第2講義 下らない話
ーー2030年4月1日、午前11時05分頃ーー
ーー都内の高速道路を走る車の車窓にてーー
「寿司のネタにサーモンってあるだろ?子供から大人まで幅広い人気を持つ日本のソウルフード。」
「一番好きな寿司だ。あのトロける舌触りは他の魚じゃ出せねぇな。」
都内の高速道路を走る車の車内にて早乙女赤葉はマーティンと下らない話をしていた。
ハンドルを握るのはJ・F・マーティン。
パイロット用の黒いヘルメットを着用し黒のシールド、その下にマスクを着け黒のスーツを着る。おそらくは男性だろう。
一見すればコスプレイヤーか不審者。この時勢で職質されないのが不思議である。
助手席には早乙女赤葉が座っている。
赤髪に執事服。美人と言えば美人だがそれよりも気になるのが今にもボタンが弾けそうな程に膨れ上がった…胸だ…。
こちらも不審者とは言わないがその執事服がコスプレ感を漂わせている。と言うかそれ程の胸を持ってして何故着ているのが執事服なんだと文句を付けたくなる。
「そうそう、白身魚も赤身マグロも種類によって微妙に味は変わってくるがサーモンだけは違う。なんつーか格別っていうか特別な旨さだ!」
「お前は食レポが下手だな。」
「悪いかよ?まぁアタシが話したいのはさ。子供の頃からサーモンってのは日本の鮭を刺身として捌いて名前だけカッコよく外国語にあてがったモノだと勘違いしてたわけよ。」
早乙女赤葉は自分の無知を曝け出す。
「焼き鮭が日本食として主流な訳じゃん?他にオレンジ色の刺身なんて見たこともなかったし絶対に鮭=サーモンだと信じてやまなかった。けどある日ネットでたまたま見かけた記事に書いてたんだけど。実は寿司ネタや刺身に使う鮭はそのほとんどがノルウェーで取れた種類の違う鮭。つまりサーモンだったんだ。日本の鮭が刺身として使われる事はまずないらしい。」
「そりゃ日本の鮭にはサナダムシやらアニサキスやら寄生虫が住んでるからな。だから生では食えねぇんだよ。」
「ショックだったわぁ。日本のソウルフードが実はノルウェー産だったなんてよ。いや別にノルウェーって国が嫌いな訳じゃないぜ?むしろこんなに美味いもん提供してくれてるんだから一度詫びに行ってもいいくらいだ。」
「とかく日本人ってのはその文化のルーツをあやふやにしたがる。例えば洋食という言葉は広義に言えば西洋料理全般を指すが狭義に言えば日本独自で発展したエビフライ、オムライス、カレーライスを代表とするエセ西洋料理だ。」
「ちょっと待てい。サーモンの例はアタシの勘違いな訳で世間一般じゃみんなノルウェー産だってのが常識かもしれねーじゃんか。」
「勘違いさせるようにできてんのさ。洋食と言いながら実は日本発祥だったり、日本料理として出した刺身の中に実はノルウェー産が混じってたりな。」
この調子で赤葉とマーティンは下らない話を1時間近く続けてる。
そうこうしてるうちに車は高速を降り都内某所、大手チェーンの喫茶店前に停車した。
間も無く中からあの少年が出てきた。
「よぉ!クソガキ!今日の収穫はどうだった?」
赤葉がドアガラスを開けて奇怪な少年、妻夫木馨に話かける。
馨は後部座席のドアを開け上座に座った。
「車を出して下さい。今日は大当たりですよ。」
「お前の事だからまた手荒な勧誘をしたんだろ。快くOKしてくれたとは思えんがね。」
マーティンはそう言いながら車を発車させた。
「そんな事ありません。彼は必ずまた僕に会いに来るはずです。」
馨はなんの心配もしていないようだが実はその勧誘とやらはほとんど破談に終わっていた。
ーー2030年4月1日、午前10時50分頃ーー
ーー都内某所、大手チェーンの喫茶店にてーー
「人類の…進化形態…? 何をバカな。お前とそこのウェイトレスには人間と猿みたいな生物としての決定的な違いがあるって言うのか?」
真樹司の言うことはもっともである。
例えば人間はこの数千年の間に発達した科学によりその生活形態は以前とは比べ物にならない程に激変したが、それはあくまで生活の変化であり生物としての進化ではない。
科学という知識がホモ・サピエンス同士内で伝達可能な知識な限り、知ろうが知るまいが旧石器時代の原始人も2000年代を生きる現代人も同じ人間だ。
進化とはその生物の世代によって変わっていく遺伝的変異であり、そういう意味では魔法使いだろうが超能力者だろうが遺伝子に変化が無ければそれは進化ではない。
そこに座っているこの妻夫木馨が宇宙忍者ゴームズのガンロックのように外観からして人間と全く違う姿ならばまだ考慮の余地はあっただろうが差し詰めこのガキは司より遥かに強いだけの超能力者か何かである。生物学的には大同小異に値するだけの同じ人間だ。
しかし妻夫木馨は司の反論を一蹴する。
「えぇ決定的な違いがあります。まず私の身体は一見、普通の人間と同じのように見えますが、あくまでもそれはカモフラージュでありその中身は変異性に優れた純粋エネルギーに満ちています。血流のように巡るエネルギーに質量を持たせ、様々な物質へと変化させることで多種多様な形態変化が行えます。我々は自らを知的エネルギー生命体と位置づけ、また現在は俗称としてトリッカーズと名乗らせていただいている次第です。」
「…ヘッ…信じがたいな。今言ってる事、新手の宗教勧誘と言ってもいい。年端もいかないガキに大言壮語を言わせて逆に信じこませ、引き込もうとする新興宗教の教団だと考えた方がまだ合理的だ。」
言うは易し。流石に馨が言ってる事は人間の常識においても超能力者の常識においても言い過ぎなのである。
ただ司の場合、大言壮語だと言い張るのは現実逃避、今起きてる異常性を受け入れたくない、という心情が含まれ既にその常識を改めざるを得ない段階に入っていた。
「HAHAHA。そうじゃない事は貴方自身が百も承知でしょ。まぁ百聞は一見にしかずとも言いますから、実際に見せてあげましょうか。もっとも貴方には見えないでしょうが。」
メクリメクリ、ブチッとな。
!!??
馨は袖をめくり自分の右腕を切り落とした。
左腕の人差しと中指の爪をナイフのように鋭く尖らせ垂直に切り落とした。
2秒にも満たないあっという間の出来事で司にはそれこそ、あっという表情しかできなかったわけだが本当に驚かされたのはその後である。
血が出てこない。
馨がよこしてみせた右腕の切断面から見えるのは仄暗い空洞のみで側面の部分は皮膚の裏側でできていた。
異常性を度外視して率直に言うなら少年の右腕は人形みたいで中身のない義手か何かだと思えなくもない。
だがそうじゃない。
ザアアアアアアアアアアアアアアアアア
司の膝がそう伝えた。
テーブルから何かが流れている。
それも大量に。
流れ落ちてきた何かが膝にまで溢れていくのが司には伝わるがそれが何なのか視認できない。さっきから足を濡らし続けてるのは伝わるがそれがズボンに滲み出てこない。
見えない何かを感じた事で司は背筋を凍らせた。
「見る人が見ればそれはそれは美しい筋肉構造だ、と褒めてくれるのですが貴方のレベルではまだ何も見えてこないでしょう。今この腕から流れ落ちているものも、少量じゃダメだ。勢いよく浴びせないと貴方は気づいてもくれません。」
少年の切断面から流れているのならば、流れている何かがもし血液ならば、既に致死量をとっくに超えた血が流れ落ちている。いや既に少年の体積以上の見えない液体が流れてるかもしれない。膝から流れ落ちる感覚は水道の蛇口を全開にした時に伝わる感覚とは比にならない。
ダムから大量の水が放流されてるみたいな強い流れだ。
なのにテーブルのコップも食べた皿も釘を打たれたかのようにそこに置かれたまま。客席も従業員もその異常に気づくこともなく、とっくに店内の床全域に広がってるハズの見えない液体に足を滑らせることもない。
ポルターガイストとも言い難い何らかの異常現象が司だけに警鐘を鳴らしている。
ガチ…グリグリ
馨は右手を付け直した。何事もなかったかのように傷口が消え失せクイクイと右腕を動かし始める。それとともに見えない液体のような何かの感覚も枯れ落ちたかのように感じられなくなった。
「あぁもういい加減にしてくれ。俺を解放してくれ。小心者でも何でもいい。頭がどうにかなりそうだ。」
「自分の立場はよくわかってたんじゃなかったんですか?もちろん、貴方に拒否権などない。ですが自分に被害が及ばないだけでもヨシと思ってくれないと困りますよ。正義だの倫理だの批判されるのも面倒ですからねぇ。」
「…!テメェまさか!?」
馨はおもむろに右手を突き出し指を鉄砲を打つような形を取った。
ドカン!!!!!!!!
突如として店内の奥、司の背後の客席一帯が原因不明の爆発を起こした。
「キャアアアアアア!!!」「ウワアアアアアアア!!」
ザッと三、四人が爆風に巻き込まれ店内は騒然とした。あの後ろにいたショタコンホモ野郎も壁に叩きつけられ、爆片が身体中に突き刺さり、聴力も失ったのか、耳からも血が流れ、悶え苦しんでいた。
ーーしまった!今の指のサイン…この野郎やりやがったな!ーー
妻夫木馨だけがゲラゲラ笑っている。
少年は空気中に漂った燃焼反応を起こす物質を利用し小さな衝撃を与え熱と光と音を解放させたのだ。
要は爆発を起こしたのはこのガキ。
爆弾でもあれば人間、誰だってテロリストになれるが、何もないところから爆薬を作り出し炸裂させるなどという芸当、もちろん超能力者でも不可能である。
もし本当に人類がそう遠くない未来に生物学的進化を遂げる事ができると言うのならその言葉は大きな期待感として世界中、誰の耳をも傾けさせるだろう。だが司は馨の言うことをある意味、鵜呑みにし過ぎたのかもしれない。
ーー蟻を踏み潰して楽しむようなガキじゃない?…大ボラだ!!それこそ蟻がどれだけ死のうが生まれようが絶対的強者であるコイツには何の関係もない事だ!それは相手が人間であっても同様!ーー
気付けば司は臨戦態勢に入っていた。
彼自身、自分がそんなことをしている事に驚いたが今、彼は意識を集中し自分の持てる全てをこの少年にぶつけようとしていた。
ーー勝ち目が無いことは十分わかってる!だがせめて皆んなが店外へ逃げ切るぐらいまではコイツを食い止めねぇと、こんな下らねぇ事に他人を巻き込んじまった責任が取れねぇだろうが!!ーー
真樹司は微力だがこの化ケ物と同じ力を持つ能力者だ。だが彼は人間でありたいと強く思う。人の心を失ったこの化ケ物の言いなりになってたまるかという彼の意志が恐怖心を打ち消した。
さっきまで怯えきっていた彼から一転して目覚ましい変わりようだが、だからといってその勇ましい姿勢が現実を覆すものではない。
「勧誘の話だがなぁ。今ので逆に決心がついたぜ?テメェみたいなクソ野郎に従うぐらいなら命を投げ打ってでもテメェに一矢報いてやろうじゃねぇか。さぁ失うのは目がいいか?耳がいいか?俺の命と引き換えにテメェの大事な物を一つよこしやがれ!」
「…………………どうかしましたか?急に血相を変えて…」
馨は態度をガラリと変え心配そうに司に話しかける。とても愛くるしい表情で。
ガタッ!!!!
司の耳が後ろの爆発現場で誰かが立ち上がった音を拾った。
司は妙な感覚を覚え後ろで何が起きているのかを感じ取ろうとしたが、とても信じられない状況が起こっていた事に自分の感覚を疑い、思わず敵を前にして後ろを振り返ってしまった。
そこに見えたのはやはり信じられない更なる異常事態であった。
「!?」
司は完全に理解が追いつかなくなった。
ーーはぁ!?確かに店内で爆発が起きたんだ。一瞬で数人が吹っ飛びそこら中が血と爆煙に塗れていた筈だ!!ーー
しかし司が振り返ると爆発が起きた筈の店内の奥は起きる前と全く同じお昼前の賑やかな客席一帯に立ち戻っていた。
立ち上がったのはさっきのショタコンホモのオッサンだ。
爆風に巻き込まれて悶え苦しんでいた筈だが、打って変わって今は馨の麗しい表情を見て思わず二つの意味で立ち上がってしまった模様。その一つは確かに今もなおパンツの中で悶え苦しんでるようだが意味合いがだいぶ違っている。
爆発に巻き込まれた筈の人間達はコーヒーにミルクを入れたり、他愛ない話に盛り上がったり。ウェイトレスは忙しく注文の品を運んでいた。
何事も無い日常の風景が当たり前のように店内に広がっている。むしろいきなり立ち上がり子供に臨戦態勢を取っていた司を見て数人の客が何をやってるんだwと注目してるくらいだ。
ついでに述べると司のそれは例えるなら初代ウルタラマンの有名なファイティングポーズに似ていた。
ーー時間が戻った?いや俺はまた幻覚か何かでも見せられていたのか?いやいや、そんなはずはない!ありゃ確かに現実だった!しかし何故ーー
馨はついに耐えきれなくなり笑い出す。
「また見事に化かされちゃいましたね。貴方のリアクションは見てて面白い。あいや、目を見張るものがありますね。まぁとりあえず席に戻りなさいな。」
いよいよ司の戦闘意欲が砕かれた。
踊らされていることに辛うじて理解しながらも相変わらず現在の状況を把握しきれない。
馨の言う通り再び席に座る他なかった。
「今見せたのも紛れもなく現実ですよ?確かに爆発を起こすだけなら人間にだってできる。しかし一度壊したものを元通りにする事など彼等にできますか?これが我々のtrickです。」
そう言われることで司はようやく理解してきた。
時間が戻ったわけでも彼が幻覚を見せられたわけでもない。
つまりこの妻夫木馨。どうやったかは知れないが空間を爆発させた後、粉々に吹き飛び破壊された店内を修復し元の状態へと直した。さらに言えば負傷した人間の傷も直しその記憶共々無かったことにし空白の記憶は日常の数秒間として上書きさせた、のだ。
意味がわかりづらいかもしれないが簡単に言うと少年は爆発を起こした後、その爆発をなかった事にしたのだ。
次元が違いすぎるにも程があった。人類の進化形態どころじゃない。この少年がやった事はほとんど神の御業である。
ーーだが一体どうやって?…エネルギー生命体…trick……化ケ物学…。んなバカな…教えを請えば俺にも出来るってか?科学もクソもありゃしねぇ!ーー
圧倒された司が自尊心を守る為にギリギリできた最後の抵抗は…。
「………例えそうでも…俺はお前みたいなクソガキの言う事になんか絶対に従わねぇぞ…」
これを言うのがやっとだった。
もはやこの化ケ物の前においてその言葉は殺してくれ、と言ってるようなものである。
だがそれを聞いて妻夫木馨は、
「そうですか。じゃあまぁ今日はここら辺でお開きにしてあげましょうか。心変わりがあれば彼女も連れて是非私の館にまで遊びに来てくださいね。」
そう言って馨は自分が住む館の住所を教え始めた。
司にはその住所を覚える気なんてサラサラなかった。
なかったのに。
それがはっきりと脳内に刻まれてしまう。二度と忘れる事が無いように。
ーー2030年4月1日、午前11時30分頃ーー
ーー都内の高速道路を走る車の車窓にてーー
帰りの道中。
妻夫木馨が乗る車内はイクラが実はロシア語であった事について盛り上がりをみせていた。