二人のペース
何かが腕の中で動く気配を感じ、俺は目を覚ます。
何事だと腕の中を確認すると、パジャマ姿のセシルが目を閉じたままうーんとうなっていた。
その後ゆっくり目を開いたので、丁度起きたところだったのだろう。
「おはよう、セシル」
「おはようございます。旦那様」
眠気眼をこすりながら、セシルが反応を返す。
その姿は可愛らしく、いくら子供とは言え元々顔も整っているので男にはかなりの破壊力――なんだろうな。
勿論俺にもそう言う欲求がないわけではないのだが、セシル相手だとただただ可愛らしく感じられた。
微笑ましく眺めていると、セシルはそのまま体を起こしきょろきょろと部屋の中を見渡す。
「あれ、お部屋が綺麗になっています」
不思議そうに呟いたセシルの頭を、俺は苦笑いを浮かべて撫でる。
そこで察したのだろう、俺の方を申し訳なさそうにセシルが見上げてきた。
「すみませんでした」
「いや、この場合は違うぞ」
にっとセシルに微笑みかけつつ呟くと、セシルはきょとんとした表情を浮かべる。
どうやら思い浮かばなかったようなので、答えを教えてあげるとしよう。
「そもそも散らかしたのが俺だし、お疲れ様が一番適切かな」
そう伝えると、セシルは困ったように俺をじっと見つめ続ける。
なんだろうと思って不思議に眺めていると、ためらいながら口を開いた。
「その、私が口にするのはなんか偉そうじゃないかなって」
「ん? 別に家族なんだからいいんじゃないか?」
何気なく答えた俺の言葉に、セシルがカチコーンとでも擬音が出そうな勢いで固まってしまった。
その反応が予想外過ぎて、なにかおかしな事を言ってしまったかと考えてみる。
うん、何にも思い当たらねぇ。
ってそうか。セシルは俺の奴隷だから家族と言うより俺の物だったな。寝起きだからぼけてた。
うーん、正直人を物って扱うのが嫌だから、ここはそう言うつもりだって押し通そう。
「少なくとも俺はそのつもりで扱うつもりだ。けど急に言われても困るよなぁ」
失敗したなぁと内心で反省しつつ、頭を右手でかく。
正直自分の娘のようだって俺が思ったところで、それはあくまで俺の一方的な思いだ。
それに、何故セシルが俺をご主人様でもグルード様でもなく旦那様と呼ぶのか。その理由すら知らない。
そもそも俺もセシルもお互いの過去など何も知らないのだ。
これはセシルの表情から感情が読み取れるようになっただなんて、俺が思い上がったせいでしかない。
セシルにセシルのペースでよいと口では言いながら、俺は自分のペースを押し付けてしまっていたんだ。
それなのに、セシルは一生懸命俺のペースについて来ようと頑張ってくれている。
これじゃあ十二歳も違うのにどっちが年上だか分かったもんじゃないな。
じぃっとお互いに見つめ合った状態のまま、俺はそこで反省を終える。
反省は次にしっかり活かすとして、やらなければならない事があるからだ。
「まっ、とにかく朝ご飯食べよう。俺は腹が減ったぞ」
ギクシャクしたまま朝食を終え。
いや、違うな。俺もセシルも朝食の間中お互いに上の空だったが正しいだろうか。
セシルはじっと俺を見つめる事こそ普段と変わらなかったが、いつもより食事が遅かったしたぶん間違いないはず。
俺は俺で、セシルともっとゆっくりじっくり、順序立ててお互い知り合っていく決意を立てただけだけど。
「旦那様」
部屋に戻り、なんだかんだ日課になっているセシルの頭撫でタイムに入ってしばらく経った頃。俺の方に振り向いたセシルが話しかけてきた。
「どうした?」
しっかり視線を合わせ、セシルを急かさないように心掛けながら声を返す。
予想通りセシルは少しだけ躊躇した後、それでも一度も視線を外す事なくしっかりと俺に伝えてくる。
「私。家族は嫌です。旦那様の物がいいです」
あまりにも真剣なセシルの様子に、俺は息をのむ。
さて、何と返したものやら。
安易には返せないと考えを巡らせると、セシルは俺を急かす事なくじっと待っていてくれる。
ああ、そうか。相手を待つってこんなにも大事な事なんだ。
セシルの態度に、俺はそんな感情を抱いた。冒険者をやっているからこそ瞬間の決断力がいかに大事かも知っているが、時と場合は大事と言う事なのだろう。
俺が色々教えてあげるつもりだったのに、逆に教えてもらう事になったな。
そうやってつらつらと返答以外の事を考えてしまうが、それが逆に良かったのだろうか。すんなりと俺の口から言葉が出てきた。
「おう、それでいいさ」
俺の答えが予想外だったのか、どこか怯える様子すらあったセシルの体から力が抜けていく。
朝から緊張ばかりさせてしまっていたので、俺もホッと胸を撫で下ろす事が出来た。
そのまま俺はセシルに言葉をかけ続ける。
「なんだかんだ俺達はまだ出会って間もない。これからゆっくり、俺達のペースでお互いの事を知っていければと思っているよ」
お互いをもっと知ったら関係性は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
ただ、少なくとも慌てる必要なんかなんだと、そう伝わればいいなと。俺はそんな事を思う。
セシルははたしてどれだけ汲み取ってくれただろうか。
じっと俺を見つめつつも一生懸命考えてくれているようだった。
「で、昨日の事はちゃんと説明してくれるんだろうな?」
テーブルを挟んで俺と俺の膝の上と言う定位置に座るセシルの向かいに座わったミゲルは、不機嫌そうにそう聞いてきた。
この様子だと昨日追い返された事はスツラカには黙っていたのだろう。
そして、ある程度感づいた筈のスツラカの対応に疲れたのもあるって所か。
疑問をぶつけてくるだけならともかく、不機嫌になるのはほぼスツラカが絡む場合だし。昨日程度でミゲルが不機嫌になるとはちょっと考えづらいからな。
元々話すつもりだったし、ミゲルの態度の原因に思い当たりのある俺は気分を害する事はない。
翌日のお昼に自分から来る辺り、ずっと気にしていてくれたみたいだしな。
なので、笑顔を浮かべて答える。
「見ての通りセシルとの仲が改善したんだよ」
「……え。いや。どこが?」
非常に分かりやすい回答に対し、ミゲルは本当に不思議そうに聞いてきた。
逆に俺にはミゲルの反応が分からなかったが、はっとセシルの表情を見るとミゲルを不機嫌そうに見つめている。
合点がいった俺は、ミゲルの誤解を解くために口を開く。
「ああ。いきなりお前が不機嫌に話しかけてきたからセシルも不機嫌になっちゃったんだろうな。だから分かりづらかったか。セシル、別に俺は気にしていないから大丈夫だぞー」
セシルのご機嫌を取る為にも、言いながら頭を撫でてやる。
すると、俺の方を上目遣いで見つつ困ったような表情を浮かべた。
あー、そうか。別に俺の為に怒った訳ではない可能性を失念していたなぁ。
と、そんな事を呑気に考える俺をよそにセシルはビシッとミゲルを指さした。
「そう言う押しつけがましいの嫌いです! なにかしてくれようとしているのは分かっているのですけど、大きなお世話です」
そう言い切ると、何故か褒めてと言った様子でセシルは俺を見上げてくる。
困る、非常に困る。
確かにセシルが自発的に感情を発してくれるのはとても嬉しい事なのだが、あんなにしょぼくれて情けないミゲルを見ると手放しに喜ぶのもためらわれた。
なので、フォローの為にもセシルに問いかけてみる。
「セシルはミゲルの事が嫌いなのかい?」
「違います。あの人が何かしてくれようとしてくれる事は嬉しいです。でも、旦那様みたいに待ってくれないし勝手に決めつけてくるのが嫌いです。だから、あの人は嫌いじゃないですけど苦手です」
予想以上に流暢に俺に答えるセシルの姿に、喜ばしさは浮かんでくる。
どうですか、出来ましたよ、褒めてくださいと全身で伝えてくるのも。あくまで俺個人としては凄く嬉しい。
そう、セシルの変化は嬉しいのだが、更に精神的なダメージを負ってしまったミゲルを見ると申し訳なさの方が大きくなるな。
すまんミゲル。俺の質問がミスった。許せ。
内心でそう思いつつ、口では別の言葉をチョイスする。
「セシル、よくできました。ってな訳で、こうしてちゃんと自分の気持ちをはっきり伝えたり表情に出したり出来るようになったんだよ。っつーか、その。すまんな」
「ああ、うん。分かった。分かったから頼む。もうこれ以上追い打ちしないでくれ」
ご愁傷様とでも声を掛けた方がいいのだろうか? 魂が半分ほど抜けたような状態でミゲルが言葉を返してきた。
奴の言葉に従い、復活するまでそっとしといてやろう。
一方のセシルだが、ここまではっきり言うとは思っていなかった為どう声を掛けるか非常に悩む。
下手に叱ったり注意してしまうと妙に貯めこんでしまう気しかしないし、ならばこれがこの子の個性って事で受け入れてしまうべきだろうか。
処世術的に考えると、このままではよくない気もする。
そもそも、手放しで褒めてよかったのだろうか? ああ、本当に悩ましい。
結局上機嫌で俺に撫でられ続けるセシルをよそに、ミゲルが撃沈し俺は悩み続けるのだった。