白蛇と彼の一日(中学生編・夜の部・前半)
久路人の戦い方は私が愛読して止まないとある小説のボスモンスターモチーフです。
今回、ちょっと際どい描写があるので、ハーメルン版から少し削っています。
11/18 短編版と統合するにあたって、タイトルを変更しました(旧題:彼が白蛇の化身と出会うまで)
月宮家の 裏庭は広い。
田舎の街のさらに外れということもあり、京は周辺の土地をかなり広く買い取ったのだが、屋敷と同じく学校のグラウンド並みの広さの庭にも結界が張られている。
単純な侵入防止用のトラップもあれば、屋敷を丸ごと認識されにくくする認識阻害、果てには庭の損傷の自動修復に雑草、害虫駆除機能まで盛り込まれた傑作であり、当然のことながら防音完備である。
ただ、庭と言っても殺風景で、表側はまだ植木や申し訳程度のエクステリアで体裁を整えているが、裏庭は完全にただの運動場である。
そんな夕日が沈みかけ、設置された灯篭の灯りに照らされた庭で、一人の少年と少女が向かい合っていた。
「・・・・・」
「来ないの?なら、今度はこっちから行くよ!」
先に動いたのは白い着物を身につけた少女、雫だった。
その手には、まるで水晶から削り出したかのような美しく煌めく透明な薙刀が握られていた。
対する少年、久路人は黒髪を逆立てたまま答えずに手に持った竹刀ほどの長さのある十手を構える。
「やぁあああっ!!」
足をトンっと軽く踏み鳴らすとともに周囲の地面を凍らせると、スケート選手の如く滑り込んで久路人に迫る。
恐ろしいのはそのスピードだ。
氷の上という普通ならば不安定な環境を逆に利用し、人間の動体視力では追いつけないほどの速さで迫り、薙刀を振るう。
その振りは迷いなく達人のように研ぎ澄まされた鋭さで久路人を襲う。
「っ・・・」
しかし、久路人はその人外の動きに対応し、服を掠めるギリギリまで見切って避ける。
その靴はただのスニーカーだったが、いつの間にかメタリックな黒に染まっており、靴底にはスパイクが生えている。
これによって氷の上でも滑らず、安定した立ち回りができるのだが、秘密はそれだけではない。
「とぉおう!! ふんっ!! せぇいやぁあああ!!」
「フゥッ・・・!!!」
続けて間髪入れずに振るわれる高速の三連撃も、やはり体をわずかに揺らすように動かすだけで回避する。
久路人の回避という選択は正解だ。正真正銘人外の膂力で振るわれる薙刀をまともに受け止めた時、骨折で済めば運のいい方だろう。
轟っ!!という濁流のような勢いの攻撃を無理やり止めようとすれば、腕だけが吹き飛んでもおかしくはなかった。
雫が放つ殺気は本物であり、「必ず切り裂いてやる!!」という強い意志を感じさせる。
「・・・・・・」
そんな自らの命を簡単に奪いかねない殺意と斬撃の嵐の中、久路人はじっと雫の動きを観察する。
その《《紫色》》に染まった瞳は、付け入る隙を常に探すように鋭く絞られ、足元を一切見ることなく複雑なステップで雫の攻撃をかわし続け・・・
「っと!!」
「!!」
薙刀という間合いの長い武器を伸ばした後の、武器を引き戻してもう一度振るうために生じるほんのわずかな隙。
その隙を久路人は見逃さなかった。
「はぁっ!!」
「わぁっ!?」
バチリという電流が流れるような音とともに、バックステップで下がる雫に食らいつくように素早い踏み込みで距離を詰め、勢いが乗る前の薙刀を十手で絡み取る。
「でもっ、力比べならっ!!」
「正面から張り合うわけないだろ!!」
雫もさるもの。
不利な体勢で得物を封じられかけるも、人外の力で無理やり振りほどこうとするが、久路人はその力を利用するかのように逆らわずに流され、器用に手首を捻ってその力の流れに薙刀も乗せる。
「フッ!!」
「ええっ!?」
結果、薙刀は自ら離れるように雫の手からすっぽ抜けて飛んでいき、雫は丸腰になった。
武器を手放した相手に決定打を与えるべく、久路人は十手を突き出すが・・・・
「まだまだぁっ!!」
「チっ・・・」
雫が瞬時に作り出したもう一本の薙刀に阻まれ、追撃を諦め後退した。
「・・・・・」
「ふぅ~、危なかったぁ・・・・その術、本当に便利だね」
割と本気で焦りつつ、雫はバチバチと《《紫電》》を纏う久路人に声をかける。
「雷起」
多くの異能者が人外の身体能力に追いつくために使用する基本にして、己の霊力を使った「強化」系統の術の一種。
天候にまつわる能力を持つ者が多い月宮家の中でも、類を見ないほどに強力な「雷」の能力を持つ久路人独自の術だ。
身体強化系統の術は腕力、脚力、持久力、耐久力、動体視力などを人間の限界を大幅に超えて強化するが、雷の性質とともに特異な霊力を持つ久路人の場合は、普通のそれよりも効果が大きい上に、動体視力と反射神経、集中力、神経伝達速度などの「神経系」にまつわる全般と精密動作性、耐電性を人外すら凌駕するほどにはね上げる。
人間の姿とはいえ、大妖怪たる雫の本気の猛攻を見切らせ、得物を手放させるような技を可能にするのも、この術あってこそである。
久路人が集中すれば、さきほどの雫の攻撃も文字通り「止まって見える」状態であり、「どのように動けばよいか?」という問いにも瞬時に回答を導き出せる。
もっとも、そのように判断できるのはこれまでのメアとの手合わせによる経験があるからだが。
「そっちこそ、その薙刀、やっぱり厄介だな・・・・」
「ふふーん!! そうでしょ!! 氷は電気を通しにくいって前に調べたもん」
雫の持つ薙刀は、雫が自身の力で作り出した氷を圧縮したものだ。
雷起を使用している久路人の攻撃は電流を常に纏っており、一撃一撃がスタンガンのようなものだが、雫の氷の薙刀には通用しなかった。
電熱を利用すれば対抗できるかもしれないが、氷を溶かすまで組み合っていては鍔迫り合いにならざるを得ず、結局は力比べになってしまうだろう。
「タイプ相性で言うなら私が有利!! さあ、久路人。大人しく服を・・・・」
「断る!!」
紅い眼を輝かせながら薙刀を再度構える雫を前に、今度は久路人から仕掛ける。
久路人が腕を振るうと、靴と同じくその黒い学ランをびっしりと覆っていた黒い粒子が雷を纏いながら礫となって飛んでいく。
「甘いっ!!」
銃弾もかくやという速度で飛ぶ黒いナニカを、ピッチャー返しの如く薙刀で打ち返すが、地を這うように身をかがめて駆ける久路人には当たらない。
ギィン・・・と久路人のベルトを掠めるように飛んで、氷にめり込んだのは鈍く輝く黒い金属であった。
「黒鉄」
久路人の霊力をよく馴染ませた砂鉄が変容して生まれた物質であり、久路人の意のままに操ることができる。
久路人は日頃からすぐ近くにこの黒鉄を細かく散布しながらプールしており、非常時にはこの金属を服に纏わせる。靴を覆い、スパイクとなっているのもこの黒鉄である。
もっとも、服に纏わせられるくらい「意のままに」コントロールできるようになったのは、必要性に迫られたためについ最近のことであったが。
だが、そんな努力が実を結んだからこそ、こんな奇襲もできる。
「咬みつけ!!」
「えっ!?」
雫に当たるか当たらないかスレスレの位置に放たれた礫とは別に、その背後に打ち込まれた黒鉄が元の砂鉄に戻り、そこからさらに雫の本来の姿のような蛇に姿を変えて襲い掛かった。
雫はつい後ろを向いてしまい、その隙に久路人が懐に入り込むのを狙い・・・・
「なーんて、ね!!」
「!!」
しかし、これも失敗。
雫の瞳が輝いたかと思えば、砂鉄の蛇はたちまち氷の中に閉じ込められる。
それと同時に、久路人の方を見ずに振るわれた薙刀が襲い掛かるが、久路人は地面を強く踏み込んで急ブレーキをかけ、即座に後ろに下がり、間合いに入ることだけは免れた。
だが、無理な体勢で制動をかけたことで、久路人の動きが止まる。
「いざ、御開帳ぉぉおおおおお!?」
そして、今度こそ久路人に唐竹割りを仕掛けるべく、力強い踏み込みで前に進んだ雫であったが、今度は雫の方が止まる番であった。
雫の眼の前にあるのは、バキンと氷を砕いて現れた、黒い握りこぶしを先端に象った鉄の棒だ。
「クソっ、ちょっとズレたか」
雫の前髪を掠めて地面から伸びる棒は、久路人が後退する直前までいた地点の地下から伸びていた。
下がる前に地面に黒鉄を埋め込み、蛇に変形させたのと同様に遠隔発動できるトラップとして利用したのだ。
さすがの久路人も、目に視えない部分に働きかけて正確にタイミングを合わせるのは難しかったようだが。
ともかく、二人の攻防の交錯の結果、お互いに近距離でのにらみ合いとなり、振出しに戻ってしまった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
これまでのせめぎ合いはまったくの互角。
大妖怪として身体能力、霊力という単純なステータスに優れる雫を、人間でありながら技に長ける久路人がいなしながら食らいつくという形だ。
この時点で、久路人も充分人外の領域にいると言ってもいいだろう。
だが、雫が周りの地面のように涼しい顔をしているのに対し、久路人の額には若干汗がにじんでいた。
久路人の霊力は大妖怪を超えるほどに潤沢で、術の効果時間もほぼ常時続けられるほどに長いが、その体は人間のモノだ。強化し続けられる時間には限界があった。
ここまでは互角。だが、次からは・・・・
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そのまま二人はお互いの顔を正面から見据えるが・・・・・
「・・・・その、そんなに見つめられると、ちょっと」
「・・・・はァ」
先に雫が顔を赤らめて目をそらすと、気が抜けたのか、久路人はため息をつく。
それと同時に、庭に灯っていた灯篭の灯りが弱まった。
「あ、ご飯の時間だ」
「もうそんなに経ってたんだ」
月宮家には灯篭の灯りが弱まる=夕飯の時間というルールがあり、「妖怪に襲われたときに対応できるようにするためのトレーニング」は終了である。
もしもこれを破ることがあれば、メアは容赦なく二人の分の食事も食い尽くすということを二人は良く知っていた。
「今日はカレー作る予定だっけ?」
「ハンバーグもだね」
久路人が雷起を解いて元の黒目に戻ると、雫も薙刀を水に戻し、地面に残る霜とともに消す。
そして、それまでの気迫に満ちた姿が幻のように、二人は和気あいあいと家の中に入っていった。
これももまた、月宮久路人と雫の日常である。
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始まりは、小学校の頃の久路人が妖怪に対して危機意識をほとんど持っていなかったことだ。
「妖怪相手に警戒しないのはいいが、それなら余裕ぶっこけるだけの実力つけてからにしろや」とは京の言であり、小学校低学年の内は走り込みや受け身などの基礎を京の護衛としての実績があるメアが徹底させた。
その後、「いつまでも異能のことを知らないのはまずい」ということで京が霊力の扱いを肉体的なトレーニングと並行して教えるようになる。
小学校高学年からは護身用の武器が与えられ、「妖怪相手でも絶対に生き残れるようにしろ」という主の命令に忠実に従ったメアと武器あり異能ありの超スパルタ実戦形式組手が行われ、それはつい最近まで続いていたのだが、約一月前に雫が人化したことで様子が変わる。
「久路人が他の女と付きっ切りでいるなんて我慢できない!!」
そんな想いを胸に雫がスパーリング相手として名乗りを上げたのだ。
雫としてはメアの想いがどこに向いているのかは重々承知しているが、「それはそれ、これはこれ」であった。
蛇の姿の時は細かな制御が苦手のため相手をする許可が得られず内心もどかしかったのだが、人化の術によってその事情は改善されたために認められた。
人化の術の効果により、その動きは願いの影響を受けるが、雫は姿のイメージ不足を補うほどに強い願いを持っている。
そのため、最初から武芸の達人の如く体を意のままに動かすことができ、武器を使った打ち合いもできるというのもポイントであった。
こうして雫は、「はいはいご馳走様です。まあ、私としてもこれで時間を割かれることもなくなるからいいんですけど」というメアと交代し、毎日夕方に久路人と二人きりで過ごせるようになったのだ。
しかし、何の問題もなかったわけではなかった。
「久路人~、運動もいいけどたまにはしっかり休まないとダメだよ!!」
「久路人!! 私が買ったパックの方にシクレア入ってた!! デッキ調整したから、おい、デュエルしろよ!!」
「え~、久路人に武器を向けるなんてできないし~」
などとほざきながら雫が久路人の教導役という立場を濫用するようになったのだ。
なんだかんだ言ってそこそこ付き合いのいい久路人も「しょうがないにゃぁ」と結果的にサボる始末。
これには京もぶちギレ寸前になり、京の意を汲んだメアが見た目13歳の雫に、「主人公が戦闘中、安全なはずの拠点に籠っていた守られ系ヒロインが侵入してきた敵に・・・・」というシチュエーションのR18本を大量に読ませ、雫の脳を破壊。
「時代は主人公の隣で戦えるヒロインだよね!!」という風に破壊された、もとい目が覚めた雫はトレーニングに積極的に取り組むようになった。
その光景を見て、「君、素質あるよ」とメアが言ったとか言わないとか。
ともかく、これで雫もまじめに修行相手を務めるようになったのだが、それでも「久路人に武器を向けるのは・・・・」という問題は解決しなかった。
雫としても、護衛である自分だけでなく、久路人もいざという時に動けた方がいいというのは理解しているが、万が一傷つけてしまったらと考えたら手が鈍るのは仕方ないと言えるだろう。
そしてとうとう、「久路人が力及ばず攫われて・・・・・この街丸ごと凍り付かせてやろうか?」という思考と「これは愛の鞭、これは愛の鞭、でも私、久路人相手ならどっちかというとMだし、いや、Sも興味ないわけじゃないけど」という思考がせめぎあった結果、ついに天啓に至った。
久路人を傷つけるのがダメなら、久路人の服だけに狙いを絞ればいいのでは?
この閃きが走った時、雫は運命を司る神の存在を信じたかけた。
それほどの天才的あるいは悪魔的な発想であったのだ。
これによって雫は久路人の意外と引き締まった腹筋や、意外な力強さを思わせる大胸筋、見ずともわかるセクシーさを持つ僧帽筋をトレーニングという大義名分のもとに合法的に観察するチャンスを得るために武芸と異能に磨きをかけ、それに引きずられるように露出癖のない久路人も貞操を守るべく修練に励むようになるのだった。
これぞまさしく切磋琢磨というものだろう。
ちなみにこの後、汗をかいていた久路人から風呂に入ったが、「さ、さすがにバスタオル巻いただけで突入っていうのは・・・・でも」と、久路人の次に入る予定の雫が脱衣所で悶々としていたのは別の話である。
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月宮家、リビング。
そこは今、奇妙な圧迫感に包まれていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
固唾をのんで見守るのは、エプロンを付けた久路人と雫の二人だ。
その視線の先には、箸を器用に持つメアがいる。
メアはパーツにホムンクルス由来の生体パーツを使っているせいか、普通に食事もとれるし、京に出す食事を作ることもあって味覚も優れているのだ。
ちなみに京は「阿保らしい」とばかりにビールを飲みながら枝豆をつまんでいたが、3人の視界には入っていなかった。
「では、いただきます」
ゴクリ・・・
その音は、思わず唾をのんだ久路人と雫の出した音だったのか、あるいは咀嚼を終えて嚥下したメアのものだったのか・・・・
目を瞑りながら一口食べ終えたメアは、そこでおもむろに目を開き、言葉を発する。
「つまらないですね」
その評価は辛辣だった。
そうして、数々の美食を口にした評論家のように、メアは語る。
久路人と雫は初心者だ。ならば、先達の言うことを素直に受け入れねば上達はないという意識の下、メアから語られる厳しくもありがたい指導を聞こうと思い、たたずまいを整える。
「こういう料理をし始めたばかりの少年少女は、メシマズか、あるいは、「俺、なんかやっちゃいました?」とか無駄にムカつく感じに上手いというのがお約束で、こんな普通の味は・・・・」
「メアよ、お前いい加減二次元と三次元を混同するのは止めろと言っておるだろうが」
「というか、今までの無駄に話しづらい雰囲気は何だったんだよ・・・」
が、そんな立て板に水と言うようにスラスラと語られる評価の内容が、雰囲気と覚悟に反してあまりにもしょうもなかったので、とうとう二人はツッコんだ。
「だから阿保らしいって言ったんだよ」と言いながら、京がちゃっかりと二人の作った料理を口に運んでいるが、誰も反応しない。
京は少し悲しくなったが・・・・
「ん~~、久路人の焼いたハンバーグは火加減はいいが、事前のこね方が甘いせいで小麦粉がダマになってんな。あと一個卵を足してもいいかもしれねぇ。雫は汁物作るのは相変わらず上手いが、久路人とは逆に焼くのが下手だな。バラ肉が固まってるせいで食感が悪い」
「あ~、確かにこねる時間少なかったかも」
「むぅ、解凍はしっかりしたんだがなぁ」
メアよりもよほど具体的なアドバイスをすると、久路人と雫はそろって反省した。
「クソイキリマウント造物主様。初心者相手に料理の玄人っぽく振る舞えて満足ですか?」
「お前がまともに評価してりゃそもそも済んだ話だろうが」
自分の見せ場を奪われたのが悔しかったのか、今日もメアは毒舌だ。
これで内心はかなりデレているのが信じられないと雫は思う。
リビングはガヤガヤと騒がしかったが、これが最近の月宮家夕食の光景だ。
発端はやはり雫が「私も久路人に手料理作りたい!!」とメアに料理の手ほどきを頼んだことに始まる。
雫が料理を習い始めたのを見た京が、「料理は覚えて損はないからお前も覚えとけ」と久路人もねじ込み、二人そろって料理を作るようになった。
久路人は異能のおかげで電子レンジとIHクッキングヒーターを常時感覚的にコントロールしながら並列稼働でき、雫は汁物の濃度が見ただけでわかるので、一部の料理の上達は早かったが、それ以外はまだまだである。
とはいえ、二人とも並み程度には器用でメアの指示には従っているので、極端にまずいモノは作っていないが。
「うーん、確かに普通の味だ」
「なんというか、ちょっと粗はあるけど普通に食べられるっていう微妙な感じだよね」
ともかく、一時は妙な雰囲気になったが、運動をして空腹だったこともあり、4人は食事を始める。 味は悪くはないし、話のネタにもなるのでリビングは料理の話で盛り上がっていたが、そこで久路人は雫の方を見て、ある疑問を抱いた。
「あれ、雫、血は飲まないの?」
「えっ!? あ、い、いやぁ~、今は血の味よりもご飯の味に集中したい気分なんだよね。久路人の血は食後のデザートっていうか?」
「ふ~ん?」
最近、雫が自分の血を飲むところを見ていない気がすると久路人は思った。
蛇の姿では、食事の時に一緒にビンの中身をチロチロ吸っていたのだが。
まあ、血を溜めるボトルは数日おきに空になるし、雫の力が衰えている感じもしないから、飲んではいるのだろう、と久路人はそれきりそのことを考えるのを止め、目の前の料理に集中する。
「・・・・・・」
そんな久路人を、複雑そうな顔で雫が見ていたことに、彼は気が付かなかった。
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夕食を食べ終えて、明日の仕込みを行った後は、久路人の案内で部屋に向かい、しばらくダラダラと過ごすというのが蛇の時も人の時も変わらないルーチンだ。
朝方に不法侵入するなら、この時久路人の部屋にとどまればいいのでは?ということを雫も考えないではなかったが、久路人の部屋は見たところ廊下よりもさらに厳重に管理されており、一定の時刻を過ぎると雫を強制的に封印部屋に戻すという機能が仕込まれているのが分かると、早々に諦めた。
決して、自分から「今日は久路人の部屋で寝たいな?」と言うのにヘタレたわけではない。
「えっと、サ行変格活用とナ行変格活用は・・・・」
「うぇ~、久路人よく古文なんてやる気になるね~」
「・・・お前がそれ言うの?」
この時間に二人がやることは日によって様々だ。
特にこれといって面倒な宿題がなければ昔のようにボードゲームをしたり、ポケットにいるモンスターで通信対戦したり、遊びの王のカードゲームでデュエルしたりとやりたいことをやる。
だが今日は古文の宿題があり、久路人は教科書の古文の現代語訳をしていた。
「別に私は人里に行ったこともあまりなかったし、文字なんて読まなくても生きていけたし」
「だから古文の時間眠そうだったのか」
雫はかなり長生きをしているが、大半を弱肉強食の野生世界に身を置いており、十分な力を得て安全で安定した暮らしと退屈しのぎをしに現世に来た時も人間に興味をあまり持たなかったので文字を知ることもなかったのだ。
「あれ、そういえば雫って相当長生きしてるみたいだけど、何歳な・・・・」
「久路人。いくら久路人でもしていい質問と悪い質問があると思うの」
雫はにっこりと可憐な笑みを浮かべるが、その薄く開いた紅い眼は対照的に全く笑っていなかった。
心なしか、夏が近いのに涼しくなったような気がする。
「・・・ごめん」
「ううん、わかればいいの。わかれば」
久路人が謝ると雫は正真正銘のほほ笑みを見せるが、久路人は二度と年齢関係の質問を雫にはしないと決めた。
「でも雫って、古文漢文より英語の方が得意だよね。リスニングも上手だし」
「だって今はもう使ってない文法なんて覚えても役に立たないじゃん。私には受験とかないし」
「そこはちょっと羨ましいかもな・・・・」
雫は久路人にくっついて授業を受けているが、生来の好奇心がうずくのか、意外に熱心に聞いていたりする。
英語のスピーキングの時に、周りに見えないのをいいことにクラスメイトが喋っているのを遮って久路人の相手を務めようと大声で英語を話すのが少し迷惑だが。
ただ、それは久路人が学生として学校に通わなければならないことが大きいらしく、二人で遊んでいる時の方が楽しそうではある。
「だったらさ、久路人、学校何てサボっちゃいなよ。家で私と日がな一日遊ぼ? 楽しいよ?」
「さすがに義務教育を受けずに中学を過ごしたくはないなぁ・・・そういうルール違反はよくないよ」
そのせいか、今のようにたびたび久路人にサボるように誘いをかけてくる。
久路人としても遊びたいのは山々だが、「学生は学校に通うべし」という社会的な常識を破るのはもっと嫌だった。
「久路人はホントにお堅いよね」
「別に普通だろ」
こうしてその晩も久路人の部屋に強制排出機能が発動されるまで居座り、久路人は眠りにつくのだった。
「じゃあ、おやすみ、雫」
「うん、おやすみ・・・・久路人」
部屋を去り際に、いつものように「おやすみ」を言い合う。これも二人のルーチンだ。
だが、今日の訓練が堪えたのか、久路人はもう眠そうだったので夕食の時のように気が付かなかった。
「・・・・・・」
雫がどこか後ろめたい表情をしていることに。
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「はあ・・・・・」
月宮家の2階にある一室で、少女はため息をついた。
久路人の部屋から少し離れた場所にあるその部屋は、妖怪などに対する罠が唯一仕掛けられていない、雫の自室だ。もっとも、雫としてはここを自分の封印部屋としか思っていないが。
この部屋には蛇であった時から寝るかテレビを見るためにしか使わない。漫画の類はメアの部屋に置いてあるし、ゲームは久路人の部屋だ。最近では自分の私物は久路人の部屋に行く口実も兼ねて少しずつ移していた。
そんな部屋に新しく京が作ったベッドの上で、雫は紅い液体の入ったボトルを手で弄ぶ。
「久路人の血・・・」
その血は、力を封じ込める器の中にあってもなお美しかった。
ひとしきり満足した雫は、ボトルの蓋を開けて、その白く美しい喉を鳴らし紅い液体を飲み込んだ。
「やっぱり美味しい・・・・」
この味は、昔から何一つ変わらない。
量も質も増え、普段身に着けている護符が役に立たなくなりつつあるが、久路人の血の味は今も雫を満たす極上の味わいだった。
昔ほどではないが、自分の霊力がわずかに増すのを感じる。
それに・・・・
「んぅ・・・・」
少女から、その幼さの残る見た目に似合わない艶めかしい声が漏れる。
普段は雪のように白い肌にも、火照ったように赤みがさしていた。
「はぁはぁ、んんっ・・・」
体が熱い。
その吐息には火傷しそうなほどの熱がこもっていた。
「久路人、久路人ぉ・・・・」
数百年の時を経て出会った、想い人の名前を口にする。
「はっ、あっ、んっ・・・」
興奮する。
その色に、その香りに、その味に、己の力の増大に。
だが、何よりも・・・・
「久路人が、私の中に・・・・」
最愛の雄の一部が、自分の体の中に入ることに。
己の中で溶けて、自分の一部と化すことに。
自分が、久路人に染め上げられていくことに。
「ん、あっ、んんぅぅ~!!」
限界に達したのか、雫は一度ビクンと震えると、くたりと脱力したようにベッドに横たわった。
「はぁはぁ、ん、はぁ・・・」
ボトルに溜めてあった、やや鮮度の低い血を飲んだだけでこれなのだ。
新鮮な血ならば、それこそ、久路人の匂いに包まれながら、吸血鬼のように直接その体から吸えば・・・
いや、逆に今日の訓練の時のように久路人の方から全身で自分にぶつかってきて、この身を押し倒し、そのたくましい体で・・・・
「・・・・ははっ」
そこまで妄想して、雫は歪んだ嘲笑を浮かべた。
この身に走った確かな快楽と、暗い悦び。今、心にに満ちる罪悪感で胸が張り裂けそうだった。
「契約とは言え血を飲んでるだけでもアレなのに、それで興奮して自分を慰めるなんて、完全に変態じゃない。しかも、もっとグレードアップしようとするとか・・・・・」
ここ最近、久路人の前で血を飲まない理由がこれだった。
雫は人化を果たした時点で、久路人への恋心を自覚した。
だからだろうか、久路人の、想い人の血を吸うと、体が言うことを聞かなくなるのだ。
ただでさえ、血を飲むなどという「普通の女の子」から程遠いことをやっているのに、こんなアブノーマルな痴態をさらしていることなど、絶対に知られたくなかった。
「久路人は、今の私を綺麗って言ってくれた・・・・・」
雫は、あの日を、あの霧の中での言葉を死ぬまで忘れないだろう。
蛇の姿の時にもかわいいと言われたことがあるが、あんなペットに向ける言葉とは違う、「女の子としての雫」を指して言ってくれた言葉だ。
だからこそ、そんな「綺麗な女の子」らしくないと思われるようなことはやるべきではないとは思っているのだ。
こんなことを続けていれば・・・・
「・・・・そうだ、明日の朝に久路人の部屋に行けるようにしなきゃ」
そこで雫は立ち上がり、自らの異能で身を清め、水を消す。
そして、少しでも久路人に近づくために動き始める。
その積極性は、空元気に近いものだ。
もはや雫は己の気持ちを自覚した。もう止まれないし、止まるつもりもない。
「えっと、扉にかかってる術はっと・・・うん、大丈夫」
だが、もしも自分の歩みを止めてしまうことがあれば、その時自分は気付いてしまうだろう。
自分の心の奥に潜むものに。
「よし、廊下には出れる。後は朝と同じように・・・・って、ん?」
だから、雫はこのときも見て見ぬふりを・・・・
「え?なにこれ?」
直後、それまで薄々と考えていた思考が吹き飛んだ。
そして・・・・
「京~!!!!京、これはどういうことだぁああああああああああああ~!!!!!」
夜中の月宮家に、雫の怒声が響き渡ったのだった。
ちなみに、久路人はこの時には深い眠りについており、その日は起きることなくぐっすり眠れたという。
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