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リリアと天使の羽 〜羽ばたく願いと風の奇跡〜   作者: たくわん。
第11章(最終章) 空っぽの本屋さん
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第45話「リリアの物語」



翌日の午後、リリアは街の広場を歩いていた。


噴水の音が、静かに響いている。子供たちの笑い声。遠くから聞こえる、鳥の鳴き声。穏やかな日常の音。


でも、リリアの心は少しざわついていた。


――また、消えている。


リリアは立ち止まり、自分の手を見た。


記憶が、また薄れている。遠い昔の、誰かの顔。誰かの声。それが、少しずつ霞んでいく。


――私は、誰だったんだろう。


風が吹く。


リリアの髪を、優しく撫でていく。


――でも、いいの。


――誰かの笑顔が見られるなら。


リリアは、小さく微笑んだ。


それから、シルバーペン書店へ向かって歩き出した。


-----


カランコロン、と鈴が鳴る。


店内に入ると、エリオが窓辺に座っていた。でも今日は、机の上に原稿用紙が積まれていた。まだ真っ白な紙。でも、ペンが一本、その隣に置かれている。


エリオは、リリアを見て穏やかに微笑んだ。


「いらっしゃい、リリアさん」


「こんにちは、エリオさん」


リリアは、エリオの向かいに座った。原稿用紙を見て、少し驚いたような表情を見せた。


「それは……?」


「ええ。昨日、リリアさんと話して」


エリオは、ペンに触れた。


「少し、書いてみようかと思って」


「でも……」


エリオは、苦笑した。


「まだ、何も書けていません」


-----


リリアは、静かにエリオを見つめた。


ペンに触れる手。でも、握りしめることはできていない。


「怖いんですか?」


「……ええ」


エリオは、正直に答えた。


「まだ、怖いです」


「書き始めたら、また同じことが起きるんじゃないかって」


「また、誰かに否定されるんじゃないかって」


リリアは、小さく頷いた。


「そうですよね」


「でも……」


リリアは、窓の外を見た。


「風も、吹くのが怖い時があるんですよ」


エリオは、少し驚いた表情を見せた。


「風が、怖い?」


「はい」


-----


リリアは、静かに語り始めた。


「風は、いろんなものを運ぶの」


「優しい言葉も、温かい想いも」


「でも……時には、誰かを傷つけることもある」


リリアの声が、少し遠くなる。


「強く吹きすぎて、何かを壊してしまうこともある」


「だから、怖いの」


「また誰かを傷つけるんじゃないかって」


エリオは、リリアの横顔を見ていた。


「でも……それでも、風は吹くんですよね?」


リリアは、エリオを見て微笑んだ。


「はい」


「吹かないと、何も運べないから」


「怖くても、吹き続けるの」


-----


その時、扉の鈴が鳴った。


カランコロン。


「こんにちは!」


カイの明るい声。


彼は店に入ってきて、リリアとエリオを見て嬉しそうに笑った。


「二人とも、いたんですね!」


「やあ、カイ」


エリオが手を挙げる。


カイは、机の上の原稿用紙に気づいた。


「あ……それ」


「ああ、これは……」


エリオは、少し照れたように笑った。


「少し、書いてみようかと思って」


カイの目が、輝いた。


「本当ですか!?」


「ええ。でも、まだ何も……」


「すごいです! エリオさん!」


-----


カイは、椅子に座った。


それから、少し真剣な表情を見せた。


「実は……俺も、何か書いてみたくて」


「カイも?」


「はい。自分の物語が何なのか、まだわからないけど」


「でも、書いてみたら見つかるかもしれないって思って」


カイは、リリアを見た。


「リリアさんが言ってくれたんです」


「『風も、どこへ吹くか決めていない』って」


「『ただ、吹き続けているだけ』って」


リリアは、優しく微笑んだ。


「覚えていてくれたんですね」


「はい。あの言葉が、すごく心に残って」


カイは、エリオを見た。


「だから、俺も書いてみようと思ったんです」


「まだ下手だし、何を書けばいいかわからないけど」


「でも、書きたいんです」


-----


エリオは、カイの目を見つめた。


真っ直ぐで、迷いのない目。


――この子は、恐れていない。


――前を向いている。


エリオの胸に、何かが込み上げてきた。


「カイ」


「はい?」


「君は……失敗が、怖くないのかい?」


カイは、少し考えた。


それから、正直に答えた。


「怖いです。でも……」


カイは、自分の胸に手を当てた。


「書かないで後悔するより、書いて失敗する方がいいかなって」


「失敗したら、また書けばいい」


「そう思うんです」


-----


エリオは、息を呑んだ。


カイの言葉が、心に深く刺さる。


――書かないで後悔するより、書いて失敗する方がいい。


その言葉が、エリオの中で何度も響いた。


「……そうか」


エリオは、ペンを手に取った。


初めて、しっかりと握りしめた。


「そうだったんだ」


リリアとカイは、黙ってエリオを見ていた。


「私は……書かないことで、自分を守っていたんだ」


「でも、本当は……」


エリオは、原稿用紙を見た。


「本当は、ずっと書きたかったんだ」


-----


沈黙が、流れた。


でも、それは重い沈黙ではなく、温かい沈黙だった。


風が、窓の外で優しく吹いている。


リリアは、二人を見て微笑んだ。


「ねえ、エリオさん。カイくん」


二人は、リリアを見た。


「私のこと、聞きたいですか?」


エリオとカイは、少し驚いたように目を見開いた。


「リリアさんの……?」


「はい。私の物語」


-----


リリアは、窓の外を見た。


空が、青い。雲が、ゆっくりと流れている。


「私はね……風なの」


「願いを運ぶ、風」


リリアの声は、いつもより少し遠く聞こえた。


「誰かが心から願った時、私はそこへ導かれる」


「そして、その人が自分の願いに気づくまで、そばにいるの」


エリオとカイは、静かにリリアの言葉を聴いていた。


「願いが叶う時、羽が生まれる」


「その人の胸から、色のついた羽が」


「羽は天へ昇って、風に乗っていく」


リリアは、自分の胸に手を当てた。


「そして……私の記憶が、ひとつ消えるの」


-----


エリオは、息を呑んだ。


「記憶が……消える?」


「はい」


リリアは、穏やかに微笑んだ。


「遠い昔の記憶から、少しずつ」


「誰かの顔。誰かの声。大切だったはずの何か」


「それが、消えていくの」


カイは、驚いた表情を見せた。


「それって……辛くないんですか?」


リリアは、少し首を傾げた。


「わからない」


「もう、たくさん忘れてしまったから」


「自分が誰だったのかも、どこから来たのかも」


「ほとんど覚えていないの」


-----


風が、強く吹いた。


カーテンが揺れる。


リリアは、遠い目をしていた。


「でもね……」


「誰かの笑顔を見るのは、嬉しいの」


「願いが叶った瞬間、その人が見せる笑顔」


「それが、私の物語なのかもしれない」


エリオは、リリアの横顔を見つめた。


優しい笑顔。でも、その奥に深い孤独が見える。


「リリアさん……」


「大丈夫」


リリアは、エリオを見た。


「私は、これでいいの」


「風として、誰かの願いを運び続ける」


「それが、私の役割だから」


-----


カイは、唇を噛んだ。


「でも……それじゃあ、いつか全部忘れちゃうんですか?」


「自分のこと、全部」


リリアは、小さく頷いた。


「……たぶん、そう」


「いつか、私は私じゃなくなる」


「ただの風になる」


「それでも、いいの」


リリアの声は、静かだった。


「誰かの笑顔が、残るなら」


-----


沈黙。


エリオは、何も言えなかった。


リリアの言葉が、あまりにも重く、あまりにも美しかった。


カイは、涙を堪えているようだった。


「……それって、寂しいです」


カイの声が、震えていた。


「俺、リリアさんに会えて嬉しかったのに」


「リリアさんが、俺のことを忘れちゃうなんて」


リリアは、優しく微笑んだ。


「でもね、カイくん」


「私が忘れても、あなたは覚えているでしょう?」


「私と話したこと」


「私がくれた言葉」


「それは、あなたの物語の中に残るから」


-----


カイは、目を拭った。


「……はい」


「忘れません」


「絶対に、忘れません」


リリアは、カイの頭を優しく撫でた。


「ありがとう」


それから、エリオを見た。


「エリオさんも、きっと大丈夫」


「物語を書く勇気、見つけられますよ」


エリオは、リリアの目を見つめた。


透き通る水色の瞳。


そこに、無限の優しさが宿っていた。


「……リリアさん」


「はい?」


「あなたの物語も……誰かが、覚えていてくれるといいですね」


リリアは、少し驚いたような表情を見せた。


それから、本当に嬉しそうに笑った。


「ありがとう、エリオさん」


-----


風が、優しく吹いている。


三人は、しばらく黙って座っていた。


窓の外では、空が少しずつ夕焼け色に染まり始めている。


エリオは、ペンを握った。


――書こう。


――リリアの物語を。


――この出会いを。


――忘れないために。


カイも、心の中で誓っていた。


――俺も、書こう。


――リリアさんとの出会いを。


――この気持ちを。


-----


リリアは、二人の表情を見て微笑んだ。


――ああ、風が吹いている。


――この二人の心に、優しい風が。


リリアは、窓の外を見た。


夕焼けが、空を赤く染めている。


――もうすぐ、かな。


――この人たちの願いが、叶う時が。


リリアの胸が、少し温かくなった。


-----


「エリオさん、カイくん」


「はい?」


二人が、リリアを見た。


「明日も、来てもいいですか?」


「もちろん」


「いつでも来てください!」


リリアは、立ち上がった。


「ありがとう」


「じゃあ、また明日」


カランコロン、と鈴が鳴る。


リリアは、店を出ていった。


-----


エリオとカイ、二人きりになった。


夕陽が、店内を赤く染めている。


「エリオさん」


「うん?」


「俺……リリアさんのために、書きたいです」


「リリアさんが忘れても、俺たちが覚えていられるように」


エリオは、カイを見た。


それから、静かに頷いた。


「……ああ」


「私も、そう思う」


エリオは、ペンを握りしめた。


「書こう」


「リリアの物語を」


「この出会いを」


「忘れないために」


-----


二人は、原稿用紙に向かった。


ペンを握る手。


もう、震えていない。


風が、窓の外で吹いている。


新しい物語が、今、生まれようとしていた。


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