ラーメンを食べにいったら、女子児童に因縁をつけられた
あの日、俺は生まれて初めて、カラスの襲撃にあった。
実を言えば、その一か月前には「親知らず」が生えてきた。そう、親知らずだ。俺は知らなかったよ。歯の名称であることはぼんやりと知っていたが、ぜんぜん知らなかった。
あれ、生えるときけっこう痛いんだな。
眠ろうとすると痛みがひどくなる。
とうとう虫歯になったかと不安を抱くほどの痛みだ。
寝付けないほど痛くて、歯医者に行かねばならんのかと思い悩み、寝るときだけ痛みが気になるとか虫歯にしてはおかしい、しばらく様子をみよう、と思い直したほどの痛みだ。
この痛みはなんなのか、ネットで検索して調べたよ。鏡で口の中をのぞいたら、奥歯のさらに奥のところから、斜め方向に歯が生えてきている。虫歯ではないことを確認して、ひとり安堵したものだ。もっとも、傾いて生えてきたせいで、噛み方に気をつけないといけなくなった。
下手をすると、歯の側面を噛んでしまう。
なかなかの圧力が、その歯の根元に伝わり、深部にダメージを与えてしまう。
成長途中の短い期間だけだったが、食事のたびに試練が待っていた。
一度だけ、おもいっきり失敗して半日以上苦しんだよ。
やっちまった瞬間は動けなかったな。
苦痛のあまり、一時間ぐらいは半泣きだった。
なんでこんな話をしているのかは自分でもよくわからないが、運気というか運勢というのか、そういうやつが関係しているのかもしれない、とも思うわけだ。変化が起きやすい時期であり、変革が起きる前触れであり、すべては、起こるべくして起こった出来事。
自分自身ではどうにもならない、抗いようのない流れのなかにあった。
そんなふうに考えることができたなら、どんな状況にあったとしても、自分自身を納得させて、素直に受け入れることができるのかもしれない。
いや、災難だったとか、特別運が悪かったとはおもっていない。
親知らずもそうだ。たしかに噛み合わせは悪くなった。食べかすも残りやすい。不衛生だ。虫歯になりやすいらしく、すぐさま歯医者に抜いてもらう人もいるそうだ。
俺はもちろん十分に気をつけているからこのままでいいと確信しているわけで、歯医者のお世話になる必要など皆無なわけだが、とにかく、親知らずというやつは、生える時期にも生え方にも個人差があって、なかには手術で除去するしかないほど、異常な生え方をする人もいるらしい。
つまり俺は、良くも悪くもないわけだ。
全然まったく特別じゃない。
運勢に気をつかって生きてもいない。カラスから攻撃されるなんていう人生初の体験をしたあと、ほんのちょっぴりだけ、良くない時期というのか、良くない巡り合わせにあるんじゃないかと想像する程度だ。
話をカラスに戻そう。○○駅の近辺。ご存知のとおり、あのあたりにはまだ自然が残っている。木立ちがあり、野鳥も集まる。もう十年近く通いつづけた道だった。正確な日付は覚えていないが、桜の花は散っていて、まだ少し肌寒く、ときに鼻水が止まらない時節の、月曜日の出来事だ。
朝、アパートを出たときには、雨が降っていた。
当然、傘をもってでた。
使いこんだ、カラス色の傘だった。
傘をさして歩いているうちに、小雨になっていた。
降り止んだような気がして、確かめるつもりで傘を傾けた、そのときだった。
一羽のカラスに頭を蹴られた。
にわかの出来事に、最初はなにが起きたのかわからない。いきなり頭頂部を踏みつけられたってだけで、痛みはなく、挙動不審になるほど驚いたわけでもない。
頭の上、視界外の犯行であり、正体を目撃したわけじゃない。わけがわからないまま反射的に見上げた。枝に止まった一羽のカラスが、やかましく鳴き声をあげている。見つけた瞬間、あいつに蹴られたと理解した。それはもう、不思議なくらい直感で悟った。
とはいえ、なにか頭のうえに落ちてきたものがないか、小銭を落とした人のように、地面を見まわしていた。俺の知識では、カラスに襲われる理由を見つけ出すことができなかったからだ。
重ねていうが、人生初の出来事だ。それらしき落下物を発見できず、かるいパニック状態に陥ったまま、その場をあとにした。怒りはなかった。俺のどんな行為があのカラスの機嫌を損ねたのかという、謎と不安感しかなかった。
そんな心理状態だからこそ、運勢がよくないんじゃないか、と無駄に思い悩むのだろう。もっとも、原因を突き止めて行為を改めねばカラスの集団に襲われるかもしれん、といった不安感など、二時間後にはきれいさっぱり忘れ去っていた。
ようするに俺の日常は、
鳥類から理不尽な暴力を受けるなど想像したこともなかった俺の人生は、
平穏そのものといえるのだろう。
そのことに疑いはない。疑うべくもないが、ランドセルを背負った十歳くらいの女子児童に、真正面からビシッと指をさされて、
「おまえ、どうして自分が平和に暮らせているのかわかっとらんな」
とか非難されても困る。
カラスアタックの比じゃないくらい呆然とするし挙動不審に陥る。
そう、爺言葉で……いや、話が変わったように感じるのは当然だが、ようやく本題に入ったのだと理解してほしい。もともとカラスとか親知らずとかはどうでもよくて、この不思議系とも表現したくない子どものほうが、諸々の経緯にかかわってくる。
時系列に沿って順序よく語ろう。
カラスの襲撃から二時間後、俺は淡々と事務作業をこなしていた。
さして集中力を要する作業ではない。ミスを出すつもりはないが、つねに全力で生きていると身体がもたない。
「最近太ってきたわけよ」
と愚痴りはじめた同僚に向けて、
「おまえは最近太ったんじゃない。太りつづけているだけだ」
と事実を述べつつ、
「食事制限。あと筋肉つけて代謝を上げろ。ジムにでも行ってこい」
と建設的な意見も述べたはずだ。
あいつはきっとなにもしないから、あのまま順調に肥え太ってゆくのだろう。
醜く肥え太った醜悪な動物になってしまうのだろう。
美しく肥え太った魅力的な存在になることはないと確信している。
もしもあいつが千代の富士のようなカッコいい男になったら、俺も真剣にジム通いを検討する。
それはともかく、俺は業務を無難にこなして、同僚とともに、昼食をとりに外出した。「いいところを見つけたわけよ」、と語る、小一時間前にダイエットを決意した同僚に導かれて、一軒のラーメン屋に向かった。
人口減少の著しい、人通りの少ない商店街を抜けて、
「お前どうやってこの店を知った?」
と問いつめたくなるような、人の気配がしない路地裏に、その店はあった。
年季の入った風情ある小さな店。
掃除と整理がゆきとどき、古くはあっても美しくみえた。
店主夫婦は、ともに三十代そこそこで、人の良さそうな感じがした。匂いが食欲を刺激する。にもかかわらず、神社の境内に入ったかのような、清々しい気分になった。同僚の自慢話にしか聞こえない事前情報はあるにせよ、しばらくはここに通うだろう、と食べる前から確信した。
狭い店内には、一人だけ先客がいた。いったん気に入ると、悠々と新聞を広げてテーブル席に座っていた、THE・頑固爺さえも好材料だった。ラーメン屋の店内に頑固爺なんて、美術館に数億円の絵画が置かれているようなものだ。さすがに爺さんを愛でる気にはならないが、なにやらすごそうな場所におもえてくる。
店の規模に反して、メニューが豊富だった。
ただし、どれも数に限りがある。
限定ラーメンの種類の多さに、膨らんだ期待のはけ口がわからない。
俺は、この夫婦になら騙されても良いとおもった。ラーメンといえばいつも醤油か塩か豚骨から選んでいたのに、店主おすすめの味噌ラーメンを注文した。
味噌ラーメンを食べたのは、何年ぶりかも覚えていない。
参考になるかどうかはともかく、それまで食べたラーメンのなかで、一番美味かったとだけ伝えておこう。連休で全種制覇したらしい同僚が、濃厚豚骨のチャーシュー増し大盛りを選び、替え玉を頼んでいたことも伝えておこう。
俺たちは、絶品のラーメンを食べつくした。
ふたりとも、過不足なく支払いをして、満たされた気分で店を出た。
幸福であり、平和であり、平穏だった。
見事なタル腹をつくりあげた同僚の、緩みきったベルトのように気が緩んでいた。油断していたといってもいい。
「いや、ラーメンはないだろう」
言ったら負けのような気がして我慢していたというのに、美味いラーメンに夢心地で、すっかり忘れていた。忘れたままでよかったものを、店を出たところで思い出し、思い出した勢いでツッコミをいれてしまった。美味いラーメン屋の前で、なんと不謹慎なセリフだろうか。
当の本人は、「ちょっとなにを言われてるのかわからないわけよ?」といった顔をしていた。ダイエット宣言を本気で忘れていやがる同僚に、俺はあのときなにを言うべきだったのか。至極どうでもいいから忘れることにして、出会いを語ろう。
見た目は普通の女の子だった。
気がつけば、神秘的な雰囲気のかけらもない普通の女子児童に、おもいっきり指をさされていた。
俺たちを、ではなく、同僚を、でもない。
苛立ちをはらんだ眼差しは俺に向けられていて、俺は、
「おまえ、どうして自分が平和に暮らせているのかわかっとらんな」
と、爺言葉で責められた。
俺は言葉を失っていた。たぶん挙動もおかしかっただろう。なんの対応もとれなかった。敵意を向けられる理由がわからなかった。ランドセルからして小学生、低学年ってほどじゃない、学校はもう終わったのか。そういった関係のないことばかりが頭を巡っていた。
どういう意味だ? と本題について考えたころにはもう遅い。
こちらの存在を無視するように、女の子は、えらく不機嫌な顔のまま、大股歩きで勢いよく俺たちの横を通り、俺たちが出たばかりの、ラーメン店の扉を勢いよく開け、店内に入り、後ろ向きのまま勢いよく、乱暴に扉を閉めた。そして、THE頑固爺から爺言葉で叱られていた。
「ああ、そういえば、あの爺さんと女の子、いつも店にいたような気が、しないでもないわけよ」
と、真面目な表情で首をひねっている男がいたが、そいつがラーメン以外のなにを思い出そうが、もどって店の中をのぞく気にはなれなかった。
どうも巡り合わせが良くないという話を、同僚に語りながら会社にもどった。
カラスに襲われたと知って馬鹿笑いする同僚に、俺は少しばかりの元気を与えられ、結果、絶妙なスキルを駆使して仕事を押しつけることに成功した。
その日は早々に帰宅した。
人間関係にそれほど気を配る性質ではなく、いつでも頼れる素敵な先輩でもなく、OLでもない。付き合いを断り、愚痴を聞いて欲しそうな新入社員の疲れた顔から目を背け、占い師に相談することもなく、とっとと寝るために帰って、眠りについた。
布団の中ではぼんやりと、平和に暮らせている理由を考えていた気がする。
もっとも、親知らずには遠く及ばず、すぐに眠ることができる程度の気がかりでしかなかった。
翌日、火曜日。
午後になって、同僚とともに、同じラーメン屋を訪れた。
足取りは軽かった。妙な子どもにケチをつけられた程度で、遠ざかるような店ではない。平日の給食時間帯、会えば気まずい女子児童に遭遇する、そんな可能性を考慮するほど、睡眠時間に不足はない。だからもう、早いか遅いかの違いだけだ。
小学生の女の子と視線を飛ばし合うことになったのは、避けられない運命、必然の結果であったのだとおもう。ラーメンが美味すぎた。それが原因だ。
ほんのひととき、店内に微妙な空気が流れたのは確かだが、なにが起こるわけでもなく、事情を問いただすような無粋な輩もいなかった。店主夫婦はもちろん、その日もいた頑固爺さんも、新聞紙をずらし、俺と女の子にちらりと視線をよこすだけだ。同僚も何も言わない。席に着いたときには半笑いだったが。
女の子は、爺さんと同じテーブル席にいた。ランドセルを椅子の背にかけ、爺さんの前で本を手にしていた。新聞紙を広げる祖父をまねて、孫が本を読んでいる、そんな構図にみえた。
そのときはじめて、女の子が店主夫婦の娘である可能性に思い至った。感じのいい夫婦と感じのよくない子どもが親子であるなど、前日の俺は無意識レベルで拒絶していたのだろう。
親子三世代がそろっている可能性に気づき、ひょっとして俺たちしか客がいないのではないか、といったマイナス方面の可能性を憂いつつ、味噌ラーメンを注文した。
「胃腸にベリーなヘルシー料理なわけよ」
とのたまいながら、同僚は味噌ラーメンの大盛りを注文していた。
食事中、俺の懸念を晴らすように、客が三人はいってきた。
三人とも爺さんで、店主夫婦に気楽な挨拶をかわす常連客だった。見知らぬ客の存在に意表をつかれたのだろう。俺たちをみて、わずかに驚いた表情をみせていたが、興味はすぐに失せたらしい。陽気で図太く図々しい爺さんたちは、頑固爺さんの知り合いで、小学生の女の子のことも、当たり前のように受けいれていた。
そう、客がいないはずがない。
俺の気がかりが杞憂でしかないことは、ラーメンを食べていればわかったはず。
苦笑を禁じえなかった俺は、美味いラーメンを口にするたび、心と身体があたたかいもので満たされてゆくのを感じていた。元気な爺さんたちに囲まれ、気安い孫のごとくイジられている、女の子の様子をちらりとうかがい、なんとなく勝利を実感していたら、ものすごく睨まれたよ。
些事はあれども、あの店のラーメンには、強い中毒性がある。
気がつけば、俺は休日出勤も辞さない、立派な常連客へと進化を遂げていた。
順調にメニューを制覇しつつ、気分によって種類を選んでいた。割合でいえば、味噌ラーメンが多かったとおもう。ちょっと病んでいそうな新入社員を連れてきたときも、三人そろって味噌ラーメンだった。
その新入社員は、美味いラーメンを食べることで笑顔を取り戻し、店主の奥さんに励まされて元気になり、惚れてしまい、店主夫婦の仲睦まじさに居たたまれなくなり、仕事にやる気が出てきた振りをして、一人で会社に駆け戻り、社内のトイレで号泣しながら、失恋の悲しみをかみしめていたらしい。
後輩に美味いラーメンを奢り、徳を積んだような気がしていた俺たちは、上機嫌で会社にもどり、方々から、パワハラモンスターをみるような距離のある眼差しを向けられた。上役からは、
「おまえらあいつに何をした!?」
という誤解からはじまる的外れなお叱りを受けた。
あれからだろう。泣くだけ泣いて、吹っ切れて、さっぱりとした悟り顔でトイレから出てきて、集まった周囲の注目に気づかず、状況を悟らず、省みず、上役の前に陳列されていた俺と同僚に向かい、けっこうな声量で、
「ラーメン、美味かったっす!!」
と爽やかに言いきったとき、あいつの伝説は始まった。
二十歳そこそこの若い男が、仕事に情熱を燃やしはじめた話や、相当なお姉さん好きになっていた話などはどうでもいい。一人の若い男がラーメンを食べられなくなろうと、俺と同僚がその他の新入社員から敬遠されることになろうと、あの店のラーメンの美味さが変わることはなく、俺は、毎日通いつづけた。
毎日通えば、自然と情報も集まる。
寂れた商店街を離れ、空き家ばかりの高齢化地域の、人の気配のない路地裏にあるラーメン屋は、宣伝などしたことがなかった。あの店に通っていた客は、近所に暮らす高齢者たちだった。彼らが若いころから通っていたラーメン屋を、店主夫婦が引き継ぎ、生まれかわらせたという経緯もある。
頑固爺さんは、いつでも同じ場所にいて、もしかして置き物なんじゃないのかと疑うほど泰然としていた。そんな頑固爺さんの前には、だんだん眼つきが悪くなる女子児童が座っていた。
爺さんは新聞を丹念に読み込み、女の子は同じ本ばかり読んでいる。
もちろん、毎日ラーメンを食べていた。
こだわりがあるのかないのか、メニューの順番どおりに注文していた。
ふたりとも、一人前では量が多いらしく、いつも一杯のラーメンを分け合って食べていた。ちらりと見れば、爺さんの取り分のほうが少ない気がした。成長期の孫に譲っているわけか、などと推測していた時期もあったが、さっぱり系ラーメンのときだけ爺さんの取り分が多く、小競り合いが勃発していたことを考慮するに、脂っこいものがきついだけなのだろう。
ふたりが配分量でもめるとき、奥さんが笑顔で仲裁にはいり、店主が替え玉をサービスしようとするのを爺さんが頑として断り、ならば追加分を払うと言い出し、それを奥さんが鉄壁の笑顔で丁重に断っていると、女の子が先に食べはじめて爺さんが唸り、爺さんの血圧を心配するふりをしてあらわれる主人が白々しい態度で替え玉を追加する、といった一連のコントがはじまる。
そう、頑固爺さんと女子児童は、店主夫婦の親でも子でもなかった。
血縁関係はなかったが、爺さんが最初から大盛りを注文しようとすると、まったく聞こえないふりをする店主夫婦のふるまいが清々しい。温かくも血圧には厳しいような、愉快な雰囲気を作りあげていたように思う。
まるで家族のようだった。
というには爺さんが遊ばれ過ぎていた気もするが、他人行儀とはほど遠い、良好な関係であることは確かだった。
まあ、毎日通えば、親しみも生まれる。
何度となく顔をあわせれば、自然と挨拶くらいはするようになる。
毎日ラーメンを食べにくる頑固な爺さんは一人しかいなかったが、ごくまれに、爺さんたちの集会所に寄せてもらっている、としかいえない状況もあった。
そんなときは挨拶にはじまり、誰と会話しているのかわからない、スクランブルコミュニケーションがはじまる。
仕事があるときは途中で抜けられたが、休日の場合は逃げられなかった。
たずねてもいないのに、かつてのラーメン屋の話とか、かつての武勇伝とか、遠くにいる孫のこととか、持病自慢なんかを傾聴するはめになった。
人にはそれぞれの人生があり、それぞれの物語がある。
それはいいのだが、頑固爺さんは寡黙な気質で、身の上話など語らない。
眼差しは雄弁な女子児童も、はっきりいって無口だ。
だから、頑固爺さんと女子児童、GGとJJの物語は、周りの図々しい爺さんたちから聞かされた。本人たちが目の前にいるのに、ぜんぜん遠慮とかしないで語りつづけるのは、さすがにどうかと思ったけれども。
爺さん連中から聞かされたことを整理すると、GGこそ、ラーメン屋の前店主。どこぞの料亭で板前をやっていた男を、ラーメン屋に転向させるほど、美味しいラーメンをつくった職人。生ける伝説。
頑固一徹のラーメン職人は、もともと身体の弱かった奥さんを早くに亡くした。店を支えてくれた大事な人を失い、それでも黙ってラーメンを作りつづけたせいで、一人息子が家出をした。それでもラーメンを作りつづけていたら、息子が借金を抱えて帰ってきた。不動のラーメン職人は、黙って借金を清算したあと、黙々とラーメンをつくりつづけた。息子は、父と同じ道を選んだ。血を分けた息子は、やはり頑固な職人となり、昔ながらのラーメンにこだわる父と対立した。息子は修業の旅に出た。そして二度と帰ってこなかった。店にあらわれたのは、息子の事故死を伝えにきた若い女。彼女は身籠もっていた。男の孫にあたる存在を。
なので、GJの関係は祖父と孫娘であっていた。
拠り所のなかった若い女は、GGの庇護のもとで暮らし、店の手伝いをしつつ、無事に女の子を出産した。
俺としては、本当にGGの孫なのか疑いたくなったが、一家を見続けてきた近所の爺さん連中からすると、JJは、GGの息子の幼いころと顔が似ているらしい。さらにいえば、GGの奥さんの面影があるらしい。
俺と同じ疑念を、GGが抱かなかったとは思わない。
けれど、たとえ疑念が正しかったとしても、おそらく、なにも変わらない。
それが頑固一徹のラーメン職人、GGのすごさだろう。
よき母であり、懸命に働く女性だったそうだが、一人娘が小学校にあがるころ、発病。身体のだるさは自覚していたらしいが、病院には行かなかったらしい。救急車で運ばれて、発覚した病名は、白血病。
なんらかの救いを、大きな存在にもとめたようだ。彼女は病院の本棚に置いてあった聖書を読むようになった。
その後、彼女は一人娘に、簡易版の聖書をプレゼントした。
最後まで、神さまが守ってくれるからね、と娘に伝えていたらしい。
自分が助かることよりも、娘を守ってほしかったのだろう。
彼女は天に召された。そっち系の宗教団体に改宗したわけではないので、ふつうに仏式の葬儀の後、GGの先祖代々の墓に納骨された。
なんというか、幸の薄さが半端ない。
というのが第一印象なわけだが、どうだろうな。
いつも同じ本を、母親からもらった聖書を読んでいる、彼女の娘を知っている。
幸福に満ちた人生とは思えないが、幸せな時間がなかったとは思えない。
翻弄されるだけの、弱い女性だったとは思えない。
愛すべきものを愛しきった、彼女は、ほんとうにすごい女性なのだろう。
GGにとっても、彼女の死は大きかったようだ。それでもラーメンを作っていたが、一度、大きく体調をくずしたらしい。無理ができるような年齢ではなかった。心配させてはならない、小学生の孫もいた。人口減少もあって、客足は減っている。店を閉めることを考えはじめた。
そんなとき、めずらしく新規の客があらわれた。転居したかつての常連客から、GGのラーメンの美味さを聞きおよび、食べにきたという。それが結局、押しかけ弟子に変貌。なんやかんや教えるうちに、ラーメン作りにはまってしまい、店を引き継がせることになり、俺の知る環境ができあがった。
とまあ、こういう話を聞かされたわけだが、途中、涙もろい爺さんがうるさい。GGもJJも泣いてないのに、またかよ、と言いたげなうんざり顔でしかないのに、もらい泣きする爺さんたちがやかましい。
そういう感じなので、JJは近所の高齢者たちに可愛がられている。
学校を早退してラーメンを食べるような小学生だが、学校へいって勉強しろ、ということは誰も言わない。GGにしても、扉を乱暴にあつかうと叱る、といった躾はあるようだが、学校教育というものに関心が薄い。勉学そのものに関心が薄いのかもしれない。とある職人気質の爺さんなど、
「いうても女の子じゃけん、べつに学校とか行かんでもいいじゃろ」
と言っていた。豪放磊落というのだろうか、JJを大切に想う、爺さんたちの懐の深さが伝わってきて、おそろしく時代遅れな思想のはずなのに、一周まわって時代の最先端を想像させる、妙に説得力のある言葉となっていた。
政治家だったら即辞任ものの発言なのに、JJが学校をサボっているから言っているだけで、JJが「医者を目指す」とか言いだしたら、無駄に感激して、真逆のことを言いそうなのに。
どうであれ、学校に行かなくても勉強はできる。それは間違いない。実際、JJはひとりで算数の教科書を読んで、ドリル問題をすらすら解いていた。とても頭がよろしい。仕事もはやい。
夏休みの宿題も早々に仕上げていたらしく、夏休みの末期、めずらしくラーメン屋にいないと思ったら、GJハウスで同級生たちに救いの手をさしのべ、神さま扱いされていたようだ。
店主の奥さんから事情を聞いて、おもわず、「友だちいたんだ」、と口走ってしまうほど驚いたわけだが、ぼっちでなかった衝撃がおさまると、JJの能力の高さについて考えがおよび、腑に落ちた。
それはそうだろう。生まれもった素質はどうであれ、ずっと聖書を読みつづけるとか、間違いなく普通じゃない。ユダヤ人がやっていそうな脳トレにもなっていて、もはや脳の構造から違っていそうだ。
俺もちょっと影響を受けて、新約聖書をぱらぱらと流し読みしてみたが、ダメだった。後半部分、パウロさんの苦労話としかおもえない。荒ぶるパウロさんがとめどなく愚痴っているようにしか読めず、挫折した。
以前、妙法蓮華経の現代語訳をぱらぱらと読んだときもそうだった。最上の仏典である、みたいな話を聞きかじって期待して読んで、これすごいよ、ほんとすごいよ、この教えを尊ぶ人は神仏が守りまくるよ、という説を読み、さらに期待が高まったのに、最後まで読んだのに、肝腎の、教えがなんなのかわからず、それきりとなった。
永く伝えられてきたものに力がないとは思わない。聖書も、法華経も、なにかがあるはずだ。これらの書物に力をもらった、という人たちがゴロゴロいるのだから、なにもないはずがない。一回適当に読んだくらいでわかるはずもない。
読書百遍、義、自ずからあらわる、というものだ。
しかし、くり返し読むには、それなりの信念らしきものが必要らしい。
俺には実践できそうにない。
母親を亡くしたJJが、どういった想いで聖書を読みはじめたのか。
どういった想いで、読みつづけていたのか。
俺には、わからない。
まあ、俺には涙腺のよわい爺さんたちのような図々しさがないので、GGやJJに対して余計な干渉はしなかった。ラーメンを食べるために店を訪れ、そこで顔をあわせる、それだけの関係だ。
とにかく俺は、毎日、あの店のラーメンを食べていた。
それだけ店に通えば、愛着もわき、ときには心配もしたくなる。
騒がしい爺さんたちがいないとき、つまり、客が四人しかいないとき、余計なお世話と思いつつ、「同僚にホームページでも作らせましょうか?」と話を持ちかけたことがある。そのときは、
「土地と店舗に費用がかからないので、これでも経営は安定していますよ」
と、奥さんが余裕のある表情でこたえてくれた。
あの夫婦は、盛況とはいえない、あの状況に満足していた。土地と店舗を貸していた頑固爺さんも、不満はなかっただろう。というより、あの人たち、先のこととか、なんにも考えてなかった。
常連客の寿命について考えるのは不謹慎であり、あの図々しい爺さんたちが亡くなるとか想像つかなかったけれども、あの人たち、ラーメンのことばっかりで、将来設計、ほんと、潰滅的だった。
「定休日、つくらないの?」
と尋ねたときも、不思議そうな顔をしていた御三方だ。
どこか狂っていらっしゃる。
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、いつでも店を開けてくれることに感謝しつつ、どこか申し訳ない気持ちを抱えていた俺は、空回りした気持ちを整理するため、あの店の将来について考え、勝手に憂いたりもした。
俺の気がかりが杞憂でしかないことは、ラーメンを食べていればわかったはずなのに。すべては、なるようにしかならないというのに。
AIの真価は、圧倒的な情報量からなる正確な未来予測だそうだが、凡人というものは、圧倒的に、情報が足りていない。思慮が足りない。だから、自分の頭で考える未来予測なんて、ほんとうに当てにならない。将来を憂いてあれこれ対策をたてたところで、どれほどの役に立つだろう。むしろ逆。余計なことをしでかして、いまあるものすら失ってしまう。
俺は知らなかったよ。
世の中の常識、あるいは非常識を、あまりにも知らずにいた。
ラーメン大好きな女子高生がラーメンを食べるだけの漫画が大人気、というのは知っていたけれども、ぜんぜん知らなかった。
世の中には、猟犬のような輩が美味いラーメン屋をさがしまわっているらしい。
店に通いはじめて半年が過ぎたころ、新規の客がわらわらと現われはじめた。
頑固爺さんと女子児童が、長々と居座っていられない状況になった。
それはどうしようもないことであったけれども、心苦しさを感じる店主夫婦がいて、活を入れる頑固な爺さんがいて、何かをぐっと我慢している女の子がいた。
行列ができるのも時間の問題だ。などと危惧した次の土曜日には、路地裏が人で埋まるほど、行列が出来あがっていた。
あまりに早い展開に、常連客四天王であった、俺と同僚、頑固爺さんと女子児童は、行列を眺めながら言葉もなく突っ立っていて、あと何杯で完売になるかを伝えに出てきた奥さんに、辛そうな表情で頭を下げられてしまった。
お気に入りの店が繁盛した。たとえ美味いラーメンを食べることができなくなったとして、なにを恨むことができるだろう。ラーメンが美味すぎた。それがすべての原因だ。
避けられない運命。
必然の結果。
遅かれ早かれ、こうなることは決まっていた。SNSで食通自慢をしていやがった同僚の首を絞めることはあっても、店主夫婦に贈るのは祝福の言葉しかない。
俺たちは心からのエールを贈った。
常連客としての誇りを掲げ、胸を張って歩いていきたい。しかし、どこで心を満たせばよいのだろうか。現実に直面すると、肩を落とすしかなかった。俺たちは、数の暴力によって安寧の地を追われた流浪の民、ラーメン難民でしかなかった。
ふと気になってGJたちをみると、あちらも俺たちの方をみていた。
それなりの親近感は持ちあわせていたわけで、ここにいたっては、一抹の喜びと悲しみを共有する、同志となっていた。もう会うことはないのかもしれない。そうおもうと、感傷の情がわいてくる。
俺は、頑固な爺さんが、ふっと笑みを浮かべる瞬間を、はじめて目撃した。
ともに祝おうか。そんな素っ気ないGGの申し出が、恥ずかしくなるくらい嬉しかった。JJも文句はないようなので、俺たちはありがたく誘いを受けいれた。そして、築年数も相当な、こぢんまりとしたGJハウスに招待された。
どうせなら盛大に祝いたい。あなただけに良い格好をさせるわけにもいかない。
そんな言い方をしてGGを納得させて、俺も財布の紐をゆるめた。
わらわらと集まってきた近所の高齢者たちとともに、なかなかに上等なもの食べ、ビールなんかを飲みながら、何度も何度も、ラーメン屋の繁盛を祝い、多くの客から称賛を浴びているであろう店主夫婦を祝福した。
酔いがまわり、いい気分になったり、寂しくなったり。
で、これで最後かとおもうと、いろいろと思い出して、気になりはじめて、どうしても確認しておきたくなった。
俺は、寿司を食べすぎて横になっていたJJに、声をかけた。
「あれ、どういう意味だったんだ?」
ほとんど独り言のように聞こえたらしく、JJは、なにいってんだこいつ、みたいな眼差しを向けてきた。およそ半年、アイコンタクトの技術は磨いてきたわけだが、こればかりは言葉で説明しないと通じない。
俺は、自分が平和に暮らせている理由について、教えを乞うた。
神さまのおかげ、とJJは言った。
気のない返事しかできない大人のせいか、起きあがり、のろのろと居住まいを正そうとする女子児童がいたので、俺はやんわりと制しつつ、しっかりと座りなおして傾聴の体勢を整えた。
JJは語る。
すべては神さまのおかげ。神さまはいつも平和をもたらさんとしている。神さまを求めれば、その人は救われる。その国は救われる。
神さまを求めるとはどういうことか。それは、いつも神さまを想うということ。いつも神さまのことを考えて、神さまに近づくということ。
それはとても簡単なことだけれど、愚かな人間は、いつも愚かな考えに支配されて、神さまから離れて、遠ざかっていく。
だけど、神さまは愚かな人たちにも光をもたらそうとしてくださる。
だから、アーメンと唱えなさい。
その言葉を唱えれば、神さまを求めることになるのだから。
傾聴して、なるほどそうですか、とうなずいた。信仰は人それぞれ、信じるか否かはともかく、異をとなえる気はなかった。だが、これだけでは説明が足りない。なぜ、初めて出会ったとき、俺は非難されたのか。俺は説教のつづきを待った。
JJいわく。
おまえはラーメンを否定した。
ラーメンを否定することは、神さまの愛を拒絶することである。
そう、傾聴してもよくわからなかったので、2~3回、問いただしました。
結果、似たような回答を3回ほど頂戴いたしまして、どうやらJJのなかで、ラーメン=アーメンになっているらしい、と判明いたしました。
「いや、アーメンではないだろう」
と、おもわず大人げなく反論してしまった自分を、俺は許したい。
だって、ラーメンだよ? 似ているけれども、音の響きはほとんど同じだけれども、ラーメンとアーメンをいっしょにするのはどうかと思うでしょう。
出来の悪い生徒をみるような、哀れみのこもった眼差しを向けるJJが、やれやれとばかりに肩をすくめて、俺に説教をはじめた。
ラーメンと唱えれば、光りがある。希望がある。平和がある。発展がある。日本が平和であったのは、ラーメンがあったからである。日本が発展をとげたのは、ラーメンのおかげ、神さまのおかげである。
神さまの愛により、まずは日本にラーメンが広まった。人々がラーメンと言葉にすることで、神さまの光が日本中にそそがれた。いずれラーメンは、神さまの愛により世界中に広まり、神さまの光は全世界にふりそそぎ、世界平和が訪れるであろう。
明るい未来の到来を予言なさったJJに、なんで日本が最初なんでしょうね、とたずねると、日本は神の国だから、と返された。すぐにまわりを見わたせば、ひとり顔をそむけた爺さんがいた。たぶん、あれが戦犯だろう。
なにをいっても信仰を崩すことはできない気がしたので、俺は自己弁護をはかった。JJと初めて出会ったとき、べつにラーメンを否定したわけではないのだと。ダイエット宣言をしておいてラーメンはないだろう。そう言いたかっただけなのだと。
すると、JJこと、ラーメン教の教祖さまはおっしゃいました。
ラーメンと唱えること。
それは神さまの愛にふれるということ。
ラーメンを食べて、健康を害するなどありえない。
その伝道のお言葉により、同僚があっさりと信者になった。
教祖さまとラーメンをたたえる、同僚と爺さんたちから距離をおき、GGに近づく。元気には違いない孫娘をほめておいて、それから、それまで言えなかった想いを伝えることにした。
「いろいろと聞いてますからね」
と、断りを入れて、かるく仏壇を拝ませてもらった。
GGと言葉を交わす。
「食べてみたかったな。あなたのつくるラーメン」
それがまあ、何といっていいのかわからなかった俺の、一番素直な言葉だった。
GGも、なんとなく興が乗っていたようだ。こらえきれぬとばかりに、くっくっと声をもらして、莞爾と笑った。
「うまいぞ。儂のつくる、中華そば、はな」
こっちの会話に聴き耳をたてていたのか、
「じいちゃん、コノヤロー!」
とさわがしい教祖さまが、いや、小学生の女の子がいた。
「あすの朝、一番に並びますよ」
俺はそんな宣告をして、GJハウスをあとにした。祝って、騒いで、ふっきれて、すっとしたら元気がでてきたわけだ。
毎日あの店のラーメンを食べてきた俺が、簡単にあきらめてたまるか。
そんな強気な心持ちだった。
心と身体がラーメンをもとめている。それはアーメンを、神さまの差しのべる救いの御手を、求めていたわけではない、つもりではあるが、どうなんだろうな。
世界の平和はともかく、自己の平和を求めていない人間はいないはず。
知らず知らず、大きな存在に救いを求めているのかもしれない。
深夜にラーメンを食べたくなるのも、食欲という本能がそうさせるのではなく、魂が、神さまの救済を求めているのだろうか。神さまから与えられる、平和で穏やかな流れのなかに浸り、癒されたいだけなのかもしれない。
そう、誰にだってあるはずだ。
無性にインスタントラーメンを食べたくなるときが……。
みたいなことを、帰路、酔いの残る頭でつらつらと考えていて、カップのヌードルとか、どんの兵衛とか、緑のアレとかにまで考えがおよび、「ないわー、ふつうに欲望に負けてるだけだわー」とぼやきつつ、若干洗脳されていた己を戒めた。
寝付きはよく、ぐっすり眠って、早朝に、パチッと目覚めた。
日曜日に早起きなんて、なんて立派な大人であろう、と自画自賛するほどに気合いは十分。毎日食べつづけた、あの店の美味いラーメンを食べる。その情熱のおもむくままにアパートを出て、早朝ランナーたちと気持ちのよい挨拶を交わしつつ、まっすぐ店に向かった。
路地裏に、人の気配はなかった。そして、一番であると確信した、浮かれた俺が目にしたのは、「臨時休業」を知らせる、簡素な張り紙だった。
あきらめるとかあきらめないとか、そういう単純な心情ではなかった。茫然自失の状態から立ち直り、俺は、早朝ということも忘れて、GJハウスを訪問した。そこでGGに現状を説明したあと、GGとともに、店主夫婦の暮らすアパートに向かった。
そこは、「なんで休みなの?」、と文句をいえるような場所ではなかった。
重苦しい雰囲気のただよう狭い部屋で、俺とGGが聞かせてもらったところによると、店主夫婦は、GGとJJの居場所を奪ってしまったことが、本当に心苦しかったらしい。俺たちが飲んで騒いで盛りあがっているさなか、店主夫婦は、ひたすら後悔していたらしい。
夫婦が心情を吐露する前に、俺は確信していた。
昨日のあれ、この夫婦が参加していないとダメだろう、と。
もはや、ラーメンつくってとお願いできるような立場ではなかった。お通夜を過ごしたような二人に、申し訳ないというか、ひたすら謝りたい気持ちになった。
GGにしても、大事な人たちを仲間外れにした、という罪悪感があったにちがいない。活を入れることもなく、店主夫婦が語ること、ひとつひとつに、黙ってうなずくばかりだった。
気まずい雰囲気ではじまりはしたが、解決できない問題があったわけじゃない。
絶対に避けなければならないことは、美味いラーメンを食べられなくなること。つまり、店主夫婦がラーメン屋をやめてしまうこと。だから、俺は提案した。店主夫婦がGJの居場所を奪いたくないというなら、あの路地裏の店はGGに返して、べつの場所でラーメン屋を再開すればいいと。
そのあと、路地裏のラーメン屋で集会がはじまった。
どれだけGJが好きなのか、店主夫婦は、それはそれで納得がいかない様子だったけれども、そのあとずっと、GGやJJ、ほかの常連客から応援されて、しだいにやる気をみせはじめた。前向きな方向に話題はすすみ、それまでは路地裏のラーメン屋をつづける、商店街のなかに空き店舗がある、といった具体案まで出てきた。
ここまでは、想定の範囲内だった。
予想外だったのは、店主夫婦に、貯蓄や貯金の概念が欠如していたことだ。
なので、開店資金は俺が出すことになった。
食道楽の遊び人とは違い、貯金習慣のある働き盛りの大人だったので、そろそろマンションを買って引っ越そうかなー、と考える程度の貯えはあったのですよ。サイドビジネスに手を出そうなんて、毛ほども考えたことはなかったのに、まさか、自分がラーメン店のオーナーになるとは。
当然、素人なりに、打算はした。
行列ができるラーメン屋であることは間違いない。
絶対儲かる、とまではいかなくとも、損はしないだろう、という確信はあった。
夫婦二人で営んでいく店だから、小さい店舗でちょうどいい。
とはいえ、改装費や設備投資には、けっこうな費用がかかる。こだわりはじめればきりがないが、俺としても、店主夫婦が気持ちよく働ける店であってほしい。
俺と店主夫婦、GGとJJで、商店街にあった空き店舗を内部見学しながら、カタログを片手にいろいろと注文をきいてみた。最初は遠慮していたものの、俺のほうから、メニューを絞って回転数をあげようとか、定休日をつくろうとか、いろいろ注文をつけることで、夫婦の意見を引き出すことができるようになった。奥さんのこだわりがすごくて、見積もり額が跳ねあがったけれども。
俺もいろいろと考えた。
貯金ゼロになるよりは、ローンを組んだほうが安心できると考えた。
ローンを組めば、当初の予定よりも大きい金を動かせる。
お金をかければ、よい店になること疑いなし。
そんな理屈で、たぶん、俺は銀行に謀られた。
「大丈夫、余計なことをしなければ、大丈夫、なんとかなる、絶対、うまくいく」
そんなおまじないをくり返して心を奮い立たせる俺をよそに、「もっとでかい店のほうがいいじゃろー」とか、「看板に金をかけないでどこに金をかけろっていうんだい」とか、余計なことをしたがる部外者がいて、とてもとても面倒だった。
あと、改装工事の進捗状況を、腕を組みながらじーっと見守る教祖さまがいて、ちょっと話題になっていた。
まあ、ご存知のとおり、蓋を開けてみれば大成功でした。
商店街にできた店主夫婦の新店舗は、行列のたえない大人気店となり、大繁盛。人気がおとろえる様子もない。
わざわざ遠方から足を運んでくる人も多い。そうなると、ついでにお土産やお菓子を買ってかえる人もいるわけで、お金を落としてもらえる商店街が、にわかに活気づいた。
商機をみたやり手の商売人が別の空き店舗に新規加入したりして、じわじわと活気を増してゆき、あの寂れていた商店街が、いまでは人であふれている。
たぶん、あれだね。
地域活性化というのは、猫と秋田犬と美味いラーメンがあれば叶うよ。
高齢化、人口減少といったものが幻想におもえる光景だ。俺の知らないラーメン店が四つも増えていて、いつの間にかラーメンストリートとか呼ばれているのも、不思議でならないけれども。
まあ、一番の人気店は、我が手中にあり。
オーナーとしての収入で、ローンは無事に完済した。すでに儲けもでている。
店主夫婦には、「貯金大事」「休養大事」の精神をていねいに説き伏せたので、いろいろと余裕もできて、奥さんがめでたく懐妊、出産。
さすがにバイトをやとった。なかなかの好青年だよ、彼は。
店主のラーメンに惚れこんで、押しかけ弟子になった感じだから、ほんとうに、よく働いてくれる。
いまは店主にラーメン作りを指導してもらっている最中だ。
将来的に、暖簾分けっていうのか、やっぱりラーメン屋をやりたいみたいなんだけれど、そうなると、開店資金、オーナーの俺が出すのだろうか?
ときどき、彼の瞳がまぶしくてみえない。
先のことは後で考えるとして、知られていない話をしよう。
新店舗が開店したあと、路地裏の店は、ひっそりと営業を再開した。
つまり、頑固爺さんがラーメン作りに復帰した、ということだ。
その味を知っているものも、知らない俺にとっても、念願の一品。
頑固爺さんのつくるラーメンは、昔ながらの醤油ラーメンで、はっきりいって、店主のつくるラーメンのほうが、食べたときの衝撃は大きかった。
けれど、ラーメン一筋で生きてきた、頑固なラーメン職人の、魂のこもったラーメンが、美味しくないわけがなかった。
無粋ではあれど、あえてその美味しさを表現するとしたら、
「安定した職を捨ててラーメン職人になってしまうほど」
となるのだろうか。
いや、違うんですよ。最初は手伝うだけだったんですよ。GGも大変だから、年齢的に無理はできないけれど、バイトをやとうほどのものでもないから、俺もGGのことを気にいってたわけで、休日、ちょっとした手伝いをするようになって、それに、一応、俺もラーメン店のオーナーとして、ちょっとぐらい、ラーメンづくりのことを知っておいた方がいいかなあと思っていたわけで、しだいに、なんやかんや教わるようになっていったんですよ。
で、GG、わりと親切で、教え方もうまくて、こっちもだんだんおもしろくなっていったんだけど、そうなるとJJがうるさいわけですよ。
眼差しひとつですべてを解決するような無口な子どもだったのに、俺の作業にはいちいち文句をつけてくる。何度となく「おまえに何がわかるんだ」と言いたかったけれども、GGの作業をずっと見つづけてきたJJの指摘、ぜんぶ理にかなうものばかりで、何も言い返せなくて、なんとか見返してやろうと頑張ったわけですよ。
GGの情熱に感化されたのか。教祖さまの呪いに感染したのか。それともただ、ラーメンが美味すぎただけなのか。当時の俺は狂っていた。ラーメンのことばかり考える阿呆となっていた。
いやあ、うれしかったね。
GGにさりげなく認められて、JJが小さく舌打ちしたときは。
それで、気づいたらというか、そのときすでに、仕事、辞めていたんだよね。
なんとなく辞表を提出した記憶はあるんだけれど、なんて書いたのかまでは覚えていなくて、「こいつ、マジか!?」みたいな上役の形相から察するに、そのときの率直な熱い想いをしたためたんじゃないか思う。さすがに、小学生の女の子を泣かしたい、とまでは書いてないと思うけれども。
オーナーの収入があったとはいえ、路地裏のラーメン屋で無料奉仕の日々。
いや、ただでラーメンづくりを学ばせてもらっていたわけだから、ありがたいことではあったんだが、それまでの俺や、いまの俺からすると、「お前なにやってんの?」と自分に文句をいいたくなる。
しかし、当時の俺は楽しんで働いていた。
客に出してもよいと許可が出ると、喜々としてラーメンをつくっていた。
客といっても、よく見知った常連の爺さんたちや、定休日にあらわれる店主夫婦、元同僚というべき男ぐらいだ。
三回に一回ぐらいの割合で、俺につくれと注文する。
興味本位で箸をのばし、GGほどではない、そこそこいける、というそれなりの評価や、まったく修業が足りてないわけよ、といった、食通ぶるわりには具体性のかける批評をいただいた。
あと、ちょこちょこ味見をする小姑みたいな女子児童から、やたらと具体的な批判をいただいた。そういうとき、いつものテーブル席に座っていた頑固爺さんが、新聞紙をずらして、俺と孫娘をちらりと見やる。その口元がどうなっていたのかは、俺からは見えなかったけれど、まあ、たぶん、あれだよ。
それが、ずいぶんと懐かしく感じてしまう、俺たちの日常だった。
頑固な爺さんは、路地裏の店のいつもの席で、眠るようにして逝った。
最初は、ずいぶん幸せそうな夢をみていると思ったぐらいだ。なんかもう、あの人らしいというのか、あの人にふさわしい最期だったとおもう。
残された孫娘は、絶対に泣くまいとしていた。
母親を亡くした幼い子どもが、祖父の死を想像しなかったはずがない。こうなることを、誰よりも恐れていたはずだ。いつかこうなることを、覚悟していたのだろうか。耐えなければならないと、強くなければならないと、ずっと自分に言いきかせていたのだろうか。
傷ましい姿に、閉じこめられた慟哭があるのは、誰の目にも明らかだった。
はじめて出会ったとき、俺が非難されたのは、あの店のラーメンを侮辱されたと思ったからだろう。自分の信仰を馬鹿にされたくらいで、見ず知らずの大人にいちいち因縁をつけるような子ではない。無視するだけだ。だから、平和がどうこう言ったのは、嘘ではないにしろ、正直なものではかったはずだ。
俺に噛みついてきたのは、あの場所を、否定されたと思ったから。
見ず知らずの大人に噛みついてしまうぐらい、じいちゃんのことが大好きだったからで、だから、泣くのを我慢していたのは、孤独に耐えるためじゃない。ただ、天国に旅立つであろうじいちゃんに、心配させまいとしていただけだ。
かたくなだった孫娘を解放したのは、祖父の遺した手紙だった。
自分の死期を悟っていたのか、頑固爺さんは何通かの遺言書を残していて、そのうちの一通が孫娘にあてたものだった。
そこに何が書かれていたのかは知らない。
不器用な爺さんが書いた手紙に、気のきいた言葉が書いてあったとは思えない。だからこそ、あまりにも変わらない言葉の連なりに、生きていた頃の日常が思い出されるのだろう。
読みはじめて、孫娘の目に涙があふれた。
声をあげて泣きだして、無防備に泣き崩れて。
そこにいたのは、ずっと一緒にいた最後の家族を失い、泣きじゃくる、小さな女の子でしかなかった。
頑固爺さんがのこした遺書のなかには、俺あてのものあった。そこには目頭の熱くなる内容がつらつらと書かれていて、最後のほうにひとつだけ、とある願いごとが書かれていた。とても簡単に、孫娘のことをよろしく頼む、と。
GG、いつの間にか、俺を後見人に指定していました。
ゆっくりゆっくり事情を飲みこんでいって、みんながこう、ようやく泣いてくれたJJのことを、やさしい気持ちで見守っているさなか、俺ひとりだけ、だんだんちがう気持ちになっていったわけで、JJが泣き疲れて眠りについたあと、お酒の席で、
「後見人ってなにする人? 親代わりですか、そうですか」
と、周りの人たちに絡みました。
いや、さすがにふてくされましたね。結婚もしてないのに、嫁もいないのに、いきなりの子持ちですよ。十二歳の女の子のパパですよ。てっきり店主夫婦に頼んでいると思っていたのに、あの人、俺に断る手段をあたえずに往生しやがった。
どうやら釈然としないのは俺とJJだけで、周りの大人たちは、今後のJJの生活について相談をはじめていた。
ひとり残されたJJは、店主夫婦の新しいアパートで暮らすことを拒否した。家族計画進行中であった仲良し夫婦に遠慮したのもあるが、GJハウスを離れるのが寂しかったのだろう。
一人暮らしをさせるわけにもいかず、俺、GJハウスにお引っ越しです。
土地も建物も孫娘のもの。後見人とはいえ、俺の一存でどうこうする気はなかった。古い家なので修繕は必要、とのことでリフォームを提案したが、JJは嫌がった。OKが出たのはトイレだけだ。そこだけは、シャワートイレに対する俺の熱い想いが勝利した。
そんな感じで、俺たちの新生活はスタートした。
子育てといっても、手間のかかる時期ではない。というか、自立心のすさまじいハイスペックな子どもですから、あちらのほうが上役面ですよ。こっちが居候みたいな扱いですよ。俺がパパのはずなのに、あっちがママみたいな態度でいますよ。
まったく、楽ではないね、子育ては。
こっちが勝手に悩んでいるだけで、勝手に育っているのだろうけれど。
まあなんとか、周りの助けを借りながら、俺たちの生活はつづいている。
路地裏の店は、俺が新しい店主として営業することになった。所有者の小娘が嫌がるので、いまだにリフォームなし、リノベーションなし、耐震性に不安の残る状態で営業中です。
看板娘、ですか。いますよ。雇われの店主を監視する真の主、みたいな存在感で、ぼろぼろの聖書を読んでいますよ。たまーに掃除とか接客とかして、堂々と「おこづかい」の値上げを要求してきますよ。
何に使うのかは知らないけどね。
さすがにもう、ランドセルを背負うような年齢じゃないから。
なんだったら、友だちをつれてきて売り上げに貢献してほしいところだ。べつに赤字というわけではないけれど、盛況とはいえない。場所が場所、路地裏の店だ。商店街の客が自然と流れてくることはない。たまに新規のお客さんもくるけれど、そういうのは、常連客がつれてくる形だ。
例のバイトの青年も、店主に連れられて来たことがある。俺のつくったラーメンを、美味いといって喜んで食べてくれたよ。こっちの店でも働いてみないかって軽い気持ちで誘ったら、
「ここは、聖域ですから」
なんていう、よくわからない怖い答えが返ってきた。なんで店主もうなずいているのか、たずねても返答はなかった。
元同僚も、俺の古巣の話題をもってくるだけではなく、新規のお客さんを連れてくることがある。
職場の後輩という感じではない。
だいたい挙動のおかしな客で、「ここが伝説の……」とか「ここが裏の……」とかつぶやきながら入ってくると、看板娘に敬意を払い、感動の面持ちで店内をみまわして、しんみりとラーメンを食べて、礼儀ただしく挨拶をして去ってゆき、「悪い客ではないんだけどなー、むしろいいお客さんなんだけどなー」という素直に喜べない感想を抱かせにくる。
しかも、元同僚が同行していないと来てくれない。
何度もそういうのが続けば、さすがに疑問におもう。俺は、ひとりでラーメンを食べにきた元同僚に疑問をぶつけた。
「お前もしかして、勝手にここに来てはいけない、とか言ってないか?」と。
すると元同僚は、心当たりのある面を浮かべて言ってのけた。
「これでも、三羽烏のひとりなわけよ」
そういう意味がわからない偉そうなことを言ってのける男に、敬意を払う必要があるだろうか。「三羽烏ってなんだよ!? 残りの二羽はだれだよ!?」と叫んでしまうのも仕方ないとおもう。
薄々感じてはいたんだが、どうも俺の知らないところで、一見さんお断りシステムが導入されている気配がある。路地裏のラーメン屋でしかないのに、会員制の高級クラブのような、京都祇園のお茶屋さんのような、店内環境保全システムが働いている気がする。
そして、そのことを、うちの看板娘は知っている気がする。
俺の知らないところで、あの娘はなにをやっているのだろう。都市伝説のような流言が広がっている気配もある。もしかして、いまだに教祖さまをやっているのだろうか。
まったく、子育てというのは心配の連続だ。パパというやつは、
「娘が教祖をやっているかもしれない」
などと悩まないといけないらしい。気苦労が多くて疲れるよ。
まあ、考えても仕方ないから、こうやって猫とたわむれて、癒されているのだけれど。
子育てに関していえば、世間も悪いよ。心の闇とか、心に爆弾を抱えているとか、そういう痛々しい表現をするから、思春期の子どもたちが痛々しい世界をつくるのだとおもう。
もっとこう、憧れを欠片も抱かないような表現がいい。
例えばそう、心にサファリパークを抱えている、なんてどうだろう。
少年少女よ、自問自答してみるといい。自分はなにに怯えているのだろうか。自分の心のサファリには、どんなアニマルがいるのだろうか。
心のサファリのキリンさんが、自分を必要以上に高くみせようとしているかもしれない。心のサファリのヤマアラシさんが、周りの人を傷つけてしまうのかもしれない。心のサファリのバイソンさんが、危険なことに突進させてしまうのかもしれない。
ライオンさんもいるだろう。
トラさんもいるだろう。
少女ならば、いずれは女豹もでるだろう。
けれど猫科のアニマルだ。猫カフェを訪れるのと同じように、心のなかにおもむいて、たわむれてほしい。心のサファリのアニマルたちは、みんな同じように語るだろう。そう、愛をくださいと……。
いや、いいんだ。何も言わなくていい。ちょっと自分でも何を言っているのかわからなくなっただけだから。あっちの動物園のほうに行っちゃうんだって、自分でもびっくりしてるから。何も言わないでほしい。うん、ありがとう。
近頃、脳の衰退がこわい。老化防止のためにも、売り上げ向上のためにも、なにか新しいことに挑戦したほうがいいのかもしれない。
いや、新しいラーメンに挑戦する気はないよ。俺の目標は、先代のラーメンだから。あの頑固な爺さんがつくったラーメンを受け継いで、それを伝えていきたいと思っている。
一応、挑戦というなら、以前、「ナンマイダー」という飲みものを考案したことはある。ただの炭酸飲料なんだけど、ラーメンを食べたあとに飲む炭酸ドリンクには堕落的なおいしさがあるから、けっこういけると思っていたものの、看板娘の説得に失敗してね。
ああなったらもう、この商店街で流行をつくって、逆輸入しないと無理だろう。どう? とりあえず、この猫カフェでも出してみない? ナンマイダー。だめ? 売れない? そうか……。まあ無理にとは言わないよ。ああ、そろそろ時間か……いや、もう帰らないとな。
近頃は休みのたびにここへ来てしまう。ここの猫たちに癒され、秋田犬に癒される。貪欲にジャーキーを狙うあの子には、出会うたびに癒されるね。まさに商店街のアイドルだよ。
今日はありがとう、マスター。
何度も顔をあわせると、どうしても親しみを覚えてしまう。めずらしくお客さんが少ないから、つまらない雑談を長々と聞かせてしまった。
今度、うちの店にも寄ってください。
行列にならぶ必要もないし、ちょっとはサービスもしますから……いや、私にはまだ早いって……まさかマスター、あなたもか。