識を持てなくなってしまう。
霊力の多い人間はそれだけ結界へのエネルギー供給量も多いのだが、異能を認識してしまうことでそのエネルギーはカットされる。むしろ、『異能は存在する!!』という認識によって結界に綻びができてしまうのだ。
『霊力を持つ人間は人外にとって良質な餌だ。異能の使用で発散される霊力や、霊力の素となる感情の発露ですら誘引剤になります。そして異能に関する知識が失われた現代では、それが人外を呼ぶことになることすら知られていないため、それを防ぐ方法も伝えられていない』
一人や二人の霊能者が気付いたくらいならば小さな穴すら空くことはないが、運悪く集団になってしまうとその地域では結界が薄くなり、中小の穴が開いて妖怪などが容易く侵入できるようになってしまう。
侵入してきた人外が狙うのは、比較的多くの霊力を持った霊能者だ。
『結界そのものを完全に壊してしまうという所までは行かないので、普通の人間には人外は認識できない状態のままなんですよね。それがまたタチの悪いことでして。人間の数の暴力で抵抗することもできないんですよ。味方が作りにくいんです』
結界の中に生まれた霊能者は往々にして孤独だ。
異能を見せようともそれが心から信じられることは少なく、人外を見せることもできない。
下手に危害を加えれば精神異常者と犯罪者の烙印を押される。
人間の一番の強みは数であるが、現代の霊能者には当てはまらない。
『まあ、かと言ってされるがままに人外に狩られるのを良しとするはずはないですが』
綻びの原因となる異能者たちが全滅すれば、異能を信じない人間の割合が増えることで結界は元に戻る。
しかし、異能者たちもそうそう自分から命を投げ捨てようとはしない。
それぞれが持つ異能で抵抗して生き残り、生き残った異能者どうし集まってお互いを守りあうようになった。
『こうして今の現世は、『大多数の結界に守られた一般人』と『人外に抵抗するごく少数の霊能者』に分けられました。霊能者たちは集まって『霊地』に拠点を築き、忘却界とは異なる結界を構築して、その中で身を守ることに成功している。まあ、おおむね平和と言っていいでしょう。ただし・・・』
霊地とは、土地そのものが霊力を帯びた場所で、忘却界の影響を受けにくい一方で穴が空きやすい場所だ。
塞がれて封印された大穴があったりするのだが、その土地の霊力を利用することで強力な結界を構築することができる。
古くからの霊能者の一族は、守りを固めた上で積極的に人外を狩ることさえしている。
ともかく、今の現世はその魔法使いと忘却界、さらには霊地のおかげで、表向きには平穏を保っていると言ってもいい。
だが、そんな平和を簡単に壊してしまえる存在もいる。
『『突然変異』が生まれた場合は別ですが』
本当に極めて稀なことであるが、突然変異的に『非常に強力な異能』を持った人間現れることがある。
その場合、単独でも結界を破壊してしまうことがあるのだ。
そうした人間の周りでは常に穴や人外が現れやすく、ある種の異界と化す。
質の悪いことにそうした人間を不用意に殺して排除したり、封印しようとすると異能が暴走して大事故が起きたり、最悪の場合にはその異能者の怨念が残って大穴が空くことすらある。
『他にも、色々と企み事を考えている人間もいますし、常世側にも不穏分子はまだまだ残っている。薄氷の上の平和ですよ。まったく』
そうして、男の前で書を持つ賢者はため息を吐きながらそう言うのだった。
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「とまあ、今の現世はなんとか平和を保ってるってわけだ。んで、この土地は世界でも有数の霊地で、この『月宮久路人』ってガキは、突然変異。わかったか?」
(長いわ!! もう少し短くまとめろ!!)
とある街の郊外にある一軒家。
その居間のテーブルには3人の人影と1匹の蛇がいた。
人影の1人は蛇を拾った少年、さきほど男に紹介された久路人であるが、長話が退屈だったのか、うつらうつらと船を漕いでいる。
2人目は今、どこか古ぼけたケージの中に入っている蛇の正面で話していた青年だ。
見た目は20代半ばから後半といったところ。恰好は何かの作業員のように小さなポーチが所々に付いたツナギを着ており、頭に着けているヘッドフォンがミスマッチだ。
「しょうがねぇなぁ。脳の容積の小さいお前のために三行で言ってやるとだ・・・
現世のほとんどの人間は便利な結界のおかげで妖怪なんぞ知らんし見えねえし襲われねえ。
力を持ってるやつは結界を壊すと知ってるが、まとまって抵抗してる。
久路人は一人で妖怪の遊園地が作れるくらいのやべーヤツって感じだ」
青年は久路人の肩を叩きながら、微妙にまとめきれていない要約をする。
(まとめ方が間違っておる気がするが・・・)
「あれ、おじさん僕のこと話してた?」
「ああ、お前がヤバいからこれからどうしようって話だな」
そこで、眠りかけていた久路人が目を覚ました。
久路人の言うように、この青年は久路人の現在の保護者であり、久路人の叔父であるらしい。
この青年も霊能者のようで、たまたま帰宅中に蛇を掴んで家路についていた久路人を見るや、蛇の正体を看破し、突如として何もない空間からケージを取り出したかと思えば、あっという間に蛇を閉じ込めてしまった。
最初は、『やはり蒲焼にするつもりだったか!!』とケージの中で暴れに暴れたが、キズ一つつく様子がなかった。
それで諦めの境地にいたのだが、月宮家の門をくぐった瞬間、蛇は自分のいるこのケージは自分を閉じ込める檻というだけでなく、自分を守る結界ということを理解した。
【一体何なんだ、この家は・・・・】
青年がケージと同じように取り出した耳当てのようなものは、人語の喋れない妖怪などと意思疎通するための道具とのことで、先ほどから蛇の伝えたい考えは青年に伝わっているのだが、今は伝わらないように意識しながら内心で呟く。
ちなみに、その道具はそれなりに繊細らしく、久路人が着けたがったが、『お前が着けたら速攻でぶっ壊れる』とのことで付けさせてもらえなかった。
久路人としては大いに不満だったようだが、眠っている内に忘れてしまったらしい。
【先堡から、嫌な気配しかしない・・・】
長年野生を生き抜いてきた、大妖怪の勘がけたたましく警鐘を鳴らしている。
蛇の周りをちらりと伺うような視線に気づいたのか、青年は得意げに言った。
「この家が気になるか?見せて回ってもいいが、そのカゴからは絶対に出るなよ? この家は材木の出所や刻んだ術式、間取りや構造までこだわって、お前らみたいな妖怪どもには罠満載の迷路になってるからな」
『まあ、今のお前ぐらいに弱ってりゃ大半は反応しねぇだろうがな』と青年は付け加える。
【この家は危険極まりない】
力のほとんどを失い、特殊な結界と化したケージの中にいても尚わかるくらい、この家には無数の術が仕掛けられているようだった。あるいは、わざと蛇に教えたのかもしれない。
それは恐ろしいまでの熱気を感じる炎を発する術だったり、あるいは底知れぬ谷底を覗き込んだときのような寒気を想起させる封印の術だったりと、そんじょそこいらの妖怪ならば門をくぐって一歩で消滅するだろうというものだ。
先ほどの口ぶりからこの家の術を考えたのは目の前の青年なのだろうが、有無を言わさずに連れてこられ、『まずは今の現世について話してやる』と長口上をのたまっていたせいで、名前すら伝えられていない。
(現世のことや、この童が型破りなのはわかったが、その前にお前は一体何なのだ?)
力を失った自分に何ができるということもないが、あまりに得体のしれない術者と話をするのは心臓に悪い。
「おお、そういや急で名乗ってなかったな。俺はこの月宮久路人の叔父で養父の月宮京だ。もちろん下の名前は偽名だがな」
(聞きたいのは名前などではない!)
「ああ、分かってるよ。俺の正体は、この現代の現世に生きるしがない『術具師』さ。表向きは建築家で通してるがな」
『術具師』
それははるか昔の妖怪が跋扈していた時代から存在する霊能者の職業だ。
直接妖怪と武器を持って戦うのではなく、その戦うための道具、いわゆる『術具』を作る者をそう呼ぶ。
瘴気を多く含む鉱物からそれそのものが特殊な武器を作ったり、ただの刀に霊体を斬れるような術をかけたり、その両方をこなす重要な後方要員である。
術具は様々な種類があり、蛇が封印される前に飲んだ酒や、京が付けているヘッドフォン、果ては月宮家そのものも術具と言えるだろう。
術具師はその性質から普段は比較的安全な拠点に籠っているが、妖怪たちに見つかったら何を置いても真っ先に狙われる役割でもある。そのため、昔から彼らは護衛を近くに置いているのだが・・・
【そこの女も、付喪神の類かと思ったが、この男が作ったのか? ここまで人間に似た生き人形を作れるとは、この家といい只者ではないな】
蛇の視線が、先ほどから会話に加わらないどころか、身じろぎ一つせず正座する3人目の人影に移る。
視線の先にいたのは、割烹着を着て紫がかって見える黒髪を馬の尻尾のように結んだ女だった。
蛇は温度に敏感な生き物だが、その女からは人間のような体温を感じるものの、所々に血の通っていない部分があるようで、なんともいびつな印象を受ける。
ただし、内に秘める霊力と、隙のなさ、自分の野生を生きた勘からするに、相当腕が立つのは間違いないだろう。
「そいつは俺の造った護衛兼嫁のメアだ。人造人間やら自動人形の技術でボディを造って、中身は死霊術と降霊術、精霊に付喪神を参考にした愛しのマイハニ―で・・・・」
「お初にお目にかかります。私はメアと申します。職務はこの屋敷および久路人様の警護、さらに穴があったら入りたいぐらいにはお恥ずかしいのですが、そこの人形に発情するとのたまう度し難い変態性の、どうしてお前のような愚物が我が造物主なのかと問いたくなるような男の護衛でございます。どうか、その狂人で早く警察のご厄介になるか、この世から旅立って欲しい雄の戯言は無視していただければ幸いにございます」
割烹着の女、メアは京の言葉をさえぎって、ため息が出るほどの正確さで蛇に向かって30°の会釈をした。
「おうおうなんだよツンデレか~!? いやぁ~、そんな風に振る舞うように作った覚えがないのにツンデレムーブできるくらい自我が発達してくれてハッピーうれピ・・・」
「死ね」
顔すら向けずに一言だけそう言うと、メアは再び石像のように押し黙った。
京の話を聞くに極めて人間に近い人形のようだが、付喪神のように自我を持っているようだ。
作り手との仲はあまりよさそうには見えないが。
「コホンッ!! まあ、俺のマイハニーは見ての通り素直じゃねぇのは分ってもらえたと思うが、そろそろお前をここまで連れてきた理由を話そうか」
【こいつ、術具師としてだけでなく、中身も大物なのかもしれんな】
『チッ』と自分の造った人形に能面のような無表情をしかめさせて舌打ちされるが、それを気にも留めずに話を続ける。
「あれ? 僕のペットにするからじゃないの?」
「惜しいがちげぇな。ペットじゃなくて、お前のボディーガード、つまり護衛として雇おうかって話だ」
(は?)
一瞬、何を言われたのか分からずに蛇は呆けた思考になった。そんな自分を置いてけぼりに、話は進む。
「久路人、お前もこいつが常世・・・『あちら側』のやつってことは気づいてんだろ?」
「うん、なんとなく。でも、僕を食べようとか悪いことは考えてなさそうだし、前に教室で家で飼ってるペットの話になって、ペット欲しいなって思ったし、蛇かわいいからペットにしようかなって」
ちなみに、久路人の通う小学校で先週出された宿題は『飼いたいペットについて原稿用紙二枚で作文すること』であり、久路人の提出した内容は蛇や蛙やトカゲについてだった。
「邪気を感じねぇってのは、他でもないお前が言うならその通りなんだろうが、腹の中に何もねぇってことはないと思うぜ?なにせ、そんな小さいナリで俺と話してるぐらいだからな。この蛇、人間並みに頭がいいぞ」
「えっ!? そうなの!? あの、その、それじゃあ、その・・・・勝手に連れてきてごめんさい」
「気にすんのそこかよ・・・・お前らしいけど」
何やら子供に頭を下げて謝られたが、イマイチ頭に入ってこない。状況が呑み込めないのだ。
「貴方様に、そちらにいる色々と頭のネジがおかしい方々の言うことを翻訳しますと、『貴方様の将来性を見込んで、久路人様の守護神として契約していただくためにお招きした』ということでございます」
(将来性・・・それに、契約に、守護神だと?)
「ああ、術具師は材料から完成品までの目利きができなきゃ話にならねえからな。お前、今はそんなナリだが、その体色に目の鮮やかさ、知能の高さ・・・・元はかなりの大物だったろ?」
メアに端的にまとめられ、京に自分の元々の姿を看破され、蛇は彼らの目的を理解した。
そして、これが自分にとって美味しすぎるくらいに都合のいい話だと気づく。
(確かに、その童を狙うものは多かろう。だが、妾にその童のお守をさせようと言うならば、妾の力を元に戻すのを手伝うということでよいのだな?)
「まあな。そうはいってもすぐじゃねぇ。これから数年かけて少しづつ霊力を分けて戻すって感じだな。当然、力が戻った後に久路人や俺、メアに手を出さねぇようにするのが条件だがな」
(数年だと?そうなると・・・)
「そうだ。お前には、久路人の霊力をやる代わりに、久路人を死ぬまで守るって契約を結んでもらう」
(ふむ・・・・断ったら?)
「そうなったら、最初に久路人が言ったみたいにペット、慰み者だな。んで、久路人に触れたら爆散するような護符をそこら中に仕掛けてやる。それか、どうしてもって言うんなら、さっきまでの話を『忘れてもらって』外に放り出す」
「え~?おじさん、それはかわいそうだよ」
「何言ってやがる。コイツみたいに無駄に知能の高いヤツをほっとく方が面倒なことになんだよ。そもそも、コイツにとってお前と契約を結ぶのはかなり都合のいい話だぜ」
「この家にとって害となるならば、即処分いたします」
メアが腕の関節当たりを捻りながらこちらに感情の読めない目を向け威圧するが、この話は蛇にとって渡りに船なのだ。
蛇にはかつての力も、頼るべき後ろ盾もなく、これからの展望などまるで見えていなかったのだから。
ならば、ここで確認すべきことは一つだけだ。
(妾は今まで、安全に生きていくことのみを欲して生きてきた。現世も常世も力がすべて。故に、脅かされないために力を付けてきた。だからこそ聞こう。契約を結んだ場合、妾の身の安全はどうなる?)
「そこは大して問題ないだろうよ。確かに久路人の血にはとんでもない価値と力があるが、さすがに大穴を空けるほどのもんじゃねぇ。お前に相手してもらうのは、中程度の穴から出てこれるやつらだよ。お前の力が戻れば餌同然の連中だ。それに、どんなに時間がかかっても、精々が百年程度の間だけだ」
【・・・・百年か。人間の寿命とは短いものだな】
正直、久路人ほどの異常性を持った霊能者の護衛をするのに、そこそこの雑魚だけを相手にするので済むとは少し考えずらい。
それでも数年で力を取り戻した後に百年だけと考えれば、今の蛇にとって答えは決まっているようなものだった。
(わかった。その話、受けよう)
「おっ! いいねぇ、話の分かる妖怪は好きだぜ。喜べ久路人、これからコイツもこの家の一員だ」
「ほんとっ!?」
(白々しい台詞を言うな。妾が受けるしかないことなど分かっていただろうに。して、契約とはどう結ぶものだ?)
久路人は子供らしく無邪気に喜んでいるが、蛇は少々不安を感じていた。
蛇がこれまでに戦って食らってきたモノの中には、人間の術者と契約を交わしていたモノもいた。自分自身が何かと契約を結んだことはないが、どういうものかぐらいは知っている。
契約とは、術者本人と妖怪の間、もしくは契約を行う者同士と術をかける術者によって結ばれる術式で、様々な条件を設けた上で何らかの取り決めを行うことだ。
それだけならば普通の人間同士が行う一般の契約と変わらないが、術という形で縛ることにより、その取り決めには強力な強制力が生じる。
もしもここで自分に力がないことを盾に不当な条件を押し付けられたとしても、自分には逆らいようがない。
「術をかけるのは俺だが、俺から出す条件は・・・
『この場にいる3人を不当に傷つけない』
『他の何かに俺たちを傷つけるようにそそのかさない』
『可能な限り、普通の人間は傷つけない』
・・・ってところだな」
(温いな、それでよいのか?)
「こういうのはあんまり雁字搦めにしない方がいいんだよ。単純で条件も少ない方が強くなるもんだ・・・・・俺からはさっきので全部だが、久路人はなんかあるか?」
「僕?うーんと・・・・」
(こやつ、妙なことを考えておらんだろうな?)
子供というのはいつの時代も突拍子もないことを考えるものである。
内心でかなりビクビクしている蛇であった。
「じゃあ、僕と友達になってください!!」
(ともだち、だと?)
【何だそれは?】
少しの間悩んだ末に、久路人は己の要求を突き付けたが、蛇には意味が分からなかった。
今まで弱肉強食の世界で己が力のみを頼りに生きてきた蛇には、理解できない言葉だった。
「なんつーか、本当にお前らしいな」
「でも、この子は僕の言葉がちゃんとわかるんでしょ? だったら、僕は友達になりたい」
久路人は、『僕もクラスのみんなみたいに、友達をつくってみたいんだもん』と、後に続けた。
「まあ、こいつとならなれるかもな」
京はどこか遠い目をしながらつぶやく。
(おい、『ともだち』とは何なのだ?)
「あ?友達が何か?・・・久路人、何だと思う?」
「えっ? 何かって、えっと・・・・」
自分で条件を付けたのに、久路人は『ともだち』とやらが何なのかよくわかっていないようだった。
「友達とは、『特定の分野において共通の趣味や好みを持ちつつ、いざというときは細かな性癖の違いから殴り合いになることもある味方』のことで・・・」
「わかりやすく言うなら、『気軽にいつでも話せて、下らないことで笑いあえて、お互い助け合えるような間柄』ってとこだな」
メアが小難しい言い方をするのを遮るように京が説明する。それでもよくわからなかったが。
ちなみに、自分の話を遮られたのが悔しかったのか、メアは京にこれ見よがしに中指を立てていた。
何の意味があるのだろう?
(要するに、味方として有象無象から守りつつ、暇つぶしの相手になればよいのか?)
【童というのは人間と人外の垣根が低いように見えると聞くが、こいつは少々度が過ぎるように思えるな】
子供というのは純粋で、子供の内は人と人でないモノの境目が曖昧になりやすいという。
それでも、明らかに妖怪とわかっている蛇を相手に遊び相手になって欲しいというのは異常である。
「まあ、それでも間違いではねえなぁ・・・・感情を契約で縛るのは面倒なことになりそうだし、『頼まれたら遊び相手になる』でいいだろ?」
「え? うーん、いい、のかな?」
久路人は首を捻りながらも、それで良しとしたようだった。
それを見て、京は話を進める。
「じゃあ、契約内容は決まったな。ここからが重要だが、オイお前、名前はあるか?」
(ない。名前を持つ意味などなかったからな。妾のことを『蛟』だの『水野槌』だの言う輩はおったが、自分の名だと思ったことはない)
蛇にとって、自分以外のすべては『餌』か『敵』か『どうでもいいやつ』の三種類しかいなかった。
そんな中で名前を持って名乗る必要性はどこにもなかったのである。
「そりゃ好都合だ。なら久路人、お前が名前付けろ」
「名前? なら、見つけた時に雨がたくさん付いてたから『しずく』にしようと思ってたけど・・」
子供にしては、それなりに考えられた名前だった。
きっと家路の最中に考えていたのだろう。
「だそうだ。お前もそれでいいな? 契約には、お互いの名前がいるんだよ」
【妾が名付けられるか・・・】
名前というのは世界に己を刻み込むための手段の一つであり、古来より契約の術を行う際には最も重要な要素として扱われる。
契約を結ぶ片方がもう片方に名前を付けている場合、名前そのものが強力な楔になって名付けられた者は名付けた者と交わした条件を破るのが極めて難しくなる。
そこまで蛇は知っているわけではなかったが、元より条件を破る意思などないため、受け入れるかは、蛇がその名前を気に入るかどうかなのだが・・・・
(しずく、雫か。悪くはない)
蛇は水を司る精とも言われる。
実際に力を持っていたころの蛇は水を操る術が得意だった。
そんな自分に水に関係する名前が付くからか、それともあまり名前に関心を持っていなかったからか、初めて聞くというのにしっくりする感じがした。
(よかろう。妾の名前は、これより雫だ)
「お前の付けた名前、気に入ったってさ」
「そうなの!? よかったぁ・・・」
自分のセンスを褒められたのが気に入ったのか、久路人は笑みを浮かべる。
「長々と話したが、これで最後だ。契約始めるぞ。久路人、この針で適当にどっか刺して血をこいつに押し付けろ」
京が再びどこからともなく羊皮紙と針を取り出すと、先ほどの条件を羊皮紙に書き込みながら1人と1匹に針を渡した。
「う~、痛っ」
「貴方様は、不肖この私めが」
(ぬぉおおお!?)
久路人は顔をしかめながら指をちくりと刺し、蛇改め雫は一瞬のうちに近づいていたメアに尾の先を刺されていた。
そして、久路人は指を、雫は尾を羊皮紙に押し当てる。
「久路人、この紙に書いてあるように言え。んで、お前は『誓う』とだけ答えろ」
「え~と、『なんじ、しずくよ、我が力をかてに、我、月宮久路人が命つきるまで守ることをちかうか?』」
(誓おう)
久路人がたどたどしい口調でところどころ平仮名で書かれた契約文を読み上げ、雫は言葉は返せずとも、意思を以て応えた。
「わっ!?」
(むっ!?)
その瞬間、羊皮紙が燃え上がり、その炎が輪となって、1人と1匹を取り囲み、消えた。
【妾が、これまで身一つで生きてきた妾が、今日あったばかりの童と契約を結ぶことになるとは】
何とも言いようのない感情が雫の胸に浮かぶ。
しかし、不思議と悪い気分はしなかった。
それは、自分の安全をとりあえずとはいえ確保できたからか、自分の力を取り戻す当てが見つかったからか、あるいは・・・・
「これで、けいやくは結べたんだよね? 改めまして、僕は月宮久路人! これからよろしくね、雫!!」
(・・・・ああ、よろしく頼む。久路人)
あるいは、妖怪である自分に屈託のない笑顔を浮かべるこの子供を気に入ったからなのかもしれない。
こうして、それから長く長く、途方もなく永く続く1人と1匹の最初の一歩が、確かに結ばれたのだった。
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「お前、明日も学校だろ?さっさと風呂入ってこい」
この言葉を受けて『はーい』と返事をした久路人が風呂に向かった後のことだ。
「んで、何か聞きたいことは?」
(・・・・なぜ、お前はそこまでして久路人を守ろうとする?)
契約を終えてどこか弛緩した空気が引き締まるようだった。
月宮京と名乗った男の目は先ほどまでと変わらずどこか軽薄な色が浮かんでいるが、今ではそこに、動物としての危機感を駆り立てる冷たい輝きが混じっていた。
【妾があの場で契約を結んだ方がよかったのは事実。結んだことに後悔はない。しかし、この男は間違いなく、断っていれば妾を殺していた】
正確には、殺しに来るのは京の傍に控える人形もどきの方かもしれないが。
どちらが殺しに来るにせよ、力がほとんど戻っていない自分などあっという間にすり潰されるだろう。この2人にとって、自分などそこいらにいる普通の蛇となんら変わりない木っ端のはずなのだ。
【なのに、なぜそこまで妾に殺気を向ける?】
この二人とこの家の術式があれば、今の自分ごときを雇う必要などない。
だが、こいつらはわざわざ殺気を自分にだけ向けて脅迫までしてきたのだ。
その理由を契約を結んだ者として明らかにしておきたかったが、久路人の前では言えない可能性もある。
だから待ったのだ。
(久路人の異質さについては実際に見たし、お前たちの話も聞いて分かった。確かにほとんどの妖怪どもが知れば放ってはおかんだろう。だが、お前が渡した護符とやらで隠せているのではないのか?何故わざわざ妾程度を雇った?)
「そりゃ簡単だ。あいつが現世と常世のバランスをぶっ壊して、世界中がヤバいことになりかねないからだよ。あいつの意思に関係なく、他の連中のせいでな。だからこそ、猫の手でも借りたいのさ」
『見な』といって、京が机に久路人が風呂に行く前に置いていった護符を放り投げる。
(これは・・・)
その護符は、まるで焼け焦げたように黒ずんで、今にも崩れそうになっていた。
「あいつの中にある力はな、段々でかくなってるんだよ。その護符も、持たせたのは三日前だ」
(いつまでも隠し通せるものではないということか)
「そうだ。それでも、お前が育ちきるまでは持つだろうし、その後もそんじょそこいらの格の低い妖怪どもにバレないようにはできるだろうが・・・・タチの悪いことに、現世には平和ボケした異能者が増えすぎた」
『魔人』が結界を張ってから永い時が経ち、人外が人間を襲うことは少なくなった。
そして、結界の中で発生した異能者たちが寄り集まり、自分たちにだけ襲い掛かって来る妖怪を退けるようになったが、そのほとんどはかつての『大物』が跋扈していた時代を知らない連中だ。
大穴の管理者とて、代替わりによってその穴から出てくる脅威のことを伝聞でしか知らないことすらある。
人間は数が揃えば『自分たちは強い』と思い込んでしまう生き物だ。中規模の穴から出てくる、かつての時代では『雑魚』にあたるようなレベルを倒してすべての怪異を調伏できると愚かにも考える集団がいてもおかしくはない。
そんな連中に、常世に繋がる大穴を空けかねない存在がいると知られれば・・・・
「ここで久路人の存在を知ったお前が、万一そういう馬鹿どもに喋っちまったら面倒だろ?」
(なるほど、妾は妖怪どもが相手、お前たちが相手にするのは人間というわけか)
「そういうこった。人間ってのは1人1人は弱くても数は多いから手が足りねぇ。んで、俺は術具を作るのは得意だが、喧嘩は苦手でね。メアもずっと久路人に付かせて置けるわけじゃねえ」
「まことに不本意ながら、私は最優先警護対象がこのチャラ男造物主になるように設計されていますので」
「別にチャラ男じゃねぇだろ!?」
『ちゃらお』という言葉の意味は分からないが、京としては不本意だったようだ。
「・・・・ともかく、この契約はお前にとっても都合がいいだろうが、俺たちにとっても渡りに船だったんだよ」
そう言って京は続ける。
「あいつはこれまでも、護符の切れ目に妖怪どもに襲われててな。そんな経験のせいで、なんとなく、自分に害があるのかないのかわかるんだと。そんなあいつが、大物になる才能があるお前を連れてきたんだ。活かさなきゃ馬鹿だろ?」
【ふむ、これまでの話、筋は通っている】
どこまで京の話が真実かは分からないが、久路人が現世と常世の間に大きな混乱を生み出しかねないのは事実だろう。それを防ぐために手を尽くして守ろうとするのは分りやすい話だ。
だが・・・
(本当にそれだけか?)
「あん?」
(お前たちならば、例え大穴が空いたとて、いかようにもできるだろう? 他に何かあるのではないのか?)
それでも、そんなこいつらにとって『どうとでもなりそうな理由』でここまでやるのは理解できなかった。
「・・・久路人は本当に見る目のあるやつだよ。いい拾い物したもんだ」
身が裂けそうなほど冷たい空気の中、京は肩をすくめながらそう言った。
「けどよ、あんまり好奇心が強いのはどうかと思うぜ?」
「・・・動けば少々痛みますよ」
(・・・・・!!!)
いつの間にか、雫の体には糸が絡みついていた。
糸はメアの指先から伸びており、ゾッとするような銀色に輝いている。
「まあ、お前の言う通り他にもいろいろ理由はあるさ。だが、それはお前の知る必要のないことだし、お前はただ妖怪どもからあいつを守ってりゃいい」
京が手を振ると、雫に絡みついていた糸が解け、メアの指先に一瞬で戻る。
「けど、勘の鋭いお前にご褒美代わり言うとだ・・・・」
--あいつは、俺の甥で、兄貴の残した宝物なんだよ
「お前にゃまだわからねぇだろうけどな、『家族』を守るってのは、人間が体張る理由としちゃありふれてるんだぜ」
京はそこで立ち上がり、部屋の扉に手をかけた。
「メア、腹減ったからなんか作ってくれ。俺は少し横になる」
「豚の餌でよろしければご用意しておきます」
そんな会話をしながら、京は自室へ、メアは台所へと去っていった。
【なんとも、人間というのはいろいろと絡み合っているな】
雫は1匹、テーブルのケージの中で独り言ちる。
【これから妾はあやつらと関わっていくわけだが・・・まあ、なるようになるか】
『考えてばかりでも埒が明かない』と結論を出した雫は、カゴの中でとぐろを巻く。
人間も、久路人も、京も、メアも、妖怪である自分にはまだまだ測りきれない存在であるようだった。




