表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/37

第10話「心が覚えている庭」



次の日、リリアが庭を訪れると、ユウとエルナが庭の手入れをしていた。


ユウは雑草を抜き、エルナはじょうろで水をやっている。

朝の光が二人を照らして、庭は静かな時間に包まれていた。


「おはようございます」


リリアが声をかけると、ユウが顔を上げた。


「あ、リリアさん。おはようございます」


「おはよう」


エルナも微笑む。


「あなた、昨日もいたわね」


「ええ」


リリアは庭に入り、二人の傍らにしゃがみ込んだ。


「お手伝い、していいですか?」


「もちろん」


ユウが微笑む。


リリアは雑草を抜き始めた。

土の匂いが鼻をくすぐる。


「この庭、久しぶりに手入れするんです」


ユウが言った。


「祖母が祖父を忘れてから、あまり庭に来なくなって。私も忙しくて…気づいたら、こんなに荒れてしまって」


「でも、綺麗になってきましたね」


リリアが言うと、ユウは庭を見回して頷いた。


「そうですね。少しずつ、元の庭に戻ってきてる気がします」


エルナは花壇の端で、じょうろを持ったまま立ち止まっている。

何かを考え込むように、庭を見つめていた。


「エルナさん?」


リリアが声をかけると、エルナははっとして振り返る。


「あら、ごめんなさい。ぼんやりしちゃって」


「何か、思い出しましたか?」


「分からないの」


エルナは困ったように笑う。


「でも、ここにね…何か植えたかったような気がするの」


エルナは花壇の空いた一角を指差す。


「ここに、何か大切な花を植えたかった」


「でも、何だったか…」


ユウが立ち上がり、エルナの隣に来た。


「忘れな草だよ、おばあちゃん」


「忘れな草…?」


「うん。おばあちゃんとおじいちゃんが一番好きだった花」


ユウは優しく言った。


「ここに、二人で植えたんだよ。『庭中を青く染めよう』って」


エルナは目を丸くする。


「…そうだったの?」


「うん」


ユウは微笑むけれど、その目は少し悲しそうだった。


エルナはもう一度、空いた花壇を見つめる。


「じゃあ、そこに植えましょう」


「え?」


「忘れな草。ここに植えたいわ」


エルナが言うと、ユウは驚いた顔をした。


「でも、おばあちゃん…覚えてないんじゃ…」


「覚えてなくても、いいの」


エルナは微笑む。


「何となく、そうしたい気がするのよ」


ユウは何も言えず、ただエルナを見つめていた。


リリアは立ち上がり、二人の傍に来る。


「いいですね。植えましょう」


「リリアさん…」


「忘れな草の種、町で買えますか?」


「あ…はい」


ユウは少し戸惑いながらも頷いた。


「じゃあ、買いに行きましょう」


リリアが微笑むと、ユウも小さく微笑み返した。


-----


午後、三人は花壇に忘れな草の種を植えた。


エルナが土を掘り、ユウが種を蒔き、リリアが水をやる。

風が吹いて、三人の髪を揺らした。


「この感じ…」


エルナが土を触りながら呟く。


「知ってる」


「え?」


ユウが顔を上げる。


「この感じ、知ってるのよ」


エルナは土をそっと撫でる。


「誰かと一緒に、ここを耕したような…」


エルナの目が、少しだけ遠くを見ていた。


「手が、覚えてるみたい」


リリアは静かに微笑む。


「手が覚えてるんですね」


「そう…手が」


エルナは自分の手を見つめる。

皺の刻まれた、小さな手。


「不思議ね。名前は思い出せないのに、手は覚えてる」


風が吹いた。


ユウは黙って、祖母の横顔を見つめていた。

その目には、また涙が浮かんでいる。


「ユウ?」


エルナが孫の顔を覗き込む。


「どうしたの? 泣いてるの?」


「…ううん」


ユウは涙を拭う。


「何でもない」


「そう?」


エルナは優しく微笑んで、ユウの頭を撫でた。


「泣かないで。ほら、庭が綺麗になったわよ」


ユウは祖母の手に、自分の手を重ねる。


「…おばあちゃん」


「何?」


「おばあちゃんは、おじいちゃんのこと…覚えてる?」


エルナは少し首を傾げた。


「おじいちゃん…?」


「うん。この庭を一緒に作った人」


「ああ」


エルナは庭を見回す。


「覚えてる…のかしら。顔は思い出せないけれど…」


エルナは胸に手を当てる。


「でも、ここが温かくなるのよ。この庭を見ると」


「だから、きっと大切な人だったんでしょうね」


ユウの目から、涙がこぼれた。


「おばあちゃん…」


「どうしたの、ユウ」


「私ね…怖かったの」


ユウは声を震わせる。


「おばあちゃんがおじいちゃんを忘れたら――おじいちゃんは消えてしまうんじゃないかって」


「名前がなくなったら、人は消えてしまうって…」


エルナはユウの涙を、そっと拭った。


「消えないわよ」


「え…?」


「名前は思い出せなくても――ここにいるもの」


エルナは自分の胸を指す。


「温かい人が、ここにいるの」


ユウは声を上げて泣いた。


エルナはそんなユウを、優しく抱きしめる。


リリアは少し離れた場所で、二人を見守っていた。

風が吹いて、リリアの髪を揺らす。


(もうすぐ、かな)


リリアは心の中で呟いた。


(願いが、生まれそう)


風が答えるように吹いた。


しばらくして、ユウは涙を拭いて立ち上がった。

エルナも立ち上がり、庭を見回す。


「綺麗になったわね」


「うん」


ユウが微笑む。


「おばあちゃんとおじいちゃんが作った庭、元に戻ってきたね」


「そうね」


エルナは幸せそうに微笑んだ。


リリアが二人の元に来る。


「エルナさん」


「何?」


「願い、ありますか?」


リリアが静かに聞いた。


エルナは少し考えて、頷く。


「あるわ」


「どんな、願いですか?」


「思い出したいの」


エルナは庭を見つめる。


「名前じゃなくていい。顔じゃなくてもいい」


「でも――この庭で一緒に笑った人のことを、ちゃんと心で覚えていたい」


エルナの声は穏やかだった。


「忘れても、ここに残っているって感じたい」


風が吹いた。


リリアは微笑む。


「願いが、生まれましたね」


「願い…?」


エルナが首を傾げる。


リリアは空を見上げた。

雲が流れていく。


「もうすぐ、叶いますよ」


リリアはそう言って、静かに微笑んだ。


風が庭を巡り、忘れな草が一斉に揺れる。


夕暮れの光が庭を照らして、三人の影が長く伸びていた。


エルナは庭の真ん中に立ち、目を閉じる。


「ありがとう」


エルナは誰に言うでもなく、呟いた。


「この庭を、作ってくれて」


風が吹く。


まるで、誰かが答えているように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ