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白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話  作者: 二本角
第三章 永久の路を往く者
35/74

数年越しの願い

めっちゃ難産でした!!2万字行きかけましたよ・・・

今週も日曜日にゴルフなので更新は無理かもです・・・感想たくさん来たら土曜日中に頑張れるかもなぁ(チラッ)

「久路人様の体内に、雫様の血が大量に混入していることについても、説明をお願いしますね」


月宮家の雫の自室。そのドア越しにメアの口から飛び出た言葉を聞いた瞬間の雫の行動は決まっていた。


--バァン!!!


 文字通りドアを蹴り開け、ターゲットを血走った紅い瞳で探す。


「・・・あまり屋敷の中を傷つけないでいただけますか?この屋敷は、京が設計した、いわば私の姉妹のようなもの。手荒に扱うようなら・・・・」


 瞬時にドアの前から飛びのいて壁を背にしたメアは不快そうな表情で雫に苦言を呈する。そして、言葉を言い切る前にメアは割烹着の袖からナイフを取り出した。


「・・・・!!!!」

「頑丈な手ですね。このナイフも京の作った一品。ドラゴンの鱗でも裂ける切れ味なのですが」


 狭い廊下の中だ。あまりリーチのある武器は使いにくい。そのため、雫が選択したのは自身の肉体だ。クリスタルのような氷に包まれた雫の貫手がメアの心臓めがけて突き出され、それをメアはナイフを交差させて受け止めていた。

 「契約」によってメアに殺意を向けて行動に移したことで、雫の身体を鈍痛が襲うが、久路人に平手打ちをした時ほどではない。これならば戦闘は続行できると雫は判断した。


「しかし、先ほどから申し上げておりますが、屋敷内での戦闘行為は控えてください。もしも設備が傷つくようなら、私としても貴方を処分する必要性が・・・」

「そうか。ならばその前にお前が死ね」


 会話をするつもりなどないと言うように、雫は体を引き絞って、もう一度攻撃する構えを見せる。



--久路人の眷属化のことがバレた以上、コイツは生かしておけん。



 雫がメアを襲う理由は、それだけだった。

 ここで雫が久路人を人外にしようと画策していることが京に伝わってしまえば、流石の雫といえど何らかの処罰は免れないだろう。死刑も充分に考えられる。まだ道半ばなのだ。こんなところで計画を邪魔されてたまるものか。なによりも・・・



--これ以上久路人に嫌われたら、私が私でいられなくなる!!!


 

 昨日のことで、ただでさえ関係にひびが入っているのだ。ここでメアの口から久路人にまで事の次第が伝われば、久路人との仲は完全に崩壊するだろう。数年もの間騙し続けていたこと、密かに人間を止めさせようとしていたこと、最近の霊力異常の原因。どれをとっても致命的だ。眷属化が完全に進行しているのならば永い時をかけて修復できるかもしれないが、今はまだダメだ。もしも今の段階で久路人に完全に嫌われたら、確実に雫の心は死ぬ。その確信があった。

 だからこそ・・・・


「お前は、お前は今、確実に殺す!!妾と久路人が共に・・・・」

「ああ、私に先ほどのことを告げ口するつもりはないですよ」

「歩むために・・・・・は?」


 今にも月宮家ごと凍らせようとしていた雫であったが、その殺気が風船がしぼむように消えていった。


「待て!!お前、今・・・」

「・・・昨日の久路人様もそうでしたが、揃って耳を診ていただくことをお勧めしますよ。念のため再度申し上げますが、私に久路人様が人間を止めかけていることを言いふらすつもりはありません」

「・・・・・」


 こともなげにそう言って見せるメアの表情は、いつものように人形然としたそれだ。何の感情も読み取れない。雫が訝し気な視線をぶつけるも、小揺るぎもしなかった。


「・・・どういうつもりだ?」


 睨みつけている間に頭が冷静になったのか、雫は静かにそう問いかけた。

 対するメアは、出した時と同じようにナイフをしまう。


「そうですね。いくつか理由はありますが、一つ言うならば・・・・」


 そこで、メアは初めて表情を変えた。


「『愛する人と永遠に生きていたい』という想いに口出しする資格がありませんので」

「・・・お前」


 その時のメアの顔は、わずかにほほ笑みを浮かべていた。

 嬉しそうに、そして、誇らしそうに。

 しかし、それはほんの一瞬の事だった。

 意外そうな顔をする雫の前で、すぐさま元の鉄面皮に戻る。


「もうそれなりに時間が経っていますが、色々と長くなりそうですし、やはり部屋に入っても?」

「・・・ああ」


 雫としても、メアに聞きたいことができた。

 雫は言われるがままにメアを自室に招くのだった。


---------


「ひとまず私に告発する意図はないということを前提に、久路人様のことについて伺っても?」

「その前に詳しく聞かせろ。言いふらす気はないというのはなぜだ?」


 雫の部屋は久路人の部屋に比べると殺風景だ。

 ベッドと机に椅子。そして大きな本棚と小ぶりな衣装タンスくらいなもの。実年齢は数百歳とはいえ、年頃の少女と大して変わらない精神であることを考えれば少ない方だろう。

 雫の娯楽の大半である漫画やらゲームやらを久路人の部屋に置いてあるからだが、そんな少し寂しい部屋の中で、ベッドに腰掛けた雫は椅子に座るメアにそう聞き返した。


「まずは先ほど申し上げたように、私、さらに言うならば京に他の七賢にしても添い遂げたい相手と永遠に生きたいという想いを・・・・申し訳ありません。質問に質問を返すようですが、貴方が久路人様と永久にいたいという前提は間違っていませんか?当然そうだろうとは思っていましたが、確認はとっておりませんでしたので」

「ああ、間違いない」


 久路人と恋人として、妻として永遠に添い遂げる。

 それは雫にとっての究極の目標である。今更問われたところで動揺などしない。


「そうですか、それは失礼しました・・・では続けますと、我々に貴方の想いを否定する資格がないこと、貴方が久路人様に危害を加えるつもりはないということが判明していること、その上で久路人様が人外化によって長生きする分には京も悪い顔はしないであろうということ、久路人様が自衛する手段が増えることで京の負担が減ること、自己犠牲癖が出てきても早々死ななくなるであろうこと、それによって京の関心が私に集約する可能性が高まることなどが挙げられます。端的に言いますと、久路人様が人外となるデメリットよりも、メリットが上回る可能性が高いからですね。まあ、京も複雑な心境にはなるでしょうが、最終的には許可を出すかと」

「・・・お前も中々自分の欲望に正直な方だな」


 メアが告げ口しない理由の大半が京関係だった。

 だがまあ、メアが京を行動の基準に据えているのは雫としてもよく知っているので驚きはないが。むしろメアが本気で告発するつもりがないというこれ以上ない理由であり、雫としては納得がいった。


「京は、妾の血が久路人に混ざることをよく思っていなかったはずだが?」

「ええ。妖怪の血が人間に混ざることは基本的に害にしかなりません。ですが、貴方と久路人様ほど親和性が高ければ有害になる可能性は低い。京としてもあまりいい顔はしていませんでしたが、それはあくまで念を入れてといったところです。なにより、貴方と久路人様の間にある契約が反応していない。その時点で貴方に悪意がないことは明白です。霊力の異常にしても一過性のもののようでしたし」

「なるほど、妾の血にお前が気が付いたのは・・・・」

「はい。久路人様の霊力にを至近で観察したところ、ムラがありましたので。久路人様の口からも霊力が扱いにくかったとの報告も受けましたし・・・・久路人様を人外化することに私はとやかく言いませんが、我々に虚偽の報告をするのは感心しませんね。人外化のことはともかくとしても、霊力に異常が起きていることが分かっていれば我々ももっと早くこの街に戻ってきたのですが」

「仕方ないだろう。こんなことをお前たちに正直に言えるか」


 現在京とメアは日本各地を巡っているが、久路人は定期的に現況を報告している。雫としては久路人の眷属化など当然却下されると思い、久路人に言い含めて霊力異常のことは言わせなかったのだ。


「久路人が人間社会で生きていけなくなることについては?」

「それこそ今更でしょう。今のままでも久路人様が普通に暮らすことは困難です。京が整備したこの街でも小規模の穴がしょっちゅう開くくらいなのですから、忘却界を壊さずに中に入るなど不可能です。実質この街でしか久路人様は人間として暮らしていけないということですから」

「確かに」

(意外といえば意外だが、メアの言うことには筋が通っている。言いふらすつもりが、いや、伝わっても難色を示される程度で強硬に反対はしないというのは確かか)


 雫とメアは淀みなく会話を続ける。

 そして、メアと仏頂面で話しながらも雫の頭は回転を続け、状況を整理していく。

 

(否定する資格云々の件は妾にはわからんが、他のことには納得できる)


 雫から見ても、京は久路人に対しては少し過保護なところがある。

 いかに特殊な力を持っていようと、特大の厄ネタでもある久路人のために街一つ覆うような結界を造ったり、自分のようなどこの馬の骨とも知れない妖怪を家に上げるなど、普通の感性ではやらないであろう点がいくつも思い浮かぶ。久路人を単なる研究対象や神の血とやらの供給源としか見ていないのならば、家に閉じ込めるなり飼いならすなりすればいいのに、なるべく久路人本人が望むような普通に近い暮らしをさせようとするのも謎だ。今も久路人のために未然の脅威を狩るべくわざわざ日本各地を巡っているのも労力に見合わないだろう。

 彼が久路人を守ることに全力を注いでいるのは間違いない事実であり、久路人が人外化することで長寿化、強化されることには賛成する可能性が高い。人間を止めさせるということそのものに関してはメアの言う通り複雑なのかもしれないが、合理的な京からすれば最終的には利のある方を選ぶだろうということも。


(ならば、ここはむしろ京とメアに協力を願うべきか?久路人の説得に力を貸してくれるかも・・・・いや、待て。何か引っかかる)


 これまで雫は京たちから反対され、そこから久路人に真実が伝わることで永遠を歩めるようになる前に引き離されることを恐れて眷属化のことを伏せてきた。だが、蓋を開けてみれば京とメアは久路人の人外化に悪い印象は持っていなかった。久路人のことを思えば、人外化はむしろ歓迎すべきとすら。

 だが・・・


(いささか都合がよすぎる。久路人が人外になることを認められるなら、京ならばいくらでも手があったはず。なぜやらなかった?いや、まさか)


「なあ、メア」

「なんでしょう?」


 雫はそこで思考を一旦切ると、思い付いた仮説を口に出す。


「お前たちは、最初からこのつもりだったのか?」


 京たちがここまで久路人の人外化を受け入れる姿勢ができているとなれば、最初から、それこそ幼い久路人が力を失った自分を拾ってきたころからこの未来を組み立てていたのかもしれない。

 雫はそう思ったのだ。しかし、メアは被りを振った。


「いえ。さすがに最初からではありませんでしたよ。ある時期から選択肢の一つとしては考えておりましたが」

「ある時期?」


 どうやらその予想は外れていたが、当たらずとも遠からずといったところだったようだ。

 ならば、いつから京たちは久路人が人間を止めることを視野に入れていたのだろうか。


「はい。貴方たちが修学旅行から帰ってきたころです」

「なるほど」


 そのタイミングも雫にとっては大いに理解できるものだった。

 あの九尾の珠乃に襲撃され、久路人が死にかけた時こそ、雫も久路人を己と同じモノに変えようと決意した時だったからだ。

 

「それ以前に、久路人様の身体が霊力で摩耗していた辺りでも選択肢として考えないではなかったのですが、その時には判断材料が欠けていましたから」

「・・・久路人への安全性か?」

「その通りです。久路人様が高校に入学した辺りで貴方の血は採取していたので親和性についてはおおよその予想はできていましたが、人体実験をするわけにもいかなかったので」

「あの時お前が採血した血か」


 高校に入学し、雫が臭いとその辺の妖怪に騒がれるようになったころ、その調査ということで雫は自身の血を提供したことがある。雫は知らないことだが、その血は七賢第五位のリリスのチェックも受けており、彼女の鼻にダイレクトアタックを仕掛けている。

 そして九尾との戦いの後で瀕死の久路人に雫は自分の血を飲ませ、死の淵から救い上げたことで久路人への安全性も確かめられたということだ。


(なるほど、合点がいった。確かにそういう背景ならば妾に人外化させてもよいという判断を下すか)


 雫は内心でこれまでの話をまとめ、咀嚼した。

 そして・・・


 ニィと口の端が釣りあがった。


「フフフ・・・」


 思わず含み笑いが漏れる。

 雫は、己の勝利を確信したのだ。


(ククク!!!ならば、久路人を妾の眷属とするのはもう叶ったと言っていい!!京とメアが反対しないのならば、もはや邪魔者はいない!!いや、二人が味方に回るのならば、久路人に嫌われることも避けられる可能性が高い!!なにせ、妾の欲だけでなく、養父と養母が身を案ずる気持ちまで手札として説得に使えるのだ。事が露見したとて、久路人からの不満や拒絶を分散できる!!考えたくもないが、仮に、仮に妾が完全に拒絶されてしまったとしても、フォローが期待できる!!)


 ついさきほどまで部屋から外に出ることすら厭っていたのが嘘のように、雫の心は躍っていた。

 久路人と喧嘩して会いにくいのは変わらないが、すぐそばまで求めるモノが近づいていることを思えばむしろ今すぐにでも会いたい気持ちすら湧き上がってくる。なにせ心強い後ろ盾が手に入ったのだ。今ならば久路人に昨日のような剣幕で怒鳴られてもかろうじて泣かずに済むくらいにはメンタルが強化されていた。

 ・・・・今の雫に、自分が軽い躁うつの気がある自覚はないようだった。


「私の意図はご理解いただけましたか?」

「ああ。よくわかった」

「そうですか、ならば、私からも聞きたいことがあります」


 メアが何やら言っているが、その言葉も右から左へ流れていく。

 雫の頭の中は久路人に会いに行くことで一杯だった。


(そうだな。いつもならばもう久路人の味見をしている時間だ。昨日のことを謝り、守ってもらった礼を言わねばならんし、今すぐにでも向かわねば!!)


「メア、話は分かった。お前たちが話の分かるやつらで助かったぞ。しかし、妾は今から久路人のところに・・」


 メアが何かを聞こうとしているのは何となくわかったが、それに答えるのももどかしい。

 雫はベッドから立ち上がり、部屋のドアの前まで歩いてドアノブに手を触れ・・・


「久路人様の人外化について、もちろん久路人様の同意は得られているのですよね?」


 その手が、ピタリと止まった。



---------


「先ほどまでのお話ですが・・・・」


 人形のように無機質な表情で、どこまでも温度の籠らない声音で、メアは雫の背に言葉をかける。


「久路人様の人外化は、あくまで選択肢の一つです」


 雫は振り向くことができなかった。

 先ほどまでの浮かれた気持ちに、自身の操るツララがぶち込まれたかのようだった。


「人間のままこの街で生を終えるか、あるいは人外と化して生きながらえるか。京は、その選択を久路人様にゆだねるつもりでした」


 メアの口調は変わらない。

 しかし、背後から感じるプレッシャーは一言喋るごとに強くなっていた。


「私は、正直に申し上げまして久路人様の生き方にそこまでの興味はありません。ただ、京の願いの通りに進むように手助けをするだけです。つまり、もしも、万が一、貴方が独断で久路人様の同意も得ずに我々の考えていた選択肢を潰すようならば、それは京への反抗です。私としても許しがたい。さらに言うならば・・・」

 

 ギシリと椅子の軋む音がして、メアが後ろで立ち上がったのが分かった。

 京という至高の主に仕えることを至上とするメアにとっては、雫がやっていることは最も理解できないことであった。だからこそ、メアに雫を逃がすつもりはない。


「私は、好きな人と永遠に生きようとすることには何も言いません。しかし・・・」


 コツコツと硬質な音を立てながら、メアが雫の背後に立った。

 だが、雫には動くことはできなかった。


「自分の我がままのために、知らず知らずのうちに引き返せないところまで愛する人を突き落とすような真似には、流石に嫌悪感を覚えます。久路人様も大概でしたが、それもまた最低の行為かと・・・もちろん、きちんと許可を得ているのならば何も問題ないですが」

 

 雫の首筋に顔を近づけ、機械仕掛けの従僕は低い声でそう言った。

 それは、雫にとっての一番の負い目だった。


「それで?どうなのですか?昨日の久路人様はずいぶんと空回っているようでしたが、ちゃんと現状を・・」

「・・・・うるさいっ!!!」


 地獄から天国、天国から地獄。

 久路人と喧嘩して沈んでいたところに希望を与えられ、そのすぐ後に最も罪悪感を煽る一点を突かれた。

 雫の心は、本人にも分からないほどに乱れていた。今の雫は、どこまでも情緒不安定だった。


「メアっ!!お前はいいよなっ!!久路人から聞いたぞ!?お前たちは、京の方からお前に惚れたのだろう!?お前のために方々を回ってパーツを集め、生身の身体を捨てているのだろう!?そして、京の方から永遠を歩みたいと言い出したのだろう!?」

「・・・・・・」


 雫は、永い常世での弱肉強食の生活せいか、何事にも保険をかけ、大義名分や安全マージンを取りたがるところがある。自分の弱みのようなものを晒さない。それは、雫が愛してやまない久路人が相手であってもだ。いや、むしろ久路人相手だからこそ弱みを見せない。


 弱みを見せたら、失望されるかもしれない。

 護衛として失格と思われるかもしれない。

 もういらないと言われるかもしれない。

 捨てられるかもしれない。


 そんな恐怖を、常にため込んでいる。

 あの修学旅行の一戦までは、それでも問題はなかった。雫は護衛としては非常に優秀であったし、そもそも雫を脅かすような大物が現れることなど今の現世で早々あるはずもない。その心に蓄積していた恐怖は表に出ることなく、日々の久路人との触れ合いによって、緩やかに溶けていったのだ。


「妾はっ!!妾と久路人は違う!!妾と久路人がともにいるのは、契約があるからだっ!!妾と久路人の関係は、あくまで契約に縛られた結果に過ぎん!!確かに情がないわけではない!!しかし、それは友情とか、そういうものだ!!決して、その先に進めるものではない!!そんな様で、正直に『人間やめて』などと言って受け入れられるものか!!」


 しかし、あの時から、雫は少しずつ壊れていた。

 あの日、雫は負けた。久路人を守れなかった。

 それまで積もっていた恐怖が現実味を帯びた。

 さらには、久路人が永遠にいなくなってしまうという、もっと重い恐怖まで背負ってしまった。


「ああそうだっ!!妾は、久路人を騙しているっ!!久路人が知らぬ間に食い物に血を混ぜて、人間を止めさせている!!最後には妾なしでは生きられぬ眷属としようとしている!!」


 久路人に嘘を吐き続けているという罪悪感がその心を腐らせ、目を曇らせていた。

 久路人とのこれまでの繋がりが見せていた輝きも、ほんの少し目を離したすきに消えてしまいそうなくらい儚いものに見せていた。

 これまで築いてきた二人の絆も、雫にとっては偽りや契約という打算の上に成り立ったもののように思えていた。そう思ってしまうような行いに、雫自身が手を出したせいで。

 だからこそ、雫は約束ではなく契約に縋る。久路人が自分よりも強くなることは望まない。自分が久路人の傍にいるための理由を、一つでも失いたくない。

 

「ああ!!妾はどこまでも卑しい、最低な雌だろうよ!!自分の血が久路人に飲まれているのを見て興奮する屑だ!!久路人を好きだという資格すらないだろう!!だがっ!!だがなぁっ!!!」


 だから、雫は八つ当たりをする。

 昨日、久路人に対して言ったのと同じ。自分にどうしようもない状況に陥った時に、その乱れた心を吐き出すように。そうしないと・・・


「そうでないとっ!!!そうしなければっ!!もう気が狂ってしまいそうなんだっ!!!久路人がいなくなることをっ!!久路人がいない世界に取り残されることが頭によぎるだけでっ!!」

「・・・・・」


 ドアノブに手を触れたまま。ドアの方を見たままに、雫は背後のメアに叫ぶ。


「久路人に嫌われることもっ!!久路人がいなくなることも恐ろしいっ!!昨日も、怖くて怖くてたまらなかった!!!久路人が、あのまま死んじゃうかと思った!!ああそうだよ!!最近の久路人はおかしいよっ!!」


 いつの間にか、その口調が久路人に話すときのそれになっているのに、雫は気が付かなかった。


「久路人は、異常だよ!!あんな風に命を削るような真似をしてまで、なんで私なんかを守ろうとするの!?全然わかんないよっ!!あんなことを続けたら、久路人が本当に死んじゃうのに!!」


 心の中をすべて吐き出すように、雫は聞かれてもいないことまで叫ぶ。

 それは、ここしばらくの雫の中にあり続ける疑問だった。


「久路人のことならなんでも知っていると思っていた!!どんなことでも理解できると自惚れていた!!」


 それは決して傲慢ではない。

 月宮久路人の人生の大半において、常に雫は傍にいたのだから。

 いつでも、二人で過ごしてきたのだから。


「けど!!私には、今の久路人のことが全くわからない!!それが、それが悔しくて、不甲斐なくて、そして、怖くて怖くてたまらない!!」

「・・・・・」


 はーっ、はーっと雫は肩で息をしていた。

 その顔には涙が伝い、雫が今朝部屋から出ようとした時のように、床にシミを作る。

 それでもなお・・・


「私はっ!!」

「もう結構ですよ。お気持ちはよくわかりました」


 それでも己の中にあるものを吐き出そうとした雫の肩を、メアの手が叩いた。


「やはり私が女だからでしょうかね。久路人様よりも、雫様の主張の方が理解ができますね」


 そう言いながら、メアは無駄に綺麗なバックステップで椅子に座りなおす。

 不思議なことに、椅子がきしむ音も床を蹴る音も聞こえなかった。


「メア・・・」

「似た者どうしですね、お二人は。お互いがお互いを想い合っているのに、拒絶されるのが怖くて、それを表に出さないせいですれ違っている。独りよがりなところもよく似ています。まあ、自覚がある分、雫様の方が大分マシですが」

「お互いを、想い合っている・・・?私と、久路人が?それって、どういう・・・」

「おっと、失言でしたか。忘れてください。いえ、覚えていてもいいですが、詳しいことは私には聞かないでくださいね・・・それよりも先に話すことがありますから」

 

 メアの言葉の中に、とても聞き逃せないことが入っていたが、それは煙に巻かれてしまった。

 ごく自然に振り向いた雫がメアの顔を見るも、やはり表情はいつもの鉄面皮だ。だが、今はどこか微笑ましいものを見ているようにも見えた。

 そのまま、メアは改めて姿勢をただす。


「どうやら貴方は我々の考えていた選択肢を潰したようですし、そこは腹立たしいですが、処分をすぐに下すのは早計です。要は・・・」


 そこで、メアは雫と目を合わせた。


「貴方が用意した道を、久路人様が自分の意思で選びとっていたのならば何も問題はないのですから」

「なっ!?」

 

『始めから久路人が人間をやめるつもりだったのならば、それでいい』。

 メアが言っているのはそういうことだった。


「馬鹿な!!あり得るわけがない!!久路人は常識だとかルールを大事にしている!!勝手に進めることを抜きにしても文字通り人道を外れることなど、まともな神経をしていれば認めるはずが・・・・」

「おや?これはおかしなことをおっしゃいますね」

「なんだと!?」


 それまで人間として生きてきた全てを捨てて化物になって生きて欲しいなどという願いなど、まっとうな精神をしていれば受け入れるはずもない。

 そう思いつつ気色ばむ雫に対し、メアは不思議そうな顔をしていた。


「貴方はつい先ほど、久路人様のことがわからないと言ったばかりではないですか。どうして人外化を断ることが断言できるのですか?」

「は?」


 まさかのカウンターパンチであった。


「い、いや待て!そういう話ではないだろう!!あくまで一般常識とかそっちの話で・・・」


 あまりにも意外な視点に、雫は混乱した。

 それは考えたことない可能性でもあった。しかし、今までずっと久路人は人間を止めることなど認めないと思いながら進んできたのだ。いきなり鞍替えできるはずもない。


「だいたい!!それを言ったら受け入れるかどうかも分からんだろうが!!」

「分からないなら、知ろうとすればいいではないですか。きちんと確認したんですか?面と向かって聞いたんですか?」

「え?い、いや?」


 これ以上ない正論であった。

 言い返せない正論に、雫の攻勢が一瞬止まり、素直な答えが飛び出す。

 改めて他の者から聞かれてみれば、久路人が人間をやめることを拒む明確な証拠のようなものはパッと思いつかなかった。普通の人間ならば嫌悪感を感じることだろうが、久路人は雫のこと以外ではいたって理性的に対処するし、人外に特別な嫌悪感を示すこともない。

 伴侶に人外を選べるかどうかはわからないが、妖怪に狙われやすい体質を考えれば、久路人が人外となることそのものにはそれなりにメリットがある。

 ならば・・・


--人間をやめることは、久路人にとってのルール違反にあたるのだろうか?



 そんな考えが頭をよぎった。そんな雫を知ってか知らずか、メアはさらに畳みかける。


「なら、答えは確定していないじゃないですか」

「そ、そうはいってもだなぁ!!普通、まっとうな神経をしていればそんなことは拒絶するのが当然・・」「私としましては久路人様はまともな神経とやらは持っていないように思いますが」

「何ぃ!?久路人を馬鹿にするな!!」

「いえ、これも先ほど貴方が言ったことではありませんか。『久路人は異常だ』と」

「あ・・」


 雫は、自分の投げたブーメランが顔面に直撃したような感覚を味わった。さっきと併せて二度目である。

 そんな雫を尻目に昨日の久路人との会話を思い出しながら、メアは続ける。


「久路人様の、雫様を守るという意思は異常です。本当に貴方の言う通りですよ。守るための力が欲しいからと言ってわざと吸血鬼に斬られにいく人間がこの世に何人いるというのですか。それ以前に、妖怪に対してあそこまでフレンドリーな時点で完全な異常者です。我々や久路人様以外と関わりのない貴方には実感できないかもしれませんが」

「それは・・・」


 まさしく狂人の所業である。

 そして、何がそこまで久路人を狂わせているかと言えば、それはメアの目の前にいる少女に他ならない。

 

「あれはもうヤンデレと言っていいかと。いえ、自分の傷を誇らしげに想っていた節もありますし、メンヘラも混じっているでしょうか?それが貴方を家族として見ているからなのか、それ以外の枠で見ているからなのかは断定できませんが」

「ヤ、ヤンデレ、久路人が、妾にヤンデレ・・・・はっ!?」


 ヤンデレ久路人という単語が雫の脳内に生み出され、独占欲全開になった久路人が自分を檻の中に監禁する場面と、首輪をつけられて喜びながらお散歩プレイする自分というシチュエーションが一瞬で構築された。そのまま甘美な妄想の中に取り込まれそうになったが、そんな場合ではないとすぐに我に返る。


「いや待て!!妾と久路人は昨日大喧嘩をしたぞ!!妾など、契約を破って二度も平手打ちをしてしまったし、久路人のやったことを真っ向から無下にしてしまった!!もう久路人に守ってもらえるとは・・・」

「あのですねぇ、雫様」


 頭が可哀そうな生き物を見る目で雫を見やりながら、メアはそこでため息を吐いた。


「なら、貴方の立場で考えてください。貴方は、もう久路人様を守りたくないと思っているのですか?」

「そんなわけがあるか!!」


 考えるより先に、反射的に否定していた。

 確かに今は久路人に会いにくいとは思っているが、守りたいという想いには一切の曇りはない。そうでなければ、朝からドアの前で泣くこともなかっただろう。


「久路人様も同じですよ。命を投げ捨てて守ろうとした相手を、暴言を吐かれた程度で諦めると思いますか?昨日話した限りでは、あの執念がちょっとやそっとの口論で消えるとはとても思えません。その口喧嘩にしても、久路人様が貴方を守りたいという主張を、ほかならぬ貴方が受け入れられなかったのが発端でしょう?昨日の久路人様はかなり自己中でムカつく点がありましたけど、貴方を守りたいという想いだけは一貫していましたよ」

「むぅ・・・」


 雫はあまり思い出したくない昨日の喧嘩のことを思い起こしながら口ごもる。

 確かに、あの喧嘩の元は久路人が自分のみを顧みずに雫を守ろうとしたことだった。雫としてもそこまでの気持ちを向けられることはたまらなく嬉しいが、護衛という役割の必要性がなくなって傍にいられる理由が消えるのは嫌だったし、何より久路人が傷ついて死んでしまうかもしれないことが怖かったから受け入れられなかった。だが、久路人も強硬に己の意思を曲げようとしなかったから、最後には雫の方が逃げ出してしまった。

 メアの言う通り、久路人が雫を守ろうとする意志は、鋼のように硬かった。


「久路人は・・・」


 ポツリと、雫は独り言を言うようにこぼす。


「なぜ久路人はそこまでして妾を守ろうとするのだ。久路人が約束ごとに律儀なのは知っているが、あの約束に守られるような価値は、もう妾にはないというのに」

「それは、貴方が自分のやっていることを何も言わないからでしょう」

「!!」


 グサリと、言葉が雫の胸に刺さった気がした。


「久路人様は貴方によって人間を止めつつあることを知らない。だから、貴方が自分を卑下する理由も分からない。それならば、久路人様にとっては貴方がたが結んだ約束というのは未だに有効なのでしょう。部外者である私からすれば、約束に価値がないというのは貴方の思い込みにしか見えませんが」

「・・・・・」

「久路人様に、サトリ妖怪のような心を読む能力はありません。いいですか?これは久路人様にも言えることですが・・・・」


 言い聞かせるように、諭すように、メアは言う。



「想いなんてものは、言葉にしなければ伝わらないんですよ」

「・・・・・」

「貴方は久路人様のことが好きなんでしょう?ならば、それを避けて通ることはできません。例え人間をやめさせることができたとしても、そのことも、貴方の想いだって必ず話さなければいけないのですから。それを成さずに繋がりあえることなどありえないのです。早いか遅いかの差です。貴方は・・・」

「・・・・・」


 雫は、その言葉を黙って聞くことしかできなかった。

 だが・・・・



「久路人様と心の底から結ばれないで、満足できるのですか?」

「!!」


 その言葉が届いた瞬間、雫の胸の中で何かが沸き立つのを感じた。何かが、記憶の底から浮かび上がってくるような感覚。


(そうだ、妾は久路人を諦めることなどできん・・・・なんだ?ずっと前にも、こんなことがあったような)


 メアに諭される自分。

 こんな状況が過去にもあった。



ーー「貴方は久路人様とこの先ずっと「友達」で止まって満足できるのですか?」



 かつて言われたその台詞。

 満たされるか問うのは同じでも、その深さはまるで違う。


(そうだ。人化の術を習得する前だった。あの時にもメアに発破をかけられたからこそ、妾は人化ができた。久路人への本当の想いがわかったから)


 その言葉をきっかけに、いくつもの記憶があふれでる。


(そもそも最初に人化の術を覚えようと思ったのは、妾が久路人に惚れていると気づいた時は、妾が初めて人化した時は・・・)


 どうして今この瞬間にかつての記憶がよみがえるのか?

 今の自分が何をしたいのか、正直雫には分からない。いろんな恐怖や自己嫌悪が絡まって、かつて持っていたものを取り落としてしまったから。だが、過去の自分なら、それを持っているはずだ。

 過去の自分が今の自分を見たのならば、果たして何と言うだろう?


(きっと、怒るだろうな。久路人と喧嘩するなんてありえないって思うはずだ。いや、贅沢だと思われるかな?なにせ、昔の妾は言葉で喧嘩することすらできなかったんだから)


 自分がまだ蛇の姿だったころ。

 あの頃は、文字が書かれた板に尻尾を押し当てて意思疎通をしていた。

 あれは本当にまだるっこしかった。久路人とたくさん話がしたいのに、少しずつしか言葉を交わせなかった。伝えきれないこともあった。そうだ、今でこそ人の姿が当たり前になったが・・・


(妾は・・私は、今でも、久路人の恋人になりたい。久路人のお嫁さんになりたい。初めて人化の術を使った時は、久路人を守りたかった。助けたかった。イジメられてた久路人を慰めたかった。久路人と遊びたかった。普通の女の子みたいに触れ合いたかった。そして、それよりも前には・・・)


 そうして思い出すのは、一番最初に人間になりたいと思った時のこと。


(久路人と、たくさん話してみたかった。言葉が届けられないのが、もどかしかったんだ)


 あのトカゲのような妖怪を久路人が撃退した後のことだ。

 あの時、自分は久路人に対して興味を持ったのだ。そして、そこからどんどん久路人という存在の大きさが膨れ上がって、気が付けば約束を交わして友達になり、そして惚れていた。

 初めて喋れるようになった時には、やっと話せると泣きそうになった。


(話してみたい。久路人と、たくさん)


 最近の自分は、ちゃんと久路人と話せていただろうか?

 雫は自身に問う。


(本当に、心の底から思い切り話せたことは、多分なかった。最近・・・ううん。人化して、久路人が好きだってわかった時から。あの時から、怖くなったから)


 蛇だったころは、久路人に嫌われるだなんて考えたこともなかった。あの時は、雫は完全な人外だったから。そして、そう思っていたように、久路人に拒絶されることなどなかった。

 人化してからなのだ。人の姿を手に入れたからこそ、生まれたものなのだ。雫の中に「人外だから嫌われるかも」などというもしもへの恐怖が巣食い始めたのだ。

 

(そうだ。私はまだ、叶えてない・・・)


 人化の術は、その願いに大きな影響を受ける。

 願いによって、容姿や能力、心の在り方は変容する。雫の口調が、久路人と話す時だけに、普通の女の子のようになることだってそうだ。それは、雫が普通の女の子のように久路人と話してみたかったという願いの発露だ。


(久路人と、思いっきり色んなことを話してみたい!!話して、知って欲しい!!私が望んでいることを!!久路人に歩いてほしい道を!!)


 人化の術を会得してから、数年越しの願いの自覚。

 それは、今になって久路人と真正面から話せない状況が来たからか、過去の自分を彷彿とさせる場面が巡ってきたからなのか。

 ともかく、今の自分の中に久路人に嫌われる恐怖と拮抗するかのように、熱い何かが満ちていくのが雫には分かった。


「・・・・・」


 それまで不安定に光が明滅するかのようだった雫の瞳に、火が点いたような輝きが灯ったのがわかったのだろう。そこで、メアは立ち上がった。まるで、やるべきことをやり終えたのが分かったように。


「・・私が今日ここに来たのは、久路人様の変化の確認と久路人様が京の意思に反して早死にするのを貴方にどうにかしてほしいからです。そして、昨日に久路人様、今日に貴方と話してよくわかりました。私の目的を達成するために必要なものは、先ほど申し上げたように、あなた方二人がきちんと腹を割って話し合うことです」


 ツカツカとドアの前まで歩いてきたので、雫はドアの前から離れた。

 その眼は、しっかりとメアを見つめ返していた。


「それでは、伝えるべきことは伝えたので、私はこれで・・・」

「ああ・・・・ありがとう、メア」


 そうして、雫はさっきまでの自分と違って何のためらいもなくドアノブを掴んで回したメアを見送り・・


「いや待て。最後に一つだけ聞いてもいいか?」


 去り行くメアの背中を、雫は呼び止めた。


「・・・なんでしょうか?」


 雫が過去の自分を思い出していたように、メアもまたこの瞬間、数年前のことを思い起こしていた。

 あの夜も、去ろうとしたメアを雫が引き止めたから。

 そして、そんなメアを見ながら、あの夜のように雫は教えを乞う。


「・・・メア。お前は、血の盟約というものについて、詳しく知っているか?」


 それは、いささか突拍子もない問いだった。

 

「・・・またずいぶんと脈絡のないことを聞きますね。いえ、確か昨日戦った吸血鬼が結んでいたのでしたか・・私も詳しく知っているわけではありませんが、人間をやめさせる方法の中でも、最も高度で強力な契約ということくらいですね。貴方も会ったことのある、リリス様が専門家です。詳しいことは彼女に聞いた方がよろしいかと」

「そうか・・・ありがとう」

「いえ・・・」


 そうして雫もメアに背を向けて自室のコンセントの傍で屈み、充電してあったスマホを手に取った。電話帳を開き、かつてリリスからもらった番号を呼び出す。その様子を、振り返ったメアはじっと見つめていた。


「・・・なんだ?部屋を出るのではなかったのか?」

「いえ。少々気になりまして。何故、今になって血の盟約のことを?」

「昨日戦った吸血鬼どもが言っておったのだ。ただの人を至高の領域に押し上げる秘法だとな。どうせ久路人を人外にするのならば、そちらの方法も参考になるかもしれないと思った」

「・・・結局、今まで通りに進めるということですか?」


 メアの声が、冷たさを帯びた。

 今までのように久路人への同意なく人外化を進めるというのならば、それは自分の言ったことを無視するということであり、すなわち京への叛逆だ。


「いや、きちんと久路人と話し合うさ」


 だが、雫はあっさりと否定する。


「妾が何をやっていたのか。久路人をどうしたいと思っていたのか。久路人にどうして欲しいのかを、久路人に話そうと思う。思いっきり、心の底を晒してな。その時のために、知っておきたいんだ」

「・・・そうですか」



--もう大丈夫だろう。



 心の中でだけ、メアはそう呟いた。

 そのまま今度こそ振り返らずに部屋を出て、ドアを閉めようとして・・・


「雫様」

「・・・なんだ?」

「最後に、一つ最愛の人と結ばれた者としてのアドバイスです。お互いのすべてを話し合った上で、意地の張り合いでにっちもさっちもいかなくなるようならば・・」


 本当に珍しいことに、メアは京以外の人物を手助けする。

 メアからしても、自分がどうしてここまで肩入れしようと思ったのかは分からない。

 この二人がくっつくことが京にとっても都合がいいだとか、昨日の久路人がムカついただとかの理由もあるが、それだけではない。今の、くっつきそうで様々なしがらみのせいでくっつけない二人に、思うところがあるのかもしれない。

 機械仕掛けの身の上ながら、実体のない心とやらを分析しつつ・・・


「その時は、寝込みでも襲ってしまいなさい。京に口利きくらいはしてあげます」

「はぁっ!?」

「こういう時は、女の方から襲ってしまえば丸く収まるものです。まあ、貴方にそんな真似をする度胸があればの話ですけど」


 電話がつながらなかったのか、スマホを耳から離した雫が素っ頓狂な声を上げるのを聞いた。

 返事が返って来る前に追い打ちを浴びせて、メアはドアの隙間を閉じる。

 

「よ、余計なお世話だ!!!」


 雫が投げた枕は、したたかにドアを叩いたのだった。


---------


「・・・・はぁ」


 朝と呼べる時間から、昼に変わりそうな頃。

 いつもよりだいぶ遅い時間に、久路人は目を覚ました。


「・・・寝坊か」


 天井を見ながら、ポツリと呟く。


「・・・いつもなら」


 寝起きの頭であるが、久路人は気付いていた。

 気づかないはずがない。いつもなら目覚めたらすぐ隣に感じるはずの温もりが足りないのだから。

 きっと、自分が起きられなかったのは・・・


「雫・・」


 今まで毎日欠かさずにこの部屋に来てくれた少女の名前を呟く。

 自分が恋焦がれている、けれども昨日には喧嘩してしまった少女。

 彼女が来なかったから、自分は起きられなかったのだろう。起こしてくれる必要はない。傍にいるだけで、久路人はいつも通りに動けるのだから。


「・・・・」


 結局昨日はあれから会うことはできなかった。

 家に帰ったらすぐにメアとひと悶着あったからだ。雫が泣きつかれて眠ってしまったころ、久路人は自分の中に渦巻く激しい負の衝動を、己を気絶させるかのようにして眠って抑えつけていた。

 だから、久路人は雫の顔を半日以上見ていない。

 こんなことは、雫に会ってから初めてだった。

 そして、久路人にとってそれは・・・


「・・・・調子が出ないな」


 もう一度、久路人は布団の中にくるまった。

 昨日の夜は猛り狂っていたのに、今は何もする気が起きなかった。

 そのまましばらくうつ伏せに枕に顔を預けていたが・・・・


「・・・・・」


 ゴロンと転がって、再び天井を見つめた。


「・・・・僕は」


 その耳をよぎるのは、機械仕掛けの使用人の言葉。



--自分がどれだけ大事に思われているのか、まるで理解していない



「・・・・僕は」


 そして、脳裏をかけるのは、夕闇の中走り去っていく少女の後ろ姿と、その少女から零れる滴。


「・・・・僕は、間違ったことはしてない。あの場から助かるには、ああするしかなかった」


 それらを打ち消すように、久路人は己の行動は正しかったと改めて念じる。

 メアは最初から逃げればよかったと言っていたし、それそのものは事実だったろう。だが、現実は二人してあの場にとどまってしまった。ならば、ああするしかなかったはずなのだ。

 そして、守り切ったのだ。だから、自分は正しかった。

 そもそも・・


「雫が僕を守ろうとするのは、契約で縛ってるだけじゃない。僕の血のせいだ」


 雫は、自分の血で狂ってしまっている。

 あそこまで怒るほどに自分を守ろうとするのは、雫の本心ではないはずなのだ。

 そう、久路人は思っている。


「自分がどれだけ大事に思われてるか気付いてない・・?はっ!!とんだマッチポンプじゃないか」


 久路人の顔に、自嘲の笑みが浮かぶ。

 雫が自分を大事に思っていることなんて、九尾と戦った後には気づいている。そして、その気持ちの根元から偽りであることも。

 少女の心を弄んで、己を守ってもらう。正しくこれ以下はないクズの所業だ。


「なら、これ以上雫に戦わせるわけにはいかないだろ・・・!!!」


 自分が心から好きな少女に偽りの好意を仕込んで、戦わせる。

 もしもそれで雫が傷つくのならば、考えたくもないが、万が一死んでしまうようなことがあれば・・・


「僕は、僕が許せなくなる・・・!!!」


 そうだ。許せない。絶対に認められない。

 雫に嫌われるなんて嫌だ。でも、雫が死んでしまうはもっと嫌だ。

 大喧嘩しても、それは変わらない。だって、守りあうって約束をしたから。

 無理やり守らせているようなものなのだから、自分が体を張って戦って、やっとつり合いが取れるくらいのはずなのだから。そうでなければ、約束を破ってしまう。それもまた、許せないことだ。

 けれど・・・


「でも僕は、僕は・・・・」



--何が、『守りあう』よ!!ボロボロになってるのは、久路人だけじゃないっ!!!!

 


 泣きながら、自分こそが約束を破っていると糾弾する大好きな少女の姿が、目に焼き付いて離れない。

 自分に落ちてきた温かい滴を忘れられない。

 そう、どんな理由があろうとも・・・


「僕は、雫を泣かせたんだ」


 果たして、それは雫を守ったと言えるのだろうか?

 命が助かっているのが一番大事なのはそうだろう。だが、雫が泣いたままならば、雫の心は傷ついたままなのではないだろうか?

 葛城山でも、朧げな記憶であるが、雫は泣いていた。あの時は、雫を守りきることができなかったからだと思っていた。だが、あの時も雫の心は傷ついていたのだろうか?

 ならば、自分はどうするべきなのか?



--それならばお前がやるべきだったのは、『心配かけてゴメン』と謝ることであって守る側の気持ちを馬鹿にすることじゃない。



「・・・そうだな」


 久路人は、布団を跳ねのけて床に足を着いた。

 寝巻を脱いでからクローゼットから普段着を取り出して、着こむ。


「・・・・・・」


 どんな状況になろうとも、久路人は己の考えを曲げるつもりはない。

 雫にどう思われようと、雫を庇って戦うことを止めようとはしないだろう。

 だが・・・


「謝りに行こう。心配かけてゴメンって・・・・そうだ」


 雫が泣いているのは嫌だった。

 雫が泣き止むためにできることがあるのなら、すべてやっておきたかった。

 そして、久路人は自室を出たのだった。


「大丈夫。もうすぐだから、雫。お前が守る必要がないくらい、心配しないくらい強くなるから。それまで、辛いだろうけど耐えてくれ」

 

 ・・・・己の抱える誤解と、そこから育った独善に気付かないまま。

 雫が恐怖で壊れていたように、久路人もまた歪んでいた。




------そして・・・・




『アンタたちの経緯は分かったわ。けど血の盟約をもしやるんなら、覚悟はできてるんでしょうね?あの久路人って子が死んだら、アンタも死ぬことになるのよ』


 部屋の中で、珍しく誰かと電話で話していた雫。

 不審に思って、術を使ってまで盗み聞きをしてしまった久路人はそれを聞く。


「ああ!!」


 自分の大好きな少女が・・・・


「久路人がいない世界に価値などない!!妾はとっくに、久路人と共に死ぬ覚悟はできている!!!久路人が死ぬというのなら、妾も喜んで命など捨ててやる!!」


 もう、どうしようもないところまで、己の血に洗脳されていることに。



---------



「なんだよ、それ」


 気づけば、久路人は自室に戻っていた。

 どうやって戻ってきたのかは、覚えていない。

 そんなことよりも、頭がスッと冷たくなる感覚が痛かった。


「僕と死ぬ覚悟までできてるなんて、正気じゃないぞ・・・!!!」


 強くなるまで、契約を履行しなくてもいいくらい力を得るまでは仕方がないと思っていた。

 だが、遅かったのだ。


「雫は、もう狂ってるのか・・・?」


 好きな人と共に死ぬ。

 それは、恋人たちにとってはある意味幸福なことなのかもしれない。大好きな人と死ねるのだから。

 だが、それは普通ではないだろう。誰かと心中する覚悟なんて、まともでは抱けない。久路人自身は雫となら死ねるとは思うが、雫の方はそんな想いは持ってはいけない。


「僕の、血のせいで・・・・」


 その想いは、偽物なのだから。

 

「僕は、このままじゃ、僕が雫を・・・・」



--偽物の「好き」で、雫を殺すのか?



「ダメだ!!!」


 部屋の中で、久路人は叫ぶ。

 それは、それだけは認められない!!!


「早く、早くなんとかしないと・・・・!!!」


 思い込みは加速する。

 いつもならば、ここまで暴走することはなかっただろう。

 だが、昨日、久路人は初めて本気で雫と喧嘩した。本気で自分を否定された。家族のように思っていた人にも、本気で叱られた。自分が正しいと思ってやったことをだ。

 それは久路人の想像を超えて、その歪みを助長させていた。


「早く、早く雫から離れないと・・・!!これ以上、血をあげちゃダメだ!!」


 思考がふらつく。考えがまとまらない。

 まるで冬眠から目覚めた熊のように、ウロウロと部屋をうろつくことしかできず・・・


「痛っ!!?」


 学習机に思いっきり脚をぶつけた。

 机の上に積んであった書類が宙を舞う。


「ああもう!!イライラするなっ!!こんな時に・・・・っ!?」


 そして、一通の封筒が足元まで落ちてきた。

 それは、運命のいたずらか、はたまた別の何かの計らいか。


「これは、これなら・・・!!」


 その封筒の差出人には、ある名前が刻まれていた。

 霧間八雲と。



---------


「へぇ、月宮と霧間が手を組むねぇ・・・月宮久雷は、寿命が近いのかな?ずいぶんと、物騒なことを考えるものだね!!」


 どことも知れない、光のない黒一色の場所。

 そこで、一人の骸骨のような男が安楽椅子に揺られていた。

 不思議なことに、男が椅子を軋ませるたびに「ウ゛ウ゛・・」といううめき声がするが、その声の主は闇に包まれていて判然としない。


「ま!!それもいっか!!面白そうだしね!!!」


 片目をつぶり、手に持っていた杖頭の髑髏の眼窩を覗き込みながら、死霊術師は、ヴェルズは笑った。


「いつまでもボクがお膳立てしたんじゃあ、つまらない!!ボクの子供たちに比べれば格落ちするが、試練はいくつあってもいいものさ!!!彼らがどの程度進んだのか見るいい機会だ!!」


 ヴェルズが笑う度に、ギシギシギシと安楽椅子が揺れる。

 人間の腕を模したかのような手すりに頬杖を突きながら、楽しそうに、ヴェルズは表情を歪める。



--ヴヴヴ・・・・


 

 まるで人間を一人、縦に半分に割って無理やり椅子に加工したかのような物体に腰掛けながら。

 背もたれの頂点から、腐ったような赤い液体が涙のように流れていたが、ヴェルズがそれを気にすることはなかったのであった。

 


---------

 


 この時、ヴェルズですら思わなかった。

 月宮久路人という青年の思い込みから来る暴走がいささか物足りない試練を大きく変貌させ、図らずも己の願いに大きく近づくことに。

 祝福された青年と蛇の少女のねじ曲がった想いが、大きな転機を迎えることになることを。


感想下さい!!あと、なろうでもランキング入りたいので評価も下さい!!!

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