第4話 転送
授業も半ばを過ぎて、やや退屈し始めた頃に佐藤龍児は窓から差し込む光がオレンジ色に帯びたことに気が付いた。
夕焼けにしてはずいぶん早く、しかも夕焼けの色と異なり妙に濃色である。気になった龍児は窓の外を見てギョっとする。
空には濃いオレンジ色の雲が渦を巻いていており、それは手前になるほど濃くなって紫色へと変化している。校舎の真上あたりは完全に漆黒で、まるでそこに宇宙でも存在しているかのようであった。
龍児は見たこともない空模様に思わず驚きの声を上げて椅子から立ち上がった。
あまりにも勢いよく立った為に椅子が後ろのロッカーに当たり大きな音が教室に鳴り響き、注目を浴びるとクラスの皆は龍児の視線につられて窓の外を見る。
女子生徒も異変に気がついたらしく驚きの声が上げると、それはクラス中に連鎖し騒然とする。
ズズズ……
遠くで響く地鳴りのような音は、空気を震わせながらこちへと近づいてくる。
徐々に近づく音はやがて轟音となり、黒い闇が渦を巻きながら校舎に落ちてきた。
激しい音と風に校舎の窓がガタガタと揺れた。
窓の外が闇に包まれると生徒達は突如耳鳴りに襲われる。教室内の気圧が急激に上がったためだ。そして振動と圧力によって窓にヒビが入るとビシビシと嫌悪感を抱く音を立てた。
「危ない! 皆、中央に集まれ!」
クラス委員長の河合拓真が危険を察知して教室の中心に集まるよう声を張り上げると窓際の生徒たちは恐怖にかられて慌てて教室の中央に集まって身を寄せた。
「先生、こっち」
教壇の裏で腰を抜かしている遠藤智恵美先生に姫反由美が駆け寄って彼女に手をさしのべる。その手を握ると力強く引っ張られて彼女はその場を後にした。
闇の渦が近づくと一斉に窓が割れ、教室に滞留していた空気が突風へと変わる。
窓から侵入した闇はまるで生きているかのように教室内でとぐろを巻き、生徒達を追い詰めてゆく。
動揺し、慌てふためき、恐怖で声を張り上げる。そのような中で天井の蛍光灯がチカチカと点滅すると、まるでコマ送りのような時間が彼らに訪れた。
迫りよる闇に生徒はパニック状態となり、悲鳴と泣き声を上げるが高い気圧によってその声は誰かに届くことはない。やがて教室に闇が満たされると息苦しさと恐怖で次々と生徒が意識を失い倒れてゆく。
◇◇◇◇◇
『まぶしい……』と誰かが言ったような気がした。
気を失ってからどのくらいの時がたったのか不明だが、すでに教室からは闇は消え去っている。
窓から差し込む光は荒れ模様の教室を照らしており、次々と目を覚ました生徒達の目にその光景が映った。
「いつつつ……」
龍児も目を覚ますと何処かにぶつけたのか体中から痛みを感じた。闇に包まれていた間の記憶は無く、覚えているのは息苦しさと耳鳴り、そして頭痛で意識が飛んだ所までだ。
視力がまだ回復せず周りはぼんやりとしか見えない。上半身を起こして強く何度も瞬きをすると視力が少し回復した。
クラスの何人かが同じように目を覚ましており、倒れている者に声をかけて意識を確かめている。
闇は一体どこへ消えたのかと光の差し込む窓際を見て龍児は唖然とした。彼の視界に映ったありえない光景に思考は空回りする。
「嘘だろ……」
窓の向こうには背の高い木がいくつも生えており、その隙間からキラキラとした木漏れ日が教室内に差し込んでいる。だが龍児の記憶では校庭にこのような木は生えていない。
床についた両手には高原の朝のようなひんやりとした空気が流れているのが伝わる。
周りをよく見渡すと教室の四隅の角が削られて無くなっており、そのまま外の景色が見えているではないか。
龍児は立ち上がって吸い寄せられるように、そこに近づいて外を見た。
「ここは森か?」
その声に反応して何人かの生徒が外を窺うと、想像を絶するこの状況に誰もが声を失った。多くの生徒が立ち上がって窓側にゆっくりと警戒しつつ近寄る。
「ここ何処なの?」
誰かが質問するが誰もその質問に答えられない。
代わりに副委員長の宇佐美舞衣が別の質問を返す。
「森と言うより山かしら、それにしてもアレは何?」
彼女が指を差したそれは古そうな石柱である。
先端は尖っており、苔に覆われていてかなりの年代もののようだ。その表面には模様とも文字とも取れるようなものが描かれている。
「その後ろのは何?」
また誰かが質問を投げかけるが、特定の誰かに問いかけているわけではない。彼女の指摘したソレは石柱の後ろにあった。
金属でできた大きなチューブ状のようなものが校舎を取り巻くように横に伸びている。それは所々破裂した形跡がいくつもあるため派手に爆発したことを容易に想像させた。
こちらもかなり風化しており、金属は錆びてボロボロである。そして石柱同様に苔とツルで覆われており、これも古さを醸しだしていた。
チューブの先を目で追うと先ほどと同じ石柱がチューブに沿って等間隔に立ち並ぶのが見えた。
不思議な光景に引き寄せられるように龍児は削れた壁から外へ出る。校舎と地面の間には少し隙間があり、段差があったが彼は気にもとめない。
彼は自分達の教室が二階であるという事ですら失念するほど周りの状況に呑まれていた。
「さ、佐藤君!?」
先生が驚いて声を掛けるか、龍児は先生の声を止めるかのように軽く右手を上げて、周りの景色から目を反らさずにぼそりと言った。
「佐藤と呼ぶな、龍児だ」
「佐藤く~ん、危ないわ」
「ッ! 問題ねーよ!」
佐藤龍児は佐藤と呼ばれることが嫌いである。それは硬派を気取っている彼にとって『甘ったるそう』という他愛のない理由からである。
再度『佐藤』と呼ばれてイラっときた龍児が怒鳴り気味に振り返ると一転、驚いた表情で顔を凍りつかせた。
「お、お前ら……早く教室から出たほうがいいぞ」
「どうしたの? 佐藤君?」
「いいーから早くッ!」
龍児は思わずイラついて怒鳴ってしまったが不安そうにしているクラスメイトの表情を見て、これではいけないと言い直す。
「い、いや、あわてずゆっくりと教室を出るんだ、いいか慌てずだぞ」
いうことを聞けと怒鳴ってしまったが人は怒鳴られると余計に警戒したり硬直てしまうものだ。龍児は冷静になって皆を刺激しないようトーンを落として外に出るよう促した。
龍児の言葉に嫌な予感がした皆は言われたとおり教室を無言で出た。
外に出て校舎を見た彼らは絶句する。
開いた口が塞がらないとはこの事だ。そこには校舎など存在せず、2年B組の『教室だけ』だ。
まるでB組の教室だけをえぐってここに置いたような、そんな異様な光景だった。