婚約破棄の現場でスタンバイしている王弟だが、王太子の横にいる元平民の心の声が物理的に聞こえてくる
王家主催の舞踏会の真ん中で、王太子のエルネストが婚約破棄を宣言していた。
「私は公爵令嬢イヴォンヌ・セレニテとの婚約を破棄する!」
我が甥っ子ながら……、なにをやっているのだと問い詰めたい。
エルネストは、イヴォンヌ嬢を指さしている。
エルネストは金髪に青の瞳で、兄上や私と同じ王家の色合いだ。顔も兄上と亡き王妃殿下の良いところを集めたように整っている。だが、中身の方は……。兄上も王妃殿下も、頭は良かったと思うが………。
国王である兄上は、「政務に気をとられて、一人息子に気を配れなかった」と言っていた。王妃殿下を亡くしてから、その辛さを忘れるべく、仕事に打ち込んでいたからな……。
それでも、私の目から見た限りでは、兄上は時間を作ってはエルネストと過ごしていた。共にお菓子を食べて語り合ったり、庭園を散歩したり、遠乗りに出かけてみたり……。あれでは、エルネストにとっては、愛情が足りなかったのだろうか……。
私はエルネストの傍にいてやることができなかった。外交を担う王弟として、結婚すらせず近隣諸国を歴訪していたからな。だが、私はエルネストに何通もの手紙や贈り物を送った。帰国した時には必ず会いに行った。「兄上に言えないことは、私に言ってくれて良いのだぞ」と伝えもした。これでも、私なりにエルネストを気にかけてきたつもりだったのだ……。
エルネストがこのようなことをやらかす愚か者になったのは、至らない私たちの責任でもあるだろう。
きっとエルネストだって、母を亡くして寂しかったのだ……。すまないことをした。
そんなエルネストの横には、男爵家の庶子で元平民のアメリー・シュシュが……。うん? あの娘は、なにをやっているのだ!?
桃色の髪に空色の瞳のアメリー嬢は、顔の横で両の手のひらを大きく開き、少し後方にのけ反りつつ、口を大きく開けて驚きを表現していた。
『びっくり!』
と言いたいのだろうことは理解した。
頭の良い娘だと聞いていたが……、そうでもないのか? 王立学園での成績は上位だが、マナーの方はなっていないと、そういうことか?
いや、本当にマナーがなっていなかったら、「ええっ!?」などと下品な声を上げていたのではないか?
貴族らしい上品なやり方とも言えないが、この国の貴族社会においては、完全なルール違反とも言い切れない……。
少なくとも、私にはアメリー嬢が好ましく思えた。この表現力は、言葉のあまり通じない国ではかなり役に立つのではないか? 王家の外交を担う私には、アメリー嬢がなかなか良い人材のように思えた。
アメリー嬢など、注意を払うべき人物だとは考えていなかったが……。やはり報告書を読むだけでは、わからないこともあるな……。
「イヴォンヌは王立学園で、同級生であるアメリーを元平民だからと虐げた!」
エルネストの怒声が響く。
アメリー嬢は、渋い顔をして顔の前で片手を左右に振っている。
『そんなことはない』
と伝えたいのだろう。だが、アメリー嬢には発言権がないからな……。
「『元平民なのにずいぶんと語学が堪能なのね』などと、嫌味を言っていた!」
怒鳴るエルネストの横では、アメリー嬢が首を左右に振りつつ、両腕でバツ印を作っていた。
『そうではありません』
といったところか。
アメリー嬢は自分とイヴォンヌ嬢を指さしては、両手で丸印を作っている。自分の両手で、握手の真似をしたりもし始めた。
アメリー嬢とイヴォンヌ嬢の関係については、『仲が良い』といった報告はなかったはずだ。では、あれは『敵対していない』という意味か?
「『どのようにお勉強なさっているの?』などと、カンニングを疑う発言も聞いたぞ!」
エルネストはそう主張しているが……。
私はアメリー嬢を見るまでもなく、それもエルネストの勘違いなのだろうな、と思った。
アメリー嬢は、やはり『違う』ということを全身を使って訴えている。
私はイヴォンヌ嬢の後方で出番を待っているため、イヴォンヌ嬢の銀髪の後ろ姿しか見えない。イヴォンヌ嬢はアメリー嬢のことを、どんな表情をして見ているのだろう。非常に気になる。
今度は兄上を見てみる。大広間に用意された玉座に座っている兄上は、完全なる無表情だった。王妃殿下を失っても涙一つ流さなかった『冷血王』の異名は伊達ではない。私の前では大泣きして、『私も、もう死ぬ! 生きていられない!』と大暴れしていたがな……。まあ、国王にだって、自分らしさを出せる場所も必要だろう。
「イヴォンヌは、このアメリーの優秀さを妬んでいたのだ!」
アメリー嬢は両腕で大きなバツ印を作り、まわりの貴族たちに見せつけている。貴族たちは、困惑した顔でアメリー嬢を見ていた。あの貴族たちにだって、アメリー嬢の言いたいことは伝わっているだろう。
「私はアメリーを守ってやりたい! こんな気持ちになったのは初めてなのだ……! 私は、この気持ちこそが『真実の愛』なのだと思う!」
アメリー嬢は、エルネストの頭を指さしてから、両手で花の蕾が開く様子を表現しだした。エルネストの頭の横で、大輪の花が次々と咲いていく。
――頭の中、お花畑。
なかなか辛辣なことを表現するではないか。
アメリー嬢は必死な顔をして、エルネストの頭の横で指を動かし、キラキラを表現している。
私はエルネストが一人で良い笑顔を浮かべて、キラキラのお花畑をスキップしている様を想像してしまった。
それから、自分がアメリー嬢と共に、そのお花畑を散歩する姿も……。
アメリー嬢の次から次へと変わる表情は、実に愛らしい。あの動作の数々からは、アメリー嬢の頭の良さが伝わってくる。なんとか自分の気持ちを伝えようと努力する姿勢。ただ受け身で流されるだけの平凡な娘ではない。
あれが『おもしれー女』というものか? いや、少し違うか? アメリー嬢が面白いことはたしかだが……。
近隣諸国を歴訪していると、時には辛いこともある。このような女性が傍にいてくれたら、どれほど楽しく、心癒されるだろう……。
「私とアメリーは愛しあっている! アメリーの賢さがあれば、王太子妃教育など難なく乗り越えられるはずだ!」
アメリー嬢はエルネストを指さし、次に自分を指さして、両手でハートマークを作った。
『エルネストは自分を愛している』
と伝えたいのだろう。まあ、そうだろう。わざわざ表現する必要があるのか……?
アメリー嬢は、今度は自分を指さしてから、エルネストを指さした。そして、また両腕でバツ印を作る。
『自分はエルネストを愛していない』
ということなのだろうな……。
さらに、アメリー嬢は、エルネストを追い払う動作をした。
『近寄ってほしくない』
気持ちはわかるが、不敬なのではないか……? いや、気持ちはわかるが……。
「私はこれからの人生を、このアメリーと共に歩む!」
アメリーは暗い顔になると、またエルネストを指さし、自分を指さした。そして、親指を立てて、自分の首の横でスッと横に動かした。
『斬首』
その親指で床を指し示す。首が地面に転がる、と言いたいのだろう……。
アメリー嬢……。
『処刑待ったなし』
言いたいことを、非常に的確に表現できている。
アメリー嬢は、エルネストの頭を指さし、首をかしげて悩む仕草をした。
『なにを考えているの?』
と問いたいのだろう。
アメリー嬢は、男爵家の庶子という低い身分だ。自分が王太子妃になることは無理だと、きちんと理解できているのだろう。
「アメリー、さあ、私の求婚に応えるのだ!」
エルネストが、アメリー嬢を見た。
アメリー嬢の両腕は、大きなバツ印を描いている。
あまりにも辛辣なアメリー嬢は、私の表情を緩めさせた。
これを無表情で見ていられる兄上はすごい。
イヴォンヌ嬢も微動だにしない。若い娘なのに、すごいことだ。王太子妃教育の賜物なのだろう。少し怖い気さえする。
「アメリー、そのポーズはなんだ!?」
エルネスト……。どう考えても、『お断りだ!』のポーズだろう……。
「なんとか言ったらどうなのだ!」
エルネストに責められても、アメリー嬢はなにも言わない。
アメリー嬢は口がきけないのか? そんなことはなかったはずだが……。
まさか……!
『呆れて口もきけない』
そういうことなのか……!
私はついに吹き出してしまった。
さすがの兄上とイヴォンヌ嬢ですら、かすかに動いたぞ!
このアメリー嬢は、なんという女性なのだ……! くるくる変わる表情は、どれも魅力にあふれている。物事を冷静に見極められる目も持っている。こんな女性がいたとはな……!
私は兄上に向かって手をふった。兄上が片方の眉を上げる。
兄上は、普段は人前で表情を一切変えない。あれは私へのサインだ。
私はイヴォンヌ嬢を指さしてから、両腕でバツ印を作った。
兄上の片眉が、また動く。
私は、今度はアメリー嬢を指さして、手でハートマークを作った。
兄上は眉根を寄せてから、両手でそれぞれエルネストとアメリー嬢を指さした。
エルネストであるわけないだろう……!
だが、兄上は慎重な方だからな。
私は兄上にアメリー嬢の方だというサインを送った。
兄上は右手の親指を立てて、許すという旨を伝えてくれた。さらに、自分と私を指さして、二本の指をくるりと回転させることで、交代のサインを送ってきた。
――どういうことだ!? 私に王位を譲るとでも!?
兄上は自分を指さしてから、イヴォンヌ嬢を指さしてハートマークを作った。
どうやら、私の代わりに、イヴォンヌ嬢に求婚したいと伝えてきたようだ。あまり驚かせないでほしい……。
私は胸に手を当てて臣下の礼をとる。兄上が新たな王妃を決めたことに対し、祝福していると伝えたのだ。
兄上は私にウインクしてくれた。
相当お喜びのようだな。
貴族たちは、ざわざわとなにかを言いあっている。無表情な『冷血王』がウインクしたのだ。それは戸惑いもするだろう。
イヴォンヌ嬢の気持ちはわからないが……。『このままなんとかエルネストと結婚してもらう』というわけにはいかなくなってしまったからな……。
イヴォンヌ嬢には申し訳ないが、だいぶ年上の子持ちの男で我慢してもらうしかない。
……いや、むしろ喜ばれるのか? イヴォンヌ嬢は今回の件に関する話し合いをした時、兄上ばかり見ていた。しかも、「わたくしは陛下でも……」と三回は言っていたぞ。
よし、これで話は決まったな!
「エルネスト」
兄上が呼びかけた。
「はい、父上!」
エルネストは、良い笑顔だ。祝福してもらえるとでも思っているのだろうか……。このような子にしてしまったとは、我々も罪深いことをした……。
「お前を廃位し、王位継承権を剥奪し、平民とすることにした」
「なぜです!? イヴォンヌよりアメリーの方が優秀ですよ!」
兄上が肩をすくめた。エルネストに呆れているのだろう。
この国では、どれだけアメリー嬢が優秀でも、『元平民の男爵家の庶子』を王妃にすることはできない。
だいたい、イヴォンヌ嬢は幼少期から王妃となるべく教育されてきた。他のどの令嬢とも違う存在だ。
「このような勝手なことをしでかして、ただで済むと思うな! お前を北方の塔に送り、生涯幽閉とする! 命があるだけ感謝しろ!」
「そんな……! 父上、待ってください! 叔父上、助けて! なんとか言ってください!」
「衛兵! この元王太子を連れ出し、すぐに北方へ送れ!」
兄上が大声で命じた。
待機していた衛兵たちが、暴れるエルネストを連れて退出する。
エルネスト……、人前で婚約破棄をさせて、北方の塔に送ることは、兄上の温情なのだぞ……。
幽閉されるのを拒むなら……。
もう死ぬしか道はないのだ……。
私たちは様々なことを、くり返し教えただろう。
それなのに、なぜ考えを改められなかったのだ……。
政略により結ばれた婚約の重要性。
セレニテ公爵家が、どれだけの名門であるのか。
イヴォンヌ嬢を王妃とするために費やされた時間と費用。
それらを無駄にしないために、私がエルネストの代わりになるはずだった。
だが……。
兄上が玉座から立ち上がり、イヴォンヌ嬢の前へと歩いていった。
「イヴォンヌ嬢、申し訳ないことをした」
「恐れ多いことにございます」
イヴォンヌ嬢は兄上に声をかけられて、すぐにカーテシーをした。
「楽にしてくれ」
「陛下……」
「セレニテ公爵夫妻、こちらへ」
兄上が呼ぶ。
すぐにセレニテ公爵夫妻がイヴォンヌ嬢の横に並び、兄上に挨拶をした。
「イヴォンヌ嬢は婚約破棄という出来事に際し、まったく動じる様子もなかった。表情一つ変えない姿は、すでに王妃の品格を備えている。よって、我が妃に迎えたいと思う」
セレニテ公爵夫妻とイヴォンヌ嬢がひざまずき、兄上の求婚を受け入れた。
たしかにイヴォンヌ嬢はすごいな。あのアメリー嬢を見て、かすかな笑みすら浮かべなかったのか……。
兄上は侍従に、セレニテ公爵夫妻とイヴォンヌ嬢を別室に案内するよう命じた。
そして、シュシュ男爵夫妻を呼んだ。
アメリー嬢は、シュシュ男爵夫人の侍女の私生児だ。その侍女はシュシュ男爵夫人の乳母の娘で、シュシュ男爵夫人と共に育った仲だった。その侍女が市井で子を生み、病で亡くなると、シュシュ男爵夫人の強い希望により、シュシュ男爵家はその娘を庶子として迎え入れたのだ。
アメリー嬢の実の父親は、シュシュ男爵夫人の実家である伯爵家を継いだ兄だ。この兄と侍女は恋仲だったが、身分の差により結ばれることはなかった。貴族社会では、ありがちな話である。
シュシュ男爵夫妻とアメリー嬢は、兄上の前でひざまずいた。なにも言わないし、妙な動作もしない。
彼らは、静かに断罪されるのを待っているように見えた。
「アメリー嬢が王太子を誘惑したわけではないことは、我らも把握している。男爵令嬢が王太子の誘いをかわすことは難しかっただろう。苦労をかけたな」
「もったいないお言葉でございます」
シュシュ男爵が、深く首を垂れる。
「その調査の過程で、アメリー嬢が近隣諸国の言葉を広く学んでいることがわかった。また、物事を伝える能力にも非常に長けている。アメリー嬢は、今回の婚約破棄を通して、己の持つ力を存分に披露してくれた。アメリー嬢、褒めてつかわす」
「ありがたき幸せに存じます」
アメリー嬢もまた、深く首を垂れた。表情も、所作も、淑女と呼べるものだった。
シュシュ男爵夫人は、元は伯爵家の三女だ。実家から教師を呼び、アメリー嬢に淑女教育をしていた。その成果がしっかり出ている。
「アメリー嬢の才能には、目を見張るものがあった。よって、我が弟ベルトランとの結婚を許す。ベルトランには王家の外交を任せている。アメリー嬢には王弟妃として、諸外国との友好関係を築くために尽力してもらうこととする」
「拝命いたします」
アメリー嬢の声が、かすかに震えていた。
ああ……、これは『消されるな』とでも考えているのではないか……?
たしかに『外国に向かう途中で処分する』というやり方は、古来よりあるからな……。
察しの良い娘かと思ったが……。まあ、時には間違えることもあるだろう。
――いや、違うな。
私はアメリー嬢の動きをずっと見て、楽しい時を過ごさせてもらったが……。
アメリー嬢には、私など見ている暇はなかった。エルネストの近くに立たされて、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
その上、いきなり王弟の妃に任命され、外国に行かされることが決まったら、『消される』と勘違いしても仕方がないだろう。
私は兄上に目配せした。兄上が一つうなずいてくれた。
「シュシュ男爵夫妻とアメリー嬢は楽にせよ。王弟ベルトラン、ここへ。妻となる女性に声をかけてやるがよい」
シュシュ男爵夫妻とアメリー嬢が立ち上がる。
「御意」
私はアメリー嬢の前に立った。
アメリー嬢が、カーテシーを披露してくれる。しっかりした美しいお辞儀だ。どこの国で披露してもらっても問題ない。
「アメリー嬢、顔を上げよ」
私が命じると、アメリー嬢はそろそろと遠慮がちに私を見た。
ああ、頼りない表情もまた、庇護欲をそそって良いではないか。
私は人の悪い笑みを浮かべると、親指を立てて、首を掻き切る動作をした。そして、地面を示す。
アメリー嬢が大きく目を見開いた。
私はすぐに、両腕でバツ印を作る。
さらに、自分を指さし、続けてアメリー嬢を指すと……。
両手で大きなハートマークを作った。
アメリー嬢が、ほっとしたような笑みを浮かべる。
「一目見て気に入ってしまったのだ。いろいろと思うところもあるだろうが……。これから、よろしく頼む」
アメリー嬢の返事は、「はい」の一言のみ。
なんだか物足りなく思えたが……。
アメリー嬢の両手は、胸の前でハートマークを作ってくれていた。
私は王弟だ。アメリー嬢は、私にあわせてくれたのだろう。
それでも……。
私はアメリー嬢の返してくれたハートマークが、心から嬉しかった。
――アメリー嬢に好きになってもらえるよう努力しよう。
私はそんな決意を胸に秘めて、アメリー嬢の両手をそっと握った。




