【1‐19】お兄様が他の女とふたりきりなのは本当は嫌なんです
「準備ってなんでしょうか? おっしゃられてる意味が判らないのですか」
私は率直な疑問をピクスィーにぶつけました。
すると彼女は目を丸くさせ逆に問いかけるような視線を私に向けてきます。
「あれ? 忘れちゃってた? 僕とビグルネベンスィーツを狩りにいくって話」
それは――覚えてますが唐突に話を振られてもこまりますね。
先ほどの流れでも全く脈絡のないところからいってきてますし。
「その魔物はこの辺にいるの?」
お兄様が小首を傾げながらピクスィーに訪ねました。
お兄様が疑問に思うのも仕方ありません。
その魔物の居場所は彼女しか知らないのですから。
「甘い匂いしてただろ?」
と、ピクスィーがお兄様に質問を返しました。というか質問に質問で返さないで欲しいものです。
「う~んそういえばしてたような」
「確かにそうですね。でもその匂いはトレビアンの匂いではないのですか?」
「違う違う、第一トレビアンは樹皮を剥がなきゃ匂いなんてしないし」
右手を上下に振ってあたり前のようにいってきますが、流石にそんな細かいことまでは知りません。
「そういえばビグルネベンスィーツは甘い匂いで獲物をおびき寄せたりもするんでしたな。これが人間にとっては逆に魔物がいることの指標になったりもするようですが」
「そうそう。だから普通は匂いのする場所に近づかないんだけど、僕達みたいな冒険者には位置を知らせる道標ってわけさ」
達……ってお兄様と私は別に冒険者ではないですけどね。
「だからさ、お兄様ちょっと付き合ってよ。絶対その腕があれば倒せるはずだからさ」
……さて、困りましたね。
彼女の話でいくとピクスィーは、お兄様と一緒に狩りに向かいたいそうです。
勿論そうなると私もついていきたいところなのですが――
そうなるとひとつ問題がありますね。
何せ彼女についていく場合当然馬車は一緒にはいけません。
自然とジョンと馬車の中で眠っているラリアが取り残される事になります。
ですが護衛の任を引き受けているのにそれは出来ません。
そうなるとどうなるか……自然とここに誰か一人残るといいう話になります。
おまけにピクスィーは当の本人ですから彼女がいくのは必然……そうなると私とお兄様のどちらが残るかという話になりますが――
「というわけでミサキお兄様ちょっと借りて行くから留守番頼んだね~」
「ちょっと待って下さい!」
思わず私は叫び上げます。全く冗談じゃありません。油断も隙もないですね。
なにをちゃっかりこの娘はお兄様と二人きりになろうとしてるのか、流石に滅しますよ?
「何よ怖い顔しちゃって。どうかした?」
「どうかした? じゃありません! なにゆえお兄様と貴方が一緒にいくことに決まるのですか!」
私がそう抗議するとピクスィーがポカーンと口を半開きにして間の抜けた顔を見せました。
「いや……だってとりあえずお願いしてる僕が一緒にいかないと仕方ないし、あの魔物を狩るにはお兄様の力も必要だし、そうなるとひとり残るとしたらあんたしかいないじゃん」
冗談じゃありません! ピクスィーの説明は……ピクスィーの説明は、それは判らくもないですが――
「お兄様はどうなの? 僕と狩りに行くのは嫌かい?」
「そんな事はないよ~」
お兄様が少し楽しそうな声でそう告げます。
あぁそんなお兄様……そんなにこの女とふたりになるのが楽しみなのですか? 私は……私は……
「でもあまりここを離れるわけにもいかないよね~馬車もミサキも心配だし」
お兄様! あぁやっぱりお兄様は素敵なお兄様です。
敬愛なるお兄様はいつだって私のことを第一に思ってくれています。
「そうですわ! ジョン様だって護衛が私一人でずっと取り残されては心配ですよね?」
「え? 私ですか? いやまぁ――」
「何いってるんだい。ジョンだってビグルネベンスィーツのもつ蜜は気になるだろ? 欲しいだろ?」
「いや、まぁそれも確かに――」
後頭部を擦りながら困った顔をみせるジョンですが、はっきりして頂きたいものですね。
「ふたりともジョンを困らせたら駄目だよ~」
はっ! 確かに……
「私としたことがこんな事で依頼主たるジョン様を……もうしわけありません」
私は深々と頭を下げました。
「いやいや、そんな事で頭をお上げください!」
ジョンの申し訳無さそうな声が降り注いできます。
悪いのはこちらですのに本当に良い方ですね。
「まぁとにかく護衛の心配は大丈夫だと思うよ。ビグルネベンスィーツはここからこっちの藪を抜けた先、大体二、三〇〇メートルぐらいしか距離は離れてないから、何かあればすぐに駆けつけることも可能だしね」
「そんなに近いのですか?」
意外ですね。思わず目を丸くして聞き返してしまいます。
「あぁ、ビグルネベンスィーツは一度根を張った場所からは離れない魔物だしね。移動してる事はないはずだよ」
私はピクスィーの話を聞いた直後、糸を伸ばして彼女の示した方向へ向かわせます。
すると――確かにいました。
糸の情報でいくと大体直進で二五〇メートル先です。
そしてステータスは――
ステータス
名前 ビグルネベンスィーツ
種族 魔植系
性別 ?
称号 甘いが甘くない魔植物
レベル 18
物攻 100
魔攻 42
体力 85
魔力 38
敏捷 115
精神 0
大きな壺のような本体を持った魔物。本体には数本の巨大な蔦が巻き付いており、更に本体から地面に向けて這うような根が無数に伸びている。
夜行性で太陽の出ているうちは土の中に潜み、陽が沈むと地上に姿を現し周囲に蜘蛛の巣状の根を張る。
この根が侵入者を探知する機能を有し、根に脚を踏み入れたものを問答無用で捕らえ本体に放り込もうとする。
本体に放り込まれた生物は中の消化液で徐々に溶かされこの魔物の栄養と変わる。
この魔物の持つ消化液は魔物が死ぬと同時に成分が変化し極上の甘味を持つ蜜へと変わる。
この蜜目的で狩ろうとするものは少なくない。
また蔦以外にも本体から無数の棘を生やしそれを飛ばすという攻撃もしてくる。
本体は肉厚で頑丈だが炎には弱い。
素材としてはこの魔物の持つ蜜は非常に貴重であるが、本体を倒した時に手に入る魔金は純度があまり高くない為それほどの価値はない。
以上ですか……大体の説明は先に聞いていたとおりですね。
レベルは18ですか、また少し強めのが出てきた感じですが当然お兄様の敵ではないですね。
「そういうわけだからさ。こっちも出来るだけ急いで片を付けるつもりだし」
ピクスィーはそう言葉をつなげた後、徐ろに私の横に来て肩に腕を置き耳元で囁いてきました。
「別にあんたの愛しのお兄様をどうこうしようって気はないから、安心しなって」
私の頬がぼっと燃えるように熱くなるのを感じます。
そんな私を見て愉快そうにピクスィーが笑って見せました。
むぅ意地の悪い方ですね。
「ふたりともすっかり仲良しだね~」
「そうそうお兄様。僕達もうこんなに仲良し~」
「きゃっ!」
私は思わず叫び声を上げます。てか、ちょ! 何を突然!
「おぉ、すっげぇボリューム、くっ……羨ましいぜ!」
ピクスィーが羽をパタパタ動かしながらそんな事をいってきます。
て、いや、ちょ、あんま激しく揉まな――
「いやはやこれは――」
ジョン様も何を鼻の下伸ばして! て、はぅん!
「……いやマジで身悶えるなよ。ちょっとこっちも恥ずかしくなるだろ?」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
手を放したかと思えば何ひいたような目で言ってるんですか。恥ずかしいのはこっちですよ!
「でもその羽いいよね~可愛らしいし」
……お兄様、いま気にされるのはそちらですか? 自分で言うのもなんですか私結構嫌らしい声を上げて顔も……て、私も何を考えているのか――
そしてピクスィーも地面から浮き上がりフワフワした状態で、え? そう? と頬を赤らめました。
本当に何もするつもりはないのでしょうか? 心配です。
「まぁそんなわけだから、出来るだけ急ぐしさ、それにこんなとこでぼやぼやしてて朝になった元も子もないだろ? 雨も心配だしさ」
ピクスィーが訴えるようにいってきますが、そもそもこの事がなければ直ぐにでも出発出来るんですけどね。
「判ったよ。じゃあいこっか、ミサキ何かあったら直ぐに呼んでね」
はぅ、結局お兄様は承諾されてしまいました。そうなってはもう私はただお待ちする他ありません。
「うんじゃちょっくらいってくるわ」
「ふたりともお気をつけ下さいね」
ピクスィーが街道から離れる直前、私達を振り返り、まるでそのへんに散歩にいくかのようなノリで言葉を述べました。
それをジョンが見送りの言葉で返します。
しかし私は勿論お兄様の方が気がかりなので、必死に気をつけるよう訴えます。
「お兄様、もし何かされそうになったらすぐ戻ってきてくださいね!」
「何かって? よくわからないけどミサキも気をつけてね、出来るだけ急ぐから」
「てか何もしないってのに」
あぁ……純粋なお兄様は彼女のことを信じて疑わないご様子。
そしてピクスィーも一応そうはいってますがやはり不安です。
とはいえ――勿論私は同行しないだけで糸を伸ばすのを忘れはしません。
ふたりはそのまま木と枝の群れ合う中へ踏み込んでいきましたし、程なくして後ろ姿も見えなくなりましたが、糸があるかぎり何が起きてるかある程度理解は出来ます。
目的の魔物との距離も、糸の届く範囲で済みそうなのが幸いでした。
そして――勿論ピクスィーが無垢なお兄様の心に漬け込んで、ちょっかいを出そうとしようものならいつでも滅する覚悟は出来ております。
勿論そうならないのが一番ですけどね。
はぁ……愛しのお兄様、本当は他の女と二人きりなど嫌で嫌で胸が締め付けられるぐらい苦しいです。
出来るだけ早くお戻りになってほしいのです――




