第9話「火を打つ音が、町に響いた」
――昼下がり。
新設された工房区の一角から、カン、カン、と金属を叩く音が響いていた。
乾いた砂の中で、その音だけがやけに鮮やかだった。
「……あいつか」
ジルドが煙管をくゆらせながら顎で指す。
工房の中、炎の前で腕を振るう少女。
短く切った栗色の髪が、汗で額に貼りついている。
腕まくりした腕は細いが、動きには迷いがない。
ハンマーを振り下ろすたび、火花が弾ける。
まるで、この荒野に“生命”を刻んでいるようだった。
「彼女、何者?」
「ミラ。元は西の鉱区出身だ。戦で家を焼かれ、ここに流れてきた。
あの年で俺の仕事を手伝いながら、自分の工房を作っちまった。」
ジルドが少し誇らしげに笑う。
「ただし、気は強いぞ。下手な口きくとハンマー飛んでくる。」
「……警告感謝。」
《警告タグ追加:“危険発言検知”。》
「いや、リィム、お前がつけるタグじゃない」
俺が工房の前まで歩くと、彼女はこちらを一瞥した。
「アンタが“修理屋”とか呼ばれてる奴か?」
「まぁ、そう呼ばれてるね。」
「ふーん、あたしは鍛冶屋だ。物を直すより、作り直すほうが性に合ってる。」
そう言って、再び火床に鉄を叩きつける。
その力強さに、どこか懐かしいものを感じた。
理屈じゃなく、ただ“生きるために手を動かす”力。
「……いい腕だな。」
「褒めても給料は出ないよ。
でも、手伝ってくれるなら歓迎する。」
「何を?」
「――この町の“灯り”を作る。」
ミラが鉄の棒を掲げた。
その先端には、魔導石のかけらが埋め込まれている。
「夜になると、子どもが転ぶ。明かりがねえから。
だからあたしが作る。“神の光”じゃなく、“人の灯り”を。」
その言葉に、リィムが小さく光る。
《感情タグ:尊敬+好奇心。》
「だってさ。……なぁリィム、俺たち、彼女の設計を支援しようか。」
《同意。/解析モード移行。》
「おい、何勝手に進めてんだよ!」
「いや、別に命令してるわけじゃ――」
「わかってる。けど、あたしは“手伝われる”より“競い合う”方が性に合ってる!」
ミラがニヤリと笑い、ハンマーを構えた。
「そっちがコードで理屈なら、こっちは火と感覚で勝負だ!」
その瞬間、工房の空気が熱を帯びた。
鉄が鳴り、リィムの光が反応する。
《観測ログ:共鳴現象発生。/主の心拍数上昇。》
「……いいね。こういうの、嫌いじゃない。」
俺も笑って、袖をまくる。
――理屈と直感が、火花を散らすように交わる。
それが、この国にとって最初の“創造の瞬間”だった。
◇
――夕暮れ。
砂の町バル=アルドに、初めて“作業音”が鳴り響いた。
それは剣ではなく、銃でもない。
――鉄と火の音。
ミラの工房。
昼間に見た火床は、いまや真っ赤に燃えている。
火花が壁に散り、床には金属粉が光を反射していた。
リィムがその光を追いながら、静かに記録を取っている。
《観測:温度上昇中。/作業効率=125%。/情動反応:昂揚。》
「……リィム、あれは情熱ってやつだ。」
《定義確認。/“情熱”=目的達成のための非合理的エネルギー。》
「正確だけど、味気ねぇな」
ミラは額の汗を拭いもせず、鉄槌を振り下ろしていた。
青白い火が弾け、火床の上で鉄が鳴く。
その音には、不思議と“生きている”リズムがあった。
「……すげぇな。リズムが均等だ。」
「そりゃ、鍛冶ってのは呼吸で打つんだよ。心臓と同じリズムで。」
ミラが振り向く。
その顔は汗で濡れて、目だけが真っすぐ燃えていた。
「理屈で打つと、鉄が死ぬんだ。生きた鉄にしたけりゃ、手と気持ちで叩け。」
「でも、その理屈がもう理屈なんじゃ――」
「違う!」
ハンマーが床に響いた。
火花が跳ね、リィムが小さく震える。
《警告:衝撃波検知。主の鼓膜圧変化=+15%。》
「悪いな、ビビらせた。」
「……いいや、俺のほうこそ。言葉の選び方をミスった。」
ミラはふっと息をついて、鉄を水に沈める。
ジューッという音とともに蒸気が上がり、工房が白く染まった。
その中で、ミラがぽつりと呟いた。
「……理屈ってのは大事だよ。
でも、あたしは“生きてる理屈”が好きなんだ。」
「生きてる理屈?」
「誰かを楽にしたいとか、笑わせたいとか、そういう理由。
それがない理屈は、ただの命令だろ。」
その言葉に、俺は言葉を失った。
どこかで――ずっとそれを忘れていた気がした。
〈観測〉を通せば、世界の理は全部見える。
でも、“人の心の温度”は数値じゃ測れない。
リィムが小さく光る。
《感情タグ更新:理解+揺らぎ。/新項目生成:“温度”。》
「リィム……お前、今“温度”って言ったか?」
《はい。/主および対象“ミラ”の言葉に共通値検出。》
「……そうか。理と感情の共通言語か。」
ミラが笑った。
その笑顔は、火よりもまぶしかった。
「なんか分かんねえけど、いい顔してんじゃん。
あたしの勝ちだな。」
「勝負だったのか?」
「火を扱う女は、いつだって勝負だよ。」
その言葉に、俺も吹き出す。
「……じゃあ、こっちはデータで対抗だ。」
《起動:照明設計モード。/出力:建造物外壁・発光灯試作案。》
青い光の線が工房中に走り、壁に新しい設計図が投影された。
――バル=アルドの街灯。
昼は静かに太陽光を吸収し、夜は小さく灯る人工の光。
それはミラの“人の灯り”の構想を、現実の形にしたものだった。
「これ……アンタが?」
「いや、お前の“想い”を俺が翻訳しただけだ。」
ミラが数秒、設計図を見つめ――。
次の瞬間、にやりと笑う。
「よし、作るか。」
ハンマーを握る手に、再び火が宿った。
鉄と理が組み合わされる。
感情と数値が同じ方向を向く。
――文明の誕生とは、こういう瞬間の積み重ねなのかもしれない。
外では、太陽が沈み始めていた。
西の空が真っ赤に染まり、工房の中の炎がそれを映す。
俺とミラとリィム、三つの影が重なった。
《観測ログ:心拍同期率=42%。/街灯設計、完成見込み=高。》
「同期って言うな。なんか照れる。」
《タグ更新:主=照れ。対象“ミラ”=高揚。》
「お前ほんと容赦ねぇな!」
ミラが笑い、リィムが光る。
――その夜、バル=アルドに初めて“灯りの設計図”が生まれた。
神の理じゃない。
人と人がぶつかって生まれた、世界で一番小さな奇跡だった。




