第73話「砂上通信網 ――風を繋ぐ線」
――夜明けの砂漠は、静かな電流のようだった。
太陽がまだ地平を割る前、砂粒ひとつひとつが冷たい光を蓄えて震えている。
《主、夜間温度差観測完了。気流の発生位置、北西の岩帯。》
「いい流れだ。風があるなら、伝えられる。」
俺は風塔の根元に立ち、配線図を広げた。
塔の影が、まるで巨大なアンテナのように伸びていく。
リィムが肩で淡く光り、やわらかな声を響かせた。
《新計画名:“風信網”。目的:情報の共有。》
「街を繋ぐ、最初の通信線だ。神が“祈り”で繋いだ世界を、人の手で繋ぎ直す。」
サラ・ネヴィスが横に立つ。
彼女の手には、古びた金属製の観測端末――勇者領が使っていた通信ゴーグルの改造品があった。
風を読むための目。
けれど、彼女の瞳の方がずっと澄んでいる。
「――通信とは、“祈りの亜種”です。けれど、あなたたちの作るそれは、もっと自由に見える。」
「神の言葉は一方通行だ。俺たちは“会話”を作るんだ。」
サラの口元に、小さく笑みが浮かんだ。
《主の発言:高熱量。タグ:“理想のやつ”。》
「うるさいぞ、リィム。」
ジルドが腕を組み、風塔のケーブルを見上げた。
「おい、修理屋。こいつ、本当に動くのか? 鉄と風で“言葉”を飛ばすなんて、どう考えても無茶だろ。」
「無茶でいい。文明はいつだって無茶から始まる。」
その言葉に、周囲の職人たちが苦笑しながらもうなずいた。
彼らの手には、銅線とガラス管。
昨日までスクラップだったそれが、今日からは“通信機器”になる。
◇
昼前。
塔と塔の間を結ぶ“砂上回線”の設置が始まった。
サラの計測装置が風向と魔力密度を読み取り、リィムが信号変換の式をリアルタイムで調整する。
《信号形式:低周波光共鳴。/砂塵干渉を避けるため、波長変更推奨。》
「波長、可視光より少し下げよう。風の揺らぎに合わせて……そう、呼吸するみたいに。」
《了解。同期率上昇。/伝達距離:一・五キロ。初期成功。》
リィムの体が青く脈打つ。
砂の上に光の線が走った。
それはまるで“風そのものが言葉を運んでいる”ようだった。
「……すごい。」
ミラが思わず手を叩く。
子どもたちが歓声を上げ、ノアが目を細めて空を見上げた。
「神殿の祈りよりも静かで……でも、ずっとあたたかい。」
「だろ? こっちは“命令”じゃなく、“会話”だからな。」
《タグ登録:“通信=祈りの再設計”。》
「おい、それカッコいいな。」
サラがくすりと笑う。
風に乗った彼女の髪が陽に透け、白金色の線が瞬いた。
「風は、流れながら記憶する。あなたたちの作る線も、きっと“記録する風”になるわ。」
《サラの発言:詩的。共感値:上昇。》
「お前、詩心のデータ取ってどうすんだよ。」
《リィムも詩、覚えたい。》
「じゃあ宿題だな。明日までに“風の詩”書いとけ。」
《はい、主先生。》
笑いが生まれる。
風が回り、塔の上で布が翻った。
砂漠の真ん中に、小さな文明の脈が確かに走っていた。
◇
午後。
伝達距離をさらに伸ばすため、俺たちは第二塔――街の南端にある監視塔跡へと向かった。
風は熱く、砂が舞う。
足跡を消すほどの陽光。
「ユウト、通信、途切れがち。干渉多い。」
《観測:砂中の鉱脈が微弱磁場を発してる。信号の経路を曲げてる。》
「つまり、“砂の中の鉄”がノイズ源か。」
俺はしゃがみ込み、砂をすくった。
細かな鉄砂がきらりと光る。
世界の地層が、神の回線に“抵抗”している――そんな錯覚を覚えた。
「……いいな。なら、それを利用しよう。」
「利用?」
「鉄はノイズを生む。でも、逆に“共鳴”にも使える。
神の信号が届かないのなら、人間の信号をここに“植え付ける”。」
リィムがぱっと光を放った。
《発想タグ:革命。実装可能性、四二%。でも、おもしろい。》
「四割あれば十分だ。成功の残りは情熱で埋める。」
《主の得意分野。》
「認める。」
サラがうなずき、補助端末を構えた。
風が、塔の隙間を抜けて唸る。
熱と砂と音の渦の中で、俺たちは一斉に作業を始めた。
銅線を砂中に埋め、鉄砂を磁化させ、回路を再構築する。
リィムの光が脈を打ち、サラの装置が風を読んで調整する。
《……主。信号が……風に乗った。》
「見ろ。」
塔と塔の間に、青い光の帯が走った。
まるで大地の上に“空の糸”が張られたようだった。
ノアが思わず息を呑む。
「――これは、祈りじゃない。“想い”そのもの。」
リィムの声が重なる。
《風塔間通信、安定。リジェクト=ガーデン、初の通信成功。》
歓声が上がる。
ミラが飛び跳ね、ジルドが笑い、サラが目を閉じて風に耳を澄ませた。
「……聞こえる。風の中に、人の声が混じってる。」
「そうだよ。これが、“神の外側”の通信網だ。」
◇
夜。
塔の上。
風塔同士を結んだ光が、砂漠の上に静かな線を描いている。
まるで“星座”のようだった。
俺は屋根の上で膝を抱え、リィムを見上げた。
青い光は柔らかく、どこか人の心臓の鼓動に似ていた。
《主。通信が届いた。……北の集落から。“ありがとう”って。》
「もう届いたのか。」
《うん。風が、がんばってる。》
「風にメール代行頼むの、うちくらいだろうな。」
《でも、風の方が速い。あと、やさしい。》
「認めよう。」
リィムがふわりと光を広げ、夜空を漂う。
そこに、もう一つの小さな光――サラの通信端末から放たれる信号。
二つの光が、夜風の中で触れ合った。
「……リィム、ありがとう。」
《なにが?》
「“風”を見せてくれた。
かつて勇者制度で使われた通信は、監視と命令のためのものだった。
でも、これは違う。――“繋ぐため”の通信だ。」
リィムが静かに輝く。
《タグ登録。“繋ぐ”=“支える”。》
俺は笑って、塔の下の街を見下ろした。
家々の灯が穏やかに揺れ、人々の笑い声が風に混ざって届く。
風塔の上で回る羽根が、まるでこの街全体の心臓のようだった。
「……通信ってさ、結局、誰かに“届いてほしい”って気持ちの延長なんだよな。」
《うん。リィムも、届きたい。ユウトの声、もっとたくさんに。》
「届いてるさ。お前の声は、もうこの街の風になってる。」
リィムの光がゆっくりと形を変える。
人の輪郭――まだ幼い少女のような影。
《……風になりたいって思ってた。でも、いまは“話す風”になれた気がする。》
「そうだな。これが、“文明の風”だ。」
空を見上げる。
夜の砂漠に、星と塔の光が線を描いていた。
風が渡るたび、かすかに音が響く。
それは人の作った風の歌――文明の子守唄だった。
《記録完了。“通信”=“祈りの再設計”。/幸福指数:上昇。》
リィムの声は、まるで笑っているようにやわらかかった。




