魔物王殺しの代償1
大空を悠然とたゆたう。
光を浴びて虹色に乱反射する蒼鱗に包まれた竜は、黄金に輝く双眸で地上を鋭く見渡していた。
まるで何かを探すように。
草原を抜け、砂漠を抜けて大河を渡り、険しい山を越え、世界の半分、十一の都市を廻っても彼の竜が望むものはなかった。
海を越えた先に現れた新たな大地に、竜は動きを止めてその身を滞空させる。
其処には極寒の銀世界。
その全てを分厚い雪の衣に隠す、魔道都市ゴスペルがある。
人の姿が全く見えなかった世界の中、竜はその瞳に二つの影を見つける。
縦長の瞳孔を収縮させその存在が何であるかを、見定める。
それは人。
一人は、陽の光で炎の様な揺らめきを宿す髪をした長躯の年若い男で、年は二十二歳前後。
もう一人は、黒味を帯びた黄金色の長い髪をした小柄な少女。年は十六か十七歳と思われた。
二人は雪深い平原の中を、都市に向かって歩いていた。
『見ツケタ』
少女の姿を捕えた瞬間、竜の口から己の意思に反した言葉が漏れる。
獲物を見つけた獣の様に慾深く、愛しい者に語りかける様に淫靡な響きの声と共に、竜の意識は何かに支配される。
永く待ち焦がれたその存在。
人に世界を断たれ、四百の歳月を経てようやく、彼女を手にする事ができる。
『逃シハシナイ。今度ハ、ソノ身ヲ喰ロウテ我ト一ツトナロウ…』
その甘美な高揚に満ちた強烈すぎる欲望に、至福に満ちた多幸感がさも自分の感覚であるかのように竜を染める。
心も体も、漆黒に。
咆哮を上げ、地上へ急降下する体。
近付く。
求めたものが、あと少しで…。
だが、不意に少女の体は消える。
否、長躯の男に抱きかかえられ、その場から離れていた。
『アノ男ハ、マタ横カラ奪ウカ。殺シテモ尚、我ノ前ニ…赦サヌ!』
狂気じみたドス黒い殺意が胸をかきむしる。
『逃スモノカ!』
暴れる衝動に、竜は抗おうとする。
幾度、止めろと叫び、動きを制御しようとしても、支配された体は己の意思とは真逆につき動かされる。
速度を上げた体は、少女を抱えた男ごと飲み込もうと牙をむいて襲いかかる。
「オレっちのモンに手ぇ出すんじゃねぇ!」
刹那、男は少女の体を雪深い中に投げ飛ばして、体の向きを空から襲い来る竜へと向けると飛び上がる。
その体からは紅蓮の炎が噴き上がる。振りあげた男の拳には凶悪なほど鋭利に伸びた四爪の鉤爪。
怒り任せに襲い来る男を排除しようと、黒い思念は体から真空波を打ち出そうとした。
『止めろっ!』
そんな事をしては、あの少女の体さえ切り刻む。
残るわずかな理性で、竜は相手の行動を押さえこんだ。
意識が拮抗した体は動きを止める。
刹那、竜の体は炎を纏う鉤爪に体を深く切り裂かれる。
『オノレェェェッ!大人シク体ヲ明ケ渡セバイイモノヲ!』
思念は恨み事を吐いて竜の中から消えていく。同時に、竜の体の色も黒から蒼へと戻っていく。
ようやく自分の意思の自由を手に入れた竜だったが、身を焼き焦がすような傷に体の制御を失い、そのまま地面へと叩きつけられる。
大きな音を立て、周囲の雪を弾き飛ばすように雪飛沫を上げて地上に落ちた。
体の自由は戻らない。体の中に炎が回り、臓腑が焼けただれる痛みに歯を食いしばり耐える。
竜の周囲の雪が、急速に溶けていく。何事かと、竜が金の双眸で目の前を見れば、其処には炎を纏った男が竜を仕留めようと獲物を構えていた。