一話目 衝撃
ある、夏の日の出来事。
ミーンミンミンミンミン……ミーン……。
夏の暑さを思わせるセミの鳴き声が耳を劈き、太陽の光と熱がジリジリと私の肌を焼いていく。
「暑いね、叔母さん」
「そうね。こんなに暑いと、花も萎れちゃうかしら?」
叔母は抱えている花束を見て、心配そうに眉をひそめた。叔母は黒い長袖の服装に身を包んでいる。私もそうすればよかった。
「紗恵の格好を見るともっと暑くなるけどな」
叔父が叔母に言う。叔父の持つ水入りのペットボトルが、太陽の光を反射して影に光を作っているのが見えた。
「何言ってるのよ。それは敬太もでしょ?」
「あぁ、確かにそうだったな」
叔父は空を見上げた。空は絵の具で塗りたくったみたいに青い。
「今日は智春の墓参りだからな」
叔母は少し泣きそうな顔をした。
花瓶に水を注ぎ、花をそれに挿す。私が持っていた線香に火を点け、香炉に挿した。
「智春……」
私たちは木村家と書かれた墓石に向かって手を合わせる。智春さんというのは二人の親友で、二人が結婚する前、約二十年前に事故で亡くなった人らしい。私はよく事情を知らないが、叔母の顔はひどく辛そうで、叔父も優しい顔つきから、眉を眉間に寄せて厳つい表情をしていた。どれだけ智春さんが二人に愛されていたかくらいは、私でも分かる。
智晴さんのことを知ったのはつい最近のこと。とても人の良い、面白く明るい人物ということは聞かされているものの、よくは知らない。
「じゃあ、私たち帰るね」
「またな」
「お、お邪魔しました」
しばらくしたあと、私たちは帰る事にした。また来年も行くんだろうな。二人が本当に智春さんが好きなんだと感じだ。
「んー、帰るか」
「少し疲れたわね。百合子は大丈夫?」
「大丈夫だよ。でもまさか私の知らない人のお墓参りをさせられるとは思わなかったよ」
「智春に連れてこいって言われた気がしたの」
そう言って笑う叔母をつれて私たちは駐車場へ向かおうと振り返る。
「!?」
私の体は固まった。目の前に異形があったからだ。人型のソレは、頭が陥没し、腹がやや癒せ型の私の半分しかない。男性なのはかろうじてわかるが、全身血まみれな為、年齢がわからない。
突然現れた異形に恐怖を感じ私がそこで立ち尽くしているのに対し、叔父と叔母の二人は平然とソレの隣を通り過ぎた。
「……見ちゃいけないやつだ」
私は小さくそう言って、先に行ってしまった二人のところに走り寄った。
「どうしたの百合子?」
「ううん、何でもないよ」
小さく後ろを振り返ると、幽霊は二人を見て、その後スッと消えていった。
「じゃあね百合子!」
「うん! また行こうね!」
墓参りをして、幽霊を見た日から終日後、私は友達と遊びに出かけていた。
「けっこう遠くまで来ちゃったな。ここ通るのが近道かな?」
今はその帰りで、スマホの地図アプリを頼りに、初めての道を通って家に帰ろうとしていた。
「えっと、この道を左に行って……」
角を曲がってスマホから顔を上げた私はまた固まった。あの日見た幽霊が、こじゃれた雑貨屋の前に置いてあるベンチに腰掛けているのを発見したからだ。幽霊はベンチの背もたれにぐったりともたれ、少し赤みがかり始めた空を見上げている。私は後ろの雑貨屋へ入り、そこから幽霊を観察することにした。
今更だが、私には幽霊が見える。小さい頃はそれによって悩まされたものだが、今は見えないフリをして関わりをなくそうとしている。
しかし今回は見過ごせない。この幽霊は叔父と叔母を見ていたのだ。仲のいい二人がこの幽霊にとり憑かれてしまうのは、どうしても避けなければならない。
「あの幽霊、ずっとああしてるな……」
「ねぇ、あの子さっきから商品じゃなくて、外のベンチ見てない?」
「ねー。何もないのに……」
「……はぁ」
私が幽霊を観察すると同時に、雑貨屋の客が私を観察している。これだから幽霊に関わると大変なんだ。
「よし……」
小さく意気込んだ私は、くまのあみぐるみストラップを一つ買い外へ出て、ベンチに、幽霊の左隣に座った。
「ふう……」
「…………」
幽霊は空に向けていた目を私に向けてきた。私は気づいていないフリをして、スマホを取り出し、ストラップを付けた。しかし、勢いで座ってしまったものだから、これからどうすればいいか分からない。ネットで調べれば出てくるだろうか。スマホの電源を入れる。
「! ……?」
幽霊は物珍しそうに私のスマホを覗き込む。私が見えている事に気づいていないらしく、私の体に思い切り密着してくる。そんなに珍しく思うということは、少し昔に亡くなった人なんだろう。とりあえず、珍しいのは分かったから、いい加減離れて欲しい。血まみれの体を視界に入れるのは辛いものがある。
そんなことばかり考えていた為、私のスマホは検索画面から動いていない。いつまでも動かない画面の様子に変だと思ったのか、幽霊はどうしたんだとでも言いたげに首をかしげ、私の顔とスマホの間にある頭を回して私の方へ振り向く。急な事に、私は声は上げなかったものの、ひどく驚いてしまった。目を見開き、思わず顔を離してしまったのだ。私の驚愕の表情が幽霊にとっても驚きだったのだろう、「あ」とも言いそうな顔のまま固まってしまった。
お互いに固まったまま少し時間が経った。先に動いたのは幽霊だった。ベンチからゆっくりと立ち上がり、後ずさりし始めた。その様子を目だけで追っていたのだが、ちょうど雑貨屋の敷地から出そうになったところで、何かに引っかかったようにして足を止めた。
「…………」
幽霊は私を頭から足の先まで見回した後、私を指差した。一体何だと疑問符を浮かべていると、今度は自分自身を指差し、両手ともに丸を作ってそれを目に当てた。双眼鏡のつもりだろうか。幽霊がそのまま首をかしげたところで、これがジェスチャーだったことに気づく。最初に私を、次に自身を指差して、双眼鏡で見て……あぁ、そうか。私はスマホのメモ機能を開き、文字を打ち込む。
「!」
私が自分のことを無視したと勘違いしたのか、幽霊がムスっとした表情で私に近づき覗き込む。私はごく小さく顎を動かし、スマホを幽霊に対して示す。それに気づき、幽霊は私に向けていた顔をスマホに向け、驚いていた。
『私にあなたのことが見えているのかと聞いているなら、その通りだよ。近いから離れてくれる?』
幽霊は私に驚いた表情を見せた後、少し離れてくれた。よかった、通じた。
幽霊は続けてジェスチャーをする。スマホを指差し、首をかしげる。
『これは何ってこと? これはスマートフォンって言って、電話やメールを送ったり、たくさんの情報を得ることができる機械。通話機能を持つ小さなパソコンって思えばいいよ』
スマホにそう打ち出すと、幽霊は難しそうな顔をした。理解するには少し時間がかかるだろうな。それにしてもこの幽霊、感情が豊かだな。これだけ感情表現ができるなら、きっと悪霊ではないのだろう。私は安堵した。
しばらく理解しようと考え込んでいた幽霊が突然、ハッと何か気づいた表情をした。そして私の方へ向き直り、また私を指差した。一体どうしたんだろうか。
彼は私を指差し、また自身にも指を差す。そして驚く表情や目を手で塞ぐ動き、腕を摩って肩をすくめる動きをしてみせた。最後はやはり首をかしげた。私に質問しているのはわかったが……。
『こんな薄着で寒くないかって? 今は夏だよ。むしろ暑い』
人に不審がられないようにこっそり見せると、幽霊は全力で首を振って否定した。違うのは分かったからそんなに否定しないで欲しい。地味に傷つく。
幽霊はさらにジェスチャーをする。再び自身を指差し、体の前でよくテレビで見るお化けのように手をダラリとしてみせた。あぁ、そういう事か。
『あなたが幽霊なのに、怖がらないのかってことを言いたかったの?』
それを見た幽霊は嬉しそうな表情で今度は軽く頷く。面白い人だな。
『そんな表情をする幽霊を、どう怖がれっていうの。一緒にいるのが楽しいくらいだよ』
彼は面白いくらいにわかりやすい幽霊だ。今なんて固まったまま動かない。驚きすぎだろう。彼は見た目でこそ私を怖らがせたが、態度や行動はむしろその反対の感情を私に持たせた。よく笑い、よく驚き、本当に表情がコロコロと変わる。それは彼が言葉で想いを伝えることが出来ないことも関係しているのだろうけれど、元々の気質もそうであったに違いない。そうでなければこの短い間で私のこの幽霊に対する印象が変わる訳がない。本当に勿体ない。私と彼がもっと早くに出会っていれば良かったのに。なんて惜しいことなんだろう。叶うなら友人になって欲しいものだ。せめて、彼がしゃべることができたならもっと意思疎通出来るのに。
衝撃から立ち直ったのか、俯き、顔を隠してニマニマしていた私の肩を叩いた幽霊。手で口を隠したまま顔を上げ、目だけを彼に向けると、彼は空を指差した。見れば、空はすっかり夕焼けだった。
「そろそろ帰らなきゃ」
私が口に出してそう言うと彼は満足そうに微笑んだ。こんなにいい人が亡くなってしまうなんて、本当に残念だ。
『明日も来るね。もっとお話しよ!』
彼は優しい目をして、静かに頷いた。