Run Like Hell【6/7】
☆
街灯。
瓦斯ランプの電柱の真下に、狐の面を被った人物が、出刃包丁を右手に持って、直立不動にしていた。
体格からすると、女性、しかも、少女だ。
狐の面の少女は、動かない。
「関わらず、立ち去るべきね」
出刃包丁を持った狐面の少女が、スポットに照らされている。
花屋敷に似合いそう。
興味がないわけじゃないけど、興味を持つと、破滅する予感がした。
わたしは、少女を横切る。
すると、
「春葉は、壊色お姉ちゃんを殺さないとならないんだよ。『ミサキ』である〈八咫烏〉は今や、あの退魔士と壊色お姉ちゃんに憑いている。春葉は、許せないな」
と、かなり説明的なことを言った。
思わず立ち止まる。
わたしを、殺すと、この娘は言っていなかったか?
わたしを、殺す?
なんで?
「なんでって、それは八咫烏に先導させて、たどり着いた先で〈調伏〉を行うのは、お門違いだからだよっ」
「意味がわからないな」
返答してしまった。
会話を、この危ない少女と、してしまった。
「水兎学は、〈調伏〉を行う。でも、それは帝都の理屈なんだよっ。土蜘蛛には、土蜘蛛の世界があって、それを壊すのは、いけないことなんだよっ」
「土蜘蛛は、国を乱す者たちだ」
「違うよ。今の国の〈体制〉が、狂っているんだよ? わからないか。わからないよねっ? じゃあ、死んじゃえ!」
出刃包丁を横に払う春葉というこの少女の攻撃を、バックステップでかわす。
今のは避けられたけど、わたしは戦闘に向いてない。
どうする?
春葉は走りながら出刃包丁を振り回す。
この戦い方は、剣術のそれではない。
わたしは迫ってきた春葉の軸足を薙ぎ払う。
盛大に転ぶ春葉。
起き上がり、狐面を脱ぎ去り、八重歯を出して、春葉は言った。
「春葉はねぇ、『十羅刹女』なんだよっ」
誰かが現れた。
その誰かは、春葉の背後の暗闇から、飛び蹴りを当てて、春葉を吹き飛ばす。
「痛いよっ?」
また転がって、手で身体を支え、起き上がりながら、春葉は飛び蹴りの人物の方を見る。
わたしも、見る。
飛び蹴りをしたのは鏑木盛夏で、その脇には、西洋の魔女の帽子をかぶった黒いローブ姿の女の子がいた。
わたしは喜色の笑みを浮かべた。
「盛夏と、それにつばめちゃん……」
つばめ。
鴉坂つばめ。
下宿・西山荘で、わたしの隣の部屋に住んでいる女の子だ。
「出たねっ! 八咫烏!」
つばめちゃんに向けて、春葉は言った。
飛び蹴りで自分も転んだ鏑木盛夏も起き上がり、転んで汚れた袴をはたいて、埃を落とす。
ここにいる全員に向けるように大きな声でしゃべる盛夏。
「確かに。八咫烏は『ミサキ』よ。高位の神霊が現れるときにその予兆となる役割を果たす、神霊。それが『ミサキ』」
「…………」
わたしは黙って、盛夏の話を聞く。
「ミサキは、憑物でもあり、今は水兎学派に〈憑いて〉いる。それが八咫烏である、鴉坂つばめという神霊よ」
……黒いローブ姿で、魔女かと思ってたわ。
「〈魔法少女結社・八咫烏〉のメンバーの一人が、つばめなのよ、壊色」
「さっぱりわからない」
「八咫烏は、高位の〈退魔する者〉を先導することもある。つまり〈索敵能力〉を有した、レーダーとナビゲーションの役割を果たす神霊よ」
うーん、外来語がよくわからない。
意味が通じたのであろう。
取り払った狐面を自ら踏み潰した春葉は、出刃包丁を握り締め、叫ぶ。
「なにが退魔よ! 水兎学も、それを精神的主柱にした先の〈革命〉も、間違っているのっ! あるべき場所にあるものは、そっとそこに置いてあるべきなのっ! 土蜘蛛と呼ばれるわたしたちは、〈追われている〉だけ! 被害者なの!」
退魔士・鏑木盛夏は詠唱する。
……生老病死。
……善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
…………〈悪人正機〉!
…………〈狂業信証〉ッッッッ!
短刀・蜘蛛切の刃は、春葉の心臓にぐっさりと刺さった。