無限三段論法
朝。
夫は寝過ごした。
あわてて、とび起きて顔をあらった。
不機嫌そうに起きてきた妻にむけて、片手を上げた。夫は手を広げると、親指、人差し指、中指と順に折っていった。
一 早起きは三文の得である
二 それなのに、おまえは寝ていた
三 したがって、さっさとメシをつくれ
妻も右手を上げた。自分勝手な夫に、少しばかり腹を立てていた。懲らしめてやるチャンスかもしれない。
一 人は眠らねばならない
二 それなのに、ゆうべ、明かりをつけて枕もとで本を読んでいたのは誰?
三 したがって、私は眠れなかった。なにか文句ある?
不穏な空気を感じた夫は、シャツを着ながら論理的に、なだめていく。
一 人間は食わねば生きていけぬ
二 俺は人間だ
三 したがって、かんたんでも朝飯を食べたい
妻は、リモコンを操作してテレビをつけると、リビングのソファにすわって、朝のニュースを聞きはじめた。夫のほうを見ようとしない。でも、手を上げた。
一 炊飯器はタイマーをセットしなければならない
二 私は忘れた
三 したがって、ごはんはない。パンでも食べていけ
夫はネクタイを結んでいた手を止めた。片手を上げて掌を開くと、また折り始めた。
一 人はパンのみにて生きるにあらず
二 よって、目玉焼きも期待する
三 なぜなら、結婚前は、こんなじゃなかったのに
妻はあくびを押さえながら、ふりかえると掌を開いて、折り始めた。
一 パンはトースターで焼ける
二 よって、目玉焼きは自分で作れ
三 なぜなら、給料が低いのは誰のせい?
妻の強気にひるみながら、夫は掌を開いた。今日は朝から大事な会議がある。それは承知していた。でも、あの本は、犯人が分からなくて、つい、夜更かししてしまったのだ。
夫は片手を上げると、また親指から折り始めた。
一 トースターぐらい俺でも使える
二 フライパンが油で汚れっぱなしじゃないか
三 時間がない。このまま出る。帰ってきたら覚えてろっ!
妻は立ち上がると、上着に袖を通していた夫に近づいていく。コーヒーを淹れるため、電気ポットに水を入れた。逃げ腰になった夫にむかって、掌を開くと、また数えはじめた。
一 トースターから煙が出ている。気をつけろっ!
二 ご飯なら、ママに作ってもらえば?
三 実家に帰ります
男は両手を上げて降伏した。