確かな変化
「ほんと困ったな」
セシルを右手で抱き、左手で頭をかきながらついそう呟いてしまう。
理由は簡単で、セシルがどんな服装を好むのかさっぱり分からないのだ。
ハザードが準備した大量の服を全部ひっくり返し、一つずつ吟味したのだがセシルの反応はなかった。
ファッション的な好みは最初から期待していなかったのだが、まさか触り心地なども無反応だとやはり困ってしまう。
セシルに視線を向けると、じぃっと無表情で俺を見つめていた。
最近こうして見つめてくる事こそ増えたが、他の反応がないと寧ろ見られている方が辛いな。
思わずため息が出そうになり、慌てて堪える。
「うーん。こう言うのは好みだからなぁ。しっかし、この量は多すぎだ」
げんなりとした理由を誤魔化すように、俺はそう呟く。
いや、実際八割がたの理由がそうだから嘘ではないのだが。
目の前に広がる過剰な量のセシル用の服を早く整理してしまいたい。
なにせ、こうして広げただけで広い宿の部屋が服だけで埋め尽くされてしまっている。これほどの数なのもあらゆる要望に応える為だと理解しているし、後で整理すれば良いだけなのも分かる。
が、肝心のセシルが無反応だからどうするか非常に困っているのだ。
いや、女の命とまで言われる髪にすらセシルは無頓着だった。
聞く前から着られればなんでもいいと答えそうだと思っていが、この様子ならそもそも着なくてもよいと思っていそうだ。
ならば俺の好みを着せれいいと言う訳でもない。
つい先日セシルが自発的に意思を伝えられるようになるまで待つと決めたのに、それに反してしまう。
「まだ早すぎたな。わるい」
反省しつつそう謝ったら、なんとセシルがフルフルと首を横に振った。
驚いてそのまま見つめていると、無表情のままセシルが俺に話しかけてくる。
「服は着れればなんでもいいし、そんな事より抱っこしてくれて嬉しい? です」
嬉しいの部分で小首を傾げながらも、俺が予想だにしなかった事をセシルは伝えてくる。
より一層の驚きに包まれながらも、俺はなんとか口を開いた。
「そうか。嬉しいと言ってくれて俺も嬉しいよ。まあ服はそのうち好みが出てくるかもしれない。着てみたい服があったら教えてくれ」
そう俺が伝えると、セシルはこくりと縦に頷いた。
どうしよう、どうしたんだ?
普通に返ってくる反応に、俺はとうとう混乱に支配されてしまう。
そんな俺をよそに、無表情のままのセシルは淡々と言葉を返してきた。
「ありがとうございます、旦那様。私、初めての事が多すぎて全然分からなくて。えっと。上手く言えないけど。その。別になんとも最初は思っていなくて。でも、それでも旦那様はずっと優しくて。何も言わなくてもしなくても許してくれて、待ってくれて。なんか知らない気持ちが沸き上がって。それを嬉しいって気持ちだって教えてくれて嬉しくて。でも、えっと。ずっと話たかった……んですけど。私喋るのこうして下手くそだから。あっ、ですから。だから。でも、えっと……」
セシルから溢れてくる言葉を必死に受け止め、回らない頭をフル回転させる。
ええい、もどかしい。意味が頭の中を滑っていく。
それだけ俺が冷静でないって事だろうが、いかんせん俺の容量を超える事態だった。
だが、セシルの声が徐々に小さくなり遂には黙ってしまった。
正直助かった。この隙に内容を理解しなければ。
意図せず沈黙が場を支配するが、寧ろそのお蔭で俺はセシルの言葉の意味を噛み砕いて理解する事が出来た。
見つめ合い続けたセシルの表情は変化していなかったが、俺は自分が笑顔になっていくのを自覚する。
「ありがとうセシル。反応してくれたのが嬉しいし、話してくれたのも嬉しい。下手くそなもんか、セシルの喋りは気遣いに溢れていて俺は好きだぞ。だから、話したい時に話したいだけ話しかけてくれると嬉しい」
現金なもので、俺は目一杯上機嫌にセシルに自分の気持ちを伝えた。
今まで感じていた他人って気持ちがこの瞬間に吹き飛んでいて、この子は大事な俺の娘のような子だと。初めてそう心にストンと落ちてくる。
そんな気持ちを持つと、無表情に感じていた筈のセシルの表情が、急に何か言いたそうにしているように感じられた。
だから、じっと笑顔のままセシルが喋れるまで待つと決めて見つめる。
「私、喋っていいんですか?」
「勿論。喋りたい時に喋ってくれ。話したくない時は黙ってていいんだぞ」
セシルの可愛らしいお願いに、俺はそう伝える。
礼儀なんか後からで十分だし、この子なら大丈夫だと確信している。
「気持ちを伝えても、……いいんですか?」
「当たり前じゃないか。少なくとも俺はなんでも伝えて欲しいぞ。ただし、今後言いにくい事や言いたくない事もあると思う。だから、繰り返すけど今までのように言いたくない時は黙っててもいい」
失敗なども全部黙ってしまわれると困った事になるだろうが、これも後から教えてあげればよい事だと俺は口には出さない。
そもそも、今のセシルにそんな余裕などない筈だからな。
「……私を、……必要ないって捨てないでくれますか?」
明らかに先ほどまでよりも緊張した様子で、セシルが懇願するように問いかけてきた。
だから、ぎゅっと痛くない程度に俺はセシルを抱きしめる。
「必要だから、居てくれないか?」
自然とそんな言葉が俺の口から出ていた。
なぜそんな言葉が出たのか、正直自分でもよく分からない。
ただ、それでもセシルが必要だと言う気持ちが、確かに俺の中に生まれていた。
「グルード! 遊びに来てやった……ぜ?」
背後からミゲルの声が聞こえたので、セシルを抱きしめたままそちらへと振り向く。
すると、ミゲルがドアを開けた格好のまま間抜け面を晒していた。
邪魔をしたのはそちらだと言うのに、やっぱりこいつは空気の読めない男だな。
そう俺は呆れてしまう。
「……えっ? 何があったんだ?」
混乱しきった様子のミゲルがそう聞いてくるや、セシルがミゲルの方を振り向いた。
その反応にミゲルがまたぽかんと口を開けっぴろげにする。
「邪魔をしないで」
ミゲルの方を向いているので俺からセシルの表情は見えないのだが、口調から苛立ちを感じられた。
これは怒っているなと俺は思わず苦笑いを浮かべたが、ミゲルは慌てて弁明を始めた。
「ちがっ。いや。こんな事になっているなんて知らなくて。じゃなくて何が起きたんだ?」
「後で説明するから、とりあえず今日は帰れ」
腕の中のセシルがより不機嫌になった気がして、俺は追い出すように手を振ってミゲルに言葉を放つ。
うぐっとだけ呻いたミゲルは、どたばたとうるさくドアを開けっ放しのまま走り去っていく。
って、ドアぐらい閉めて行けよ。
俺は内心で文句を言いながら、セシルを変わらず抱いたまま扉を閉めに向かう。
「すみません旦那様。あの人待ってくれないから苦手です。嫌いじゃないんですけど、好きじゃないです」
扉を閉めるや、俺に包み隠さずセシルは俺に気持ちを伝えてきた。
とりあえずは良い傾向だろう。
それに、言葉を聞く限りミゲルの思いやりに気付いていない訳でもなさそうだ。
そう判断した俺は、そうかとだけ口にしてセシルの頭を優しく撫でてやる。
すると、セシルは嬉しそうに身を任せてきた。
それがただただ嬉しくて、衣装の事などそっちのけでセシルの頭を撫で続ける。手に取るようにとまではいかないが、なんとなくセシルの気持ちが分かってきたので止められないのだ。
セシルの服の片づけは、最悪明日でいいだろう。
そう決めた俺は、思い存分セシルの頭を撫でる事にしたのだった。