第46話「空っぽだから、生まれるもの」(最終話)
一週間が過ぎた。
リリアは、いつものようにシルバーペン書店へ向かって歩いていた。
石畳の道。風が、リリアの髪を撫でていく。
秋の空気が、少しずつ冷たくなってきている。木の葉が色づき始め、風に揺れていた。
――もうすぐ、かな。
リリアは、そっと思った。
――この人たちの願いが、叶う時が。
リリアの胸が、少し温かくなる。
でも同時に、微かな寂しさも感じていた。
――また、誰かとお別れするんだ。
――また、記憶が消えていくんだ。
でも、それでいい。
リリアは、小さく微笑んだ。
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カランコロン、と鈴が鳴る。
店内に入ると、エリオとカイが並んで座っていた。
二人とも、机に向かって何かを書いている。
ペンを走らせる音。原稿用紙をめくる音。
静かで、でも確かな音。
リリアは、二人の後ろ姿を見て、そっと微笑んだ。
「こんにちは」
二人は、振り向いた。
「あ、リリアさん!」
「いらっしゃい」
カイは嬉しそうに手を振り、エリオは穏やかに微笑んだ。
リリアは、二人の隣に座った。
「書いてるんですか?」
「はい!」
カイが、元気よく答えた。
「エリオさんに教えてもらいながら、書いてます!」
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エリオは、少し照れたように笑った。
「教えるなんて、大したことはしていませんよ」
「ただ、一緒に書いているだけです」
エリオの机の上には、文字で埋まった原稿用紙が積まれていた。もう、空っぽじゃない。言葉が、そこに生まれている。
リリアは、その原稿用紙を見た。
「たくさん、書いたんですね」
「ええ……」
エリオは、自分の手を見た。
「不思議なんです」
「一週間前まで、あんなに怖かったのに」
「今は、ペンを握るのが楽しくて」
エリオは、リリアを見た。
「リリアさんのおかげです」
「あなたが、風を吹かせてくれたから」
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カイも、原稿用紙を見せた。
拙い文字。でも、一生懸命書いた跡がある。
「俺も、書いてます!」
「まだ下手だけど……でも、楽しいんです」
「自分の中にあるものを、言葉にするのって」
カイの目が、輝いていた。
「自分の物語が、少しずつ見えてきた気がするんです」
リリアは、二人の表情を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「二人とも……いい顔してますね」
「え?」
「笑ってる」
リリアは、窓の外を見た。
「心から、笑ってる」
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風が、吹いた。
窓の外で、木の葉が舞っている。
エリオは、リリアの横顔を見た。
優しい笑顔。でも、どこか遠い。
「リリアさん」
「はい?」
「あなたに、読んでもらいたいんです」
エリオは、原稿用紙を手に取った。
「私が書いた物語を」
リリアは、少し驚いたような表情を見せた。
「私に……?」
「ええ」
エリオは、原稿用紙をリリアに差し出した。
「リリアさんの物語を、書いたんです」
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リリアは、原稿用紙を受け取った。
最初のページに、タイトルが書かれていた。
**『風の少女』**
リリアは、ゆっくりとページをめくった。
そこには、リリアのことが書かれていた。
願いを運ぶ風。
記憶を失いながらも、誰かの笑顔を求めて歩き続ける少女。
優しくて、寂しくて、でも強い少女。
リリアの目が、潤んできた。
「エリオ、さん……」
「読んでいて、気づいたんです」
エリオは、静かに語った。
「物語は、誰かのためにあるんだって」
「誰かを覚えているために、あるんだって」
「リリアさんが忘れても、私たちが覚えている」
「それが、物語の意味なんだって」
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カイも、自分の原稿用紙を差し出した。
「俺も、書きました!」
「リリアさんとの出会いを!」
カイの原稿用紙には、拙いながらも真っ直ぐな言葉が並んでいた。
リリアと出会ったこと。
リリアがくれた言葉。
リリアの優しさ。
全部、そこに書かれていた。
リリアは、涙を堪えきれなくなった。
「二人とも……」
「ありがとう」
リリアの声が、震えていた。
「私……嬉しい」
「こんなに嬉しいの、初めてかもしれない」
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エリオは、リリアの手を優しく握った。
「リリアさん」
「あなたは、風かもしれない」
「でも、私たちにとっては大切な人です」
「忘れません」
「絶対に、忘れません」
カイも、リリアの手を握った。
「俺も! 絶対忘れません!」
「リリアさんのこと、ずっと覚えてます!」
リリアは、二人の手の温かさを感じた。
――ああ。
――これが、繋がりなんだ。
――物語が、人を繋ぐんだ。
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その瞬間。
エリオの胸が、淡く光った。
光は小さく、でも確かに――胸から溢れ出ていた。
温かい光。優しい光。それは輝きながら、形を成していく。
羽だった。
銀色の羽。
真実を映す、透明な銀。
羽はエリオの手を離れ、空へと浮かんだ。
「これは……」
エリオは、息を呑んだ。
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カイの胸も、光り始めた。
同じように、銀色の羽が生まれる。
自分の物語を見つけた、銀色の羽。
二つの羽が、空へと昇っていく。
風が、それを優しく運んでいく。
店内に、柔らかな光が満ちていた。
リリアは、その光景を静かに見守った。
「願いが……叶ったんだよ」
リリアの声が、店内に響く。
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エリオは、自分の手を見た。
ペンを握る手。
もう、震えていない。
「……私の願いは、もう一度物語を書くことだった」
「でも、本当の願いは……」
エリオは、リリアを見た。
「誰かと繋がることだったんだ」
「物語を通じて、誰かと」
カイも、自分の胸に手を当てた。
「俺の願いは、自分の物語を見つけることだった」
「でも、本当は……」
カイは、リリアとエリオを見た。
「こうやって、誰かと一緒にいることだったんだ」
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二つの羽が、天へと昇っていく。
窓の外で、風が優しく吹いている。
リリアは、少し眠くなった。
――ああ、また……。
リリアの中で、何かが消えていく。
遠い昔の記憶。
誰かの笑顔。誰かの歌声。
でも、それが誰だったのか――もう思い出せない。
リリアの体が、少しふらついた。
「リリアさん!」
エリオとカイが、リリアを支える。
「大丈夫……」
リリアは、微笑んだ。
「ただ、少し……眠いだけ」
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エリオは、リリアを椅子に座らせた。
カイは、心配そうにリリアを見つめている。
「記憶が……消えたんですか?」
「うん……」
リリアは、小さく頷いた。
「でも、大丈夫」
「また、誰かの願いが叶ったから」
「それで、いいの」
リリアは、二人を見た。
「エリオさん、カイくん」
「二人とも、ありがとう」
「素敵な物語を、見せてくれて」
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エリオは、リリアの手を握った。
「リリアさん……もう、行ってしまうんですか?」
リリアは、静かに微笑んだ。
「うん」
「風は、止まらないから」
「また、次の場所へ行かなきゃ」
カイは、涙を堪えていた。
「……会えなく、なっちゃうんですか?」
「わからない」
リリアは、カイの頭を優しく撫でた。
「でも、風はどこにでも吹くから」
「もしかしたら、また会えるかもしれないよ」
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リリアは、立ち上がった。
少しふらつく体。でも、ちゃんと立っている。
「私、行くね」
「リリアさん……」
エリオは、何か言いたげだった。
でも、言葉が見つからない。
リリアは、扉へ向かった。
「エリオさん」
リリアは、振り向いた。
「これからも、たくさん物語を書いてね」
「誰かのために」
「自分のために」
「物語は、誰かを繋ぐから」
エリオは、涙を拭った。
「……はい」
「約束します」
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「カイくん」
「はい!」
「あなたの物語、楽しみにしてるね」
「きっと、素敵な物語になるから」
カイは、大きく頷いた。
「書きます! 絶対書きます!」
「リリアさんのこと、忘れないように!」
リリアは、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
「二人とも、本当にありがとう」
カランコロン、と鈴が鳴る。
リリアは、店を出ていった。
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外は、秋晴れの空。
風が、心地よく吹いている。
リリアは、空を見上げた。
青い空。白い雲。
銀色の羽が、まだ天へ昇っていくのが見えた。
「また……誰かの願いが、叶った」
リリアは、そっと呟いた。
「それでいいの」
「それが、私の物語だから」
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リリアは、歩き出した。
風に導かれるまま。
石畳の道を、ゆっくりと。
――記憶は、消えていく。
――でも、誰かの笑顔は残る。
――それが、私の物語。
リリアの心の中で、エリオとカイの笑顔が輝いていた。
――二人とも、いい顔してたな。
――あんな笑顔、見られて良かった。
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後ろから、声が聞こえた気がした。
「リリアさん! ありがとう!」
リリアは、振り向かなかった。
ただ、手を振った。
風が、その想いを運んでいく。
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シルバーペン書店では、エリオとカイが窓から手を振っていた。
リリアの姿が、小さくなっていく。
「……行っちゃったね」
カイが、寂しそうに呟いた。
「ああ」
エリオは、リリアが歩いていく方向を見つめていた。
「でも……きっと、また会える」
「本当ですか?」
「ああ」
エリオは、机の上の原稿用紙を見た。
「物語の中で、いつでも会える」
「私たちが書き続ける限り、リリアはそこにいる」
カイは、自分の原稿用紙を握りしめた。
「……そっか」
「だから、書くんだ」
「忘れないために」
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二人は、机に向かった。
ペンを握る。
新しいページを開く。
そして、書き始めた。
リリアの物語を。
出会いの物語を。
忘れないための物語を。
風が、窓の外で優しく吹いている。
空っぽだった本棚には、いつか物語が並ぶだろう。
エリオとカイが紡ぐ、たくさんの物語が。
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リリアは、街の外れまで歩いてきた。
見慣れた風景が、また遠ざかっていく。
――私の物語も、もうすぐ終わるのかもしれない。
リリアは、そっと思った。
――記憶が、ほとんど残っていない。
――自分が誰だったのか、もうわからない。
でも、それでいい。
リリアは、空を見上げた。
――誰かの笑顔が、残るなら。
――それが、私の物語なら。
風が、リリアの髪を撫でる。
リリアは、微笑んだ。
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「また、誰かが待ってるかな」
リリアは、小さく呟いた。
「願いを持った、誰かが」
風が、答えるように吹く。
リリアは、また歩き出した。
風に導かれるまま。
次の物語へ。
次の笑顔へ。
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空が、青い。
雲が、ゆっくりと流れている。
風が、優しく吹いている。
リリアの旅は、まだ続く。
記憶を失いながらも。
誰かの笑顔を求めて。
風は、止まらない。
願いを運び続ける。
それが、リリアの物語。
それが、風の物語。
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**――空っぽだからこそ、新しいものが生まれる。**
**――失ったからこそ、また見つけられる。**
**――それが、物語。**
**――それが、風。**
完
作者コメント
『リリアと天使の羽 〜羽ばたく願いと風の記憶〜』全11章、ここに完結です。
長い間、お付き合いいただき、本当にありがとうございました。
この物語は、「誰かの願いを運ぶ風」であるリリアが、様々な人々と出会い、彼らの願いが叶う瞬間を見守りながら、自らの記憶を失っていく――そんな切なくも温かい物語でした。
子供から老人まで、様々な年齢、様々な悩みを持つ人々。でも、みんな心の中に「願い」を持っていました。リリアは、その願いに気づかせる「風」として、ただそばにいただけ。答えを与えるのではなく、気づかせる。それが、リリアの優しさでした。
最終章では、「物語」そのものをテーマにしました。記憶を失っていくリリアを、誰かが物語として残す。それが、風を忘れないための方法なのかもしれません。
リリアの旅は、これからも続きます。記憶を失いながらも、誰かの笑顔を求めて。
読んでくださった皆様の心に、優しい風が吹きますように。
本当に、ありがとうございました。




