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深夜バス  作者: フーテンのまっすー
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ベトナム→ラオス国境超え編

とうとうベトナムを出ることになる。

今までタイ・カンボジアと来ているが、今までで一番居心地のいい国はベトナムかもしれない。そう思えるほど魅力的な国だった。

もちろん観光地の多さやご飯も魅力的であるが、近代的なものと東南アジア特有のカオスが入り混じったその雰囲気にとても興奮していた。

そして次はラオスのルアンパバーン へ向かう。ハノイからルアンパバーンへはここからバスで24時間だという。バス旅に慣れきった私は24時間くらいならと45US$(約5,000円)を払い、17時出発のバスに乗り込んだ。


バス乗り場ではJTBのタグを付けた二人組を見つけた。

おそらく日本人であろうと声をかけると、やはりそうであった。彼らは名古屋の大学生で、2人で旅をしているらしい。

彼らの話を聞いてみると、大学のゼミで教授から東南アジアを旅行する課題を言い渡されたという。ダーツで最初の行き先を決め、そこから教授も含めてゼミ生全員、2週間後にバンコクで落ち合うそうだ。

中々面白い取り組みであるが、この二人組は海外経験があまりないようだった。1人は初めての海外、もう1人は香港に1度だけ。

これでは不安なのも無理はない。最初の海外旅行で24時間のバスでの国境越えは無謀に思えたが、この旅のルールでバス以外使ってはいけないそうだ。

案の定彼らはぼったくられてしまったようで、ルアンパバーンまでで1人当たり80US$、僕の2倍近く取られてしまったようだった。


私は彼らに興味があったので会話をしようとするのだが、中々に会話が進まない。理系の学生をイメージしたときに典型のようなタイプで会話が苦手のようだった。

「まっすーです。どうぞよろしく」と自己紹介するも、「あ、どうも」と会釈だけで2人から返され、彼らの名前さえ知ることができなかった。

そのため私は、初めての海外の方を"ノッポくん"、香港に行ったことがある方を"理屈くん"と勝手に名付けることとした。

ノッポくんはまだ愛想がいい方で、私の質問に答えてくれることが多かった。理屈くんは話し出すとネットで得た知識を惜しげもなく披露するのだが、そのしゃべり方から理屈くんと名付けた。

この2人に共通していたのが、まるで私に興味がないということだった。私に1つも質問をしてこないのだ。ただの1つもだ。

今までは日本人と会話すると決まって、私の寅さんの格好についての質問があった。寅さんを知らない人でも何でこんな格好を?という話になる。

だが、彼らは寅さんの格好についてでさえ質問がなかったのだ。これは私がこの旅で初めて感じた屈辱的な気持ちであった。


朝7時にベトナムの出国ゲートを難なく通過し、その後ラオスの入国ゲートに到着した。

ノッポくんと理屈くんは私に興味がなくても、初めての陸路国境越えはさすがに不安らしく、堂々と先を行く私の後ろについてきていた。

入国カードを記入するよう言われ、3人で記入していた。彼らは2人とも英語が苦手のようで何を書けばいいか困っていたのでひとつひとつ私が教えてあげた。

宿泊先記入欄の部分で、宿泊先の住所はわかるか聞くと、まだ宿を決めていないとのことだった。

私は親切に「じゃあこの宿の住所を書くといい」と、私の予約してるホテルの住所を出すと、理屈くんから「香港の時は未記入で大丈夫だったので、けっこうです」と言われた。やはり理屈くんには人をイラつかせる才能があるらしい。


入国ゲートではお金を払わされた。

私はベトナムの出国ゲート近くに闇両替のおっちゃんがいたので、念のため10US$だけラオスの通貨"キープ"に両替していたのだが、彼ら2人は持っていなかった。

そのため私は、「じゃあ3人分払っちゃいますからあとでください」と言ってパパッと支払いを済ませた。

すると理屈くんはボソッと「ベトナムドンで払えそうだから、ドンで払いたかったのに...」と呟いた。どうやら彼に善意は無用のようである。


その後バスはまた走り出したが、このバスはなぜか食事休憩が一切なかった。

時々トイレ休憩はあるのだが、食事する場所が一切ない。運転手たちはパンやらを食べているが僕らは水以外口にできていなかった。

ラオスの入国ゲートから英語の通じない運転手に「ご飯食べたいご飯食べたい」とジェスチャーで伝えていたのだが、ようやく食事が取れたのが入国ゲートを出てから8時間経った午後3時であった。

私が最後に食事したのが午後3時であったので、丸24時間である。いつから私はイスラム教徒になったのだろうか。


それから道の悪い山道を通っていくのであるが、いきなり大渋滞に巻き込まれ立ち往生した。

どうやら山の斜面が土砂崩れしてしまったようだ。

そういえば先ほどご飯を食べている間にとてつもないスコールが降っていたのを思い出した。タイミングを間違えば私たちのバスが土砂に巻き込まれていた可能性もあると思うと少し怖かった。


とりあえず何時になってもラオスに無事にたどり着けばそれでよいと思っていた。

この旅が始まって2ヶ月近くとなるが、得たものといえばこのような事態に何もあたふたしない心持ちと、とりあえず目的さえ達成すれば途中で何があろうと構いやしないという大らかさかもしれない。

ちょうど2時間ほど経ったところで土砂の撤去が完了したようで車が動き始めた。

この頃にはルアンパバーン到着予定時刻の午後5時はとうに過ぎていたが、それはさして気にすることでもなかった。


その後途中でバンに乗り換え、ルアンパバーンのバス停に着いたのは夜の11時であった。30時間近く乗っていたことになる。

しかしここで問題が生じた。バス停にトゥクトゥクもタクシーも何もいないのだ。

ホテルがあるルアンパバーンの中心地までは2km以上ある。重い荷物を背負って行くのは体力的にもきついし、何よりこの深夜に知らない町を歩くのはあまりに危険である。

そこでバンに同乗していたイギリス人4人と私たち日本人3人はホテルの近くまで連れて行ってくれないかとバンの運転手に頼んだ。

するとすぐに承諾してくれた。全員で14,000キープ、1人2,000キープ(26円)でいいという。それなら安いとみんなで納得し、バンは中心地へと向かった。


まず私の宿の近くにバンは止まった。

宿がないノッポくんと理屈くんがとても心配であったため、とりあえず私と一緒に宿に来なさいと彼らに話し3人で降りた。

3人分だからお釣りをくれと1万キープを渡すと、運転手がダメだという。

私がお札を間違えたのかと思いきちんとみると10,000としっかり書いてある。

もう一度運転手に渡すと、なんと運転手は1人20,000キープ払えと言い始める。何を言い出すんだこいつは。

30時間乗ってようやく着いた先がこれである。理屈くんとノッポくんがあたふたする中、私は困惑よりも怒りが先に来た。

「お前、何を言ってるんだ?さっき2,000って言っただろ!俺は絶対に20,000なんて払わない!ふざけんな!!」

「いーや、俺は1人20,000と言った。そしてお前はOKと言った。お前が20,000払わないのであれば、今からお前をバス停まで連れ戻す」

理屈くんはビビってしまい、20,000キープ札を出そうとしていた。私は理屈くんに、今は一切こいつに金を渡すなと言い、その手を遮った。

全く引かない私と運転手のやりとりに運転手の仲間と見えるトゥクトゥクドライバーが集まってきた。ドライバーたちは君たちは1人20,000キープ払わなければいけないと言ってくるのだった。

そうか、これは最初からハメようとしていたのかと、ようやく気づいた。

町を見渡すと夜中なのにトゥクトゥクがけっこう走っている。これだけ町に走っていてバス停に1台も待っていないのはおかしい。私は夜中だからバス停にトゥクトゥクがいないのだと思っていたのだが、最初からボッタくる算段でトゥクトゥクがバス停にいなかったのに違いないだろう。


ドライバー3人に対し私1人では分が悪い。

バンの中で待っているイギリス人に今降りた方がいいと事情を説明し、ドライバー3人 VS イギリス人4人+私(理屈くんとノッポくんは静観)という構造で口論は続いた。

私はイギリス人が来ると変に冷静になってしまい、この議論の落とし所は1人10,000キープ(130円)がいいところだろうとも考えていた。

さすがにブチギレている5人を相手にするのは分が悪いと見えたらしく、運転手も折れて段々と料金を下げて言うようになった。

下がりに下がって日本人3人で20,000キープ、イギリス人4人で30,000キープにしてやる、とのことだった。

これで手を打つのが賢明であろうと思いイギリス人を見ると彼らも同じことを思っていたようだ。言葉を交わさずともアイコンタクトでこれでいこうとお互い頷き、運転手に金を渡し私たちはお互いの宿に向かった。


私が3人分のお金を払ったため、理屈くんとノッポくんは事情が飲み込めていないようだったが、とにかく運転手の顔を見たくない私は「早くこの場を離れましょう、後で説明するので、こっち来てください」と彼らを連れて歩き出した。

事情を説明した後、理屈くんが「キープはほとんど持っていないんですけどタイバーツは多く持っているのでバーツで払える宿を今から探そうかなぁと」と言う。

「この夜中にそんな宿を探すなんて本当にやめた方がいい。お金については後払いをお願いすればいい話だし、私の予約した宿に空室があるか聞いてみましょう。」と、私は彼を説得した。

彼らに特に好意的な感情を持っているわけではないのだが、旅の先輩として彼らを放っておくわけにはいかなかった。彼らから見たらお節介に思えたかもしれないが、なぜか心配でならなかったのだ。


地図上では宿の場所に来たのだが中々見つからない。

近くに外で歯を磨いていた50歳くらいの東南アジアらしい強そうなお母さんがいた。この宿を知らないかと聞くと、「ついてきな!」と親切にも宿の前まで案内してくれた。

お母さんが開けようとすると既に門に鍵がかけられており、お母さんがラオス語で「おーい!」みたいな呼び声をあげるのだが返事がない。

何度か呼んだあと、お母さんはくるりと方向を変え、こっちに来いと言い、違う場所へ進んでいく。

一軒の家の前にたどり着くとお母さんは玄関をガンガン叩いて何やら喋っている。1人の40代くらいの主人が眠そうな顔をして出て来るとお母さんとの会話が始まり、事情を察した主人が僕らに挨拶をした。どうやら宿のオーナーのようだ。

私はそのお母さんに大変な感謝を告げ、ようやくホテルに入ることができた。空室もあり、ノッポくんと理屈くんを泊まらせることもできた。


部屋に入りベッドを見ると、急に全てが終わったような達成感があった。

バンの運転手への怒りが爆発したあとに、あのお母さんの親切な対応。私は入国1日目にラオスの全てを味わった気がした。

そして今まで感じたことのない感動があった。もしかしたら私はこういった刺激を味わうために旅に出たのかもしれない。

そう思ってゆっくりと眠りに入るのであった。

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