第3話 ひととき
夏休みが終わって2学期が始まったが生徒達はいまだ休みの余韻が抜けきらない。5限目が終わって今日の授業もあと1つとなり、クラスの雰囲気は浮きだっていた。
ここは私立天丘高校2年B組の教室。
教室の廊下側の席で一人の男子生徒がつまらなさそうに机にうつ伏せになっていた。彼は腕の隙間から顔を半分だけ覗かせてクラスの様子を伺う。
男は思う、たかだか十分の休み時間程度で一体何をそんなに話すことがあるのだろうかと。クラスの連中は仲の良い者同士が集まって談笑しているのを男はじっと聞き耳を立てていた。
「ねぇねぇ美紀、授業終わったら『かみや』の抹茶アイス食べに行かない?」
「えぇ? 昨日あいちゃんと食べに行ってなかった?」
「――いや、昨日は昨日って事で……」
「葵、あなた太っても知らないわよ~」
「いや、大丈夫! バスケで全部燃焼できるし、体育系は食べても大丈夫!」
「私も同じバスケ部なのだけど……その体質うらやましわ」
同じバスケ部の天壌葵と赤井美紀が放課後の予定の話をしていた。二人はこのクラスになって知り合ったが、同じクラブと言うだけでなく馬が合うのかとても仲が良い。
ショートヘアーの天壌葵はスレンダーな体型をしており、ボーイシュな姿容通りにしぐさ一つ一つが活発によく動く。ただし燃費は相当悪いらしく食い意地が張っている。
かたや赤井美紀は標準的な体型ではあるが、丸い顔立ちは人によってはポッチャリ型という人もいるだろう。一見おっとりタイプに見えるが喋りだすとグイグイと首を突っ込んでくる。こと恋愛事に目がない。
二人ともバスケ部なのに背が低いことが共通の悩みであり、その辺りが仲良くなった切っかけであった。
「姫反さん!」
隣のクラスの女子が教室の入り口で控えめに手を振っている。
呼ばれた女子生徒がクラスメイトとの会話を中断して呼び出した相手に駆け寄ったとき、彼女のご自慢の長い髪がさらさらと流れた。
「どうしたの?」
「今日、弓道部の練習は後から来るようにって先輩が言っていたよね? 何時頃行く?」
「そうねぇ……」
考え始めた彼女は弓道部に所属している姫反由美である。
背が高く、姿勢も良くてシャープな顔つきは気高そうに見える。実際彼女は良い所のお嬢様で真面目な性格をしているが、時折お嬢らしかぬワイルドな行動を見せることもある。
「委員長!」
「なんだい副委員長?」
「今度の文化祭の事です」
「まだ体育祭も終わってないのに、相変わらず気が早いな」
「体育祭から文化祭まで時間がありませんから」
委員長と呼ばれた男はクラス委員長を勤める河内拓真だ。空手部に所属しており、鍛えているだけあって体つきはがっしりしている。
時折見せるロボットのような独特な言い回しが受けて委員長に選ばれた。今は体育祭が近いので準備に忙しくて時間に追われている。
文化祭の話を持ってきたのはクラス副委員長の宇佐美舞衣。委員長の座を競り負けて副委員長になった。
プライドが高く今でも負けたことを悔しがっている。頭の回転は早く準備などテキパキこなせるので有能と言えるだろう。
机に腰をかけて窓の外をぼうっと眺めている長い金髪が特徴的な彼女は鎌倉梨沙だ。
天丘高校は今どきの学校としては校則が緩いほうではあるが、彼女の髪型はあきらかに違反である。何度も教師から指摘を受けているが彼女は一向に止めようとはしない。
いわゆる不良の部類だが他の不良とはつるんだりはしていないようで、むしろそのようなグループからすら嫌煙されている。
本人は一匹狼を気取っているつもりだが、ただのボッチと陰で揶揄されている。退屈そうに大きなアクビを漏らしてしまい、慌てて表情を直してクールぶっていた。
「今日もこっそり人間ウォッチングか?」
突然やってきた男子生徒がクラスを眺めていた男の椅子を半分奪って座ってきた。椅子を半分奪った男は三木晴樹。椅子を奪われた男の親友である。
茶髪頭に整った顔立ちは男から見てもパーフェクトなイケメンだ。まるでアイドルのようなこの男は人に対して特に好き嫌いもなく、誰とでも気さくに話しかけて会話もうまい。
ゆえに女子に人気があるのは必然であった。
「そろそろ誰か気になる子でも見つけたか?」
「いや、そういうのいねーし。さっさと授業終わって欲しい」
「固いねぇ、今日も例のジム?」
「ああ……ハル。お前こそ彼女作らないのか? モテるのに」
「いやいや、親友の刀夜が作らないのに作るわけにはいかないよー」
「本当は特定の相手作るのが嫌なんだろう?」
「バレた?」
刀夜と呼ばれた男は八神刀夜。
ボサボサのだらしなく伸びた髪は顔半分を覆い隠すほど長い。口数も少なくて交遊関係と言えばこの三木晴樹だけである。
その風貌から女子や男子の間では『おたく』だの『ゲゲゲの鬼太郎』と影で呼ばれていた。だが女子らがそれを表にしないのは彼の側には三木晴樹がいるからだ。女子からすれば彼の親友がなぜこの男なのかと首を傾げられていた。
「あ、あのー佐藤君……」
「あぁーっ? 何?」
ガラの悪い返事を返したのはクラスでも不良のレッテルを貼られた佐藤龍児。身長は190を越えており、密かに鍛えている体は筋肉質で日本人離れした体格の持ち主だ。服装はだらしなくシャツのボタン全開で赤いTシャツが見えている。
窓側の一番後ろ席で足を机の上に乗せて椅子を半分だけ後ろに倒す。椅子は今にも倒れそうだが龍児はロッカーに背中を預けているので倒れない。龍児はこの倒れそうで倒れない姿勢が好きだった。
「…………」
いきなりガラの悪い返事を返されて二人の女子生徒は委縮してしまった。
龍児には自分が不良であるという自覚はない。粗暴な言動が多いが無闇に暴力を振るうことはない。しかしながら交遊関係にいわゆる不良関係者が多く、暴力事件の噂もある。
「何?」
「う、後ろのロッカーのほうきが欲しいのだけど……」
女子生徒は恐る恐る願い事を口にした。もう一人の女子はその彼女の後ろに半分隠れていて明らかに怖がっている。
そのような態度が龍児は嫌いだった。言いたいことは堂々と言えば良い。『隠れる』『はっきりしない』『苛める』『負ける』どれも龍児には嫌いなキーワードだ。
そんな理由からか龍児の中で意地悪の虫が疼いた。
「掃除にはまだ早いぜ?」
そう言いつつ椅子をシーソーのようにギコギコと揺らして、場所を空けてくれる気があるのか無いのかあやふやな態度にでる。
「あっ、ごめんない。散らかしちゃったから……その……」
龍児が女子生徒の向こうを覗くと確かにゴミ箱が倒れており、中身が散乱していた。何をやったら倒すのかと呆れたが、それならば仕方がないと机から足を下ろした。
「ほらよ」と短く返事すると席を立って隣のベランダに出る。
「ありがとう」二人の女子は軽く頭を下げてお礼を言う。
お礼を言われるのは嫌いではなかった。ささやかな言葉に龍児の口元が上がり、内心は優越感に浸る。
だがベランダに出たのはよいが9月といえばまだ日差しは暑く眩しい。
突如、轟音と共に視界が暗くなる。頭上を飛行機が飛び去って太陽を一瞬隠した。そのエンジン音を体全体で感じて振動の余韻を楽しむ。
「龍児ぃーそろそろ授業始まるぞー」
教室の中から声をかけてきたのは龍児のダチであるホウキ頭の久保颯太だ。龍児と同様、シャツの前を全開にして黄色いシャツが顔を覗かせている。
龍児とよく連んで行動することが多く、トラブルメーカーでもある。龍児が暴力を振るうときはこの男柄みが大半であった。
だが龍児はこちらに正統性がなければ暴力は振るわない。颯太は龍児を頼れる仲間と思っているが、こちらに非があれば逆に怒られるので彼の前ではあまり無茶なことはしないようにしている。
学校のチャイムが鳴った。
同時にドアを開けて入ってきたのはクラスの担任である世界史教諭の遠藤千恵美先生だ。
皆からの人気は高いが、どうにも友達感覚で接する生徒が多く、本人はもう少し先生らしく扱って欲しいと思っている。
彼女は24歳。まだ新任感が抜けない感じがあり、優しいが少々ドジでおっとりとしているあたりが教師らしさを感じさせないのだろう。
彼女が教壇に立つと教室は静まりかえって何時ものように淡々と授業が始まった。