第0話 橋の下のどらごん
8年前にSS掲示板に掲載した物語です。
春と呼ぶには肌寒い季節の話。
後にとーちゃんと周りで呼ばれるようになる二十代の青年が、帰宅の途についていた。
【寂しいという気持ちを持ってるなら、結婚しても大丈夫だろう】
社内で倒れた三十路の先輩社員が青年に語った言葉が耳に残る。
他に家族を持とうとせず、搬入先の病院で医師からの告知を静かな顔で受け入れていた先輩社員。社を代表して見舞いに来た青年に診断書の複写を託し、明日からは引き継ぎ作業になるから頼む、と十も年下の青年に頭を下げていた。
青年にも一応の家族はいた。
この御時世に幸運にも正社員となることが出来たのだ、そろそろ身を固めてもいいじゃないかと見合いを薦められてもいた。
青年が先輩社員に相談したのは、彼が倒れる二日前。
病床の上で先輩は、お前さんなら家族を持てるぞと、死相を浮かべた顔で無理やりに笑顔を作った。
夜の風が冷たい。
嬉しくも悲しくもなく、どうして先輩がという理不尽な怒りが胃の腑を鈍く熱く焼いている。怒りが冷めたら人目もはばからずに泣き出してしまいそうだった。
『泣けば良いではありませんか』
声は橋の下から。
いつのまにか土手の道を歩いていた青年は、心の中を読んだ声の主にぎょっとしつつ、自分の気持ちを認めたくない一心で怒鳴り返そうと声の主に視線を向け。
そこに一頭の美しい竜を見た。
『こんばんわ、お兄さん』
流暢な人語を話す竜は、身体が透けていた。
ああ、こいつもじきに寿命を迎えるのかと青年は理解し、不思議と心が落ち着くのを実感した。
『お暇なら、私が先刻産み落とした卵を預かってくれませんかね』
最期の懇願であろうに、あまりにあっさりとした語りかけに青年は苦笑し誠心誠意をもって、消える竜を前に頭を下げた。
先輩社員が息を引き取り、青年が見合いで結婚を決める一年前の出来事である。