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直木賞だよ キューバさん!

作者: 藤代京


 パソコンに向かってせこせこ小説を書いていると、スマホが着信で震えた。

 画面を見ると、非通知だった。

 ふむ。

 ああ、直木賞の季節であったか。


 電話に出るとやはりキューバさんであった。


「あたし、直木賞取るから」


 途中で通話を切り、電源も落とす。どうせキューバさんは鸚鵡のように同じ事しか言わない。

 彼女のなかでは遥か昔で時間が止まっている。

 それでも電話に出るのは季節のものだからだろう。

 直木賞が発表になる時期になると脳の発作を起こして、あたし直木賞取るから、と電話してくる。

 なお、キューバさんは直木賞を一般から公募を受け付けている賞だと誤解している模様。

 まだキューバさんに対していくらかの熱量を持っていた時期には、違うんだ、直木賞は公募の賞じゃないんだ。出版された小説から選ばれる賞なんだ、と説いたこともあったがついぞ理解されることはなかった。

 彼女の中では小説の賞はすべからく一般から公募を募るものであるらしい。

 

 なにやらキューバさんには直木賞受賞間違いなしの小説のアイデアがあるらしい。

 なんでもロシアンマフィアとテロリストにまつわる実話ベースの話らしい。

 んんー?

 テロリストもので直木賞?

 かなり昔に藤原伊織の「テロリストのパラソル」があったのだけど、キューバさんに読んでいるかなんてことは、訊かない。

 読んでいる訳がない。

 そのずっと前に彼女の時間は止まっているのだから。

 直木賞を取ると言い出してから、何年たったやら。

 片手では足りないのは確かだ。

 パソコンを使えないキューバさんは、日々原稿用紙に向かって執筆に勤しんでいるらしい。

 

 何年も会ってないから、よく知らんけど。



 キューバさんとは何か?

 昔、俺が同棲してた女だ。

 渾名の由来は海外旅行に行ったキューバがみんなフレンドリーで親切で素晴らしかったと熱弁するから。

 ひねた俺からすると、それって秘密警察にマイルドに監視されてただけなんでは? あんたスペインに十年居てスペイン人とスペイン語で口喧嘩して勝てるぐらいじゃん。そんなスペイン語が流暢な東洋人はかなり怪しかったんでないか?

 このお互いの熱量の差が変な面白味があって、故にキューバさんと命名した。

 

 そんなキューバさんとの同棲生活は毎日喧嘩ばかりで気が休まる暇もなく、半年で破綻した。

 ニュースでなんかでたまに聞く、つい、カッとなって殺ったって言葉を実感として理解した。

 うん、このまま喧嘩がエスカレートしていくと、カッとなってやる、殺しあいになる。

 二人で飯を食いながら、殺し合いかあ、死体の始末面倒だな、見られないように車のトランクに死体積んで、山に埋めて、でも結局ばれるよなあ、キューバさん失踪したらまず疑われるの俺だもなあ。

 考えるまでもなく俺、犯人だもんなあ。


 俺が人殺しになっていないのは運と間取りだ。

 同棲していたは2LDKだったから、包丁取りに行くには隣のリビングまで行かねばならんかったからな。

 手の届く所に刃物も鈍器もなかったのは大きい。


 時の流れというの偉大なもので、そんな相手から電話が来ても俺はとてもフラットだ。

 前までは電話が来たというだけでイラついて、何かに八つ当たりするのを必死に堪えなければならなかったのだけど。

 もう完全に過去になった。

 そういうことなのだろう。


 本当に時間は偉大だ。


 


 キューバさんの変なエピソードは数えきれないほどある。

 例えば、ボジョレー・ヌーボー。

 キューバさん曰く、わたしはスペインに十年住んでいたらワインには詳しいと。

 それで今年のボジョレーは当たり年だから、解禁から遅れて船便で輸入されてくるボジョレーを買い占めよう、それで熟成させて高くなってから売ろう、とのことだった。

 ワインに詳しい人なら、もうこの時点で???だろう。

 ボジョレーは新酒のフレッシュさを楽しむワインであって、熟成させるものではない。それに日本でのボジョレーは時差でフランスより早く解禁されるのが売りなのであって、船便で輸入されてくるボジョレーなどない。船便で輸入されてくるのはケープ・ヌーボーだ。


 今でこそ変さを指摘できるが、当時の俺はワインに知識などなくキューバさんの言うことを鵜呑みにして、たまに酒屋に行っては船便のボジョレーないなあ、と首をかしげていた。


 他にも似た話は数えきれない。

 知り合いから照明屋さん紹介してもらったからと言うから電話してみたら、ただの配電の設備屋さんだったり。ああ、違う、あれは向こうから電話貰ったんだ。相手も一体何の用なんだろう? とかなり不審気だったな。すいません、うちの馬鹿の勘違いです、と謝るのはかなり恥ずかしかったな。


 だからと言ってキューバさん、頭が悪い訳ではない。

 東京外語大卒業だし。


 ただ、歪んでいるから現実が本人の歪みに合わせて湾曲するのだ。

 そして、歪んだキューバさんには同棲していた俺は、どう見えていたのか。

 きっと歪んだ鏡に写したような、人の輪郭も定かならぬ姿だろう。


 

 年食った今だから分かるのだが、キューバさんと話す時に感じる一体何年前で時間が止まってるんだ? それはいつの話なんだ? といった頑なな変わらなさは決して時代の変化についていく能力がない、からではない。


 きっと、人生のある時期を最高のものとして、それを基準としてそこに回帰することを願っているからだ。


 だから全てが変になる。


 車の運転免許を持っているけど運転はしない。

 基準点では運転してなかったのだから、運転する訳にはいかない。

 それは基準への回帰に反する行為だから。


 小説を書くと言いつつ、パソコンを持っているのにパソコンを使おうとしない。

 今時、手書きの原稿など下読みではじかれると説いても理解しない。

 だって基準点ではパソコンを使っていなかったのだから、覚える訳にはいかない。

 それは禁忌なのだ。


 それでも生きてる以上、まったく新しい知識が増えない訳には行かない。

 飲み屋の聞きかじりでも新しい知識の断片は入ってくる。

 しかし、基準点ではない知識だから追求しないし正否も確かめない。

 基準点で間違って覚えていることあったら、間違って覚えている知識が正しい。世間的には正しい知識が間違っている。


 だから船便のボジョレー・ヌーボーみたいにおかしなことになる。


 人も時代も水のように流れていくものなのだなあ。

 それに逆らうだけで人間はどうしようもなく歪むのだな。


 キューバさんが歪んでしまった理由は知らない。

 彼女のお母さんがなくなってから人が変わったと聞いたが、その時にはキューバさんに嫌気がさしていたので聞き流しただけで追求はしなかった。


 うん、それは君の問題だから、君がなんとかしてよ。俺に汚いのを擦り付けるな。


 そんな感じだ。


 キューバさんの人生最高の時期はお母さんが生きていた時代で、そこに回帰したいのかも知れない。


 しかし、俺には関係ない、俺はキューバさんのお母さんではない。


 

 キューバさんが小説を書こうとするのは、その最高の時期に関係あるのだろう。

 だって、キューバさんと本の話をすると見事に大学時代で止まっている。

 それも決して多読家ではなくさらっと読んだ程度。

 小説だけはなく映画や音楽についても浅かった。

 彼女がいいと言うのは既に評価が定まったものか、何かの賞を取ったものばかり。

 

 半年の同棲生活でなにが辛かったって、その浅い映画やドラマに付き合わされること。

 俺、それはどうでもいいんだけどって言う映画を見なきゃいけないってのは辛い。もう時間が淀むというか喧嘩している方がよほどましだった。


 自分のアンテナで面白いものを探してくることが、一切できない人だったからな。


 それも基準点にない映画を評価する術がなく、なにかの賞を取ったってことでしか判断できなかったのだろうな。


 ふむ、書いていて俺は人間と同棲していたのか、疑問に思えてきた。

 生きているだけで、中身はほとんどゾンビだったのはなかろうか。

 

 ゾンビとともにいきる。

 同棲が妙にしんどかったも、納得だ。

 とてもとても深く納得した。


 そんなキューバさんであるから、小説書くと言うだけで実際に書いている所は見たことがない。

 いや、キューバさんの書いた文章を一行たりとも読んだことがない。


 そもそもキューバさんは小説を理解していなかった。

 

 文章なんてものは書いていくそばから全て嘘になる。

 

 いや表現に虚に属するものと実に属するものがあることも理解していなかった。


 小説や映像は虚の分類だ。

 文章は全てを伝えることはできないし、映像だってフレームからはみ出るものがある。笊で水を掬うように、いくら真摯になろうともぼろぼろとこぼれ落ちるものがある。


 対して、キューバさんは実の表現者であった。


 キューバさんはダンサーなのだよ。

 一流に成り損ねるぐらいには才能がある。

 普通にコントラで四連のサパティアード入れる変態でもある。

 

 カルロス・サウラから映画の出演依頼来たのに旦那に反対されたから断った、とか言うチャンスを自分で潰していくスタイルで有名に成り損ねたダンサーだ。


ただそれも本当のとこは基準点で映画に出ていなかったから、なんだろうなあ。

あれは素直に旦那の言うこと聞くような女ではない。


 肉体表現というは強い。

 文章のように書くはしから嘘になっていくなんてことはないし、言葉や人種の壁も軽く越える。

 彼女のソレアを見たお客さんが感動でマジ泣きしているのを見たことがある。

 俺は裏方しながら泣くほどかな? と覚めていたけど。


 ダンサーとしての才能はあった。

 だからこそ、キューバさんには小説が理解できない。

 ダンサーのタームで理解しようとするせいで歪む。

 

 だったら別に小説に関わらなきゃいいじゃん、と思うが何故か小説と直木賞に拘る。

 俺が知らない基準点でのなにかがあるのだろう。


 書く書くと言うだけの書く書く詐欺なのだから俺に関わらないでくれたらいいのだけど、なぜか直木賞の時期になると発作を起こして電話してくる。


 キューバさんに新しい男が出来て名古屋に引っ越した時は、やった今度こそ終わりだと喝采したのだけど、なぜか終わりにならなかった。


 なんで俺なんだ?

 

 別に他の男でいいじゃんよ、と思っていたら気づきたくないことに気づいた。


 いつもの調子で本質直観でキューバさんの基準点を知らぬまにぶち抜いていたとしたら? 

 

 だとしたら、だとしたら俺が基準点に回帰するための鍵だと誤解するじゃん。


 なるほど。

 

 殴り合いの喧嘩しても、警察呼ぶ騒ぎになっても終わりにならない訳だ。


 新しい男できても関係ないわな。


 俺が基準点に回帰する鍵だと誤解してるんだもん。


 これは一生執着されるぜ。


 ほんと要らないんだけど。




 かくして直木賞の季節になると、電話がなる。


  


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんとも言えない腐れ縁が面白かったです [気になる点] キューバさんは何して生活しているんだろう 価値観って何なんでしょうね [一言] 最近多い 「マスコミに踊らされている人」 を想像し…
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