表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リリアと天使の羽 〜羽ばたく願いと風の奇跡〜   作者: たくわん。
第10章 音を外す願いと風の旋律
37/45

第37話「風が聴いた、泣き声」


風が、吹いている。


リリアは立ち止まり、空を見上げた。

灰色の雲が重く垂れ込め、今にも雨が降り出しそうな空。でも、風だけは優しく吹いている。


「どこへ行けばいいの?」


リリアは小さく呟いた。

風は答えない。ただ、そっとリリアの髪を撫でるように吹き抜けていく。


――ああ、そうか。

風は、いつも答えを教えてくれるわけじゃない。

ただ、導いてくれるだけ。


リリアは歩き始めた。

風が導くままに、石畳の道を進んでいく。


街は静かだった。

秋の夕暮れ時。家々の窓からは暖かい灯りが漏れ、どこかから夕飯を作る匂いが漂ってくる。リリアは深く息を吸い込んだ。


――幸せな匂い。


そう思いながら、リリアはさらに歩を進める。

やがて、小さな丘の上に、一つの建物が見えてきた。


学校だった。


校舎は古びているけれど、温かみがある。校庭には鉄棒やブランコが並び、秋の風に揺れていた。子供たちの笑い声が――もう聞こえない。きっと、みんな家に帰ったのだろう。


でも。


リリアは立ち止まった。

風が――何かを運んでくる。


音だった。

いや、音というよりは――


「泣き声……?」


リリアは首を傾げた。

誰かが、泣いている。


風は校舎の方へ吹いていく。

リリアはその風に導かれるまま、校舎の中へと入っていった。


-----


廊下は静かだった。

靴音だけが、コツコツと響く。


リリアは歩きながら、耳を澄ませた。

泣き声は――どこから聞こえてくるのだろう。


風が、一つの扉の前で止まった。

その扉には、小さなプレートがかかっている。


**『音楽室』**


リリアは扉に手をかけた。

ゆっくりと、扉を開ける。


音楽室は静かだった。

窓からは夕日が差し込み、部屋全体をオレンジ色に染めている。壁には楽譜が貼られ、棚にはタンバリンやトライアングルが並んでいる。


そして――部屋の奥、ピアノの前に一人の女性が座っていた。


若い女性だった。

たぶん、二十代半ば。茶色の髪を後ろで一つに結び、白いブラウスに黒いスカート。教師のような服装。


でも、その女性は――泣いていた。


ピアノの鍵盤に手を置いたまま、肩を震わせて泣いている。


リリアは静かに部屋の中へ入った。

足音を立てないように、そっと。


「あの……」


リリアが声をかけると、女性はビクリと肩を震わせた。

慌てて涙を拭い、振り返る。


「あ、ごめんなさい! 誰か入ってくるなんて思わなくて……」


女性は慌てて立ち上がろうとしたが、リリアは小さく首を横に振った。


「いいんです。私が勝手に入ってきたので」


リリアは微笑んだ。

女性は戸惑ったように、リリアを見つめている。


「あなた……誰?」


「リリアです。旅をしている者で」


「旅……?」


女性は不思議そうに首を傾げた。

でも、それ以上は聞かなかった。代わりに、小さく息を吐いて、また椅子に座り込んだ。


「ごめんね。変なところ、見せちゃって」


「いえ」


リリアは女性の隣に歩み寄り、ピアノの横に立った。

女性は少し驚いたように、リリアを見上げる。


「あなた……泣いていましたね」


リリアの言葉に、女性は俯いた。

また、目元に涙が浮かんでいる。


「……うん。泣いてた」


「どうして?」


リリアの問いかけに、女性は小さく笑った。

でも、それは笑顔じゃなかった。苦しそうな、自嘲するような笑い。


「私ね……音楽の先生なの」


「音楽の先生……」


「うん。でもね――」


女性は鍵盤に指を置いた。

そして、一つの音を鳴らす。


ポロン――。


音は静かに響いた。

でも、女性の表情は暗いままだった。


「私ね――音痴なの。ピアノも、上手く弾けない」


「音痴……?」


「そう。音程が分からない。リズムも取れない。歌えば音を外すし、ピアノを弾いてもずれちゃう」


女性は自分の手を見つめた。

その手は震えている。


「なのに、音楽会でピアノを弾きながら、みんなをまとめる役を任されちゃって……。子供たちは一生懸命練習してるのに、私が足を引っ張ってるの」


「そんなこと……」


「そんなことあるのよ」


女性は強い口調で言った。

でも、すぐに力が抜けたように、また俯く。


「ごめん。怒鳴るつもりじゃなかった」


「いえ」


リリアは静かに女性の隣に座った。

女性は驚いたように、リリアを見る。


「あの……」


「お名前、教えてもらえますか?」


リリアの問いかけに、女性は少し戸惑ったように頷いた。


「リオ。リオ・ハミングって言うの」


「リオさん」


リリアは名前を繰り返した。

リオは小さく頷く。


「リオさんは――音楽が、好きですか?」


リリアの問いかけに、リオは目を見開いた。

そして――ゆっくりと、頷いた。


「……好き。大好き」


「そうなんですね」


「でもね、好きなだけじゃダメなの。ちゃんと弾けなきゃ、先生失格でしょ?」


リオの声は震えていた。

また、涙が溢れてくる。


「子供たちは一生懸命なのに……私が、ちゃんと弾けなくて……ごめんって、毎日思ってる」


リオは両手で顔を覆った。

肩が小刻みに震えている。


リリアは静かに、風を感じた。

窓の外から、優しい風が吹き込んでくる。


「リオさん」


リリアは静かに呟いた。


「音楽って――何のためにあるんでしょうね」


リオは顔を上げた。

涙で濡れた目で、リリアを見つめる。


「……え?」


「音楽って――何のために、あるんでしょう」


リリアは窓の外を見つめた。

風が、木々を揺らしている。


「上手に演奏するため? 完璧に歌うため?」


リオは答えられなかった。

ただ、リリアの言葉を聞いている。


「それとも――」


リリアはリオの方を向いた。

その瞳は、透き通るような水色。


「誰かの心を、動かすため?」


リオは息を呑んだ。


「リオさんは、音楽が好きなんですよね」


「……うん」


「子供たちも、音楽が好きなんですよね」


「……うん」


「だったら――それでいいんじゃないでしょうか」


リリアは微笑んだ。

リオは戸惑ったように、リリアを見つめる。


「でも……」


「風はね」


リリアは窓の方を見た。


「どんな音も運ぶの。上手でも、下手でも」


「風……?」


「風は、誰も責めない。ただ、そこにあるだけ」


リリアの言葉に、リオは何も言えなかった。

ただ、風の音を聴いている。


「音楽も――そうかもしれませんね」


リリアは立ち上がった。

リオは慌ててリリアを見上げる。


「あ、待って――」


「また、会えますよ」


リリアは微笑んだ。


「風が吹いたら、ね」


そう言って、リリアは音楽室を後にした。

リオは呆然と、リリアの背中を見送る。


窓の外で、風が優しく吹いていた。


-----


リリアは廊下を歩きながら、小さく呟いた。


「この人は――音楽を、愛しているんだ」


風が、リリアの髪を撫でる。


「だから、苦しいんだね」


リリアは空を見上げた。

灰色の雲の隙間から、夕日が差し込んでいる。


「でも――きっと、大丈夫」


リリアは微笑んだ。


「願いは、もう芽生え始めている」


風が、また吹いた。

リリアはその風に導かれるまま、また歩き始める。


秋の夕暮れ。

風が運ぶのは――小さな願いの、始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ