六話目 真実
「百合子、ケーキ美味しい?」
「うん、美味しいよ」
「よかった」
正直言って味は感じていない。昼間のことが頭から離れず、体は未だ緊張しているから。
父も母も出張中で、今晩は叔母の家にお世話になっていた。それで私は今、食後のデザートを食べていた。味は感じていないが。
「今日は敬太がいないから、これ秘密ね?」
そう言って笑う叔母に対し、私は頷く。実は叔父も出張中だ。因みにこの家の子供は、二人とも独り立ちしたか、遠くの大学に行っている。私の兄ももう一人暮らしをしている。つまりこの二人は置いてきぼり組な訳だ。
「……ねえ百合子、今日なんだか暗いけど、大丈夫?」
「……うーん、じゃないかも」
今日はちょっと疲れたよ、と口に出して、私は机に突っ伏した。
「何か悩み事でもあるの?」
叔母は私に水を渡した。
「うん。……智春さんのことで」
叔母が驚いたような気がした。そりゃそうだ。叔母は私が智春さんと関係していることは知らないんだから。
「あ、あぁ、確か百合子、霊感体質だったわね」
叔母は椅子に座る。叔母は私が小さい頃から見ていたから、私が幽霊を見ることが出来ることは知っている。
「ねえ叔母さん」
「何?」
「あのさ……、叔母さんと智春さんって、付き合ってたの?」
私はかねてから気になっていた事を訊いた。昨日聞いた話からでは、いかにもこのふたりが付き合っているように思えた。けれど私の質問を聞いた叔母は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。それから失笑する。
「私は敬太一筋よ? 智春とは親友で……。あの時も、敬太と結婚するなら、どんな感じがいいのかなって、相談していたの」
「え……?」
「はあ、はあ、はあ、はあ」
夜も更け、あれから激しくなった雨の降る暗闇の中を、私は走っていた。私はどれだけの数、勘違いしていたのだろう。どれだけ大切な事を忘れていたんだろう。あの男性にも、助けてやれと頼まれていたのに。
どうしてあの時私は、最初に彼と話をした時の事を思い出さなかったんだろう。自分の間抜け具合に腹が立つ。ふざけていたのは、私のほうだ。
走り、走り続け、私は人通りのない、暗闇の通りを走り抜ける。雨は相変わらず激しく打ち付け、体にまた痛みが走る。しかしこの何倍もの痛みを彼は味わったのだと思うと、こんな痛みは気にもならない。
「! 智春さん!」
彼は相変わらず雑貨屋の前のベンチに座っていた。私は大変安堵した。間に合った。
「!?」
智春さんは目を見開いて驚いていた。当たり前だ。「もう近づかないで」といった本人が、自分から一日も経たずにやって来たのだから。
「はあ、はあ。智春さん、ごめんなさい!」
私は滝のように降り落ちてくる雨に打たれながら、頭を深々と下げた。彼が焦っている気が伝わって来るが、私は頭を上げなかった。本当は土下座だってしたい程だ。
「私、あのあと叔母さんに色々訊いたの。それで、私が沢山、勘違いしてるのに気づいて。智春さん、何も悪くないのに、私……」
そこまで言って、何か暖かい空気が私の頭を撫でた。すぐにそれが智春さんの手だと気づき、私は頭を上げる。
彼は焦った様子で周りを見回して、私に彼の立っている屋根のある場所に手招きした。おとなしく従うと彼は少し怒った表情で自身の口の前に人差し指を立て、周りを示す。こんな時でさえ、こんな私のために心配してくれているというのが不思議で、嬉しくて堪らない。
「大丈夫だよ。こんな雨の中、誰も外なんか雨以外気にしないし、声なんか雨の音で消えちゃうよ。……ありがとう」
私の言葉に納得したのか、智春さんは怒った顔を安堵に変えた。そして私をベンチに連れて行く。少し笑った私は彼に語る。
「私ね、智晴さんの命日に、お墓参りしたの。あの時の私はあなたのことはよく知らなかった。だからあの日現れたあなたにすごく驚いたんだけど、……覚えてる?」
反応が薄かった為一応訊ねてみると、彼は「そうだっけ?」と言いたげに首をかしげた。
「はは、印象薄かったかぁ。私にはトラウマものだったけどなぁ」
彼は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいよ! 私が勝手に怖がっただけだし」
「そう?」と彼は首をかしげる。
「うん。でも、一昨日会って、一気に印象が変わった。外見とは違って、すごく優しくて面白くて、気さくで。いい人だって気づいた」
彼は肩を竦める。照れているのだろうか?
「あなたと会話して、楽しくて。あなたのこともっと知りたいと思った。そしたら昨日、偶然あなたのことを知っている人に話を聞くことができたの。……あなたの死んだ時の話」
彼は私の話を聞く。あ。元々喋れないか。
「自分が軽い気持ちでいた事を思い知らされた。あなたがどれほど苦しい思いをして死んだかなんて、そのお腹や後頭部を見れば分かるのにね。あの時泣いたのはそのせい。意地悪言ってごめんなさい」
謝った私に彼は「気にしないで」と両手を見せた。彼自身、気にしていないようだ。
「それで、その後私帰っちゃたでしょう? 帰るとき道に迷っちゃって、あなたのお墓に迷い込んだ。そこで叔母さんからも話を聞いて、あなたが智春さんだって分かった。でも、叔母さんの話は大雑把なところだけで、思い込みもあって私は勘違いをしてしまった」
私は深呼吸する。次の言葉を発する事にためらいがあったからだ。でも、私は話さなくちゃいけない。人を傷付けた責任は取らなくちゃいけないんだ。
「あなたと叔母さんの関係、あなたの性格、あなたの、未練。全部勘違いしてた」
智春さんは真っ直ぐ私を見ている。私も負けじと智春さんの目を見る。
「先に、謝っておきます。智春さんの気分を損ねるのは間違いないから。……私は、叔母さんとあなたが、恋人同士だと思い込んでいた。結婚式の雑誌を拡げてたって聞いてたし、叔母さん、子供可愛いなって話してたって言ってたから。だから、死んじゃって、付き合ってる叔……紗恵さんと結婚できなくて悲しくて成仏出来ない所で、別の親友、敬太さんが紗恵さんと結婚してしまった。だから、その嫉妬心が未練なのかと……勝手に思い込んでた」
私は彼から目を逸らしていた。もう見ることに耐え切れなかったからだ。目頭が熱くなる。
「あなたのことを、ちゃんと分かっていれば、……少なくとも、話した時の事を思い出してたら、絶対、あんなこと言わなかったのに!」
両手が太ももをギリギリと引っ掻いた。ちゃんと考えていたら。ちゃんと向き合っていたら。
「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい……」
弱々しく謝罪し、なお強く握り締める私の手が、暖かい空気に包まれた。智春さんの手だ。頭を上げると、智春さんの優しい目が私を見ていた。すると彼は私の耳に顔を近づけてきた。私は狼狽えたが、彼は私の耳に口を近づける。
「そんなに謝らないでくれよ。俺は、君と話しが出来るだけで、嬉しかったんだから」
私は固まってしまった。今の声は、昼間叫び声をあげていた男の声と同じだ。というか、え、智春さん、喋れるの?
「?」
智春さんは首をかしげた。どうしたのと訪ねているつもりだろうか。私はそれどころじゃない。
「しゃ、喋れるの智春さん!?」
私が彼に詰め寄ると、彼はいたずら好きな子供のような笑みを浮かべて、口を開く。
「ああ、喋れるぜ。そんなに長い時間は無理だけどな」
彼の声は蚊のように細かった。彼の言っていることが本当なら、今までジェスチャーしていたのも分かる。なんで教えてくれなかったのとは少し思ったが。
「俺だって、別に君に下心がなかった訳じゃないんだぜ? 君を使えば、紗恵と敬太に「さよなら」言えるって。君を利用しようとしてた、悪い大人だよ、俺は」
「……えっ、クッ」
私は思わず笑ってしまった。少し悪そうな顔をしていた智春さんは私が笑った意味が分からなかったみたいで、呆然としていた。
「あ、ごめんなさい! でも、なんだかおかしくて。やっぱり智春さんって優しい人だね」
「!?」
智晴さんは驚いていた。その姿がもっとおかしかった。
「二人にさよなら言う為だけに、私を利用、か……。言ってくれたら、利用も何も、手伝ってあげたのに。あー、おっかしー」
笑いが止まらなかった。彼は驚いていたが、私から手を離し、椅子にどかりと座り直した。実際音は出ていなかったが。彼は語りだした。
「俺さ、あいつらが好きなんだ。親友やってるくらいだし。紗恵のことはそれ以上に好きになった事はあるけど、敬太に取られたし。まぁ、そんな予感はしてたし、紗恵が俺たちの知らない男に好き勝手されるよりはずっといい」
「どこのオヤジ?」
私が笑うと彼もそうだなと言って笑う。
「だけど、結婚まで行くとは思わなかったよ。いや、すっげぇ嬉しいんだぜ?」
智晴さんは暖かく笑った。
「だから。好きだから、二人には笑っていて欲しい。あ、俺、強く想ってくれる人の所に移動できるんだけどさ、大体が紗恵と敬太で。場所も、俺の墓場で。当然だが、二人共笑ってなくて。俺、そんなん嫌なんだよ……」
先ほどとは打って変わり、智春さんは悲しむような表情を浮かべる。確かに、親友二人が恋人同士になったのに、仲間はずれと感じるどころか、祝福するような人だ。自分が死んでしまったことよりも、親友たちの笑顔が見られない方が辛いなんて、優しすぎる。馬鹿だ。
だから、叔母も叔父も大好きだったんだろうな。
「ねえ、智春さん」
「?」
智晴さんは首をかしげる。あまり長くは喋れないから、無駄なことは言わないようにしているのだろう。私は深呼吸をする。
「智春さんの、未練って、何?」
前に言った時は、私のひどい思い込みで智春さんを傷つけてしまった。でも、もう大丈夫。今度は彼の口から、真実を聞くんだ。
智春さんは私を見たあと、未だ激しい雨の降る空を見上げ、口を開く。
「俺の、未練は……」