僕はお兄ちゃん
これは単身赴任中の父親と、お腹に命を宿した母親。そして高校生になった僕たち兄弟の物語だ。
平々凡々に幸せな家族だと思う。
時に喧嘩して、時に笑い合って。
周りの皆と違うのは、僕たちは二卵性双生児だということくらい。
つまりは双子だ。
人懐っこい兄と、人見知りな弟。
見分け方は簡単だ。右分けが兄で、左分けが弟で。
性格だって、二卵性ともなればいろいろと違う。
兄は父に似て社交的な性格で、弟は少し引っ込み思案なところがあった。
そして同じ学校でもクラスは違う。
別々の交流を持ち、これから更に姿も違ってくるのかもしれない。
それでも、考えることはいつも大体同じだった。
自分がそう思えば片割れも同じことを考えている。
口に出さなくてもそうなんだと確信出来た。そんな信頼がある。
黙っていればそっくりで、友人が勘違いして話しかけてくることはちょっとした娯楽にもなっていた。
高校生活も二年目に入った。そろそろ将来を決めなくちゃいけない時期だ。
進路希望用紙を手に、僕たちは部屋の中で向き合った。
「専攻どうするんだっけ」
「民俗学も気になってるんだけど、でも一番は心理学を勉強したいなって。兄ちゃんは?」
「もち、天文学一本! 父さんの手伝いもしたいしさ」
笑い合いながら、相手に見えないように大学名を記入していく。
「星のこととか化学とか、正直解んないんだよね。兄ちゃんは心理学をどう思う?」
「お前のことなら解るぞ」
「それは双子だからだろ」
「ばれたか」
片や理系を、片や文系を選んだ。
通ずるところはあるとはいえ、僕たちは全く別の未来を思い描いている。
それがなんだか少し寂しくて、だけど心の底から誇らしかった。
「書いたか?」
「書けたよ」
「んじゃ同時に見せ合おうぜ」
「せーので一斉にね」
「いつものやつな」
「いくよ」
「「せーの、っせ!」」
第三希望まで埋められた紙を、僕らはバッと見せ合った。
「「そう来ると思ったよ!」」
見事にハモった言葉と同じく、志望校も全く同じでまた笑いがこぼれてしまう。
専門的な学校なんてたくさんあるのに、僕たちは揃って総合的な大学を選んでいた。
天文学も心理学も、同じ学び舎で学べる。大事な人の頑張る姿を見ていると、自分も負けていられないと前を向ける。
これ以上のことがあるだろうか?
僕がそう思っているんだから、片割れも同じことを考えているに違いない。
天文学も心理学も、お互いその領分のことはろくに解らないけれど。かといって知る必要も無いだろう。
教師に進路を話すたびに、双子でこんなにも好みが分かれるなんて不思議だなと言われていた。
だけど、教師の言葉なんて関係ない。
自分には解らなくても、片割れが理解していればそれでいい。
僕たちは二人で一人――それが完璧だと信じていた。
夏休みも後半へ入ったある日のことだ。
「お兄ちゃん、秀ちゃん。明日は大丈夫?」
明日は県外に出ている父さんの家へ行くことになっている。
父さんは研究者で、宇宙化学を専門としていた。
天文学と近しいこともあり、電話で話すと父さんはいつも将来への期待を口にする。
父さんに会えるのが嬉しいのか、母さんの声はいつも以上に弾んでいた。
「僕は大丈夫だけど、母さんも大丈夫?」
「妊娠してるのに長時間運転するなんてさ」
「もう直ぐ産まれるんだろ? やっぱりタクシーとか新幹線に乗った方が良いんじゃないかな?」
「そうそう、俺もそう言おうと思ってたんだよね」
「まだ三ヶ月先なんだから大丈夫よ~」
僕たち兄弟は、近所でも孝行息子だと評判らしい。
ただ普通のことをしているつもりだけれど、周りと違うことに気が付いたのはいつだっただろう。
昔から単身で仕事に出ている父さんに代わって、母さんを守るのは僕たちの役目だ。
そして母さんも僕たちをしっかりと守ってくれる。
弟よりも兄に比重を置くことは多いけれど、それはどこの家庭でも似たようなものだろう。
父の血が片割れよりも少し濃く出ているせいもあるかもしれない。
夕食の席についた僕たちの前で、母さんは嬉しそうに口を開いた。
「今日ね、隣のおばさんにお兄ちゃんのこと褒められたのよ~」
ちょっとだけ照れくさいけれど、母さんの表情に釣られて僕の頬もゆるんだ。
隣を見ると、僕の片割れも似たような顔をしている。
照れくさくも嬉しくて、だけどちょっぴり困った顔。
片割れと目が合えば笑い合うのはいつものことで、兄ちゃんには敵わないな、なんて言ってまた笑った。
兄のここが凄い。弟のここが凄い。
周りの人はなにかと僕たちを比較するけれど、僕たちにとってはどうでも良かった。
僕に出来ないことを片割れが出来て、片割れに出来ないことを僕が出来る。
なんてことはない。二つに分かたれた僕たちは、お互いのことを自分のことのように思っていた。
だからこそ、自分にしか出来ないことをしよう。出来る分野を競い合って伸ばしていく。
僕たちは双子であり親友で。
僕たちは双子であり好敵手で。
僕たちは双子であり相棒で。
誰にも介入することなんて出来ない、唯一無二の存在だ。
僕たちがそう思っていることなんて、きっと周囲は思いもしないだろうけど。
「なんだか照れるな」
「自慢の息子です、って返しておいたわ!」
「親バカだって言われちゃうよ母さん」
嬉々とした声は食卓の中で絶えることはない。
目立った反抗期も無く、僕たちは母さんを尊敬していた。
翌日、僕たちはまだ日も昇りきっていない早朝に家を出た。
運転席には母さんが、後部座席に僕たちが乗り込んで。
楽しい夏の思い出がまたひとつ増える。
みんなで天体観測をして、道行く人の行動を予測し合おう、なんて。したいことは次から次へとあふれ出る。
そんな、みんなが待ちに待っていた家族旅行がこれから始まるのだ。
母さんは音楽を流しながら、その曲を嬉々と口ずさんでいる。最近ハマった洋画の主題歌だ。
何度も何度も聴いているものだから、すっかり僕たちも覚えてしまった。
少し音程のずれた母さんの声に合わせて僕たちも一緒に歌う。
「本当に息ぴったりねえ。歌ってると、どっちがどっちか解らないわ~」
母さんはあっけらかんとそう言って、僕たちを乗せた車は高速道路へと入る。
この人は昔からこうだ。
僕たちを見分けられる時と、見分けられない時がある。
僕たちが前髪の分け目を変えたのは母さんの為だったりするけれど、それを本人に伝えたことは無い。
それで少しでも解ってくれればと思ったし、別に間違えたって構いやしない。
だからそれを悲観したことはないし、それを隠そうとしないところが母さんの美点でもあった。
「父さん元気にしてるかな」
「部屋散らかしてそうじゃん?」
「仕方ないから、僕たちが片付けてあげよっか」
「んじゃ俺は風呂場やろっと」
なんて話をしていると、人は仲の良い家族だと羨ましがる。
母さんだって自慢げに話すし、僕たちも母さんのことを自慢げに話す時もあった。
しつこいかもしれないが、僕はみんなのことが大好きだった。
大好きで、自慢でもあって。
家族の為なら何だってしようと思えるし、両親や自分の片割れがこの世で一番大事だったりする。
来年受験する大学は実家から通える場所だし、少しでも支えになりたいからバイトもしたいと思っているし。
僕たち双子は歩む道についても全く同じことを考えていて、それが解った時にはお互い顔を見合わせて笑ったものだ。
だからきっとこれから先も僕たちはみんな仲良しで、周りが羨むような家族で在り続ける。
父の手伝いをする兄と、それを支える弟像がいとも簡単に思い描ける。
そんな事実が揺らぐことは無いと、そう思っていた。
しかし、終わりは突然訪れる。
高速道路の制限速度を悠にオーバーした車が後方に迫り――気付けば世界は真っ暗だった。
***
鼻につんとくる薬の臭いと、一定のリズムを奏でる電子音で目が覚めた。
随分と重い瞼を持ち上げれば、視界一杯に真っ白な世界が広がる。
「……びょう、いん、?」
声は出た。けれど身体はあまり動かない。
自分がベッドの上に寝ていることは解った。病院に居る理由も、少しずつだが思い出してきた。
車体がへこむ歪な音と、身体を襲う衝撃が呼び起こされる。
あれからどうなったかは何一つ解らないけれど、まだ生きていることに驚いた。
腕には点滴が繋がれ、テレビドラマでよく見るような呼吸補助器が口元を覆っている。
「……ふたりは、どこ、に」
どうにか頭を動かした。
ベッドの周りは真っ白なカーテンで覆われていて、ここが大部屋だということを知る。
だとしたらきっと、二人も同じ部屋に居るはずだ。
僕は一刻も早く顔を見たくて、痛みの走る身体を無理やり起き上がらせる。
すると、自分以外の重みに気が付いた。
視線をゆっくりと降ろすと、ベッドに突っ伏している人が居る。
間違いない、母さんだ。
頭や腕に包帯が巻かれてはいるけれど、ここに居るということは軽症なのだろう。
そのことに酷く安堵して、気が抜けたのか自分の身体が一段と重くなった。
深く息を吐くと、母さんがそっと顔を上げる。
「おはよう、母さん」
「ああ……ああ、良かった……生きてた、良かった……!」
「泣かないでよ。ほら、僕は元気だからさ」
母さんも無事で良かった。そう言って手を伸ばせば、痛いくらいの力で握り返された。
僕よりも小さくて、僕よりも温かい母さんの手。あふれ続ける母さんの涙を止めたくて、僕は出来る限りの力で返す。
僕は生きていた。母さんも生きていた。
だからきっと、僕の片割れも無事だ。
そう思っているのに、確認するのが怖い。
どうしてだろう。
早く顔が見たいのに。早く話したいのに。早く、早く。
「……ねえ、母さん」
「どうしたの? 何処か痛む? お医者さん呼んできましょうか?」
「いや、そうじゃなくてさ」
どうしたんだよ母さん。僕が無事だって解ったんだから、早くもう一人の息子の元へ行ってあげてよ。
僕はもう大丈夫だから。なんなら、僕も一緒にそっちへ行くからさ。
でも母さんはここから動こうとしない。
椅子に座って、僕の手を握り締めて。
その意識全てを、僕に向けている。
「……母さん、聞いてもいい?」
「なあに、どうしたの?」
「あのさ、僕は大丈夫だったけどさ」
「うん、うん」
涙を浮かべた母さんの顔を見て、僕は言葉を紡ぎだす。
「……兄ちゃんも無事、だよね?」
母さんの瞳が一瞬大きく見開かれて、そして優しく微笑んだ。
「何言ってるのよ。お兄ちゃんは貴方でしょう?」
「かあ、さん……?」
優しい微笑みのはずなのに、優しい声色のはずなのに。
「落ち着いて聞いてね、お兄ちゃん。秀ちゃんなんだけど……」
母さんはいつもの母さんじゃない。何処かがおかしい。
「……秀ちゃん、貴方を庇って、それで……」
再び浮かんだ涙は溢れ出し、母さんはまた泣き始めた。
「お兄ちゃんだけでも生きてて良かった……二人とも死んじゃったら、私、もう……」
やめてくれよ母さん。何を言ってるんだ?
「死ん、だ……?」
そんなわけが無い。そんなこと、あるはずが無い。
「嘘だ、そんなの」
だって、僕は――
「秀ちゃんの分まで生きてね、お兄ちゃん」
――秀ちゃんは僕だよ、母さん。
僕と兄ちゃんは別人で。秀ちゃんとお兄ちゃんは別人で。
母さんの言う秀ちゃんは、僕なんだよ。
「お兄ちゃんも辛いよね……お母さんもね……」
ねえ母さん。僕はここだよ。ここに居るよ。
「でも、泣いてばかりじゃ秀ちゃんもうかばれないよね……お腹の子の為にも、お兄ちゃんにも頑張ってほしいの」
頑張るって、一体何を頑張るの?
解らない、解らないよ母さん。
「あ、そうだわ。お兄ちゃんが起きたら、お医者さんを呼ばなくちゃいけないんだった!」
無理に明るく振舞う母さんは見ていて痛々しい。
でも、待ってよ母さん。
「ちょっと待っててねお兄ちゃん」
違う。ぼくは兄ちゃんじゃないよと、そう言いたいのに。
「本当に生きてて良かった」
幻想を噛み締める母さんに、否定の言葉は向けられなかった。
お医者さん曰く、兄ちゃんは僕を庇って即死したらしい。
兄ちゃんは最期の時まで兄ちゃんで、自分よりも家族を優先した。
僕を守ってくれた。
その事実が、母さんの“なにか”を壊してしまったみたいで。
母さんは僕たちを愛してくれた。
ただ少しだけ兄に入れ込んではいたけれど、単身赴任中の父さんを重ねてしまえばそれも仕方が無いことだ。
だからこそ、その片割れが居なくなってしまったことに耐えられなかったのだろう。
死んでしまった兄を生きていると錯覚し、生きている弟を死んでいると錯覚してしまった。
「顔色が良くないわね……もう少し寝てなさいな、お兄ちゃん」
心から心配してくれて、母さんは僕たちを愛してくれて。
そんな母さんに、僕が出来ることはなんだろう?
そんなことはもう決まっている。ひとつしかない。
きっと兄ちゃんだって、同じことをしたはずだ。
「うん、それじゃあ少しだけ寝ようかな。秀ちゃんのことは、後でゆっくり話そうね」
そう言って笑い返せば、母さんも泣きそうに笑った。
泣き腫らした目元を見ていられなくて、母さんも寝てくるように促して。
一人になった病室の一角で、見えもしない空を仰ぎ見た。
「僕は」
俺は。
「僕たちは」
俺らは。
僕たちは二人で一つの完成に至っていた。
俺らは二人だからこそ立ち止まることなく進んでいた。
競い合える相手が居ない。
己を映す鏡が無い。
だからと言って、ここで潰れてしまえば誰が母さんを護るんだ?
兄ちゃんのことも、みんなだんだんと忘れていってしまう。
父さんを手伝うことが夢だった兄ちゃんの夢も、潰えてしまう。
それは駄目だ。そんなことは絶対に許さない。
たとえ神様が創った物語だとしても、それが兄ちゃんの運命だなんて認めない。
だから、そう。
身を挺して僕を庇ってくれた兄ちゃんの代わりに、今度は僕がこの身を使う番なんだ。
兄ちゃんだってきっと、そうするに決まってる。
だって僕たちは双子だから、お互いの考えていることなんて手に取るように解るんだ。
瓜二つ、そっくりな双子の僕らは――家族の為ならなんだってやってみせる。
それがどんなに苦しいことでも、片割れが必ずやらなきゃならないことなんだ。
「兄ちゃんの代わりに、これからは僕が守るよ」
天に手を伸ばせば、自分の片割れと触れられる気がする。
「だって俺は、お兄ちゃんだからね」
そう思って差し出した手は、何にも触れることが無かった。
Fin.