魔物王降臨7
「っざけんな!死ぬのはてめぇだっつってんだろ!」
魔物王の間近にいるレックは、体に圧し掛かる禍々しい力を気合いで振り払い、更に魔物王の胸に魔剣を喰い込ませる。
ずるりと体を貫く刃の感触に、魔物王は狂気じみた歪みを唇に映す。
「我の縛りを解くか…なるほど。これは面白い混ざりモノよ」
「グダグダうるせぇ!」
レックは不愉快さを前面に押し出して、一喝する。
生かしておいてはならない。
これは危険だ。人の手におえるような存在ではない!
口では啖呵を切ったが、レックの中には焦燥が生まれていた。
任務で幾度となく死線を乗り越えてきたレックだが、これまで対峙してきた魔物と魔物王はまったく異なる存在の様だった。
武器を手に苦戦する程度ならば、いくらでも戦ってきた。いかに強者な魔物でも、レックには恐怖概念も、敗北の予感もなかった。
だが、目の前の存在は違う。
優な人間の男の姿形をして、魔剣を前になす術がないかのような様子でいたところで、魔物王には敗北の色がない。それどころか、何か企みを抱いているかのような不敵な様がレックには不気味でならなかった。
まして、このように感情一つで人の動きを封じ込めようとする輩は存在そのものが危険だと、レックは悟る。
早く消滅してしまえ。
でなければ俺が殺されてしまう。
そう焦る気持ちを、レックは堪えられなかった。レックも知らぬうちに、彼の心は魔物王の憎悪に腐食され、『恐怖』と言う名の小さく弱い綻びを作り出していた。
それに勘付いた魔物王は禍々しく唇の端を吊り上げ、不穏な言葉を口にした。
「そなたは易くは殺さぬ…愛しきものを探し出すまでのよりしろとなれ」
レックの身体は強い衝撃を受けて、後ろに弾きとんだ。
「レック!」
遠くで、エルザの悲痛な叫び声が聞こえた。
胸を打ちぬかれたレックは、打ち抜かれた事実さえわからないまま、落ちていく身体を投げ出し、遠ざかる視界の中で石化し粉々に砕け散る魔物王の姿を見た。
魔物王の最期を見届けた後、レックの意識はブラックアウトし、地面に身体が叩き付けられた。
エルザは、地面でぴくりともせずにいるレックに駆け寄り、彼の身体を抱き起こし揺すり、必死に名を呼びかける。
しかし、返事はない。
呼吸のない、左胸を大きく打ち抜かれた青年の姿に、エルザは呆然とし、最悪の結果を頭で判断するまでに長い時間を要した。そして、『死』という言葉を彼女がようやく認識できた時、エルザはレックをきつく抱きしめて号泣した。
その声の悲痛さに、遅れて駆け寄ってきたマルシェは息を飲んだ。
「エルザ、どうした」
マルシェがエルザの隣で膝を折ると、彼女は嗚咽を零しながら顔を上げた。
「レックが…」
その言葉に、マルシェはエルザが抱きしめているレックの身体を奪う。
顔を上げたエルザは、弟のように可愛がっていた青年の死を口にして、マルシェの胸に顔をうずめて泣き叫ぶ。マルシェは号泣するエルザを片腕で慰めながら、仲間を見る。
レックは蒼白した顔で、絶え絶えではあるがまだ僅かながらに息をしている。
しかし、魔力防衛の特殊加工を施した強靭な鎧ごと、心臓を消し飛ばされていた。
それで生きていると言う方が酷な状況だ。即死でもおかしくはないほどに。
マルシェは何を思ったか、腰布のように巻きつきてあった長い帯を外し、手慣れた様に手早くレックに巻きつける。
それは、魔物の攻撃で負った傷に対して絶大な治癒効果を発動する治療道具で、治癒魔法の使えない戦士や傭兵たちならば必ず携帯する代物。
レックのそれもマルシェは探り出して、同じように彼の胸に巻き付けて縛る。
「エルザ!お前のも貸せ!死なせたいのか!」
怒鳴られ、エルザは涙を堪えて自分のそれを慌てて取り出し、マルシェに渡す。マルシェは更に重ねて巻きつける。
「レック!戻ってこい!」
レックの血に滲んだ左胸が、巻き付けられた布を突き抜けて淡く青い光を放った。
マルシェがそれに目を向けたとき、レックは激しくむせ返った。血を吐き出し、それから深く不規則な呼吸を初める。
それと共に、レックの胸の光りは消えた。
エルザは泣くことを忘れて恐る恐るレックへと視線を送る。血の色を取り戻し始めたレックの姿に安堵したエルザは、縋るようにマルシェを見据えた。
「…レック、助かる?」
「助かるとも…死なせはせぬ」
そう答えたのはマルシェではなかった。
レックの異変に気付いたギルド王が、歩くこともおぼつかない状態ながら彼らの傍に足を進めたのだ。蒼白した顔でゆっくりと彼らのもとへ歩み寄り、膝を折って重症のレックを案ずるように覗き込んだ。
「死なせぬ。どのような事をしても、死なせはせぬ」
荒い息で己に言い聞かせるように呟いたギルド王は、無線機を取り出し救護班を要請した。
救護班が来る間、エルザとマルシェは生きた心地がしなかった。
…死なないで。生きて。
エルザとマルシェには、このとき魔物王を倒した悦びなど皆無だった。
目の前の大事な仲間の命を救うこと。
ただそれだけしかなかった。
そしてそれはギルド王もまた同じだった。